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少女との体験 RSS icon
※フィクションです真似をしないように

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2022/05/20 01:44:03 (DuZuO5Jm)
s3の時。
漫画等で性知識を付けた私は、当時同じクラスで下校も同じ方向だった有咲という名前の池沼の女子がいました。
2人きりで帰ることもあったため途中の公園で有咲の遊びに付き合うこともあったのですが、前日漫画を読んだ私は周りに人通りが無いタイミングで2人きりのかくれんぼと称して公園のトイレに連れ込みました。
そして、「鬼に見つかるから声を出しちゃダメ」「鬼に見つかりにくいように」と無理やりな言い訳をして有咲に抱きつき、腰を擦り付けました。
有咲は最初は嫌がっていましたが、こちらが強く「鬼に見つかるから黙ってて」と言うと黙り込みました。
いけると思った私は有咲の服の中に手を入れ、背中を撫で回しました。
まだブラジャーも付けておらず引っかかることの無い小さい背中を撫で回している間、私のペニスは今までにないほど勃起しており、興奮とバレることへの恐怖で震えていました。
しかし興味は止まらずズボンの中に手を入れおしりを触る頃に、有咲は恐怖かストレスか、よく分からない唸り声をあげながら自分の髪を引っ張って抜いていました。
私は唸り声で人にバレる事を恐れ片手で口を押えながらまだ膨らんでいない胸を撫で回し、有咲の耳元でひたすら「鬼に見つかるから黙ってて」と繰り返しました。
そしてついに、有咲の秘部に触れようとします。
滑らかで柔らかいお腹を滑らせ、ズボンの中に手を入れ、少しだけ毛の生え始めている下腹部を触り、その下、初めて女性器を触ります。
有咲はついに泣き始め、それに伴い髪もかなりの量を抜いていました。
私はその様子に少し引きつつも止まらず、口を抑えたまま有咲のズボンを引き下ろしました。
初めてみる女性器はただの割れ目のように見え、触ってみても皮と肉の柔らかさだけでした。
しかしその状況に興奮し、ペニスを固くしていた私は泣きながら髪を引き抜く有咲の手を強引に促し、私のズボンの中、ペニスへもっていきました。
泣いている女子の口を押えペニスを握らせた瞬間私は射精していました。
その瞬間だけはあまり顔も良く無くこの日以外は意識したことのなかった有咲を女子として意識していたと思います。
パンツの中に出した精液を自分の指につけ、有咲の口に無理矢理つっこみました。
「まずい」ひたすらそう言ってズボンを上げることも無くぺっぺと唾と精液を吐く有咲をみて罪悪感と後悔が押し寄せてきました。
大人にバレてしまったら大問題になることは子供でもなんとなく分かってはいたので半パニックになりつつ、ハンカチで有咲の手を拭きズボンを上げてやり、「このことは誰かに言ったらありさが怒られるよ」「怒られるのは嫌だよね」「僕も誰にも言わないから、絶対に言っちゃダメだよ」と、泣き続けて聞いているのかも分からない有咲にひたすら言い聞かせていたと思います。
その後、どのようにして泣きやませたかは覚えていませんが、有咲の家の手前まで送ったあと自分の家に帰り、電話がなる度にパニックになりそうになったことは覚えています。
翌日以降も大人から何か言われることはありませんでしたが、有咲は露骨に私を避けるようになり、有咲の世話をよくしていたクラスメイトから何かしたのか聞かれたりはしましたが周りにバレはしなかったと思います。
もう20年ほど経ちますが、あの日のことは未だに鮮明に思い出しますし、今再度同じような事をすることが出来ないか考えている自分がいます。
801
2022/05/19 18:17:04 (p9ejWAAE)
一間しかない小さなボロアパート一応は風呂もと言うよりもシャワー室の中にトイレがある感じです。
家賃が安いから住んでます最寄り駅も近くでコンビニやドラッグストアもあり生活には困りません。
其の中の部屋に母と女の子が暮らしてます。
母親は夕方からどぎつい化粧をし香水をぷんぷんと匂わせて派では服で出掛けて行きます。
何処かぼったくりの飲み屋でエロ親父を相手してるのだと思います。
時折男が入れ代わり立ち代わりに来ることがありますから。
その様な時は女の子は外に出される様で偶に公園で見かける事があります。
何度か声を掛けているので同じアパートにいる事は女の子も知ってはいます。
雨が降ってますコンビニ迄今日は弁当で良いやと思い買いに行こうと出ると公園で1人でいました。
「どうしたの」「寒く無いの雨が降っているし」「帰らないの」と聞くと「未だ駄目なんだ」「部屋居るから」
成る程そいう言う事か「ご飯食べた」「未だならばコンビニでお弁当を買いに行くから行こうョ」
「ご飯は1人で食べるよりも2人の方が美味しいからネ」「お兄ちゃんと食べてくれるかな」とか聞くと「良いヨ」
と返事をくれました。
コンビニでお弁当を買い部屋に戻り2人でお弁当を食べました。
「そう言えば名前聞いてなかった」「名前は」「小学校の6年で昌子って言います」
昌子って言うんだ「6年生か小さいよね」「うン」「6年生で一番小さい」「オッパイもないホラ見て」と胸を突き出して
見せてました。
確かに6年生にしては小さく膨らんでいる程度で小さな乳首が服の上から透けてました。
「お兄ちゃん優しいね」「お母さんの所に来る男みんな変な人ばかりだよ」「私触られた事あるパンツの上から」
「止めて下さいって逃げた」「お母さんに言ったらあんた帰れってって部屋から出されてた」
「でもお兄ちゃんなら良いヨ優しいから触っても」「裸見たくない」見せても良いかな」と言い寄って来られた。
そんな気は無いとは言えない自分がいました。
ツイ「良いの本当に」「見たい」と言うと「お母さんには秘密だからネ」「お兄ちゃんだけだからネ」と言ってお兄ちゃん
お風呂の中で見せてあげる。
2人で狭いシャワー室に入りました。
着ている服をたくし上げるのかと思いきや全部脱ぎ始めました。
俺が「脱いじゃうの」と言うと「ウンお母さんこうしてたよ男の人の前で」知ってたんだ母親のしている事。
確かに6年生にしては幼過ぎる体型ですプックリと膨らんだ恥丘も未だツルツルで其処から始まる縦一本筋のマンコがありました。
「良いヨ触っても」「此処おマンコって言うんだ足も広げてるよ見える様に」
見た姿とのギャップが凄いです見聞きして覚えたのだと思います。
「おマンコを広げると此処が感じるんだよ小さなお豆みたいな所と穴の中に指を入れると気持ち良いんだよ」
「おマンコからヌルヌルしたものが出て来て気持ち良んだ」
身体は小さいですがやってる事は見様見真似でも大人です。
「お兄ちゃんチンチン入れて見るおマンコに指2本入るからチンチン入ると思う」
「チンチン見せて」というので見せました。
「アッ大きく成ってる」「お兄ちゃんチンチンおっきい」「入るかなおマンコに」
「入れて見てと腰を突き出してました」女の子抱き寄せて立った儘で少女の足を大きく開き立ったチンコをマンコを広げて
チンコをヌルヌルとしたマンコに入れて見ました。
少しずつ入れると入りました「女の子が痛いのかウぐッと顔をしかめました」
「痛いって聞くと」「大丈夫痛くない」「変な気持ちおマンコの中に硬い棒が入ってるおマンコ広がりそう」
「でも気持ち良いかも」俺は気持ちいのを通り越して腰を振らなくとも気持ち良いです。
マンコの中はせまくチンコをぐいぐいと締め付けて来るので余りの気持ち良さに出そうです。
俺出そうと言うと「良いヨ中に出しても私未だ生理来てないから」と言われた瞬間チンコから勢い良く精液が少女のマンコの中に
出しました。
チンコをマンコから抜くと女の子のマンコから精液が垂れて来ました。
「女の子はマンコから垂れている精液を指ですくい匂いを嗅ぎ臭いとか言いながら舐めて見てました」
「変な味だね」「舐めちゃった」
「お兄ちゃんお母さんには言わないでね」
「またしたいお兄ちゃんとならしても良いヨ」
「明日でも良いヨ私したいから」「今度は直ぐに出さないでね」
「私もう少し気持ち良く成りたい」「お弁当ありがとう」とか言いながら部屋に戻って行きました。
其れからは時々堂々と遊びに来てます。
お母さんも「スイマセン娘が有難うございます」「何だかお弁当迄本当にすいません」
「大したもので無いですが」とお酒を貰いましたが「俺呑めないんですよお酒と言い返しました」
次の日に女の子「お兄ちゃん此れっと言って高そうなお菓子をもってきましたから2人で食べました」
バレてない様です娘が同じアパート男とセックスをしてる等とは。

802
2022/05/11 06:30:05 (9kwrffTl)
まだ幼稚園児だった頃のことです。

私の母はシングルマザーでした。
今では珍しくありませんが、当時はまだ少なかったのです。
社会支援は乏しく、まして私がまだ幼かったため、パートでしか働けない母の収入は僅かなものだったと思います。
それゆえ当時住んでいたアパートは、母いわく家賃で決めたそうで、環境的にはあまりよいところではありませんでした。
隣に住んでいたのは水商売のお姉さん、その向こうは外国人。いわゆるファミリー層という世帯はおらず、一緒に遊べるような同年代の子供はひとりもいませんでした。

ですが私はもともと一人っ子なので、ひとり遊びには慣れていました。
暇になれば外へ出掛け、近所の空き地でタンポポを摘んだり、そこにいる野良猫に構ったりして、気ままに楽しんでいたのです。

仕事で家にいられない母は、私が1人になる時間のことを心配して、
アパートの大家さんに、事情を話し、私を気にかけて欲しいと頼んでいたようです。
そのため大家さんは私を見るにつけ、お菓子やジュースをくれたり、たまにはお小遣いまでくれたりしました。
そして管理人室に私を呼び入れ、膝に抱き、身体を撫でてくれました。

ところで、私は本が好きでした。
本を読むことがひとり遊びのひとつでした。
おかげで、周りより字を読めるようになるのが早かったのです。
漢字でも、物語の中でよく使われるものなら読むことが出来ました。

だから大家さんに、漫画があるよと勧められたものも、読むことが出来ました。
勧められた漫画は、成人漫画でした。

男の人と女の人が裸になる。
女の人の股の間の隙間に、男の人がおちんちんを入れる。
そうすると女の人は汗をかいて苦しそうな顔をして、なのに気持ちいいと声を上げる。

それが一体何をしているのか分からないけど、とてもドキドキして、食い入るように読んだことを覚えています。
大家さんは、そんな私を膝に抱き上げ、スカートの裾から手を入れて、パンツの上から股の間を、すりすりと撫でていました。

そのうちに私は、自ら管理人室を尋ねるようになりました。
漫画を読むためにです。

大家さんは管理人室を模様替えして、入ってすぐの応接間の奥に、小さな休憩室のようなスペースをつくり、
そこにコタツのテーブルセットと、たくさんの漫画やグラビア本を置きました。
ゴロゴロしながら本を読めるようになって、私は大家さんと並んで横になりながら、漫画を読みました。
大家さんは私の背後から背中を包むように前に手を回し、股の間を撫でます。
クリトリスという単語を覚え、それが自分の身体にも存在することを知り、そこを触られるとなんとも気持ちがいいことに気付くころ、
私の股は、幼いながら、また僅かながらに、ヌルヌルした液体を分泌するようになっていました。

大家さんの手は、次第にパンツのなかに入ってくるようになりました。
太い指が、私のおしっこの出るところを、ヌルヌルと、ゆっくり、何度も、行ったり来たりします。
読んでいる漫画のなかの女の人が、切ない表情でお願い、止めないで、もっと、と強請っています。
私も同じことを考えながら、だけど口にするのも、身体が動いてバレてしまうのも恥ずかしくて、
どれだけ気持ちよくてもけっして動かないように
耐えていました。

小学生になると、学校からの帰り、ランドセルを背負ったままで、管理人室へ向かいました。
夏にはアイスを、冬には暖かい缶のコーンスープをもらいに行くためです。
だけどそんなのは建て前で、そこに入ればすぐさま、奥の小部屋に直行していました。
その頃には布団まで置かれていて、私はその上に横たわりながら、漫画を読みました。
大家さんは私の足を広げた間に胡座をかいて座り、腰を抱えて、パンツの上から、中から、股の割れ目を撫で続けます。
パンツの真ん中にシミが出来てくると、パンツを脱がして、割れ目を指で開いて、そこをじっとりと眺めます。
もう少し大きくなったら、ここに、おおきなおちんぽ入れてやるからな。
そう言って、ヨダレをたっぷり溜めた舌で、割れ目を舐めるのでした。

触られたり舐められたりする気持ちよさが、股の間にぐんぐん溜まっていき、膨らんだ風船のようにふわふわと腰の辺りが浮いて、盛大に弾けて、
割れ目の中がひくんひくんと縮まる、のを経験したのは、
小学校2年生だったと思います。
漫画の中で女の人が、「いく」と言っていたのはこういうことだったのかと、そこで理解しました。
自分でそこを触ってイクことも出来るようになりました。

裸の女の人が、こちらを見て脚を開いて、ポーズをとっているグラビアを見るだけで
ソワソワした気持ちになるようにもなりました。

けれど一番惹かれたのは、
裸の女の人が、赤い縄で腕や足や乳房を縛られて、眉間に皺を寄せ、切ない顔をしているグラビアでした。
とても美しいと感じたからです。

その行為が緊縛というもので、それを施す人がいて、施される人は快感を得ており、相互に愉しんでいると知ったのは、もっとずっと後のことですが
私が縄に憧れ、その世界に憧れ、今では苦痛や痛みも受け入れるようになったのは、
その一枚のグラビア写真が始まりです。

オナニーに耽ったある年の夏休み、洗濯ばさみに手を伸ばした時のことは、またいつか機会があれば、書いてみたいと思います。



803
2022/05/09 19:29:10 (NfhcGP4R)
結婚して10年、私47歳、妻30歳、娘8歳、そして52歳の義母の4人家族です。
私と妻の出会いは、もう20年前になります。
当時27歳だった私は、32歳のとても美しい女性と交際を始めました。
妻は、彼女の娘さんで、当時小学4年生でした。
5歳年上の彼女との交際は、後に結婚を見据えてきたので、当時子供だった妻にも気に入られるようにふるまっていましたから、妻も私に懐きはじめました。

あれは、妻が小学6年生の頃で、私と彼女が結婚に向けていろいろと準備を始めた頃でした。
連れ子がいての結婚でしたから、予行演習に同棲を始めたのですが、私と彼女のセックスを妻に見られてしまったのです。
てっきりネタと思っていた妻は、寝室のドアを開け、私の勃起した陰茎が彼女の膣港に好きささり、彼女が淫らに喘いでいる姿を見てしまったのです。
小学6年生の女児と言えば、性教育を受けたばかり、生々しい母親の性行為を目の当たりにして、かなり動揺したようでした。

しかしその時、彼女は思いもよらぬ行動に打って出たのです。
呆然と立ち尽くす妻に向かって、
「おいで・・・」
と言って、濡れた膣港と勃起陰茎を晒す私たちの布団へ妻を呼んだのです。
そして、妻のパジャマを脱がせ、思春期に差し掛かり女として発育し始めた裸身を私と彼女の間に寝かせ、
「ママと彼は愛し合ってるの。ほら、ママのアソコ、濡れてるでしょ。彼のチンチン、硬くなってるでしょ。触ってごらん。」
と言って、私の勃起陰茎を握らせたのです。
小6女児と言えば、既に陰毛が生え始めて、身体も女性らしくまろやかになり始乳房も膨らみかけていて、ロリコンでなくても不思議な興奮を覚えてしまいます。

この日、妻を交えて彼女とセックスしましたが、小6少女の膨らみかけの乳房を揉み、純情すぎる淫裂を広げてクンニしながら妻の膣を抉るという不思議なセックスでした。
しかし、まだ小6とは言え、妻は男性に女性器を舐められる快感を覚え、毎回私と妻のセックスに混じってくるようになりました。
そして、中1になると、それまでの赤いランドセルではなく、公立中学の純情そうなセーラー服を身にまとうと、ゾクッとするような高貴なエロスを感じました。
それは、まだ中1だった妻が見せた、私を一人の男として見つめた女の目でした。

彼女との同棲が続き、なかなか結婚に至らなかったのは、彼女が妻の恋心に先に気づいたからでした。
妻は、母親の彼氏に恋をしていたのです。
鈍感な私は、妻は可愛いとは思いましたが、ロリコン的興奮も感じましたが、美しい彼女の艶めかしい女体の虜になっていて、妻の幼い恋心には気づきませんでした。
そして、妻が中1の夏休みに、彼女に生理が来て彼女のフェラで抜いてもらっているとき、彼女が妻に、
「やってみる?」
と言い、私は中1少女にフェラされて、あまりの興奮に暴発させてしまいました。
すると妻は、私の精液をゴクリと飲み干し、にっこりと微笑みました。

それ以降、彼女に生理が来ると、時には中学のセーラー服姿のままの妻にフェラ抜きされるようになり、危ない関係が構築されていきました。
更に、妻が中2になる前の春休み、彼女とのセックス中に生理が来てしまい、シーツが汚れるからとセックスを中断すると、中1が終わったばかりの13歳の妻が、淫裂を弄りながら濡れた膣を広げ、
「私にもチンチン入れて欲しい・・・」
と言いました。
私は、彼女に促され、彼女の経穴と愛液にまみれた陰茎を、13歳の妻の膣港へあてがいました。
既にヌルヌルに濡れていた妻の膣には、途中まではすんなり、そして支えに体重をかけると、13歳の処女膜がメリメリと裂け、妻は13歳で女になりました。

この日、彼女が私に言いました。
「この子が20歳になったら、この子と結婚してほしいの。私とではなくて、この子と・・・」
こうして、私は女子中学生と婚約しつつ、美しい彼女とも性生活を続けました。
この日以降、3人でセックスすることはなく、平日は寝室で彼女と、週末は妻の子供部屋で妻とセックスするようになりました。
女子中学生とのセックスは、強烈な興奮が伴いました。
時には上だけセーラー服を着てもらい、本物の女子中学生との淫らな性行為を動画撮影しました。

公立中学の純情そうなセーラー服を着た少女が、三十路になった私の生陰茎をおしゃぶりして、それを生のまままだ幼い膣で受け入れ、覚えたての快楽に戸惑いつつも喘ぎ乱れる様子は萌えました。
そして、翌日の朝は、飛び切りの純情顔で投稿していくのです。
美しい彼女の娘ですから、妻も美少女で可愛いので、学校でもモテていました。
男子中学生の憧れの的だったようですが、まさか、三十路男の陰茎を咥え、それを生膣で受け入れて淫らな快感を貪っていたとは思わなかったでしょう。

妻は高校生になると、膣内の感度が向上し、イクという感覚を覚えました。
広告のセーラー服は中学のそれと違い、清純というよりは清楚なイメージで、やはり上だけセーラー服をきてのセックスは、特に騎乗位は萌えました。
スカーフを揺らし、白いラインの入った襟をはためかせて喘ぐ様子は、ありえないほどのエロスを放ち、高校生にあるまじき淫らさでよがり狂いました。
高校を卒業し、結婚したときの20歳の妻の写真を見ると、嗣永桃子さんに似てて清純そうなお嫁さんですが、この時すでに処女喪失から7年が過ぎたセックスのベテランでした。
ももち顔の清純そうな新妻は、既に色づき始めた陰唇を夫の陰茎に絡ませて、高校時代のセーラー服を着て大好きな騎乗位で腰を振ってよがっていました。

新婚時代も、週に1度は義母を抱きました。
この頃、四十路になっていた義母の性欲は旺盛で、妻に生理が来ると喜んで毎晩股を開きました。
更に妻が妊娠すると、毎晩義母と派手なセックスを繰り広げました。
四十路の義母は更に艶めかしく、淫らに磨きがかかっていました。
若い妻と色っぽい熟女義母のハーレムは一見羨ましいでしょうが、現在私は47歳、52歳の義母の性欲は40代の頃よりは治まりましたが、閉経してもまだ現役です。
そして妻は30歳になり、子供も自分の部屋で寝るようになってから、妻の方から誘ってくることが多くなりました。
47歳の陰茎を握って勃起させ、跨ってくるのです。

30歳になっても可愛い妻ですが、47歳の私は、妻と義母、どちらかとはセックスするので性生活は毎晩です。
まだ毎晩でもできますが、義母を抱いてから妻を抱くような連発はきつくなりました。
数年前までは、義母を抱いて戻ると妻のやきもちが爆発して、そのまま妻も抱くときが良くありましたが、今は義母を抱いた後に妻を抱こうとしても勃起力がいまいちです。
そこで、妻はネットで調べて、樹脂製で弾力があるコックリングを私の陰茎の根元に装着して、強制勃起させられています。

また、義母には、勃起力が不足した時には、肛門からプラグを入れられて、前立腺を刺激されながらセックスしています。
ツーンとした刺激が勃起力を高め、同時に義母の閉経子宮に送り込まれる精液の量も倍増するのです。
私は、妻に陰茎を、義母に肛門を囚われ、セックスマシーンとして毎晩射精を強いられているうち、私にはマゾが芽生え始めているのです。
妻にコックリングを装着されているとき、義母に肛門を責められているとき、小さく「アァン」と声が出てしまいます。
その時、妻や義母が浮かべる笑みが、恐ろしいほど似ていて、ゾクッとさせられるのです。
もしかしたら、いずれ私は妻母娘の性奴零になっていくのかもしれません・・・
804
2022/05/08 01:02:45 (wflAZgJ5)
何年も前に、露出の方に書いたのですが
こちらの方がふさわしいと思い、書かせていただきます。

もう20年近く前になると思うのですが
地元の、そこそこ大きな神社での、お正月の話しなのですが

正月ということもあり、神社に向かう道路が大渋滞していました
その渋滞している通りには、駐車場がいくつかあり
ほぼ全てが、個人経営で
家の庭を駐車場として開放しているような感じでした。

渋滞で待っていると、駐車場の整理券?を配っている人を見かけました
見たところ、年齢はS後半かC前半くらいの女の子
家の仕事の手伝いをしている感じでした。

自分は、前にホームセンターで買っていた
携帯用トイレを持ち出して
その女の子が、自分の車の所に来る直前に
それを使用し始めましたw

その子が、俺の車の所に来たときに
一瞬で俺のPに気づき
「あ・・・」と、顔が一気に赤くなるのが見えました。
恥ずかしそうに「う・・・うちの駐車場使用しますか?」と聞いてきて
俺も、そのまま整理券を受け取りました。
Pどころか、オシッコが出るところまで見られてしまったので
俺も一気に全立ちまで行ってしまいましたw(全立ちの所は見られていません)

受取った整理券を、駐車場の人(おばあさん)に渡し
車を停めたら、さっきの子が戻ってきたので
俺も、わざとらしく
「あ・・・」と言った感じで軽く股間を抑える仕草をしてみたら
再び顔が真っ赤になり、うつむいてしまいました
その後、初詣を済ませたのですが
車に戻る頃には、その子はもういませんでした

805
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