2025/01/18 12:03:51
(TNa/gvP8)
私と妻の出会いは母が亡くなった後のことで、二人の結婚生活もいつの間にか15年が過ぎました。
妻は田舎出身で、共通の知り合いの紹介で連絡がつくようになり、また同じ地域出身ということで何度かの電話連絡を経て会話がうまく通じるという感じを受けて初めての出会いが実現しました。
正直、妻は第一印象にしては外見は私の好きなタイプではありませんでしたが、とにかくその前に電話上言葉が通じた記憶がとても良くて出会いを続け、結局は結婚までゴールインするようになりました。
付き合い始めた時点で、私は妻が恋愛経験がほとんどない初心者であることを知り、恋人同士の関係処理や身体的接触面でも非常に不器用で保守的であることを知りました。
逆に私はそれなりに社交的で性関係にも積極的な方ですが弱い体質に支えられてなくて営みを十分に楽しめずに終わってしまう場合がしばしばあって惜しいと思う時が多かったです。
そうして何とか夫婦生活の活力を維持するために私なりにいろいろな試みをしながら妻の性的好奇心を刺激し、性に対して保守的な考え方と性的本能を起こそうとあらゆる力を注ぎました。
しかし妻はいつも新しい事を試みる私の欲求に疲れていて、この部分に関してはなかなか夫婦間の認識の差が縮まらず、私の望む円滑な営みが成り立たないので、私はそれなりに非常策を研究することにしました。
虎視眈々と機会をうかがっていたある朝、まれに女房が近寄って来て、私はわざとため息をついて拒否の姿勢を見せました。
いつも積極的に近付いてきて、営に執着していた私の不機嫌な反応に、妻は一瞬戸惑った表情を浮かべて、「何か悪いことがあったのか」と問い詰めました。
それで、ぐずぐずしながら私が幼い頃、両親の営み現場を目撃し、その時に経験した衝撃で心の中にトラウマができて早く終わらせるようになるという、とんでもない理由をつけて意気消沈した姿を見せると、妻は最初は驚いた表情をして慰めると言ってしばらく沈黙した後に何か決断を下したように私を眺めながら本人の心の中を打ち明けるようになりました。
妻の話によると、幼い頃のある日、家族全員が同じ部屋で川の字のように並んで寝ていた時、突然横から聞こえてくる母親のうめき声に目を覚まし、「お母さん、どこか痛いのか」と聞いたら、「早く寝て!」と怒られてビビったことを打ち明けました。
その日初めて大人たちの世界を認識し、幼い子供が介入してはならないことだということを学び、その日の記憶が成人になっても脳裏に刺さるほど鮮明に残るようになったそうです。
妻の話によると、妻の実家は一時、両親がイチゴ農場を経営し、義父は農場を経営する一方、趣味も多様で村で猟友会のメンバーとして活動し、体格は小さかったが筋肉質が堅く活動量も広く、一時もじっとしていられない性格の持ち主で、好奇心で若い頃、猟銃を扱っていたところ片方の目を大きく怪我して視力が大きく損傷したそうです。
話を戻すと農場を経営する時に妻の両親は夜間に泥棒防止の目的でいつもビニールハウスの隣りに常駐し、長女の妻がいつも母親が作っておいた料理を温めて、約束した時間にビニールハウスに用意された仮住まいに持っていくのが日常だったそうです。
問題は毎回、妻がお弁当を持っていくときに、たびたびあぜ道ですれ違う面のあるおじさんたちが目元に笑みを浮かべながら何かを暗示するように妻に「両親に何時まで行くと言ったの?」とか、あるいはハウスに着く前に外から「お弁当を持ってきました!」と必ず大きな声で叫んで!というような言葉をかけながらくすくす笑ったというものでした。
なぜ自分にへらへら笑ってそんなことを言うのか、その当時は知らなかったのですが、ある日、友達との約束がとられ、何気なくいつもより早くお弁当を作ってビニールハウスに行ったそうです。
仮住まいの外に到着し、いつも通り両親の部屋のドアを開けて入る瞬間、息を切らす音とパチパチと何かぶつかる音に立って音がする方を見ると、ドアの向かい側の簡易ベッドからズボンとパンツを下ろし、お尻だけ露出した父親と両足が宙を突き、一時的に顔は確認できない裸の女性と交尾する場面を目撃するようになったということです。
交尾真っ最中の2人は、誰が入ってきたのかも知らずに交尾に夢中になっていて、あまりにも赤裸々な現場を目撃した妻は、しばらく足に力が抜けて立ち往生する状況に置かれて、ぼんやりと見守っていたといいます。
そして、ほとんど裸の父の後ろ姿と見慣れた女性の正体が母であることに気づき、再び驚愕を禁じえなかった妻は、ようやく近所の大人たちがなぜそんなことを言うのか理解することができ、普段の真剣な雰囲気の姿と相反する親の一面を目撃するようになり、羞恥心に身震いし、吐き気までしたといいます。
ここまで話が一段落し、すこし本音を打ち明けた妻を、私は心の中で、一方では驚きながらも、一方では一緒に同調するように妻を抱きしめて十分に理解するというふうに慰めの言葉を投げかけました。
そして、ある程度情緒が安定した後、当時の目撃談の展開と細部の状況が知りたい私が妻にどこまで見たのかとほのめかすと、妻が気持ち悪いから、どうかこれ以上は聞かないでくれと頼み、一応変態な執着男に映るのではないかと思って、分かったとしながらも心の傷は全部打ち明けてこそ解決できるという話にもならないことを言って説得しようと試みました。
どうしても口にするのが大変だったのか、妻はしばらくためらった後、顔を赤らめ、その当時を振り返りました。
粘り強い説得が通じたのかまた話が続き、誰かが入ってきたことも知らずに交尾に没頭中の義父が後背位の姿勢で立った状態で往復で挿入する角度が合わなかったのか、オマンコに打ち込んだ状態でふらふらしながら簡易ベッドに上がり、義母をひざまらせ、頭をシートに突っ込ませた後、お尻を引き寄せて、義母がエビのように曲がった状態で乳房を揉みながら背中にうつぶせた姿勢で後ろから挿入を続け、二人の結合部位が完全に露出し、義父の揺れるキンタマと愛液がだら流れる義母のオマンコが妻の目にちらついたといいます。
ここまで言って疑問に思った私が親に気づかなかったのか尋ねると、妻が言うには入口のドアが二重に設置されていて、ドアの間に曲がった角度があり、中からはよく見えなかったといいます。
すべてを手放したように、妻は私が催促しなくてもそろそろ当時を思い出しながら話を続けました。
それで、女房はあまりにも大きなショックを受けて、その場に釘を刺されたまま凍りついて気づくことができるということも忘却して、そのまましばらく見ていたそうです。
続いて、半膝まで下げた下着が邪魔なのか、義父は中腰に突っ込んだ状態を保ちながら、片手で床に落ちたズボンとパンツを投げつけ、片手で義母の腹を引っ張って足を広げさせた後、さらに深く刺そうと上から突き刺す騎馬姿勢で、くい打ちを続けていったといいます。
妻の話によると, 外の天気が白い霜が降りるほど肌寒くなる晩秋なので, 仮住まいでは火鉢を焚いて暖かい 暑すぎて、たくさん動くと汗がだらだら流れるほどだったそうです。
それで一方では杭打ちを一生懸命しながら暑いせいか、上着をさっと脱いだ義父の細マッチョな体つきが火鉢の明かりに汗で油を塗ったように輝き、毎回突きつける度にオマンコから流れ落ちた愛液が義母の肛門を経て降りてきて布団がふんだんに濡れるようになり、いやらしい雰囲気をより一層アップグレードさせてくれたそうです。
妻がその場でびっくりしたのは、義父がまるでマシンのように速くピストン運動をしながら腰を動かしていて、簡易ベッドがきしむ音と肌がぶつかる音の不協和音で、変な拍子に乗って営みが進んでいたということでした。
当時の両親の様子を思い出し、妻はその時頭の中に浮かんだのは、町で野良犬たちが歩き回りながらお互いに目が合い、発情して交尾する光景を目撃した時を連想させる親の営みがとても気持ち悪く、胸がむかむかして顔が裂けるように熱かったといいます。
それで、気を引き締めてこれ以上その場にいることが望ましくないと思った妻は、熱い肉体愛を分かち合う親を後にして、こっそりと後ずさりしながらドアを開けて外に出て何度も深呼吸をした後、しばらく待って、わざと遠い所でどたばたと音を立ててから中に入ったそうです。
わざとドアを大きく開けて中に入った妻は、最初はベッドの方を見ずにお弁当を持ってきたと叫んだといいます。
すると、奥の部屋に設置された農機具を積んでおいた倉庫からタオルで顔を拭きながら出てくる義母が見え、後から義父が出てきて様子をうかがってみましたが、普段と変わらず行動しているように見えたといいます。
しかし、先ほど熾烈な肉薄戦を見た妻は、細かいところで熱気が完全に冷めなかった部屋の中の空気の熱度を感知し、ベッドの上の乱れた布団と目が若干解けて顔に紅潮を浮かべたように見える義母の頬が普段とはかなり違うことが分かったといいます。
その日をきっかけに、町の大人たちがなぜ自分にそんなことを言うのかを知り、閉鎖的で小さな町で大人たちの意地悪な下ネタに内心羞恥心を感じ、戸惑いを隠せなかったし、この全てが親のせいだと恨み、男女の営みを汚い行為と認識し、その延長線で夫婦の営みにも消極的に対応したと告白しました。
その日の会話があったせいか、妻も心の奥底に隠しておいた恥ずかしく思った過去の思い出が多少解消されたのか、もっと自分の身体の反応に忠実し、お互い営み中の快感を共有できるように努力する姿を見せました。
だからといって劇的に変わったことはないがお互いに理解して妥協しながら少しずつ変化を感じることができました。
そして、子供が小学校に入学した日、初めて義父母が我が家に招かれ、田舎から上京することになり、みんなで夕食をとることになりました。
久しぶりの出会いに、私たちは一緒に酒を飲み、妻は先に子供を寝かしつけに入り、それで義母も就寝に入り、最後に残った義父と私だけ杯を空にして、いろいろな話をするようになりました。
杯を持っていた義父がこっそりと奥の間を一度見て、真剣な顔で私を見て、こんな話をするのが適切かどうかは分からないが、「男同士だから聞いてみるよ、」と言いながら「夫婦の仲は大丈夫だろう」と言っていたので、私が「仲は良いんです」と答えると、義父が言うには「今日ちょっと時間を一緒に過ごしながら感じたことで、二人の言葉がよく通じ合って幸せそうに見える」と言ったのです。
すると義父が「私が聞きたいのはその他に夜の営みは」といって言い紛らすので、それに気づいた私が少し戸惑った顔をすると、義父が手をこすりながら「家内から聞いた話があり、一度男同士で聞いてみるように言われて聞いたの」と、言葉を濁しました。
それで私がぐずぐずしながら今の状況を説明すると、義父はにやりと笑いながら、「私があなた歳の時は毎日営みが絶えなかった」と自慢げに打ち明けました。
ここまで話が出た以上、私もこれ以上大胆になり、義父母は今も営みをしているのかと尋ねると、義父は躊躇なく「そうだ」と言って、「週に一度は合体をする」と言って、私は驚きと若干の羨望まで感じました。
そして60代半ばの年でも営みの円満さの秘訣をたずねると、「一日に2万歩以上早く歩き、鉄棒にぶら下がって懸垂運動を毎日する」など、アドバイスを並べたのですが、私が一番苦手なものを選んで、感嘆を禁じ得ずに実行に移すことの難しさを打ち明けました。
その日遅くまでお互いに率直な会話をし、お酒が一杯入った私は、眠りに付いた妻が「両親が来たからやめなさい」と拒否したにもかかわらず、酒の勢いでしつこくつきまとい、営みをしてしまいました。
夜遅くまで飲んだお酒で、朝起床時間が遅くなった私は、朝支度して起こしに来た妻の催促に、しぶしぶ起き上がって布団を片付ける中、シーツに染みついた昨夜の跡を見つけ、ちょうど開いた寝室に入っていた義母と目が合い、口元に笑みを浮かべて振り向く後ろ姿を、ぎこちなく見守るようになりました。
もちろん同じ空間にいた妻に義母が出かけた後、当然の小言を言われるようになり、その間にもう伝わったのか、出かけたら「昨日よく眠れたか? 」と、義父が明るく笑って聞く言葉に、私はネズミの穴でもあれば隠れたい気持ちまで聞きました。
そして、その年の夏の休暇シーズンに妻の実家の家族と韓国の済州島に遊びに行ったことがありますが、思う存分遊んで予約した民宿で下宿することになった時、義父母が部屋一間を使うようになり、残りの家族は居間で一緒に寝るようになりました。
早起きして準備を終えた私たちは、計画された次の日程を消化しようと義父母が出てくるのを待っていましたが、出てこず、妻が先頭に立って両親の部屋を叩いて「入るよ!」と通報すると同時に、入室の際に自分も思わず後をついて入ろうとした時に、方向を変えて戻ってくる妻とぶつかり合い、門前から入ることはできず、奥の間をちらりと見て居間に戻ったことがありました。
その後、旅行が終わって家に帰って二人きりでいる時、妻は、「あの日、ね、私が部屋に入った時、親がそんなことをしたように見えたよ!」と顔を赤らめながら話し、私も「えーほんとだの⁈」と驚きながら、その当時はそちらと結びつけて認識することはできませんでしたが、ふと見たことを振り返ってみると、義父は背を向けてベッドに座ってズボンかパンツをはいていたように見えて、義母は背を向けて横になって布団の中から顔だけ出していたようで、本当にいろいろな面ですごい方々だと感心しながら一方では羨ましい気持ちもありました。
今は歳月が流れ、息子も中学生になり、その間にコロナも重なり、5年余りの間、義理の両親と会えずに画像チャットだけで毎週安否を伝えるようになり、私も年を取るにつれてそれでも残った体力と性欲もだいぶ減退し、自ら営みを自粛する一方、妻は心の中のしこりが完全に解消されたのか、私と反対にいろいろな体位を試みながら積極的に要求してくることで困ることが多くなるという悲しい現実を目の当たりました。