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性的虐待体験 RSS icon
※幼少時に受けた体験談

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2024/11/05 07:55:54
朝起きてリビングに行ったらパパ(血は繋がってない赤の他人)にキス
しないと殴られるから私からキスした
忘れてしないとパパが無理矢理キスしてきてめっちゃ臭い
それで口の中ベロベロしてきて気持ちも悪い
あれが嫌だったし殴られるのも嫌だから私からキス

キスが終わったらトイレ
必ずパパが付いてくる
オシッコし終えるとあそこをベロベロ舐められた

リビングに戻ると裸にされてパパがチンチンをアソコに押し付けてくる
ママは料理を作りながらニコニコ
はじめの頃は嫌で抵抗してよく殴られた
殴られないためにはどうしたらいいんだろうって子供なりに考えるようになる
5歳の女の子が殴られたくないからチンチンに自分からアソコ押し付けて腰を振ってた
パパが射精するまで終わらない
射精するまでご飯も食べられない
ママがせっかく作ってくれた朝ごはんが冷めてしまう
私は一生懸命腰を振った

パパが満足したらやっと朝ごはん
でも服は着させてもらえず裸のまま
ご飯の途中もパパは私のアソコを触ったり舐めたりしてきた
ママはニコニコとその光景を見つめている

朝ごはんを食べ終わるとパパはスーツに着替えて仕事に行く準備
背広を着たあと、ズボンを穿く前に、私にチンチンを舐めさせる
舐めさせるというレベルではない
無理矢理口にチンチンをねじ込まれた
そして射精するまで頭を持たれてピストン
口の中に射精され吐く、毎朝その繰り返し

パパが会社に行くと私はやっと服を着させてもらえる
園服に着替えて保育園へ行く準備
ママはパパが会社に行くと必ずタバコを吸った
そしてタバコを私の腕やお腹、お尻に押しつけた
私の体には火傷の痕が何個もあった

これが私の毎朝のルーティンだった
5歳から10歳までこんなことが毎日のように続いた
6
2024/11/12 03:00:00
雨が降ると父の仕事が休みになる。
だから私は雨の日が嫌で仕方なかった。
平日に雨が降ると私は学校を休まされる。
そして朝から父の相手をさせられた。
あの時間は私にとって耐え難い苦痛。
母も見て見ぬふり。
誰も助けてくれない。
なんで私だけこんなヒドイことされるんだろう。
何度も思った。
何度も死のうとした。
でも死ねなかった。
家出もしたけど家に連れ戻された。
暴力と性的虐待の日々。
いつしか私は壊れていった。
父と母はそんな私を不気味に思い施設に預けることにした。
私を壊した当事者のくせに酷い話。
それから施設で10年ほど生活し少しはまともになった。
そして15年が経った。
施設にも一度も会いに来なかったから両親とは25年会ってない。
私の中であの人たちはとっくに赤の他人だ。
施設を出て出会った家族を見て改めて思った。
実の娘にあそこまで酷いことができるのは普通ではないと。
つまりあの人たちは私の本当の両親ではないのだろう。
そう思わないとやってられない。
あの人たちと同じ血が流れてると思うだけで私は私を殺したくなる。
あの人たちにとって私はなんだったんだろうか。
40過ぎて対人恐怖症で男性恐怖症でパニック障害。
生きてるだけで毎日つらい。
こんな人生、私は望んでなかった。
もっと楽しく生きたかった。
楽しそうに生きてる人を見ると私の記憶を追体験してほしくなる。
その人がどれだけ恵まれてるのか、ぬるま湯の人生なのかわからせたくなる。
これは私の傲慢なんだろうか。
7
2024/11/09 23:56:32
私は幼い頃から父に性的虐待をされていた。
乳首やクリをいたずらされておまんこに綿棒や歯ブラシの柄や持ち手が丸みを帯びてるペンなどを入れてきては遊ばれておちんちんをペロペロさせられたりしておまんこにおちんちんをこすりつけてきていた。
パパとの遊びはママには内緒だよっていつも言われた。
その頃は痛いって言うとおまんこからすぐに物を抜いてくれたけど成長するにつれて指になって中をかき回されるようになって痛いって言ってもやめてくれなくなった。そしておちんちんを入れてこようとするようになって毎回泣くようになった。
そして終わるとよく頑張ったねって抱きしめてきて頭を撫でられてた。
父と母は仲が悪い。
何故結婚したのかと不思議に思うぐらい年の差もあって見た目も違いすぎる。
父は昭和系のおやじ。母は童顔で可愛らしい感じ。
父の酒グセが悪いのもあって年中喧嘩。
ひどい時は父が母に手をあげることもあった。
私はいつも母にくっついていたけど父の晩酌の時間やお風呂の時間は父に呼ばれて母にも行くように言われて嫌々行ってた。
時々、父が友達や同僚を連れて帰ってきたりして酒盛りの席でも同席させられていた。
そのうち父が酔いつぶれたあと私の部屋に入ってきていたずらしてくるおじさんも出てくるようになった。
父のおちんちんの頭が入るようになってやられる回数も増えて母に見られた。
母は激怒して父が初めて母に謝罪してた。
母が警戒してくれてたおかげか家では手を出してこなくなったけど外で待ち合わせをさせられて車の中でやられるようになった。そしてある日突然父が仕事に出てったあとに母に連れられて家を出た。
私はそのまま転校したかたちになって母は最初普通の仕事をしていたけど生活ができなかったのか夜の店で働くようになった。
しばらくして彼氏を連れて帰ってきて紹介された。それから度々その人が私の様子を見に来るようになって最初は優しかったけどいたずらされるようになって犯されるようになって母はまた激怒した。
そしてまた引っ越して学校も変わって母は別の店に移った。
しばらくすると今度は別の人を紹介された。
もう一緒に暮らすことを2人で決めてたようで母は夜の仕事を辞めておじさんの家に引っ越した。
一緒に暮らすようになると親子なんだからって母と籍も入れられてないのに何かとつけては体を触ってくるようになって私が避けるようになると強引に襲ってきた。
父のことも前の彼氏のことも知ってるみたいでこれ以上ママを悲しませたくはないだろ?と威圧してきて黙って犯された。
それから何回も母の目を盗んでは手を出されて何も言えないまま月日が経った。
ある日、自分の部屋にいると2人が大声で言い争う声が聞こえてきた。
耳を澄ませてみると母は泣きながら怒っていておじさんは母を甘い言葉で丸め込んでいた。
話の内容から母にバレてる。
そのうち激しい音と母の聞いたこのないような喘ぎ声が聞こえてきた。
次の日、母から何か言われるかと思っていたけど何も言ってこなくて毎晩母とおじさんの激しい夜の声が聞こえてくるようになった。
そして静かになったと思ってしばらくするとおじさんが私の部屋に来て母をバカにしながら襲ってくる日もあった。
私はある日おじさんが階段を下ろうとした瞬間、思いっきり背中を押した。
救急車騒ぎになっておじさんが入院中、私は母に連れられて施設に置いてけぼりにされた。
施設で暮らすようになってまた新しい学校。施設にいるってだけでいじめられて登校拒否をするようになると施設の指導室に呼ばれるようになってある男の先生に呼ばれると千円を渡されて犯されていた。
同じ施設の仲間達は優しくて一緒に遊ぼうとか学校に行こうよとか誘ってくれて学校に行けるようになったけど、たまにその先生に指導室に呼ばれるのは変わらなくてそのうち私と同じようにやられてる子もなんとなくわかるようになった。
学校の一部の男の先生達にも知られてることだったらしく探られて千円を渡された。
そんな生活が続いて中学に上がる頃いきなり母が迎えに来て家に戻された。
久しぶりの母はなんか小さくなったように見えた。
家について中に入ると赤ちゃんがいた。そして母はすぐに赤ちゃんを連れて出かけて行った。私はすぐにおじさんにボコボコにされて犯された。
母がようやく私の居場所を吐いたようであの時は痛かったなとかずっと私を犯したかったって言われて毎日毎日奴隷のように扱われてた。
おじさんが言ってたことをまとめると私が施設に置いてけぼりにされたことを知らずに退院すると私がいないとこを知って母を責めた。どこにいるのか聞いても答えない。体に聞いてみても雌豚度が増すばかりでに答えようとしなかった。そのうち母が妊娠してることが発覚。他に女を作っていたら母は泣いてすがってきた。そうしてるうちに弟が産まる。母を風俗で働かせるようになるとよけいにすがってくるようになってようやく吐いたと言っていた。
私は常に遠くに行くことばかり考えるようになって学校にも行かずフラフラしてたらあるおじさんが声をかけてきてラブホに行った。
施設にいた頃とは違って万単位でくれて私はいろんなところに行って声をかけられては体を売るようになった。
リピーターになるおじさんもいれば、仲間を紹介してくれるおじさんもいて複数でやったこともあった。
ロリコンのおじさんはいっぱいいるようでどうせもう汚れきってる体なんだしどうでもいい思っていろんな人とやりまくった。
そんな毎日を送っていたら突然父が現れた。
名前を呼ばれてやっと見つけたって言われて車に乗せられてすぐにホテルに連れてかれた。正直、ぼんやりしか思い出せない父の顔。こんなに老けてたっけ?ぐらいの思いだった。
4年ぶりに父に抱かれて母以上に大きくなった胸や全部入るようになったおまんこに感動されつつ母に対する恨みつらみを言ってきた。
家を出て行ってすぐに離婚届けを送りつけてきて、それからも何度も送られてきてたようで消印を頼りに探し続けて母はどうでもいいけど私を取り戻したかったと言いつつ私にもなぜ母に付いて行ったのか、なぜ戻ってこないのか苛立ちをぶつけられながら何度も犯された。そしてもう逃がさないぞと言われてそのまま次の日には元の家に連れてかれた。
荒れた悲惨な家になっていて私は元の自分の部屋に監禁された。
そして急ぐように引っ越しをして私から母の連絡先を聞き出すと私を縛ってきて口を塞いできて母に電話して離婚を条件に私の親権を要求した。
スピーカーにされていたのでそのやりとりを聞いた。
母は今何処にいるの!?って慌てた風であの子がいないと困るのとかこのままじゃあの人に捨てられるとか何であの子ばっかり愛されるのとか言いながら泣いていた。
その話の中で父に私がおじさんにもやられていたことを知られて激怒して私を犯してきた。
私のうめき声が聞こえたのか今何してるの!?とか訴える!!とか言ってたけど父も父で俺もだがそいつも捕まってもいいのか!?と脅していた。
話は平行線のまま何度もやりとりをしてる中私が妊娠してることがわかると母は諦めた。
親権は父で離婚が成立して私は監禁されたまま子供を産んだ。時期的に誰の子供かわからなかったせいか気づいたら父が勝手にどこかの施設に置いてきた。
それから基礎体温をつけさせられて毎日チェックされて排卵日になると何回も犯された。
そして半年後、今度は100%父の子供を妊娠した。今度は病院にも通わせてくれて男の子だとわかるとすぐに養子に出すことを決定された。子供を産んですぐにお別れさせられて、再び妊娠させられた。
別の病院に連れてかれて成長してわかったことがまた男の子。同じことを繰り返した。
そして4度目の妊娠。また別の病院に連れてかれて今度は女の子だと判明した。
父は喜んで大事にしてくれるようになった。通院日でなくても監禁部屋から出してくれるようになって私は父の隙を見て逃げ出した。
お腹が大きいまま隠していたお金を持ってラブホを渡り歩きながら逃げ続けた。
そんな状態でも声をかけてくる人はいて体を売りながら生活した。人によっては家に泊めてくれたりしたけど、ひどい人なんかは仲間も呼ばれて遊ばれた。
そのうち陣痛がきて救急車で運ばれて子供を産んで、カウンセラーの病院の先生からはまだ未成年だよね?親は?相手は?と聞かれたけど、歳は20(実際は19)。親はいないし相手に逃げられたと答え続けていたら色々教えてくれて私もまともに生きられるかもと初めて思えた。
娘を施設に預けて普通の生活できるように寮があるところで働きだした。
中学からほとんど学校にも行ってないし高校も行ってない。普通の人と小学生の頃から関わってもこなかなったせいもあるのか人に対しても難しいことばかりで一つ一つ覚えながら頑張っていた。
けど、ある日リピーターだったおじさんと再会してしまった。そのおじさんに名乗ってた名前を呼ばれて大きくなったねって急にいなくなったから寂しかったよって言われて否定したけど引き下がってくれなくてまたやろうよってお金を握らされた。
そして俺のお気に入りって言いながら昔撮られた動画を見させられた。
そのままラブホに連れてかれて抱かれて、おっぱいを吸われた時、もしかして子供産んだ?なんて聞かれて腹ボテの私も見てみたかったなとか今度は俺の子供を産んでよとか好き勝手に言われてまたやることを約束させられた。
私が普通に生きることなんて無理なのかなと相当落ち込んだ。
私はすぐに仕事を辞めて少しの間放浪した。
母似の童顔と低身長が効くのか高校生に見られることが多くて、ひどい人だと中学生に間違えてきたりした。相変わらずおじさんに声をかけられては体を売っていた。
これが私の未成年時代の話。
8
2024/11/07 10:47:52
小さい頃からお父さんとお風呂に入るのが当たり前だった
その当たり前を疑問に思ったのは5年生の頃
成長期で胸も大きくなり始め恥ずかしいと思うことがあった
でもお父さんは「子供なんだから恥ずかしがることない」と言った

それから時が経ち中1
胸の発育と共に陰毛が生え始めた
お父さんは「毛は無い方がいいぞ」と言って生えかけの陰毛を剃った
剃った部分が黒ずむからとクリームを塗られた

14歳、15歳と思春期の時もお父さんとお風呂に入り続けた
陰毛を剃り始めてからお風呂に入るとまずはお父さんのチェック
ちょっとの毛でも許さない徹底ぶりで念入りに見られ触られた

私はお父さんとのお風呂が嫌になっていった
陰毛を剃られることも嫌な原因のひとつ
周りと比べてもおかしいのはとっくにわかっていた
幼稚園の頃から仲良しの親友にもこの事は話せなくて苦しかった

高校生になってもお父さんとのお風呂は続いていた
相変わらず陰毛の生えてない子供のようなアソコ
17歳になってバイトを始めた
帰りが23時過ぎになることが多くお父さんとお風呂に入る回数が減少
それから次第になくなっていった

大学進学で実家を出て一人暮らしをするようになって当時のことを考えることが多くなった
お父さんの行為は行き過ぎた親子のコミュニケーションだったのか
それとも私を性のはけ口にしていたのか
自分で考えても答えは出ないしお父さんにどうしてなのか聞くこともできない
だけど実家に帰ると私から誘ってお父さんとお風呂に入っている
あの頃は内心嫌だったお父さんとのお風呂
今はあの時ほど嫌じゃない
9
2013/08/31 14:56:33
小学校3年から5年まで、ピアノの先生にいろいろされていました。
先生は「小さな女の子のおまたの匂いが好き」と言って
いました。私はそこが臭い部分な事は知っていたので、
どうしてそんなところの匂いが好きなのかわかりませんでした。
レッスンが始まると、先生は私をピアノの上に四つん這いにさせ
スカートをまくりあげてパンツをむき出しにし、
私のお尻に顔をうずめて深呼吸しながらピアノを弾きました。
それから仰向けに寝かせ、またパンツに顔をうずめて匂いをかぎます。
やがてパンツを脱がせ、仰向けに寝た私の股間を広げて
あそこの穴とお尻の穴の間らへんに鼻を寄せくんくんと
匂いをかぎ続けます。その部分の、恥垢とおしっこが混じった
濃い匂いは、1~4年生くらいまでの女の子に共通する匂いらしいです。
そしてそれからいつも先生はお尻の穴を舐めました。
最初はびっくりしたけど、お尻の穴を先生の舌の先が
つんつんしたり、穴の回りをべろべろ舐められるのが
私は気持ち良くなりました。
親には言ってはいけない事だと本能的に感じていたので
言いませんでした。
お尻の穴を一通り舐めたあと、先生はいつもクリトリス
を舐め続けました。気が遠くなるような、おしっこが漏れて
しまうような、下に落っこちていってしまうような
我慢の限界の先で「あっ」と声がでて少しおしっこが
にじんだような感覚が過ぎると、先生は私を抱き起こし
キスをしました。そこまででいつもだいたい50分くらい
経っていて、残りの10分でピアノを一緒に弾きました。
5年生になってその教室には行かなくなりましたが、
6年生でオナニーを覚えてから先生の事をよく考えていて
小学校卒業間近の時、先生に会いに行きました。
「久しぶりだね。どうしたの?」
そのとき改めて先生を見て、若めのおじさんだけどちょっと
かっこいいんだなぁって思いました。
そう思ってたらあそこがじんじんしてきて、
私は「前みたいにレッスンして欲しい」と俯きながら
先生に言いました。
先生は微笑みながら「そか。もしまだ同じ匂いがしたら
してあげるね。パンツを脱いでピアノの上に
寝そべってごらん」と先生に言われて私は寝そべりました。
パンツを脱いだ時、つーっと糸を引くようにあそこから
出ていたぬるぬるが垂れました。
先生は私のお尻の穴とあそこの間に鼻を寄せ、くんくんと
匂いを嗅ぎました。3年生の頃と違って、私はその時
早くいじって欲しくてたまりませんでした。
でも先生は「少し毛が生えてきたね。それとぬるぬるが
出て来ていると匂いがちょっと大人の女の人に近くなっちゃうんだ」
。だからしてあげられないよ。ごめんね」
私はショックとじんじんし続けるあそこの感覚で
おかしくなりそうで、その場でオナニーを始めてしまいました。
なぜそんな事になったのか、当時の私はうまくわかりませんでした。
そんな私をかわいそうに思ったのか、先生は
「お尻の穴は昔と同じだからしてあげるね」と言って
オナニーをしている私の足を抱え上げ、お尻の穴を
舐めてくれました。私は気持ち良さが限界を超えて
おしっこを漏らしました。
ピアノの上に漏れて広がってしまった私のおしっこを
先生はバスタオルで拭き、どうしていいかわからず
泣いていた私を抱き起こしてキスをしました。
そして「もうすぐ好きな人ができたり、その人と
エッチなことしたくなったりするから、もうここには
こないようにするんだよ」と優しく言われました。
私は頷き、先生の顔は見ずに帰りました。
それ以来先生には会っていませんが、それから中学高校
と彼氏ができてエッチな事もしましたが、
先生にされていた時の気持ち良さと6年生の最後の
絶頂感を越えるエッチは体験していません。

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