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幼馴染との体験 RSS icon

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2023/07/12 17:25:55 (ntRHocsc)
ぼくの家の隣に佳子ちゃん一家が越してきたのは僕が小学5
年になる春休みだった。佳子ちゃんは一つ年上の6年生にな
るところ。小学校までは徒歩で14,5分のほぼほぼ一本道
で迷ったりするわけないのに、佳子ちゃんの母親が、慣れる
まで一緒に行ってねと頼まれ休みが明けてしばらくは一緒に
登校した。佳子ちゃんはスラっとスタイルもよくなんか綺麗
で大人びていた。初日の朝から、クラスの悪ガキに二人並ん
で話しながら歩いているところを追い越され、あっ!彼女と
歩いてる!みたいな感じではやし立てられた。うるせ~!ち
がわい!と追いかけて文句を言おうと走り出そうとしたとこ
ろ肩を佳子ちゃんにつかまれ、止められた。「ほおっておき
ましょ。ああいう子はどこにでもいるわ。」と妙に大人びて
いて一気に佳子ちゃんのファンになってしまった。佳子ちゃ
んは、翌年私学の中学に、僕は近くの公立中学にとと進んだ
のでその後、お隣どうしなのに接点がほとんどなくなってし
まっていた。
ぼくが高3の受験生になるというとき、佳子ちゃんは女子大
に現役一発合格。そのお祝いにとうちら一家も招待された。
久しぶりに近くで見た佳子ちゃんは、本当に綺麗で色っぽく
てめがついつい彼女の方を見てしまうのを、隣のおばさんに
気づかれ、「シーN君もお年頃、気になる存在?」とからかわ
れて真っ赤になってしまった。父親までが、「アホバカのお
前にゃ高嶺の花だ、今のうちにあきらめんしゃい。」とふざ
けていう始末。僕は全く立つ瀬がなくしょぼくれた。そんな
ところを佳子ちゃんは目でみてるんだろうと、上目遣いで
こっそり佳子ちゃんの方に視線を送ると、ニッコリ笑って僕
を見ていた。視線が合うと「シーN君、そんなことないわよ
ねえ。来年受験でしょ。頑張って合格して見返してあげまし
ょうね」っともう完全にお姉さんで、ますます好きになって
いくのが分かりました。
一発現役合格!という夢は見事に砕け、翌年は浪人生になっ
ていました。父はそんな僕に愛想をつかした、というわけで
もないけど、単身赴任を決め込み、母も家にあんたがいるん
だからパート仕事始めちゃおと明るい一家離散状態。確かに
僕は料理とか嫌いじゃないからそういう家の事は結構やれた
のがいけなかったかなあと反省はしたが、受験勉強の合間に
ストレス発散とばかりに料理に洗濯にと家事にはげんだ。
そんななか、どうしようもなかったのが性欲で、オナニーな
んかしてる場合じゃないとわかっていても、三から四日のガ
マンが限界で射精しないと勉強もてにつかないありさま。オ
ナニーのおかずは佳子ちゃんで、佳子ちゃんに童貞を奪われ
ることを夢見て精液を放出していた。悪いことに、ずっと家
にいる時間が多くなったせいか、佳子ちゃんの姿をよく見か
けるようになってしまっていたのも性欲を抑えきれなくなる
要素だったかもしれない。
夏になると、当時はエアコンより窓という窓を開け放って自
然の風と扇風機というのが定番だったので、隣接する家の中
など丸見え状態だった。大学に行くときはおしゃれに着こな
して出かける佳子ちゃんも、休日に家で過ごすときは、結構
ラフな格好で、夏が近づき暑い日が多くなると、Tシャツに短
パンみたいな恰好してることもあることを覗き見てしまった。

巷の学校が夏休みにる前の何日かは期末試験とかで帰りが早く
なるのは大学も同じようでその年の七月初めくらいから塀の隙
間から佳子ちゃんの姿を垣間見る機会が劇的に増え、オナニー
の回数も増えてしまった。そんなとき、母が、パート仲間のお
ばさんグループで、一週間ほど旅行に行ってくるといって出か
け家には僕一人取り残されることになった。そういう状況にな
ると俄然頭をもたげてくるのが性欲で、佳子ちゃんとセックス
したいという思いが急加速で強くなっていってしまったのだ。
母を送り出して、一応勉強をして昼食を済ませ洗いものをして
いると佳子ちゃんが洗濯物を庭に干しているらしい姿が、隙間
からうかがえた。隙間の近くに目をくっつけるようにすれば、
もっと全体像が見えることはわかっていたので、洗い物をそそ
くさと済ませ、足音を忍ばせるように塀伝いに隙間のあるとこ
ろに接近。木の塀の節穴に目をくっつけるように覗くと、目の
前に佳子ちゃんのサンダルをはいた生足が飛び込んできた。目
線を徐々に上に持っていくと、膝、太もも、そしてホットパン
ツが見える。地面に這いつくばうような格好でさらに下の方の
節穴から見上げるようにすると、佳子ちゃんが動くたびにホッ
トパンツと太ももの隙間から中がチラチラみえ、ピンク色のパ
ンティーとそのしたの陰毛が薄っすら黒く見えたりして、もう、
失神しそうなくらい興奮した。勿論、僕のペニスもブリーフの
中でこれ以上は無理というくらいに大きく膨らみ、はたからも
わかるくらいにテントを張ってしまっていた。その時、風のい
たずらでTシャツの裾から風が入って膨らみ、なんとありえな
いことにおっぱいのふくらみと乳首が見え、ノーブラなんだあ
と思った。そして、冷静に、今、佳子ちゃんが来てるのはホッ
トパンツとパンティーとTシャツの三枚だけなんだと思うと、
このまま、隣に乗り込んでって襲い掛かってしまいたいくらいの
衝動にかられたが、そこは、グッとこらえ、佳子ちゃんの動きを
目線で追った。洗濯物を干し終えて廊下に上がって家の奥に姿を
消したのを確認して、洗濯物を見るとパステルカラーのビキニパ
ンティーが数枚とその他下着類が干されていた。それにも興奮し
たが今時流行りの下着泥棒をやろうとは思わなかった。
自分の部屋に戻って一回精液を放出してから勉強しようと勃起し
たペニスに刺激がこれ以上加わらないように用心深く立ち上がり
戻ろうとしたその時、隣家の奥の方に佳子ちゃんが動く気配がし
たので上の方の節穴から中をうかがった。すると、開け放された
窓の奥の居間の向こうのダイニングテーブルの脇に佳子ちゃんが
立っていて冷蔵庫から出した飲み物を飲んでいた。その時、テー
ブルの淵のラインにホットパンツのちょうどオマンコの膨らみが
当たってるのが見えた。飲み物を飲むときの体を支えているとい
う感じだったが、妙にエロく見入ってしまった。見入ってしまっ
て正解だだった。佳子ちゃん、飲み終わったグラスをテーブルに
置くと両手をテーブルについて、ホットパンツのオマンコが当た
っているところを上下に小さく動かし始めた。すぐにやめるかと思ったら
それがそうではなくお尻の動きとか体全体のくねらせ方が妙に色っぽく
エロティックで、頭がぼーっとしてきて気づいたらお隣の家の庭に入って
いて、なんといって声をかけたのか、とにかく気づいたとき、僕は佳子
ちゃんの家に上がってて、隣に佳子ちゃんがいて、目線が合った時、突然
佳子ちゃんに唇をふさがれ、ソファーに倒れこんでいきました。
全ての音声にミュートがかかったように、一言も口をきくことな
く進行していきました。佳子ちゃんはゆっくりホットパンツとパ
ンティーをまとめて脱ぎ、僕の短パンとブリーフもゆっくり取り去ってい
きました。仮性包茎気味だった僕のペニスの皮をゆっくり剥きカリのとこ
ろにおさめると、佳子ちゃんはペニスを腹の方に押し付けて倒し、
その上に乗るようにして自分のオマンコをペニスに押し付けてきました。
夢かもしれないと思いました。なぜか、二人ともTシャツは着ていました。
佳子ちゃんと抱き合うようにしてソファーの上からゆっくり床に
できるだけ姿勢を保つように二人で協力しあいながら降りると、
佳子ちゃんは体をゆっくり前後に動かし、何とも言えない妖艶な顔をして
「キ・モ・チ、イ・イ~~」というかのような口の動きをゆっくり見せて
再び唇を重ね、舌を絡めあいきつく抱きしめあいました。
いつまでも入れてくれないので「入れたい」と声に出したような
気がするのですがなんか無音だった感じが残っています。
佳子ちゃんがちょっと、体を僕から離し浮かせたとき、二人は見つめ
あいました「OK?}ときくように佳子ちゃんの目が語りました、僕は
首を縦に振った。すると、ペニスの先端に何か生暖かいものが触れ
ちょっとしてピリッと痛い感じがして、クルンとペニスが何かに包ま
れた感じがして佳子ちゃんの体と僕の体が完全密着したような喜びが
あふれてきたのでした。しばらくじっとしていました。そのうち僕の
お尻の筋肉が勝手に動き出し、それに合わせるように佳子ちゃんも動
いてくれると、どんどん気持ちよくなっていって我慢の限界が近いこ
とを悟りました。そのとき、上に乗って僕を抱きしめていた佳子ちゃ
んが体をビクンビクンと痙攣させたので、僕も、それに合わせるよう
にガマン解除。精液大放出の脈動にすべてを任せました。
佳子ちゃんが処女だったかどうかわかりませんが、僕はその時まで真正の
童貞でした。まさに、夢がかなった童貞卒業。

数日後、佳子ちゃんに、もう一度したいと尋ねて行ったのですが、
生理直前に来てそのとき気分がのったらねと避けられてしまい
ました。生理なら1っか月ごとにあるわけだからと、次の月、次の月
と狙いをつけてたのんだのですが、誰か家にいたり、気分が乗らない
とか風邪ぎみとかでずっと避けられつづけ、二回目が実現する
までほぼほぼ一年かかりました。
41
2023/06/30 16:11:23 (fKDZaoHZ)
中2の時に引っ越していきましたからそれまでの話です。
保育園の頃に知り合い小さいながら「大人に成ったら結婚しようね」とか言ってました。
親もほんとに仲がいいんだから兄妹みたいと言われてました。

良く由美ちゃんの所に遊びに行ってはお風呂とかご飯とか2人で寝たりもしてました。
3年生の頃になると親から「そろそろお風呂はやめようね」とか2人で同じ布団で寝るのも
駄目と言われました。

2人で「何で?」とは思ってましたが。

5年生になり親が言った意味が何となく2人とも分かりました。

其の頃になるとお互いに意識するようになり隠れてこそこそエッチな遊びをしてました。
見つからないようにキスもしました。
公園のトイレの個室に2人で入って裸になりお互いに見せ合ってました。

俺もその頃になると、女の子の裸を見るとチンコが硬く起ってました。
由美ちゃんが興味深々で「まことチンチンが立ってるすごい痛くないの?」
「痛くなうよ別に」「でもエッチな気分だっけど」
この様な感じで見せ合うからお互いに触る事もしてました。

由美ちゃんのおっぱいが少しづつ膨らみ6年生の頃には俺よりも背も高くなりました。
「私生理に成ったから赤ちゃんができる大人に成ってきた」「アソコに毛も生えてる」
と言い見せてもらいました。

「まことはオナニーとかは知ってる?」と聞かれ「知ってるけどしたことない」
「して見せてもしかしたらチンチンの先から出るかもよ」と言われました。
「ヤダよ恥ずかしいから」「由美ちゃんに見られながら出来ない」

「じゃ私が代わりに手でしてあげるから」と言われ「それなら良いと」してもらいました。
「声出さないでばれるから」と言って俺の正面に立ち「恥ずかしいね」と言いながら
チンコを握りしごかれました。「どうぉ?」「出そう?」

「由美ちゃん気持ちいいチンコの奥の方がジンジンしてる」
「だめ」「それ以上すると」と言った瞬間、いつもとは違うものが尿道を通るのがわかりました。
勢いよくチンコの先から白く濁ったドロドロとしたものが飛び散りました。

目の前でチンコを握りシコシコしていた由美ちゃんに勢いよく掛かりました。
「ヤダ言ってよ」「出るって」「一杯掛かった手にもついてる」「ヌルヌルしてる」
手についたものを匂って「臭い」「変な匂い」。

「ごめんなさい」「初めて出た」「なんだか気持ち良かった」

「なんか私も変な気分」とか良いアソコを触ってました。
アソコがヌルヌルしてるアソコ触ると気持ちいい。「まことアソコ触って」

俺は言われるがままにマンコを触りました「女の子のマンコがすごいヌルヌルする事を
初めて知りました。「まこともうやめて」「変になりそう」

「まことアソコにチンチン入れてみて入りそうだから」と言い腰を前に突き出して股を広げて
ました。

「どこに入れるの」と言うと「此処の穴に入れるの」と言ってチンコを穴の中に入れてました。
「痛い」・・・・・・「痛いの?」「止めたほうがいいよ」「
「大丈夫だから」「少し痛いだけ」「いいよ入れても」
俺は由美ちゃんが手を添えてくれているので其の儘腰を突き出しました。

「痛い」「大丈夫だから」「でも中には出さないで」
俺は入れただかですがマンコの中が暖かくてヌルヌルで気持ちが良くてまた直ぐに出そうになり
「由美ちゃん」「出そう」と言うと「駄目」と言われましたが中に出してしまいました。
「馬鹿」「中に出したらダメって言ったじゃん」「もぉ」

お互いにエッチって気持ちいいことを知り隠れて年中してました。
お互いに舐めあう事も覚えました。

中2になり由美ちゃんがお父さんの仕事で海外に引っ越す事になり終わりました。

由美ちゃんは「ごめん」もう会えないね遠いから。
2人で抱き合い泣きました。

両親もまさかそんなに仲が良いとは知らなかったみたいでおどろいてましたが。

由美ちゃんの両親に「ごめんね、まこと君由美と仲良くしてくれて何処かで会えると思うから
会ってね。「よかったらお嫁さんに貰って」

由美ちゃんのお父さんが近くに来て小さな声で「どこまで由美としたんだエッチもしたのか?」
「別に咎める気はないから」「お互いに好きなんだから」「由美と結婚してやってくれいよ」
とは言われました。

何十年と経ち由美ちゃんは引っ越した所で彼氏を見つけて結婚したという事です。
42
2011/09/08 13:27:53 (7k/.h9E1)
東北の秋田、しかも田舎に小学生二年の頃まで住んでいた。
親父は転勤族。
秋田は地元なので親父の実家だった。

この家のすぐ隣に真澄ちゃんは住んでいた。
可愛い感じの女の子、俺より二つ年上でよく面倒を見てくれた。

田舎だから庭も広く(笑)よく庭先で遊んだものだ。

小学校二年の頃に転勤の話しが出た。
春休みに入るとすぐに引っ越し、お別れの時は泣いていたと思う。
初恋?の相手とお別れだ。

転勤先は福島、同じ東北とは言え距離はかなりある。
盆と正月に帰る以外は特に戻らない。
この時期に帰っても真澄ちゃんとはなかなか会えない。
田舎の盆と正月は来客も多いし以外と忙しいのだ。
それでもたまに会うとチョコチョコ話しはしていた。

俺が中三の時に再び転勤の話しが出た。
前年宮城に転勤したばかりだったのでかなり驚いた。
この頃、祖父の体調も悪く、入院などがあり心配になった親父が相談の上再び地元に転勤願いを出したらしい。

三年生で突然の進路変更で秋田の高校を受験する事になった。
知らない学校は嫌だったがしょうがない。
とりあえず勉強はそこそこ出来たので心配無いと親も判断したのだろう。

とは言えピリピリはするもんだ。
秋田は受験する予定も無かったからどんな高校があるかも良く解らない。

そんな時にはやはり知ってる人の方が聞きやすい。
「真澄ちゃんに聞いてみな」と無責任に母親は言うが、年頃なので声を掛けづらい。
すると母親が声を掛けたのか夜に真澄ちゃんが来てくれた。
元々整った顔だったがさらに綺麗な顔になっていてちょっと恥ずかしかった。

「こんにちは、お久しぶりです」
なんて俺がよそよそしい雰囲気になるのはしょうがない。
俺の手持ちの資料は学校で紹介されて貰ったパンフと本屋で買った受験ガイド一冊だ。

「うちにおいでよ!ちょっと古いけど資料も色々あるよ」
と誘いを受けてお邪魔した。
初めて入った部屋では無いが、雰囲気がガラリと変わっていた。
そんな部屋にちょっとドキドキした。

雑談しつつ近況報告、どの程度の学校を受けるのか、噂などを含めて色々だ。
最終的に候補を三つ挙げた。
この中に真澄ちゃんが通う高校もある。
進路指導の先生にも候補として薦められていた。

「校舎も綺麗だし荒れたりとか無いよ」
との言葉と知り合いが一人でも居るって所で第一志望をここに決めた。
親とも相談、先生にも報告をした。
43
2018/03/07 12:33:05 (Kj81Pb/k)
「付き合おう。」

俺たちの間に、彼氏と彼女という間柄の契約が締結し、それから順調だったのは、最初の2か月だけだった。

2か月後、俺の携帯メールに「お父さんが連れてきなさい。」って言ってる。。とメールが入ったのだ。(早かったな・・とうとうこの日が来たか・・・)と覚悟したが、さらに俺の緊張に追い打ちをかけたのが、「履歴書を持ってきてって言ってる」とのことだった。

(りれきしょ・・・・・)と愕然した。

すでに書いた通り、俺の学歴なんて恥ずかしくて世間様に書けるようなものはなにもない。資格もない。それを一体、今更、なにが履歴書だ・・・。と思った。

しかし、書かないわけにはいくまい。

俺はネットで調べながら見様見真似で、、

〇〇市立〇〇小学校卒
〇〇市立〇〇中学入学
〇〇市立〇〇中学卒業
〇〇私立〇〇工業高校入学(定時制)
〇〇私立〇〇工業高校中退

職歴
有限会社〇〇入社  設備関係
一身上の都合により退社
株式会社〇〇入社 型枠大工
一身上の都合により退社
クラブ ダイアモンドダスト入店 ホール係
一身上の都合により退社
クラブ ウィズ ホール係
一身上の都合により退社
クラブ スカイブルー入店
現在就業中

資格:特になし

(・・・・・・こんな履歴書しか書けないのか俺は・・・・)と思った。

かといって、全然関係のない業種などを書いて改ざんしても、どうしようもないと思った。ただ、正直に誠心誠意ぶちあたり、、これから唯さんと出ったことをきっかけに、真面目に社会人として恥ずかしくない生き方をします!というしかない。と思った。

若かった。甘かった。熱意をもって訴えかければ、相手は理解してくれる。と思っていた。

父親面接の当日、俺はJR大塚駅に行き、唯と待ち合わせをした。昼の12時の時、それから俺と唯は、俺が押す車いすで徒歩10分少々の唯の邸宅へと到着し、そして1階リビングルームへと通された。

リビングルームのテーブルには、俺が来るということで昼食を一緒に。とでも思っていたのだろう。エビフライ、ハンバーグ、餃子、シュウマイ、サラダ等の豪華な料理が並んでいた。

料理はあと少しで出来るから。ということで、俺はさっそく、リビングルームの角テーブル(料理が並んでいないほうのテーブル)に案内され、そこにはすでに父親がいた。

俺は「こんんちは。酒井と申します」と自己紹介をした。すると唯から、あらかじめ少しは紹介されていたのだろう、「酒井くんだね、小学校の時は唯がいろいろお世話になったね」と笑顔だった。

俺は(和やかな感じで終わればいいが・・)不安が隠せないままでいたが、すると唯の父親は、「履歴書持ってきてくれたかな・・。こんなの書いてもらって申し訳ないんだけど、唯が普通の暮らしをできないのはわかっているよね。だから、相手がどういう人なのか知っておきたいと思ってね・・」というのである」

「はい。持ってきました。」とクリアファイルに入った履歴書をカバンから出して唯の父親の目の前に差し出した。そして老眼鏡をつけてそれを見る唯の父親だった。

「ふむ・・・・」

沈黙した空気が流れた。唯も母親の手伝いをしながら、不安と心配で、ちらちらと俺達のほうを見ていた。

父「え、と、定時制の工業高校を中退したのはどういう理由で?」 
俺「はい。。その当時、悪友とつるんでいる事が多くありまして、、警察へも何度かお世話になり、その影響で・・・」

父「具体的には?」
俺「窃盗と薬物所持です・・。」

父「何を盗んだの?」
俺「工場へシンナーを取りに行き、それが発覚し、後日、警察が家にきて逮捕されました」

父「・・・・」

父「それから社会に出て、、、けっこう短い時間で転職を繰り返しているようだけど、何か考えるところがあったのかな?」
俺「体力とか俊敏性はあるほうだと思っていたので、現場仕事なら自分に向いているかな。と思い、志望しました」

父「でも、続いてないね」
俺「はい・・・・」

父「それから、夜の仕事を始めているようだけど、これも続かなかった?」
俺「そうですね、、何度か転職を重ねています」

父「資格は?」
俺「特にありません」

父「そうですか。。。今こうして私から質問をされて、非常に気分が悪いと思う。でも、唯が普通の生活をできない。といったのはわかってくれるね? 例えば、何か事故やケガで病院に行かないといけないとき、車の免許もなくてどうする?」

俺「そうですね・・・」

父「君との再会の話は唯からよく聞いたよ。私も覚えている。あの車椅子事件(車輪を1個壊した件)の事も。友達として、とてもいい関係だったようだね。でも。はっきりと申し上げるが、、交際やどうこうという話はやめておきなさい。ただ友達との再会で終わらせておきなさい。」

母「ちょっと、おとうさん!!」

父「はっきり言っておく。私は別に君に、医者や弁護士である事を望んでいるわけじゃない。社会人として一人前の人であれば、唯を任せられると思っていたが、、、あまりに論外すぎる。今のままでは交際すら承諾するわけにはいかない。以上」

そして父親はその場を立ち去って奥へと消えていった。

ははは。。。無理もない。

久しぶりに出会って、意気投合して、、Hまでしちゃったけど。。

所詮、底辺のホストが、たまにラッキーな展開を味わっただけ。

こんなもんだ俺は・・・。

母「お父さん、ああいってるけど、気にしないでくださいね。あの、料理できましたから、一緒に食べましょうw いろいろ聞かせて小学校の時の話とか^^:」

俺「失礼します」

俺は唯の家を飛び出し、そのまま、俺はこれでもか!と腹の底から湧き上がる涙をこらえながら、巣鴨のほうを池袋方面に向かって走っていった。

そしてマンションの駐車場の影に隠れて、男がなさけなくも声をあげて大泣きした。あれほど涙があふれる事も初めてだった。ボロボロと俺の足元に大粒の涙がしたたり落ちて行った。

唯からのメールもなかった。後で聞くところによると、父親から、「連絡するのはやめなさい。これ以上、なまじ連絡をすればお互いのためによくない!」と言われたそうだ。あまりの父親の剣幕に、唯も怖くなって、とりあえず数日連絡するのをやめ、父親の顔色をうかがう他はなかった。とあの時の事を回想している。

俺はヤケになっており、(今月の給料でたら大阪帰ろっと。。。)とその日から仕事へ行くのもやめた。

いつもの俺に戻っていた。

そして居候している親父から、「働きもしないのなら出ていけ!!!」と言われ始め、、、俺は24にもなって家出をする事になる。

それからホスト仲間の間を転々とし、料金の払っていない携帯電話はそのまま利用停止。唯からの連絡を待つという希望も消えていった。

そういや、「二人で結婚資金をためようね」唯と二人で作った貯金通帳。その中に10万円入っていたな・・。10万あればもう少し生活できるな。なくなったら大阪帰るか・・)などと思っていた。

そして浮浪者のように町をブラブラしていたある日、俺は思わぬひらめきを得るのだった。

それは街中にあるコンビニの前のチラシ棚、そこに「合宿免許!!12万円~」

(免許・・・・・・)

(そうだ。免許しかない。それに合宿免許に行けば、このまま放浪生活をしなくてもいい!!よし!!!)

それから俺は弟の弘明に連絡し、すぐに俺の住民票を取ってくるように依頼した。そして住民票は俺のホスト仲間のところに送ってもらい、、俺は(唯。ごめん!俺を信じて!!!)と結婚資金の10万を全部引き出した。

そして俺は手持ちの金と合わせて、関東甲信越地方の自動車教習所へ、お金の都合でAT限定しか受ける余裕はなかったが、俺は教習所へ通うことにしたのである。

中卒の俺。まったく漢字もしらなかった。すべての漢字を漢字辞典で調べ、執念での学科講習だった。

そして合宿免許場を一発合格し、(もともと無免許運転していたので車の運転には慣れていた)俺は大阪の古川橋にある門間運転試験場へと足を向けるのだった。

死ぬ気で覚えようと努力をすれば、人間なんとかなるもんだ。俺は合格点こそしらされていないが、98点か100点で試験は合格したと自信を持っている。

俺は堂々と運転免許証を受け取り、、(さて、、これからどうするか・・・)と京阪古川橋から淀屋橋にいく電車の中で、これからの事を考えていた。

つづく

44
2018/03/05 12:11:00 (FW.RgMi1)
今から20年前の話。俺は小学校5年だった。5年になってからのクラス替えで、俺はあのめんどくさい、荒木唯から解放されて、「やっと今日から放課後に遊べるぞー!!!」と喜んでいた。

その頃、俺は3年から4年の2年間、ただ家が近いから。という理由で強制的に生まれつき足の不自由な、「荒木さんの車いす係」に任命され、俺は放課後に友達とサッカーやドッジボールも出来ず、俺はいつもブツブツ文句を言いながら荒木を家まで送っていたのだった。

いつも荒木は「ごめんね、ありがとう」と俺に言っていたが、俺は荒木の問いかけをすべて無視し、「行くぞ」と「着いたぞ」の2言しか言った記憶がない。

たまに荒木の親が、俺の家に「いつものお礼」ということでお菓子などを持ってきてくれることもあったが、俺はそんなお菓子なんかよりも、ただ放課後に友達と一緒に遊びたかった。俺の小学校3年、4年はそんな感じだった。

そしてクラス替えによって、荒木から解放された俺は、小学校5年、6年という2年間、俺は自由に放課後に遊べる身分となったのだが、6年生の夏休みが始まる前、俺はこの先の人生に大きな影響を与える出来事と直面してしまう。

それは夏休みが始まる最後の授業の日、みんなが帰りの準備をしているときに、隣のクラス(荒木が居るクラス)の女子から、「ねぇねぇ、酒井君。荒木さんが、今日一緒に帰りたいって」と言ってきたのである。

俺は「は?ふざけんな。きもいんじゃ。お前(隣のクラスの車椅子係)が行きたくないから俺に擦り付けようとしてるんだろ」と、そんなセリフを荒木がいる目の前でその女子に言い、俺はすぐその場から立ち去り、明日から夏休み。ということでテンションが上がっている男友達の輪の中に入っていったのだった。

それから長い夏休みはあっという間に終わっていった。

夏休みが明けた時、俺は夏休み明けの最初の登校日、朝の朝礼の時に先生がいったことはこうだった。

「お前ら知ってるな。隣のクラスの事だけど、荒木がお父さんの仕事の都合で、東京へと引っ越した。隣のクラスでは定期的に手紙を書くそうだが、お前らもクラス替えの前とかは荒木と一緒だったので荒木に手紙を書きたいっていう人は、B組の島田のとこに行ってくれ」

と言ってきたのだ。

俺は(え。。。あの時、最後でもう会えないから、俺と一緒に帰りたかったのか・・・なんで?俺と・・?)と思った。俺はそのあと、隣のクラスの島田(元荒木の車椅子係)に、「なぁ・・・」と声をかけると、「話しかけないでよ。最低男」と冷たく突き放されたのである。

聞くところによれば、荒木は常日頃、島田を始めとする一部の中のいい女子に、小学校3年から4年間は、とても安心して家に帰れた。とか、酒井君がいてくれるから悪い男子にいじめられないで済んだ等、そんな俺への感謝の気持ちを語っていたらしい。

そして夏休みが終わったら転校してしまう。という最後の日に、俺に今までの感謝の気持ちを書いた手紙と、ささやかなプレゼントを用意していたとのことだった。

それは島田とは別の女子が預かっていたらしく、俺は数日経って、その現物を手にすることになるのだが、それは俺が当時ハマっていたアニメキャラクターの、筆箱、ペン、下敷き、消しゴム、等の文具用品だった。

そして手紙にはこう書いてあった。

「酒井君。私、夏休みが終わったら東京へ引っ越しするんだ。もう会えなくなっちゃうね。でも、3年生から4年生までの2年間、いつも一緒に帰ることができて、私はとても楽しかったです。あの時の事、覚えている?一緒に車いすでダッシュして笑いながら帰っていた時、いきなり車いすのブレーキが壊れて、車輪が1個動かなくなった時、あの時酒井君は自分の家に自転車を取りに帰ってくれて、私を後ろに乗せて帰ってくれたでしょ。そして車いすもあとでちゃんと取りに行ってくれた
よね。でも荒木君はあの後、私の車椅子でダッシュして壊したっていうことで、(私の)お父さんと先生にも怒られたけど、私には怒られたこと何も言わなかったよね。。あの時の事は私の中でのかけがえのない大切な思い出です。ほんとうにありがとう。夏休みが終わったら私は東京に行ってます。私も頑張るから、酒井君も頑張ってください。」

俺はあれほど、自己嫌悪したことはなかった。涙も出てこなかった。正直、小学校6年の俺の未成熟な精神では、この出来事をどう処理していいかわからなかった。携帯もメールアドレスもない世界の事である。今更何をどうしていいのかもわからなかった。

そして俺は、荒木の事は思い出そうとせず、キャラクターの筆記用具は弟に上げ、、そして手紙は学習机に放置し、気が付けば行方が分からなくなっていた(実は母親が保管していた)

それから俺は中学へと進学し、覚えたのは因数分解ではなく、窃盗。原付を直結する方法、ハサミを使って強制ロック解除する方法。それから他校との喧嘩。そして工場へとシンナーを盗みに入り、逮捕。そして鑑別所。

高校は定時制高校へ進学したが、俺の怠慢な性根で1年目で中退。家庭環境も悪くなってきて、両親は別居。特に母親と仲が悪かった俺は、現場仕事などを寮生活をしながら転々とし、そして最終的には持ち前のプライドの高さから、「俺には現場よりも夜の仕事のほうが向いている」などと思い込み、キャバクラのボーイとして末端の社員として働く。そんな転落人生が待っていた。

そして24歳になった時、(今から6年前)俺は(当時、別居したオヤジが東京で仕事をしていた)実家からとにかく出ようと、オヤジのところに流れ込み、そして東京でも生まれ持っての関西弁を使って「関西弁ホスト」という名目で自分を売り出し、歌舞伎町のさびれた店で、ここでも末端のホストをやっていた。

そしてある日、衝撃的な再会に巡り合ってしまうのだった。

その日、俺は客だった厚化粧のケバい女と朝の新宿でナイト明けで眠たそうにコーヒーを飲んでいた時の話である。調子にのってビルの1階にあるガラス張りのコーヒー専門店で、女と店の愚痴などを言いながらサンドイッチとコーヒーを飲んでいたら、ガラス張りから見える店の前の道路に、20組(車いすと、それを押す人)くらいはいる大量の車椅子集団が俺の視界を横切ろうと遠くから接近してきたのだった。

見た感じ、車いすのなんらかのグループの東京見学っていう感じか、そんな風に見えた。俺は女に「なんかゾロゾロきたぞw」というと、女は「なになに?足の不自由な人の旅行?なにあれ」てな感じで言っていた。

そしてその団体が遠くから店の前に近づいてきたとき、その20組はいる車いす集団の先頭に、自動車いすで自分で運転する、俺と同じ年くらいの、きれいな黒髪で、顔だちの整った美人が、

「今から都庁を見に行きます~!みなさん、邪魔にならないよう、歩道の右側を通ってくださいねー!」と、その車いす集団を指揮(観光案内?)しているのだった。

そして俺は見逃さなかった。その車いすの側面には、名前が書いたステッカーが入っていたのだが、そのステッカーに、「荒木唯」と書いてあるのを!

俺はガバっと!!!席を立ちあがり、思わず店の外に出た。20組の車椅子集団はもう俺の目の前は通り過ぎており、俺からは歩いていく背中しか見えなかった。

ただ、その車いす集団は旗を持っていて、その旗に「自助グループ 〇〇育英会」(仮名)と書いてあるのを見逃さなかった。

(え、、もしかして。。。あの荒木か・・・? まさかな・・・・)と俺は驚愕した。背後で女が、「何急に出て行ってからさー。コーヒー代おごらせようって魂胆だろ。結局はらちゃったけど・・」と背後で何か言っていた。俺は「うるさい」と言って、俺は複雑な、、そんな小学校6年のあの時に似た感覚を持ちながら、俺は一人暮らしの家へと帰っていった。

そして俺はネットで「自助グループ 〇〇育英会」を検索している俺がいたのだった。

つづく



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