2021/12/02 19:04:00
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30年前に撮られた写真…
写真の俺は22歳で大学4年生、後の妻の望結14歳(仮名:本田望結に似ている)中学2年生、後の義母の美子34歳(仮名:宮崎美子に似ている)が並んで微笑んでいる。
美子はバツイチで、美子の職場に俺がバイトに行って知り合い、望結の勉強を見てあげていた。
次第に望結が俺を好きになり、この写真の半年後、俺にバレンタインの本命チョコをくれたが、俺には当時同学年の彼女がいたし、中学生と付き合うつもりもなかった。
どちらかというと、顔も身体つきも宮崎美子に似た母親の美子の方がそそった。
俺は大学を出て、彼女とは帰郷して別れた。
俺は次男だったので田舎へは戻らず、大学のある都会に就職したから、アパートも大学時代のの4年を暮らした場所へ住んだ。
そこに、中3になった望結がやってきて、
「彼女さん、田舎へ帰ったんでしょ…」
というと、セーラー服を脱ぎだした。
俺は新社会人、女子中学生と関係してはヤバいと慌てて止めて、望結を泣かせてしまった。
俺は、望結に連れ添って、母親の美子に事の次第を告げると、美子は少し俯いた後、
「もし、望結を受け入れてくれるなら、母親として中を公認します。」
と言った。
美子は、高校時代に付き合った男と結婚し、20歳で美優を産んだ。
しかし、望結の幼稚園の先生と不倫し、妊娠させてしまい離婚した。
美子は高1で処女を失っているので、中3の美優が俺に抱かれることに寛容だった。
そして、俺は中3の美優を抱いた…
公立中学の田舎臭いセーラー服を脱いでいった望結は、まだ発育途上だろうと思ったが、母の美子に似たのかなかなかのムチムチぶりだった。
一緒に風呂に入ったが、全くロリを感じさせないスタイルの望結にフル勃起だった。
ベッドに望結を寝かせ、両足首を持って股を拡げた。
ほんの少し、肉裂が拡がり、桃色の柔肉が覗いた。
まだ誕生日を迎えていない14歳の肉裂を指で拡げると、うっすらと濡れていた。
初めて異性に股間を晒し、恥じらいで頬を染めた美優が可愛かった。
俺は、舌で肉裂をなぞるように、下から上に舐め上げた。
甘酸っぱい中学少女の香りが漂った。
その後、指で肉裂を左右に開き、桃色の肉穴を覗き込み、ギザギザで穴が開いた処女膜を観察した。
そして、指でクリ肉の上部を押し上げて包皮を剥き、微細な振動を加えてクリ肉を舐めた。
望結の息遣いが、ハアハアと荒くなった。
肉棒を望結の唇に押し当てた。
半分くらいまでゆっくり差し入れると、口をすぼめて吸い始めた。
自然とはじまったバキュームフェラは、唾がブチュッと音をたてた。
生肉棒の先端を桃色の肉穴に押し当てた。
ゆっくりとめり込んでいくと、
「あっ…入ってきた…」
グッと力を入れていないと押し戻されそうで、体重をかけた。
「痛っ!痛い…」
グリュン!と一気に全部入った。
「ヒィッ…」
ギチギチと肉棒が締め付けられた。
「一つになれたね…」
というと、望結は嬉しそうに微笑んだ。
上体を起こして結合部を見ながら、やや強引に腰を前後に動かすと、肉穴周辺の柔肉を引きずっていて、痛々しい少女姦を感じた。
「ヒァ、ヒァ…」
と痛そうなのか、切ない声と顔に興奮して、膣内に射精しそうになって慌てて抜いた。
ピュピュピュっと精液が弧を描いて、望結の14歳の身体に降り注いだ。
社会人の俺は完全週休二日制だったが、この頃、まだ望結は土曜日の午前中には学校があった。
土曜日、中学が終わると望結は帰宅せず、俺のアパートに来た。
望結は、やって来るとすぐにスカートとパンツを脱いで、上だけ中学のセーラー服のまま俺に跨り、腰を振った。
街で見かける純真無垢そうな女子中学生と全く同じセーラー服を着た可愛い美優が、蕩けた表情で俺の生肉棒にヨガっていた。
汗ばんでくると、望結は、腰を振りながら上半身も裸になる。
全裸の女子中学生の嬌態は、もはや大人の女と変わらぬ色香を放った。
一回戦を終えると、俺の部屋に置いてある部屋着に着替え、受験勉強を始めた。
分からないところは、俺が教えた。
甘い女の子の匂いが、俺の男の一人暮らしの部屋に潤いを与えた。
勉強が一段落した夕方、望結は風呂を沸かし、俺と一緒に入り、その後二回戦でヨガリまくった。
飯を食って、テレビ観て、寝る前に三回戦で望結はグロッキーになるまでヨガリ狂った。
これが女子中学生なのかというほど、性の快楽へ貪欲な望結だった。
そして翌朝、朝起ちの肉棒を引っ張り出し、跨ってきた。
日曜日は朝、昼、夕方と三発、土日合計六発ハメて、セーラー服を着て美子の待つ家に帰った。
望結は、高校生になると、家と俺のアパートと半々の半同棲状態になった。
可愛い女子高生との暮らしは、年がら年中勃起状態だった。
そのせいで、望結が高校3年生になった頃には、ほとんど無かった望結のビラ肉は赤紫に着色して育ち、吸われて転がされ続けたクリ肉は赤らんで半分包皮から出っ放しになった。
高校のセーラー服を着ている時は、清純なお嬢さんだったが、股間はすっかり若妻のようだった。
そして、性感も開発され尽くし、イクという感覚も楽しめる大人の女体になっていた。
でも、セーラー服を着て通学する望結は、肉棒の味など知らない生娘のように見えた。
望結が高校を卒業する2か月前、望結の生理が遅れた。
安全日の連続中出しが、当たってしまったようだった。
結局、望結は妊娠したまま高校を卒業し、通学するはずだった専門学校は行けなくなった。
俺は、アパートを引き払い、望結の家に入り、望結と婚姻届けを出して夫婦になった。
美子にフルタイムからパートタイムになってもらい、望結の面倒を見てもらった。
セックスが禁じられ、俺は望結にフェラと手コキで抜いてもらっていたら、美子に見られた。
「ご、ごめんなさい…わ、私でも構わなかったら、お相手して差し上げられるけど、そうもいかないわね…」
というと、望結が、
「お母さん…彼をお願い…ほかでされるより、お母さんの方が良いし、お母さんも寂しいでしょ。」
当時27歳だった俺は、当時39歳の美子を抱いた。
顔も体も宮崎美子に似てたから、女体は素晴らしかった。
色白で柔らかく、アラフォーの艶かしさは望結には無いもので、虜になった。
熟した肉穴は経産婦だけに望結より緩めだが、絡みつくようなネットリ感が良かった。
しかも、望結よりも発育した青紫のビラ肉が、卑猥さを醸し出していた。
美子も久しぶりの肉棒だったようで、四肢を痙攣させながら、仰け反ってヨガリまくってイキ狂いを見せていた。
この日以来、俺は、美子と望結の一夫多妻状態になった。
その関係が2年を迎えた頃、やらかしてしまった。
俺は41歳の美子を孕ませてしまったのだ。
色々考えた末、望結の二人目を延期して、美子に産んでもらった。
方々手をつくし、俺と望結の娘となるよう手配した。
その後、望結が25歳の時望結にとって2人目を産み、3歳差の三姉妹となった。
そして、相変わらず俺は美子と望結の肉穴を味わう日々を続けていた。
現在俺は52歳、今年長女が25歳で嫁ぎ、美子が産んだ次女は短大を出て社会人2年目、三女は短大1年生になっている。
そして、俺は64歳になった美子と暮らしている。
望結は、5年前に39歳の若さで亡くなってしまったのだ。
闘病生活は半年、
「あなた…お母さんをお願い…」
20年間夫婦だった望結の最期の言葉だった。
望結亡き後、俺と美子は夫婦のような暮らしをしてきた。
昔から俺と美子は仲良しだったから、娘たちも、
「パパとおばあちゃんは、ラブラブだね。」
と何ら不思議に思っていない。
宮崎美子が還暦過ぎのビキニ姿を見せたが、美子もまた、同じように64歳とは思えぬ見事な女体をしている。
たわわなDカップはやや垂れ始め、ビラ肉はドドメ色にめくれているが、閉経して10年以上過ぎたとは思えないほど気持ちいい中出し肉穴だ。
いつかきっと、俺が美子を見送る事になるだろう。
その時は、望結と同じように、愛した女として送ろう。
仏壇の脇に飾られている30年前の写真を見て、あどけない微笑みを浮かべている望結が、その半年後、俺の生肉棒で純潔を散らしたときのことを思い出していた。
そうしたら、望結と過ごした日々を綴ってみたくなった…