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性的虐待体験 RSS icon
※幼少時に受けた体験談

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2014/06/11 10:53:29

小2の時母が亡くなったため、父と二人で暮らしていました。
小4になったある日、父とスーパー銭湯に行きました。
当時の父は仕事と家の事で毎日忙しかったため親子で出掛ける事は滅多になく、私もそれは分かっていたのでワガママを言いたくても我慢していました。
なのでスーパー銭湯とはいえ、ひさしぶりの父とのお出掛けに私は助手席でウキウキしていました。
着いたのは家から車で一時間ぐらいの所にあるスーパー銭湯でした。
もっと近くにもあるのに何でだろうと思い父に聞くと、「少しでも遠出した方がお出掛けらしくていいだろ?」と言われ私も何となく納得してなかにはいりました。
本来は4年生の私は女風呂に入らないといけないんですが、父に「空いてるみたいだし、一緒に男湯に入っちゃえ」と言われました。
少し恥ずかしかったですが、せっかくのお出掛けなのに父と離れるのは寂しいので私は「うん」とうなずいて男風呂に入ることにしました。
更衣室で服を脱ぎタオルで前を隠しながら風呂場に入ると、父の言ったとおり空いていて五人ぐらいしか人がいませんでした。
ホッとした私は洗い場に座り、父の背中を洗ってあげたり頭を洗ってもらったりしてから一緒に湯船につかりました。
お湯の中で父とくつろぎながら、私は学校の事などの話をいっぱいしました。
父はそんな私を優しい眼差しで見つめながら、頭を撫でたり膝の上に乗せて抱き締めたりしてくれました。
しばらくすると父が「トイレに行ってくる」と言って立ち上がりました。
「すぐ戻るから大人しくしてなさい」と言って父が風呂場を出ていくと、私は少し心細くなりながらも言いつけ通り大人しくお湯につかっていました。

781
2014/06/09 13:55:22
小4の時、担任の先生からHなことをされてました。

当時の記憶で
覚えてるところをなるべく詳しく書き綴ってみたいと思います。

私は転校生で、なかなかクラスの子に馴染めなくて、いつもボッチ状態でした。
はたからみたら、きっと可哀想な子に映っていたかもしれませんが
どちらかと言うと私は、一人で本を読んでるのが好きな子で
休み時間、みんながグラウンドに走っていくのを窓から眺め
机で本でも読んでいました。

先生は、男の20代半ばの、いわゆる熱血教師ぽいカンジの先生で
私のところに来ては
なんだかんだと声をかけたり、世話を焼かれました。

ちょっと鬱陶しく感じてしまって、私は図書室に〝避難〟するようになりました。
先生は、私を探していたようで
ある日「ここにいたのか?」と聞いてきました。
私は自分のテリトリーを荒らされたような気がして
涙が出てしまいました。
先生は慌てて「ごめんごめん、泣くなよ!?」と私を抱きしめてきました。
それからどういうわけか、一瞬キスされてしまいました。
ビックリして泣くのをやめたら、
「…あ・・・ごめん、つい・・ごめん。。」と言って
図書室から出て行ってしまいました。

この頃、先生のことはちょっとだけ、嫌だけど
なんとなく意識するようになってしまいました。

それからしばらく先生は、私に接触してこなくなったのですが
夏の水泳授業の日に、なんとなく視線を感じるようになりました。
当時の私は、小柄で華奢なのに、なぜか胸ばかり成長してしまってて
泳いでるうちに、スク水着から胸がはみ出ちゃったり・・
プールサイドに上がった瞬間、乳首がモロ見え・・なんていうのもありました。

授業の後先生が「ももか、ちょっと・・」
と私を呼び出しました。
水着のまま、更衣室の隣の別室に残るように言われました。

「ももか、水着・・何とかならないか?」と言われました。
「・・・何とかって、、」
「あの、、な、ちょっとその水着、お前には小さいんじゃないのか?」
「でも・・、今のサイズのより大きいと、今度はおしりとかがガバガバになっちゃうから・・」
そういうと、先生は、
「…そうかあ。。難しいなあ。。なあ、ももか、お前ちょっと、体の事、不安じゃないか?」
と聞いてきました。
「ももかってさ、凄く小柄で細いのに、胸だけ・・その、、大きいだろ?
そういうの、自分で気になったり、不安になったりしない?」
普段気にしてたことをズバッと言い当てられて
私は急に哀しくなってきて
オロオロと泣き始めてしまいました。

「せんせ…怖いよ、私の身体、みんなと違ってる。。」
その頃は、体の成長が早い、というのが分からずに
ただ同級生と体の形が違ってることに、すごく不安がありました。
「ももか、心配なら、俺が見てあげようか?」
先生が私の顔を覗き込んできました。
「大丈夫、ももかの悩み、誰にも言わないから」
私はこくりと頷きました。

「・・水着…、脱いでもらえるかな…?」
先生の言葉に従い、私は肩から水着をお腹まで下しました。
…ぶるん・・とあらわになった私の胸を見て
先生は少し動揺しながら
「…う、、ん、やっぱり、大きいなぁ。。
 ちょっと、触診みたいなのしてみるけど、いいか?」
お医者さんみたいなことを言ったので、先生の言うとおりにした方がいいと
私は頷きました。

先生が近づいてきて、「触るよ?」とそっと私の胸に触れてきました。
指が、乳首に当たったりして
思わず「…ゃ…ッ・・」って声が出てしまいました。
先生は構わず〝触診〟を続けながら
「・・うん、特に問題、なさそうだな。。」と言ってきました。
水着を着ようとしたら
「あ、ちょっと待って!」と手首をつかまれました。

「その・・さ、こういうのって見た目じゃわかんないだろ?」
 中の方も、確認した方が良いかなと思ってさ。。」
「…え・・なか・・?」
「…ココだよ。。」
先生は、軽くアソコの部分に触れてきました。
「え・・でも・・ッ・・」
「言いにくいんだけど、もしかしたら中の方にもホルモンの問題があるかもしれないだろ?
 ももか、こういうことって誰かに相談できるか?」
私は首を横に振りました。
「そうだろ?俺しか、いないだろ?」
「…ウン・・」
「…よし、じゃあ、水着全部脱いで、長椅子の上に横になって」
恥ずかしくて私は、もたもたと水着を脱ぎ、長椅子の上に横になりました。
手で胸と、アソコを隠していました。

「恥ずかしだろうけど、手、どけてくれるか?診れないだろ?
 …大丈夫だから。」
先生が優しい声で髪を撫でて、私はふいに安心してしまい
手をどけました。
「…いい子だ。。次は、良く見えないから、膝を立てて足を広げてくれないか?」
その間、先生はずっと髪を撫でてくれてたので
私は言われるがまま、膝を立て、足を広げました。

先生は私の足元に回るとしゃがみ、アソコに顔を近づけました。
「…うん、見た感じは、大丈夫だよ?…ちょっと・・中も見るぞ?」
と言って、私のアソコを指で広げました。
「・・ももか・・きれいなピンク色してるな・・」
恥ずかしくて、私は両手で顔を隠してました。
そのあと先生は、私の中に指を少し入れてきたので
思わず体がビクン!としてしまいました。
「痛いか?痛くなったら言ってくれな?」
先生は、少しずつ私の中に指を入れていきました。

指が少しずつ、出たり入ったり繰り返されてるうちに
だんだん、ヘンな気分になっていきました。
アソコから何かが出てきて、くちゅくちゅ・・という音もしだして。
「ももか、ココ、ヌルヌルしてきてるの、わかるか?」
「…ぅ、、、ん・・・」
だんだん、息が苦しくなっていくような。。
恥ずかしいんだけど、ヘンな声がたまに出てしまってました。

先生はさらに激しく、指を動かして
私は「やっ・・・やだ・・・ァ・・」と言いながら、アソコがギュウウとなってしまいました。
自分の身体に何があったのか、このときは全然わからなくて
全身の力が抜けて、ぼうっとしてしまいました。

「…ももか、どうだったか?」
私は返事ができないでいました。
「…中の方も、大丈夫だったぞ?ただな、お前はみんなより成長が早いから
今日のことは誰にも言うなよ?
ココがこんな風になるのは、みんなはまだ無いから。」
私は頷くと、水着を着なおして、更衣室に行って、服に着替えました。

先生とは夏休みの間の、水泳の補習でも、残って同じことをしていました。
そして、先生に教えられるままに
先生のも口に含んで舐めたりしてました。

こういうことをしてたら、余計に胸が大きくなってしまって
5年になるころに母親が気にして
ブラを買いに行きました。
店員さんに測ってもらったら、E65カップで子供用のブレはサイズが無く
大人の可愛めのものをするようになってました。
(体育がある日は大人用のスポブラ)
下着姿は先生がすごく喜んでくれてました。

私は見た目すっかり大人びてしまって
そのことでからかわれたり、いじめにも遭いました。
先生に相談したら
「ももか、Hな体してるからね。。解決してほしいか?」
と聞かれました。
私は頷くと
Hな条件を出されました。

「連続で何回イクか、試したい、それを撮りたい」と言われました。
それに応じないと、助けてあげないよ、と言われました。

私は言われるがまま、応じました。
その日先生の家でしたのですが
電マとかローターとかバイブとかいろいろ用意されてて
小4の私にそういうものを使われました。

よくイキ地獄っていいますけど、ほんとそうです。
みんな初めてのもので、気持ちいいのもあれば
物凄く痛いのとか、刺激が強すぎて、ちょっと出血しちゃったりとか
最後の方は、おもらししちゃったり、潮吹いたり、失神してました。
先生、面白がって笑いながらビデオ撮ってました。

1回のイジメにつき、こういうことを1日中要求されて
体がボロボロになりそうでした。

5年に上がる時に、転任して行って、関係が無くなったので
ホッとしました。

782
2014/06/06 23:25:22
今2人の子を育てながら、あたしがこのくらいの時には、あ~だった。こ~だった。って想いだしながら日々生活してきました。
当時は虐待なんて言葉も普通にはなかったし、虐待されてるなんてことも思ってはいませんでした。

幼かった頃のあたしは、おじさんからおこずかいがもらえる内緒の遊びくらいの認識だったと思います。

エッチなことって認識するより前から、日常的におじさんのおちんちんを触ったりしてました。
小学校に通いだしてからは、おこずかいをもらいながら裸でくっついていたり、みせたり、舐め舐めされたりしたり、高学年の頃にはおじさんの精子も普通に飲んだり、おしっこを掛けたり掛けられたりしてました。

おじさんとの関係は中3まで続いて、しばらくお休みしてからまた高2の終わりくらいから再開してました。

流石にこの頃には、当然こんなことがどんなことなのかもわかってましたし、中1にはイク感じも知ってました。

オナニーを教えてくれたのもおじさんだったと思います。
いつからかは、もう覚えてないけれど、おじさんの目の前でよくしてみせてました。

ちなみにあたしのロストバージンは21歳。
大学時代に参加した合コンで酔ってたあたしは無理やり三人の男性に次々に襲われたときでした。

あたしにとっては、こっちの方が虐待感いっぱいでしたよ。



783
削除依頼
2014/06/04 23:53:18
私ではなく、妻の妹の話である。正確に言えば、その夫のことだ。
これがろくでもない男で、正直ヤクザものである。筋金入りならまだしも、定職も持たずにフラフラとしているだけの遊び人を気取った愚か者である。
義妹は、結婚に一度失敗して二度目の伴侶にこの男を選んでしまった。バーでホステスをしているときに口説かれたらしいが、顔だけはいいので、寂しさも手伝い、つい、ほろっとしてしまったのだろう。だが、ふたを開ければ、まともな仕事もせずに金を無心するだけの甲斐性なしだったわけだ。おまけに気に入らないことがあると、すぐに手を上げるDV男でもあったのだから始末に負えない。
男の本性に気付いて別れようとしたときには遅かった。義妹には、まだ幼い娘が二人いて、その二人を人質のような形で盗られてしまったからだ。幼いとはいっても、すでに上の子は5年生にもなっていたから自分の足で逃げ出すことはできた。問題なのは3年生のほうで、これが義弟から離れなかった。
離れなかった理由はわからないが、深刻だったのは性的虐待を受けているのがはっきりとしていたからだ。
妻に頼まれて下の娘を取り返すために彼らの住むアパートに行ったことがある。かねで解決できるのならと、多少なりの金額を封筒に入れて訪れた。
応対に出た義弟は私が部屋に入ることを渋っていたが、かねの存在を匂わせると態度を一変させてすぐにドアを開けてくれた。まだ昼間だったというのにカーテンは閉めっぱなしで、不快な匂いのする部屋だった。薄暗い部屋の中に一歩足を踏み入れて、思わず息を飲んだのは、そこに一緒だった姪が裸だったからだ。
彼女は私の姿を見ても臆することもなく、裸のまま部屋の中を行き来していた。
どうして裸なんだ、と訊ねると、義弟は、さっきまで寝ていたからだと、薄ら笑いを浮かべながら答えた。
姪を帰すつもりは鼻からないらしく、それでもかねだけは欲しかった彼は、面白いものを見せてやると言って姪を呼んだ。
そして胡座をかいて座る義弟の膝の上に乗せたのだ。姪と向かい合わせになりながら、奴は自分のペニスを掴み出すと、姪の玩具のような性器にあてがった。そして、やれ、と義弟が言ったと同時に姪は小さな尻を落としてそのペニスを体内に隠していったのだ。
痛がる素振りはなく、姪がそういった行為に慣れてしまっていることを容易に教えてくれた。そして彼女は小さな尻を上下させながら、義弟にしがみついて切なそうな声まで出したのである。
口をだらしなく開ききっていて、どこか正気ではないようにも思えた。
義弟は驚く私に、金をくれるなら、あんたにもやらせてやる、と言った。むろん応じるはずはなく、お前、正気か、と私は激しくなじっただけだった。
義弟の腕の中にある背中はあまりにも細くて小さかった。そんな女の子に、なんてことをと憤りもしたが、怒りが持続しなかったのは、姪がそれを喜んでしまっているからだった。
どうやって手懐けたのかなんてわかるはずもないが、あの時の痴呆のような姪の表情を見る限りでは怪しいクスリでも使っていたのかもしれない。
私の叱責に開き直った義弟は、お前らの金なんかいらない、とうそぶいた。そして、かねはこいつが稼いでくれるとも言った。こいつとは、むろん姪のことだ。
あまりの異常な光景に吐き気まで覚えて、逃げるようにアパートを出たが、その事実を私は家族に伝えなかった。伝えたところでどうなるものではなく、真実を知ってしまえば、さらに苦しむだけになると考えたからだ。
だが、私が独りで抱え込んでいるあいだに、義弟は姪を連れてどこかへと姿を消してしまった。
3年前のことで、いまだに彼らの行方はわかっていない。

784

スズムシ

投稿者:みく ◆JgxlGx0w8k
削除依頼
2014/05/28 02:14:03
私は1年生の時からイジメにあっていました。

他の子と自分は違ってるという自覚もあったので、仕方なかったと思います。私が他の子と違う理由は幼稚舎のときから父親に虐待をうけていたからかもしれません。

物心ついた頃から父親にかまってもらった記憶はありませんでした。いつも遅くに帰ってきて、朝早く出て休みの日は自分の部屋で一日を過ごすような父でした。

いつからか父はよく声を荒げるようになりました。理由は分からないのですが、母は黙って泣いてるだけでした。その頃から、私が靴を揃えていないと言って夜中に私を起こすとパジャマのまま玄関に正座させたり、休みの日に掃除の手伝いが出来てないと言って柱にくくりつけられたりするようになりました。

母は見ないふりをしていました。
ある日裸にされて床の拭き掃除をさせられた日、父は四つん這いになって丸見えになってしまっている私の割れ目に、モップの棒をこすりつけてきました。

そのままジッとしてろ。といわれたので父になされるがままでした。そんな事があってから父の虐待は形を変えていきました。

一緒にお風呂に入るようになりました。父は私を立たせると足を開かせて石鹸を直接体にぬっていきました。足から順に石鹸をつけていきます。そして股までくると、父はゆっくりと石鹸を割れ目にそって動かします。

幼い私は羞恥を知る前に、大人からもたらされる快楽を知ってしまいました。

父からの性的虐待は、徐々に、ゆっくりとエスカレートしていきました。もちろん性的でない虐待もうけていました。

私は誰に助けを求めるべきか分からなかったし、助けを求めていいのかすら分かりませんでした。

幼稚舎を出る頃には、父は私のお尻に指を入れたり、自分のモノやお尻の穴を私に舐めさせたりするようになっていました。


このように具体的なことを書いていいのかどうか迷いながらの投稿です。こどもにとって性的虐待は激しい暴力に匹敵すると考えていますので、自分の中にある黒い物を吐き出すためだけに投稿するのは自分勝手なのではないかと不安にもなっています。

おそらく、どれだけ書いても私の中の黒い物はなくならないのかもしれません。

もしも、あまり具体的に書き続けない方がいいのであれば、削除していただくか、注意をしていただきたいと思います。

管理人の方、よろしくお願いいたします。
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