2004/11/24 10:48:51
私が会社の上司だった夫と結婚したのは、丁度3年前、28歳のときのことです。
私は地元の島根の大学を出て大阪で就職。
借りたアパートが偶然にも彼の家に近く、同じ電車になることも多かったのですが、年齢も一回り違い、仕事上の繋がりがあった訳でもないので、普通に会釈する程度でした。
それが、入社後4年たって彼の部署に異動になってから、その仕事振りや周囲にさりげなく気配りする様子に惹かれ、尊敬とあこがれの気持ちを抱くようになりました。
彼の奥様が体調がすぐれず、長く入院されているのを知ったのは、しばらくたってからでした。
そう言えば、近くのスーパーで冷凍食品を大量に買い込んでいる彼を、何度か見かけたことがありました。
ある日、同じように買い物している彼を見つけた私は、意を決して「課長、だめですよ。そんなものばっかり食べてちゃぁ。一度、私が手料理をお持ちしましょうか?」と話しかけました。
思い切って声をかけた甲斐があり、その日をきっかけに休みの日に料理を持参するようになり、そのうちに彼の家で料理を作るようになりました。
彼には小学校2年生の健太郎君という息子さんがいて、やっぱりさびしかったのでしょうね、私に「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と言ってなついてくれて、よく膝の上に乗ってきたりしました。
私は彼の奥様に申し訳ないという引け目を感じながらも、正直言って幸せでした。
料理を作って、健太郎君と遊んで、彼はただそれを見ているだけの繰り返しでしたが、私は幸せでした。
同年代の女子社員にも結婚退職者が目立つようになり、あるとき彼が「このまま行き遅れたら、いつかは俺がもらってやるか」と言ったときは、「いつか」の前提が前提なだけに「だめですよ、そんなこと口にしては」と答えました。
でも、内心ではそんな情景を思い描いている自分に気づき、自己嫌悪を感じたりもしました。
私に言い寄ってくれる男性も何人かいてくれて、その都度、真剣に交際を考えましたが、次の日に会社で彼の顔をみると、もうそんな気はなくなってしまっていました。
そんな日々が2年ほど続いたある日、長患いの末に彼の奥様が亡くなりました。
それを機に、彼と私は急速に接近し、3ヵ月後に結婚しました。
彼は時期的に披露宴は控えたいとのことで、私もそれには同感で、私の両親にも理解してもらいました。
母親はさすがに淋しかったようですが、分かってくれました。
会社を辞めるとき、何人かの同僚がそっと近づいてきて、「良かったね、長く待った甲斐があったね」と小声で言ってくれました。
私が知らなかっただけで皆は彼と私のことにとっくに気づいていて、見守ってくれていたそうです。
彼と晴れて夫婦になり、変わったことはたくさんありましたが、大きな変化の一つがセックスでした。
私も学生時代はそれなりに性体験があったものの、大阪に来てからはそこまでいく機会はなく、彼に抱かれたのが6年振りでした。
彼のセックスは、学生時代に経験したような勢いに任せたものではなく、快感を引き出して高めてくれる、素晴らしいものでした。
彼はいろんなことを知っていて、私もいろんなことを覚えました。
ほとんど毎晩だったので、あるとき冗談で「私が来ているときによく手を出さなかったわね」と言ったら、「自分を抑えるのに必死だった。俺にとっては拷問に等しかった」と、真顔で答えました。
その分、どうしていたのかについては、答えてくれませんでしたが。
でも、結婚生活はいいことばかりではありません。
私にとっての最大の苦しみで最大の悩みが、小学校4年生になってもあんなになついてくれていた健太郎君が、結婚を境に私を拒絶し始めたことです。
何をしても何を話しても、うらむような目で私を見るだけで、ちっとも受け入れてくれようとしません。
夫は2ヵ月に1回の割合で土日に泊りがけの出張が入るのですが、そのときも結婚前と同じく、夫のご両親が家に来てくれるようにせがみます。
このことについては、夫がご両親に話してくださり、来てもらわずに私と2人でいるようにしてもらえましたが、食事とトイレ以外は部屋にこもりっきりで、私と顔を合わせようとしません。
夫は、実の母親が亡くなったことのショックが尾を引いているだけだから、気長に待とう、決してお前のことを嫌っている訳ではないから、考え過ぎなくてもいい、と言ってくれます。
私も、膝の上で甘えていた健太郎の様子が強く心に残っているので、受け入れてもらえるまで焦らずにいこうと心に決めました。
健太郎から私に話すことはほとんどなかったのですが、唯一はっきり言ってきたことが、学校の行事に来るな、でした。
本当のお母さんがなくなったことは皆も知っているので、夫の後妻である私のことを、皆に見せたくないようでした。
先生との個人懇談も、健太郎にいついつ学校に電話するように言われ、それで済ましていました。
電話を切り際に先生は「お仕事でお忙しい中、ありがとうございました」
どうやら、私が仕事で懇談に来れないから、電話にして欲しいと健太郎が勝手に言っていたようです。
結婚して会社を辞めてから、私はずっと家にいるのに。
参観日や運動会はどうしても見たくて、サングラスをかけて、他人の振りをして見に行きました。
健太郎はそんな私に気づいたこともあったと思いますが、何の反応もなく、私が振りをするまでもなく、他人同様の扱いでした。
いろいろな努力の甲斐もなく、私を拒絶し続けたまま健太郎も中学生になり、サッカー部に入りました。
部活やクラスのことを楽しげに話すのは夫相手だけで、私のことは未だに拒絶状態のままです。
夫も最近はさすがに諦めたようで、健太郎とのことはもう考えるな、どっちみち、いずれは独立して一人立ちしていくんだから」と言います。
夫の関心は、いつまでも私に心を開かない健太郎ではなく、夫と私の間の子どもに注がれています。
私自身、結婚してすぐにでも二人の間の子どもが欲しかったので、1年以上も前に産婦人科を受診し、涙が出るほど痛い卵管通気法の検査そのほかを受けて器質的には異常がないことが確認されているし、夫にもお願いして検査を受けてもらい、精子数がやや少ないものの、無精子症や精子過少症には該当しない、妊娠は十分可能な範囲なので、あとはタイミング次第だと言われています。
夫43歳、私31歳。
毎朝、基礎体温を計り、荻野式も併用し、民間療法的に伝承されている妊娠促進の事柄にも気を配り、子どもを授かる日を待ちわびています。
でも、私の心のどこかに、この状態で子どもが生まれたら、健太郎との関係は決定的に修復できなくなるという気持ちもあり、複雑な思いでいます。
やはり、夫がどう言おうと、私としては、健太郎とのことは絶対に諦められません。
健太郎に受け入れられるためのことを、いつもいつも考え続けています。
そして、20日の土曜日。
この日から夫は泊りがけの出張で、健太郎はサッカー部のどよれん(土曜日の練習)に、朝から出かけました。
その健太郎から「今日、3年の先輩を連れて行くから、必ず家にいて」と電話がありました。
私はうれしさのあまりに飛び上がらんばかりで、「何人来るの? 夕ご飯は食べて行くんでしょ? 献立は何がいい?」と、矢継ぎ早に聞きました。
健太郎は「3人。必ずいて」とだけ言って、電話を切りました。
私はもううれしくてうれしくて、3年生は秋季大会が終わると引退することになっているので、まずはそんな先輩に私を紹介してくれるのだと、一人勝手に決めていました。
どよれんは5時には学校を出ないといけないから家に着くのは遅くても5時半、あと2時間あるから食事の準備は大丈夫、皆さん食べ盛りだろうから、一人当たり夫の1.5倍食べるとして私の分を入れて7人前、な
どといろいろ考えながら、買い物に行き、精一杯の献立を作って帰りを待っていました。
丁度5時半ごろ、先輩3人を連れて、健太郎が帰ってきました。
中学生はもう大人も同然って、本当にそのとおりですね。
中1の健太郎は2学期の今もあどけなさが残るのに、たった2歳違いの先輩たちは背も高く、サッカーをしているせいか体格もよく、顔つきも大人びて健太郎とは全く違いました。
私は「いつも健太郎のこと、ありがとうね。きょうはご馳走をつくったから、いっぱい食べてね」と挨拶しました。
でも3人の先輩達は、何故かニヤニヤ笑うだけでした。
そしてそのうちの一人、もしかしたらキャプテンかも知れない、リーダーっぽい先輩が「ほんまにええねんな?」と健太郎に聞き、健太郎が無表情で頷いた途端、3人はいっせいに飛び掛ってきて私をソファーに押し倒し、両腕を押さえつけてブラウスをはだけさせ、スカートを捲り上げました。
私は驚いて「やめて何するの、健太郎やめさせて」と叫びましたが、健太郎は相変わらず無表情のままです。
先輩は、「健太郎はお母さんが好きやったんや。でも、お前がお父さんと結婚したショックで、お母さんは死んでしもたんや。健太郎は絶対にお前を許せへん。俺らもお前を許せへん。お前のような奴は、こんな目に合うんや」と言いました。
確かに私は、奥様の入院中から夫の家に出入りしていました。
でも私は料理を作って健太郎と遊ぶだけで、夫はその当時はただ見ていただけだってことは、健太郎だって知っているはずです。
でも幼かった健太郎が、母親の実際の死に直面したショックで、何かを思い違えたのかも分かりません。
だから今「それは違う」って言っても、聞き入れられるはずもありません。
両腕は押さえつけられながらもも足は動かせたので、私は彼らを蹴ろうとしましたが、うまくいかず、逆にスカートが捲くれる一方でした。
彼らは3人がかりで私を押さえつけながら、一気に裸にするのではなく、少しずつはだけさせながら私の身体中をまさぐりました。
「剥いちゃうよりやっぱこの方が興奮するな。パンツも片足は残しておけよ」と言いながら、いったん下げた下着を、右足だけ抜いてわざわざまた左の膝の上まで上げてきます。
でも、私が叫び続け、抵抗し続けたためか、一人がうるせぇな、こいつと言って下着を引きちぎると、私の口の中に押し込めてきました。
私は力ずく、人数ずくで女を犯そうとする彼らが許せず、絶対に負けるものかと抵抗を続けました。
でも、足と手をそれぞれ左右から押さえ込まれ、リーダー格の先輩が私の足の間に立ってズボンと下着をおろしました。
彼のものを見た私はいっそう抵抗しましたが手も足も抜くことはできず、彼はなんかゼリーのようなものを自分のと私のに塗りながら、健太郎を振り向きもせずにもう一度「健太郎、ほんまにええねんな」と叫び、そのまま一気に挿入してきました。
あとの二人も私の上半身をまさぐりながら、三人で下卑た言葉を私に浴びせかけます。
私は悔しくて悔しくて声にならない叫び声を上げ、身をよじりましたが、抵抗の甲斐もなく、中に出されてしまいました。
私は諦めるつもりはなく、抵抗を続けましたが、力任せで勝てるはずもなく、結局、3人ともに犯されてしまいました。
続けざまだったので、途中で健太郎の顔を見る余裕はありませんでしたが、今、見ると、健太郎はさっきまでの無表情ではなく、食い入るような目で私の身体を見つめていました。
彼らがざまぁみろ、思い知ったかと罵るのを聞きながら、私は健太郎も来るつもりかな、と思い、それからふと、重要なことに気がつきました。
見た目は大人でも、この子達、しょせん子どもは子どもなのだと。
3人ともものの1分ともたずにいってしまったし、最初にゼリーのようなものを使ったのも、いくら大きくても何もなしで挿入するのに耐えられるほど強さがないに違いない。
リーダー格の先輩は性体験はあったのかも知れないけど、あとの二人は実は童貞だったかも知れない。
手足の押さえつけが解かれた私はおもむろに起き上がり、口に押し込められていた下着を出すと、ニヤニヤこっちを見ている彼らに言ってやりました。
「何よあんた達、3人がかりで女一人満足させられないの? まったく、情けない役立たずばっかりね」
私を征服したつもりでいたであろう彼らは、驚きの表情で私を見つめました。
私は、最初に私を犯した先輩を押し倒すと、手で可能な状態にして、またがって思いっきり腰をくねらせました。
彼はすぐにいきそうな気配になったので、私は動きをとめ、おしりの穴と袋の間のあたりをぐっと押さえつけ、いかせないようにします。
あぁ、これも夫が教えてくれたことだと、一瞬、夫の顔が頭をよぎりましたが、私は仕返しを続けました。
彼が「もうだめだ、やめてくれ」と叫んでも、さらにじらせ続け、とうとういってしまった彼に、見下すように「えっ何、もう終わり? 自分だけさっさと勝手にいっちゃって、たったのこれぽっちで女が気持ちよくなると思っているの?」と言ってやりました。
あとの二人も同様です。
三人とも、あれだけじらせても、結局は2、3分でいきました。
私はさらに追い討ちをかけるために、「本当にだめな奴らね。よく見なさい、これが大人の女よ」と言って、彼らの前で大きく足を開いてオナニーを始めました。
彼らの精液にまみれながら出入りする指の動き、そして私が胸をもみ、声を上げ、腰を打ち震わせるようにしていく様子を、彼らは怖れを抱くような目で見ていました。
「あんた達なんか、女を満足させられる男には一生なれない。情けない役立たずだって、思い知りなさい」というと、彼らは目線をあげることもできず、しょげかえっていました。
そして、帰りなさい、っていう私の一言に、3人ともすごすごと帰っていきました。
あとは健太郎、そして私の二人っきりです。
私は悔しさと悲しさで、健太郎にも何か言ってやろうと思いましたが、うつむいたまま、相変わらず黙りこくっている健太郎を見つめているうちに、泣いてしまいました。
「お母さんになりたかったのに、お母さんになりたかったのに」と私は泣きました。
そして、「お母さんにはなれなかったけど、その代わりあなたの最初の女になってやる。あなたにとって忘れられない女になってやる」と言うと、健太郎をソファーに押し倒し、ズボンと下着をおろし、気持ちを込めて優しくフェラしました。
健太郎がじっとしている様子を見たうえで、ちょっと待っててと言ってトイレに行き、ウォシュレットのビデを使い、それからお風呂場でシャワーで身体中を洗い流しました。
そして、「きれいにしてきたから」と言って健太郎の顔の上にまたがりました。
健太郎は、ぎこちない舌使いで私を舐めてくれます。
それから位置を変えて健太郎のものをそっと入れると、さっきまでとは違って優しく、慈しむような気持ちで腰を動かしました。
腰を動かしながら、健太郎を見つめて私は泣きました。
私の涙が頬をつたわり、健太郎の顔や胸に落ちました。
でも、よく見ると健太郎の顔が濡れているのは、私の涙のせいだけではありません。
いつしか健太郎も、私を見つめながら泣いていました。
そして、小さい声で、でも確かに「お母さん、ごめん」と言いながら、健太郎は私の中に射精しました。
そのあと、私達は明け方までずっと一緒にいました。
何度もセックスしました。
健太郎の目や表情はとても穏やかで、素直でした。
本当は健太郎は私のことをセックスの対象と見ていて、それが叶わないことへの気持ちの裏返しで、あんな態度をとっていたのではないか、と思えたほどです。
私は、夫に教えてもらった、ありとあらゆることをしてあげました。
健太郎も、やはりビデオや雑誌で見ているのでしょうね、いろんなことを求めてきて、私も精一杯こたえてあげました。
中でも、私を四つ這いにして後ろから舐めたり、そのまま腰を上げさせて高這いで挿入したり、アナルセックスをしたがったり。
あと、今後は自分が四つ這いになって後ろから舐めて欲しがったり。
こんなにおしりにこだわるところは夫とそっくりで、こんなことも親子で似るものなのかなと思いました。
夫に開発された様々なことの中でも、アナルセックスだけは私が馴染めずに、2、3回試しただけでやめてもらっていたのに、今さら健太郎に入れさせることになるなんて。
久しぶりだったけど、先輩達が忘れていったゼリーを使ったら、割と簡単に入りました。
夫のときは、しばらく続けたあと、絶えられなくなって抜いてもらい、普通に入れ直してもらっていたので、おしりの中で精液を受け止めたってことで言えば、健太郎が私にとっての最初の男になりました。
おしりの穴の奥まで舌を入れてあげたのも、初めてでした。
私にすれば、正面で足を開くより、後ろ向きで健太郎におしりを捧げるほうが恥ずかしいことでした。
だから、同じ格好で健太郎が求めたのは舐めることでしたが、思わず穴の奥まで舌を差し込んでしまいました。
いくときとは違う、女の子のような声をあげた健太郎が、ますます愛しく思われました。
トイレに行くときは持ってさせてあげ、私がするときはお風呂場で見せてあげました。
時間にして12時間近くかな、私達は言葉はあまり交わしませんでしたが、お互いの身体をとおして会話しました。
この3年間の空白を埋めるかのように、いろんなことを伝え合いました。
疲れて眠りこける健太郎の寝顔を見ながら、私はまた泣きました。
急に後悔の気持ちがつのってきて、泣きました。
夫に、なんと言えばいいのでしょうか。
先輩達に輪姦されただけでも夫に顔向けできないのに、あんな仕返しをするなんて、自分でもなんてふしだらな女だと思います。
もし夫に秘密でとおしても、健太郎との間はもっと深くなっていくでしょう。
確かに私はこのサイトの各コンテンツによく来ていますが、それは読んで想像することで満たされるからであって、願望がある訳ではありません。
だから、私のほうから健太郎を求めることは多分ないと思いますが、健太郎はそうではないだろうし、そうなれば私もきっと受け入れると思います。
あの夜は、どんなことをしてもしてもらっても、気持ちのうえで私は感じることはありませんでしたが、これからは、健太郎を感じさせる悦び、そして私自身の女の悦びに目覚めることは明らかです。
実際、健太郎は受身、攻めともに、開発し甲斐のある子でした。
夫は違い、いろんなところがまだピンク色なのも、今しかない美しさだと思います。
本当は、夫にすべてを話し、すべて分かってもらったうえで、3人できちんとした家族関係を作り直せたら一番いいのですが、そんなこと、願えるはずもありません。
それに何と言っても、先輩達がどう出るかが分からない。
あの輪姦も、実際には健太郎が首謀者だから警察には言えないし、これから先、どんな態度をとるのか、誰に何を言いふらすか、まったく分からないし、怖くて仕方がありません。
やっぱり仕返しなどせずにあのまま終わればよかったと、つくづく後悔しました。
悩みに悩んだ末、私は夫に、昔の友達のことで、しばらく実家に帰ります。ご不便かけますが、よろしくお願いします。また連絡します。と、書き置きを書きました。
それから、テーブルの上の手つかずのままの料理を、タッパに移し替えて冷蔵庫に入れ、健太郎の朝昼兼用になるであろう食事を作りました。
もしかしたら、健太郎に母親としてしてあげられる最後のことかもしれないと思うと、また涙があふれてきました。
そして、健太郎の寝顔をしばらく見つめ、そっとキスしてから、私は家を出ました。
私の両親は、何も聞かずにいてくれます。
夫からは、何の用か分からないけど、順調にいっているか。こっちは親に来てもらって何とかなっているから、気にするな、と電話がありました。
今のところ、健太郎も先輩達も、何もしたり喋ったりしていないようです。
「久しぶりの実家だから、ゆっくりして来ていいよ」とも言ってくれました。
家に戻って3日たちましたが、私は答えを見つけられずに迷ったままです。
心に思い浮かぶのは、夫の部下になり、家に出入りするようになってからの5年間、結婚してからの3年間、そしてこれから続くはずの未来。
あの夜は、健太郎と私にとって、かけがいのないものになりました。
でも、だからといってそれと引き換えにすべてを失うのは、あまりにもつらすぎる、あまりにも悲しすぎる。
いつまでもこんなままでいる訳にはいかないことも、分かっています。
遅くとも今週中には気持ちを決めないといけないと思うのですが、でも私には決められない。
私がこの手記を近親相姦や少年との関係のところではなく、このページに書いたのは、読まれた方からレスで、何らかのアドバイスが欲しいからです。
とくに、女性の方、経験や年齢や立場や家族関係に関係なく、女性の目から見て私はどうしたらいいか、ぜひ教えてください。
誰か、私を後押ししてください。
私を、助けてください。