yasuさんこんにちは、まだ会計待ってます!任天堂スイッチでゲームしているチカの横で、続編が完成してしまいました・・・!!!!エミさんが一人で開店準備をしている日、その日は俺が朝早くから蕎麦屋にけしかけ、中出しをしてから通勤するという、うらやまけしからん、まっこと充実した日々が続いた。この生活を約1ヶ月少し続けたところ・・・。エミ「できちゃった・・・・♪」とラインが入ったのである。俺は心の底から嬉しくて「やった!エミちゃん、、、、ありがとう。。絶対に幸せにしていくね!」と返事をしたのである。そして・・・俺たちは、結婚に踏み切った。いや、デキ婚か。。。うん。でも、結婚したなんて簡単にいうけど、とても簡単な結婚だった。役所の人から、「おめでとうございます」って言われただけの、書類上の結婚式だった。金がないから結婚式もしていないし、ウェディングドレスを着た写真撮影すらしていない。情けないけど、、ただプラチナでもダイアモンドでもなく、たらシルバー925の指輪を買ってあげただけなんだ・・・・・。それでもエミちゃんは、「ありがとう・・・・」って大粒の涙を流してくれて、「うわああんーーー!!!」と泣きつかれた時は本当に俺は嬉しかった・・・。ただ、チカちゃんに「須藤さんがお父さんになるけどいい?」とエミさんが俺の目の前で聞いて、チカちゃんが、「ママが好きな人なんでしょ。だったらいいよ。」と、その答えだけで俺たちは本当の意味での最後の一歩を踏み出すことができたんだ。あまりにリアルな結婚の姿だった。婚姻届を出しに行く時もエミさんは蕎麦屋で働いていた。俺が単独で、まるで住民票をとりに行くような感じで一人で婚姻届を出しにいった。もちろん、俺の親もエミさんの親も反対した。年齢が離れすぎてる。出会い方が不自然と。(デキてることは内密にしてたからだが)だから俺たちはそんな両親を無視して、友人に保証人になってもらい婚姻関係を無理やり成立させたような節がある。そして、俺たちは、それぞれの両親からの猛反対を、溺愛のなせる無謀な行動で、結婚と同時に家賃6万円の3DKのマンションに引っ越すことにしたんだ。そこの時の俺にとって、まだ時期早々だったのが、カナちゃんとの関係である。これから思春期を迎える彼女にとって、俺の存在は彼女の成長に大きな影響を与えることだろう。俺は生まれてくる子よりも、、それよりもカナちゃんとの関係構築に力を注いでいった。口では、「ママが好きな人なら大丈夫だよ」とは言いながらも、子供ながらに気を遣ってるのはわかっている。俺はいつも仕事帰りにエミさんの5階だてのエレベーターのない住宅へと通い、たこ焼き、焼きそば、お惣菜などを差し入れて、カナちゃんと仲良くなる努力をしていった。そして、エミさんのお腹が少しずつ大きくなるにつれ、カナちゃんにも現実が見えてきたのかもしれない。。、気がつけば、「すどさんw」と須藤を略したニックネームで読んでくれるようになり。。。カナちゃんとも順調に関係を構築することができた。。のだと俺は思っているし、そうであってほしい。当時26歳のお父さん。当時38歳のお母さん。(もちろんナンネットに投稿する以上、多少の年齢は操作しているが)そういった年齢の離れた夫婦である以上、俺たちはどうやって子育てしていいのかもわからなかった。ただ。。。「お父さんとお母さんが仲良しで、子供たちに平等に愛情をそそげれる家庭なら、、、きっと何の問題もないはず」と俺たちは教育方針を決めたんだ。とにかく家庭医円満が第一。勉強や習い事なんて二の次。家族みんなで笑って楽しく暮らしていこう!っていうのを第一目的としていった。そしてどんどんお腹が多くくなっていくエミ。そして、お母さんを心配するカナ。俺は全力で支えていった。そして、無事に普通分娩で新しい生命が生まれたんだ。医者から、「年齢のことを考えて、帝王切開も視野に入れては?」と言われたが、エミの美しいお腹に傷をつけるなんて!と俺は反対し、そしてエミも反対した。そして無事に次女を出産。そして次女の出産と同時に、俺の両親とエミの両親が良好な関係を構築させるきっかけとなり、エミとその両親、そして連れ子のチカちゃん。そして俺の両親が一気に関係を深めていったのは、新しい生命の賜物であったのはいうまでもない。特にチカちゃんが新しく生まれた妹に対し、莫大な愛情を注いでくれたのは俺たち夫婦の中での想定外の出来事だった。俺たちは子供が生まれた、チカちゃんは嫉妬するんじゃないかと思っていたのだが、それを大きく裏切る嬉しい出来事であった。それからの俺は何とか、今の会社で昇進が生きまり、懲罰移動させられた身であるにも関わらず、史上最年少での「所長」という立場に立たさせてもらっている。もちろん、俺が懲罰異動させられて、ふてくされていた俺が所長になれるまで仕事を頑張れたのはエミの存在の他ならない。そしてチカの存在と、チカが命名した、「カナ」の存在もあってのことではあるが。エミは妊娠して、少しお腹が大きくなってから仕事を休業。そして完全に産休モードへ。(妊娠中の話は後述します)そして出産したすぐ1ヶ月後から、毎朝、搾乳してから蕎麦屋の仕事へと復帰していった。金のない俺たちには仕方のない選択であった。そして生まれたばかりの子供は、搾乳したエミの母乳と粉ミルクを使って、祖父母たちがたち入れ替わり孫の姿を見たさにこぞって手伝いをしてくれるからありがたい限りであった。それでも俺は毎朝、蕎麦屋に行くのはかかせない。。そして、、、「田崎エミ」ではなく「須藤エミ」と書かれた名札をつけた、カミさんの蕎麦を食べて通勤しているんだ。地元
...省略されました。