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性的虐待体験 RSS icon
※幼少時に受けた体験談

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兄から

投稿者: ◆6LKaNWUMcA
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2015/07/27 03:46:28
私は子供のころの一時期、実の兄の性欲処理に使われていました。

兄はとても優秀で、両親から期待されていました。
そのため、あまり自由のない生活を送っていたようです。
中学2年の時には彼女もいたようですが、気づいた両親が相手の親に抗議に行き、
別れざるを得なくなってしまったこともありました。

私は逆に勉強も運動もあまり得意ではありませんでしたので、
家の中では私は空気のような存在でした
それまでも兄から時々性的ないたずらじみたことをされることはあったのですが、
親に言ってもまともに取り合ってはもらえませんでした。

兄にはよく、お前がバカなせいでお前の分も俺が頑張らされていると言われて
いました。
そのため、兄が自分のせいでかわいそうな目にあっていると思うようになり、
少しずつ兄に逆らえなくなっていました。

それが始まったのは私が小学4年生で9歳、兄が高校1年で16歳の秋でした。
私は受験やテストの時期以外、兄に勉強を見てもらっていました。

その時も勉強中でしたが、何度か同じ間違いをしてしまいました。
すると兄が怒り出し、お前のせいで俺は自由がない、お前のせいで彼女とも別れた。
お前のせいで新しい彼女も作れないと怒鳴りました。
そして、お前がかわりに実験台になれと言い、パンツを脱いでテーブルの上に乗る
ように言ったのです。
あまりの剣幕で身がすくみましたが、兄のいうことには逆らえずいう通りにしました。
その時は恐怖で、恥ずかしいという気持ちはなかったと思います。
私はテーブルの上に仰向けに寝て膝を立て、されるがままになっていました。
その日兄は、ただまじまじと私の股間を見たり指で広げたりするだけでした。
しばらくすると私のおなかをたたいて部屋に戻るように言いました。

その後、しばらくの間は時々いたずらをされる程度でした。
頻繁になったのは翌年の夏ごろです。
夏休みで少し夜更かしをして居眠りをしそうになった私に、下半身裸になるように
言うとお尻に鉛筆を挿しそのまま正座させました。
そのまま勉強させられていましたが、間もなく後ろに座っていた兄がこちらを向くよう
に言いました。
振り向くと、息を弾ませた兄がおちんちんを自分の手でこすっていました。
勃起したおちんちん自体は見たことはありましたが、オナニーを見るのはこれが初めて
でした。
呆然と見ていると、顔に温かいものが飛んできました。
話には聞いていましたが、精子を見るのはそれが初めてでどうしたらいいかわからず、
思わず泣きそうになってしまいました
その日はそれで終わりでした

翌日は、初めから下半身裸になるように言われました。
クッションの上に膝をついてお尻を突出し、机に覆いかぶさるようにして勉強を
させられました。
その間、兄は私のお尻を触ったり、ペンを入れてもてあそんでいました。
もう半年くらいはいじられていましたが、当時はまだ中に異物が入ってくるのは
痛みや気持ち悪さのほうが勝っていました。
そして最後はまた精子をかけられました。

次の日になるともう勉強はせず、すぐにいたずらをされました。
この日はお尻を触られた後、テーブルの上にあおむけに寝かせられました。
兄は割れ目におちんちんを押し付けると、強く押し付けてきました。
痛みはありませんでした。まだ十分に柔らかくなっていなかったためか挿入は
できませんでしたが、兄は入り口におちんちんをあてたまま射精しました。
その時は特に何か入っているという感覚はありませんでした。

それ以降、夏休みの間にフェラ、クンニ、お尻への指入れを経験しました。
膣へはペンを入れたりもしましたが、それ以上はしませんでした。
また休みの間は兄の指示で親のいないところは全裸や下半身裸、親のいるところ
や外出時は裸にTシャツやキャミソールとスカート、ショートパンツやキュロット
のみでいるように言われました。
親にばれないよう、お風呂上りに一度下着も着てから部屋で脱ぎ、選択の時に出す
ようにしていました。
夏も終わりころになると、私はお尻で少し気持ち良くなるようになっていました。

夏休み最後の土日、隣家の家族と近場でキャンプをするのが恒例になっていましたが、
その夜に初めてアナルセックスを経験しました
大人が寝静まった後、少し離れた場所でされました。
時間にして数分だったと思います。
お尻をいじられている時のような不思議な感覚が出てきたころ、兄が中で果てました
はっきりとではなく、ぼんやりと何かが入ってくる感覚がありました。

それが初めてのセックスでした。
そこからしばらくはアナルセックスしかしませんでした。
私の処女はその後兄がどこからか手に入れた成人向けのおもちゃで無くしました。

兄が3年生になると受験の時期となり、兄はますます自由がなくなりました。
私はもう前も後ろも開いていたので、兄と毎日どちらかでセックスしていました。
しかし兄はそれだけでは飽き足らなくなったのか、拘束や露出など普通ではないことも
いろいろさせられましたし、いろいろなものを入れられました。

何をされても私は兄に逆らえませんでした。
結局兄は1年浪人することになり、私が中1になっても関係は続きました
中に出すのはやめてほしいといっても聞いてもらえず、どうしてもというならば自分でコンドームを用意しろと言われました
結局、少ない小遣いをほとんどコンドームの購入に使っていました。

次の年、兄は大学に合格し、家を出ました。
よほど自由がうれしかったのでしょう。それ以降ほとんど家には寄り付かなくなりました
1年留年して卒業し、就職しました。兄にはそれ以降あっていません。
私も兄がいなくなってから徐々に成績が伸び、大学も出て仕事をしています。
成績が良くなると、両親の態度は大きく変わりました。

時折思い出すのですが、不思議と嫌な思い出ではないのです。
小さなころは兄を好きでしたし、結局根っこの部分では兄が好きだったのかもしれません。
もしくは、家族の中で信頼できるのが兄だけだったからなのかもしれません。
781
2015/07/23 03:13:40
こどもの虐待死多いですね。育てられないなら産まなきゃいいのにって思います。わたしの母もそうでした。父親はコロコロと変わりました。結婚は3回で彼氏は常にいてました。

8歳のときから10歳になるまでくらいに付き合ってた人に悪戯されて何度も性行為をしました。母はちがう彼氏の家によく遊びに行ってました。妹も弟もいてましたが、弟以外は悪戯されました。弟はまだ2歳くらいだったので悪戯されていたのか分かりません。

こどもに無頓着な母親って外から分かりにくいだけで結構いてるのだと思います。

優しかったので、はじめはこのおじさんがずっと家にいてくれたらいいのにと思いました。でも、母がいない時に変な遊びをするようになりました。

最初はベロを出して、舌と舌をくっつけっこする遊びでした。変な感じで気持ち悪くて、気持ち悪いーって4歳下の妹とキャッキャするのが楽しくて自分から舌を出してみたりしていました。妹ともくっつけっこしていました。

くちびるはくっつけないからキスじゃないと思ってました。お風呂に入ったときは自分のお股からおじさんのおちんちんが生えてるみたいーって膝の上に座って喜んでいました。握ったりゴシゴシしたりもしていましたが遊びのつもりでした。

母が一週間ほど家をあけたときに、遊びがだんだんと変な感じになっていきました。おしっこの穴のくっつけっこ遊びや、おじさんのおちんちんから白いおしっこを出す遊び。そして家に帰ったらおじさんが一緒に映画を見ようと言うので妹と3人でAVを見ました。映画じゃないのに映画だと言われたら鵜呑みにしていました。

妹はおじさんの膝の上。私は隣で見ていました。画面の中の女の子がクンニされて感じているのを見たときはあそこが変な感じがしてきて恥ずかしくて、もう見るのやめよう!ってお願いしました。でも勉強にもなるはずだから我慢して見なさいと言われ、もぞもぞするあそこに手を挟んで見続けました。

女の子(大人かもしれません)が犯されるものや、高校生のお姉さんみたいな人の「映画」でした。変な気持ちになりながら真剣に見ていたと思います。ただ横でおじさんが妹の足の間に手を入れて動かしているのは何となく気づいていました。4歳だった妹が映像を見ながら触られて感じていたのかは分かりませんが、ずっとおとなしくおじさんの膝の上に座っていました。

それからしばらくして妹が保育園で、おちんちんをお股に入れるんだよって誰かに言ったらしく、母がおじさんに変な映画見せるなよ、あたしがバカにされるんだからって怒っていました。

それからおじさんは妹には見せないで私にだけ時々変な映画を見せました。そして、一緒に映画を作ろうと言い出して、嫌だと言ってるのにビデオまで買ってきてしまいました。3年生のときでした。

映画のように気持ちいいときは気持ちいいと言いなさい、大きな声は出してはいけない、おちんちんを舐めるときは歯をたててはいけない、など色んなことを先に言われました。それまで舐めさせられたりしたことがなかったので、汚いから嫌だと言ったけどダメでした。

ランドセルを背負わされ、自分でスカートをめくらされ、恥ずかしさで泣いてしまうと叱られました。あとはビデオの前で足を開いておじさんがパンツを脱がして、あそこを舐めるのが気持ち悪くて途中で何度もお腹がすいただとか、宿題しないといけないなど言い訳をして逃れようとしました。

でもやめてくれなくて、おじさんが舐めるのを手伝うために自分で割れ目を広げさせられました。おじさんが舐めながらクリを触るので我慢できなくて割れ目から手を離すとお尻の穴に指を入れられました。痛くて、やめてっ!て叫んだらちゃんと割れ目を広げてないと指をどんどん入れるぞ!て言われて、泣きながら自分で広げ、舐められ触られました。

何度かそうやって舐めたり、舐められたりする「映画」を作りました。すぐに気持ちいいと感じるようになりましたが、変な声を出したり、いい~と言ったりは出来ませんでした。わざとなのか弟が寝ている横でするときもありました。でも、気持ちよくなってきたんでしょ?濡れてきているよ。と言われたときに頷いてしまいました。それがきっかけなのか、次の映画のときに挿入されました。

習字に行って帰ってきたら、妹がテーブルの上に寝ていて、おじさんがまだ保育園の帽子をかぶったままの妹の足を持ってあそこを舐めているのを見たこともありました。気がつかないふりをしてリビングに行かずにそのまま廊下を通ったけど、気になってこっそり戻ってみると今度は何かちがうことをしているようでした。

保育園から帰ってきてからずっとそんな事をしてたのか聞く勇気もありませんでした。

782

極悪宗教団体

投稿者:瑠璃 ◆Cbp2nY9JoY
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2015/07/03 01:09:56
小学2年の夏から、両親と一緒に某宗教団体に入信しました。入信後、宗教団体所有のマンションで暮らさなくてはいけなくなり、転校しました。公立学校には通わず施設内の一室で同じ学年と学びました。
毎朝、教祖様を讃える歌を何回も歌わされ、朝食後は勉強や敷地内清掃等を繰り返す毎日。午後は教祖様に性的暴行(要はエッチな事)を受けていました。
何か粗相な事をすると、男性(男子)は10時間正座しながらひたすら教祖様の大きな写真を見ながら謝る。女性(女子)は裸になり教祖様にお尻を突きだし、30回程お尻を叩かれ、叩かれる度に「ごめんなさい」と言わなければならない。
宗教団体とは名ばかりのただの教祖様の性的欲求を満たす場でした。
粗相の中でも一番重い罰は教祖様の悪口がバレた時。
男性女性問わず死刑(執行されてから見なくなったので多分)。私は耐えに耐えました。16歳のある日、警察の介入で宗教団体は一瞬にして解体。私は地獄から開放されました。噂に聞いたのですが、当時の側近が再び宗教団体を立ち上げるらしいです。まぁ二度と入信なんてしませんけどね。
783
2015/07/02 01:40:18
小学生のころ、なぜか絶対に私の入る委員会の担当になる教師がいた。

その先生は算数専門で教えかたも上手でしたが背の低い私をわざと高いところに書いた問題の回答に指名して抱っこしたり、後ろから体に抱きついたりを卒業までされ続けました。
784
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2015/06/03 03:00:59
私には母性が欠如していました。
娘が生まれたときから愛せなくて、かわいいとは思えずに義務感だけで育てました。

もちろん、愛情あるお母さん方の真似をして、お昼寝させたりおやつを一緒に作ったりしました。ただ笑顔を作って…保育士さんのような仕事になっていました

それが苦しくて辛くて自分を責めているうちに夫婦ともに鬱になってしまい離婚してしまいました。元夫は親も他界していたため、引き取ってくれると思っていた娘は、私が育てることになってしまいました。


離婚から2年、娘が7歳のときに新しい彼ができました。私は本当に彼の事が大切で、鬱のせいもあり彼に依存するようになりました。

全てが言い訳でしかありませんが、その後私は彼が娘に悪戯しているのを知ったあとも彼と別れることなく一緒に暮らしました。

はじめは娘の下着の汚れを疑問に思ったくらいでした。シミができるようになっていたのですが、それは小さい子でもよくあること。ただ茜のパンツのシミは感想してカリカリになっていて、まるで大人のような量でした

それでも早い子は5歳くらいでも自慰をしたりするので、1人でおいたしてるのかな…と思う程度でした。

あとになって分かったのですが、この頃、彼は茜のクリトリスや縦筋をパンツの上から執拗にこすり、自慰を覚えさせていました。「気持ちいい?気持ちいいんだろ?」という声も残っていました…彼は日付と茜の年齢を入れた動画を撮っていたんです。

まだ性教育もうけていなかったはずですが茜は「やだ、やだ」と小さな声で抵抗していました。でもあんなに濡れていたことを思うと複雑です。

次にもしかすると…と感じたのは茜の言動でした。おじさんもう来ないでほしい…と言った時には変な確信めいたものを感じました。

でも何かされているのかと聞いてしまうと、全てが崩れそうで何も聞かなかったフリをしてしまいました。

安定した生活をくれて、私の頑張りを見てくれる優しい彼が小さな子どもに手を出すはずがないって思い込んでいる方が楽だった。


でも茜が10歳になったときに、とうとう全てが崩れてしまいました。一緒に住むようになっていた彼のパソコンから娘の成長記録が出てきたんです。

自慰をさせられている7歳の茜。隣では彼が自分のものをしごきながらそれを見ていました。また茜の割れ目やそれを広げているもの。そこに顔をうずめている男の姿

大人のモノを口いっぱいに入れられて涙目になっているのにゆっくりとピストンしはじめて、男のものが小さな口を出たり入ったりしているもの。


8歳の茜。背後から撮っているのか男が股間に顔をうずめると小さな足の裏しか写っていないのですが、その足がビクンビクンと痙攣するように動いていました

まだ膨らみすらない胸に男のものをこすりつけられて、ただぼんやりと宙を見ている姿。学校の制服を着たまま、男のものをくわえている女児。

9歳の茜……。男の精子を口にためて見せている女児。自分の割れ目やクリトリスをカメラの前でさわっている。男がまた自分でしごいて彼女の割れ目に放出しているもの。膨らみはじめた胸を執拗に舐めている男の手は、女児の割れ目や包皮をさわり続けている。女児の体がくねくねと反応している。

10歳の誕生日をむかえる一ヶ月ほど前。「ぃたい、もうやめて、ぃだいよ」初めてに近い茜の声が入っているものは、貫通されているものだった。まだ未成熟な割れ目を広げて挿入した所で画像が切れて、三脚に固定したのかまだ体の小さな子に覆いかぶさり、うめき声をあげる男の姿が写っていました

そのうめき声の向こうには「ぃだい……たい……ぃだ…よ…」と何度も繰り返す小さな子どもの声。

「あかね、ちんぽが気持ちいいよ。あかねのマンコがよすぎて…」と話しかけてはうめき、腰をゆする男。この日3度ほどあかねを犯していた。

その後の映像も、全て挿入しているものでした。いやらしい音をたてて、男は激しくピストンし、男に比べるとあまりに小さな体は揺さぶられ、持ち上げられ、女児は女の汁を出していました。

月に一度くらいの頻度で私がいないときに虐待を繰り返していたようで、その映像全てを見ることはできませんでした。もちろん、裏切られたことに対する憤りや、母性がなくとも人として生まれる嫌悪感、そして自分に対する後悔と嫌悪感。

そういったものが襲ってきたのでどちらにしても、4年半の記録のすべてを見ることは精神的にも無理だったと思います。

そこで私は完全に壊れてしまいました。壊れる権利があるのは茜の方なのに、私が壊れました。錯乱し、過呼吸をおこし、薬を大量に摂取しました。そして1か月ものあいだ入院したのです。

その間は、彼と茜は二人きりでした。
月に一度の我慢だった茜には、辛い一ヶ月だったはずです。彼にとっては邪魔な私がいないのですから、天国だったかもしれません。

退院してから半年。
彼に依存していた私は、死ぬ思いで彼を追い出すことにしました。

私はまだ、茜が彼に性的虐待をうけていたことを知っているとは言えていません。



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