結局、どういう状況でどういう内容の仕事を振られた時も、花崎の対応は変わらなかった。自分にも責任がある、一人でどうにかできるような問題じゃない…と。1割…、いや、1%でも自分に非がある部分があるなら彼女は自分を責める。正義感の強さか…、元来持ち合わせている性格なのか。あるいは、今はもう辞めてしまった元同期への罪滅ぼしのようなものか…、斎藤自身のこの先を案じ、転職を考えつつも立つ鳥跡を濁さずというかのように、教えられることは全て…という考えなのか…。花崎にしてみれば、それら全てでもあり、もっと他にも思いを巡らせていることがありそうだ。結果そこに付け込まれていることに、気づけないほど必死にならざるを得ない。環境と自身の性格や価値観の相性が悪すぎる。その相性、というのも、社でふんぞり返り心無い言葉を浴びせ続ける卑劣な男たちにとって都合の良い相性の悪さ。予想通りと言うべきか、花崎の居ぬ間に斎藤に押し付けた仕事でさえ、結局は自分の責任とまで言い出しそうなほどなのだから。「ほんと…すいません…。俺がもっともっと仕事できれば、先輩にこんな迷惑かけなくて済むのに…。」斎藤の言葉は事実だった。しかし、半分である。仕事ができようができまいが、男達には関係はない。10任せて10できるなら、11、12と与える量を増やすだけの事。誰しも許容量を超えれば注意力が散漫になり、焦り、不安、理不尽と理解していても、心無い言葉で煽られれば、負の連鎖。半分は斎藤の肝の弱さ、新人だから、ベテランだから、先輩だから、後輩だから、ではなく、通すべき筋を通した話、受け答えができればこうはならないのかもしれない。とはいえ、それが可能なほどの自律した意思と自尊心を持ち合わせて仕事ができるタイプの人間だったのなら、きっとこの会社に来る前に、他企業で採用されていただろう。起こるべくして起こっている現状といっても、過言ではないのかもしれない。それでも花崎は任された立場を全うしようと、手を変え品を変え、話題を変え、場所を変え、斎藤のモチベーションの維持に努めている。違う場所で、違う出会い方をしていれば、よりよい先輩と後輩になれたのかもしれない。「彼女…?居たことないですねぇ…、彼女いない歴=年齢っていうやつですよ、先輩。え、先輩もなんですか…。」何とか押し付けられた仕事をこなしながら、他愛ない話でモチベーションを繋いでいく。どこまで本気で言っているのか計りかねながらも、二人での飲みの話になれば、今の気持ちも多少は晴れるのかもしれない。退社できる状態までこぎつければ、謝罪の件を先に確認され「えぇ、もちろんです。というか、俺が悪いんで…、俺から謝ります。その後のは、先輩と飲み直しか…、それなら頑張れそうです。」浮かべる微笑みに嘘はなかった。行きたくはない、入社2か月でそう感じているのだ、でも、花崎はもっと行きたくないはず。自分だけ逃げるわけにはいかない…、そんなことを腹で考えながら、本音と建前の混じる返答だった。「…っ、花崎、斎藤2名、到着しました。遅れて申し訳ありませんでした…っ!」………………-30分程前-「ぐふ…、ふぅ…なぁ、筋山(すじやま)…。花崎…どれくらいで来ると思う…?」額に汗を滲ませながら、気色の悪い笑みを浮かべてビールジョッキを片手に隣に座る、Yシャツの上からでも引き締まった身体が浮き上がったいかにも体育会系…と言った男に声をかける。「そっすねぇ…。結構な量だったと思いますけど、花崎…仕事はできますからね…。二人で協力して…1時間…いや、30分くらいで形にしてくるんじゃないですか?汗本(あせもと)課長はどう思います?」
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「いい、良いねぇ…花崎…想像以上に頑張ってくれるじゃないか…。」普段からの無理難題も、苦戦はしてもなんとか突破して見せる花崎の鼻を明かしたいと考えている男も少なくはない。無論、禿田や汗本に限っては、只の下衆。より痴態、辱めを期待しているのは言うまでもない。砂漠の中でオアシスを求めるように、グラスに注がれた透明な液体に救いを求めた花崎。しかし結果は最悪も最悪。日本酒ほどではないにしても、立派な酒。それを対してアルコールに免疫もない物が不用意に口にすれば、毒以外の何物でもない。「それにしても盛大に噴出したなぁ…花崎…。ほら見ろ…、この辺の日本酒は…ぜ…んぶ、お前の噴出したジントニックが降り注いだぞ…?」にやつきながら一つのお猪口を手に取る禿田。それも漏れなく、花崎が噴出したジントニックがある程度は降り注いだもの。そんな様子を見ながら、舌なめずりする汗本…、花崎の心中を察しているのか珍しく上機嫌の筋山もその視線を外さない。「ん…ふぅ…。ほれ…、1杯は私が処理してやったぞ…?花崎のジントニック入り日本酒だ…ふはははっ…。」吐しゃ物…とまではいわないものの、周囲のお猪口をまとめて汚す形となった花崎に追い打ちをかける所業。焦点が定まりづらくなってきていることを理解しているのか、禿田の指先は花崎の反応を確認するように腰のあたりからそれとなく尻を撫で始めている。そしてその視線は、緊張…不安…回った酒の影響で汗ばむ花崎の胸元。「それにしてもこれだけの日本酒をダメにしたんだ…。さすがにお咎めなしとはいかないなぁ…、汗本…そう思わんか?」強制的に遅刻させ…、謝罪させ…逃げられない強制飲酒…の流れ…、全ては男どもの卑劣な罠。そして鶴の一声のように禿田がそうつぶやくと、待ってましたと言わんばかりに、「おっしゃる通りです部長。お猪口数個分とはいえ、会社の経費で特別に飲めている物に変わりありませんからな。相応の罰…を受けるべきかと…。」互いに示し合わせたようににやつく下劣な男。しかしここでもまた邪魔をするのが…この男。「ば、罰なら俺が受けますよっ。せん…ぱいばっかり辛いのはおかしいですっ。」斎藤だ。恥ずかしげもなく身体を震わせながら、そんなことを言い出す。放っておけるはずもない、そんな関係性が出来上がっていることを本人以上に周囲が理解していた。それを含めての利用…、もちろんそんなことを知る由もない。「ほぉ…、じゃあここにあるお猪口…。お前が全てからにして見せろ…斎藤…、それができなかったら…花崎には…この場で…脱いで…謝罪してもらう…。」脱いで謝罪してもらう。初めて聞こえる明確な花崎へのセクハラ発言。しかし咎めるどころか、どよめく宴会場。「ぬ…脱ぐ…って、そ、そんな…。」そんな言葉に一人動揺の色が隠せない斎藤。しかし、その視線は確実に数回花崎の身体の方に流れた。「それとも花崎…お前が全部飲むか…?別に、今脱いで謝罪してくれてもいいがな…?大事な日本酒を私のジントニックで汚してごめんなさい…と…。」何を脱ぐ、どこまで脱ぐ、と言わないところがさらにあくどい。まるでジントニックというドリンク名まで下ネタのように使って笑い合うあたりが、下衆を通り越して惨めさすら感じさせる中年達。しかし、そんな余裕はもはやない。強気で罰を受けると言い放った斎藤。しかし、次の瞬間には花崎に助けを求めてしまういつもの視線。「俺の…せいで…先輩が…。」ぼそぼそと俯きながらつぶやく斎藤はどこか前かがみに座りなおすようにも見えて。
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