2023/08/24 21:18:00
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遠い昔、昭和も終わりに近づいた俺が小学4年の時に両親が離婚、母
親が家を出ていった。
中学に入学してすぐ、今度は叔母が離婚して、一緒に住むようになっ
た。
叔母が母親のしていた家事を引き受けてくれて、家族のように過ごし
た。
河原で拾ったオナ用のエロ本をベッドの下に隠してたのを叔母に見つ
かったのをきっかけに、
「叔母ちゃんがやってあげるから…」
と最初は手コキで射精させられた。
当時13歳の中学2年生、自分以外の人に射精を見られる恥ずかしさに
震えた。
手コキは俺が帰宅して父親が帰ってくるまでの2時間の間に、何度も
何度もさせられた。
父親が出張だと、一緒にふろに入ってフェラ、その後、風呂から上が
っても勃起し続ける男子中学生のチンポは、コンドームをかぶせられ
てまたがられて童貞を卒業した。
当時俺14歳、叔母40歳だった。
その後、前戯の愛撫やクンニ、入れたチンポの動かし方、Gスポット
の責め方、全部叔母好みに徹底的に仕込まれた。
俺が高校生になると父親が単身赴任で週末しか返ってこなくなった。
こうなると毎晩激しい交尾が始まった。
この頃には、生入れ外出しもマスターし、コンドームを使わなくなっ
ていた。
40代の叔母と高校生の甥っ子、性欲最高潮の組み合わせは、学校から
帰って一発、風呂上りにクンニとフェラして一発、飯食って一発、寝
る前に一発と、一晩で4発かました。
土曜の昼頃、父親が帰ってくるから、土曜日は朝起きて一発かまし
た。
日曜の午後に父親が戻ると、もうやりっぱなしだった。
高校時代、年間1,000回はやってたと思う。
高校を卒業して大学進学で上京するころ、俺のチンポは叔母の愛液に
焼けて、赤黒い大人のチンポになってた。
セックスのテクも備わり、東京では臆することなく女を口説いた。
バイト先の人妻熟女をつまみ食いしたり、大学の先輩を喘がせたり、
後輩を誑かしたり、女子高生を処女から仕込んだり、やりたい放題だ
った。
俺は母親を追い出した父親とそりが合わず、帰郷せず、東京郊外の会
社に就職した。
地方都市出身の俺は、23区内に住みたいと思わなかった。
当時携帯電話は出始めで、就職して俺は手にしたが、実家には番号を
教えなかったし、盆と正月にも帰らなかった。
親戚に不幸ができると、アパートの電話にかかってきてて、留守録で
して帰省してた。
社会に出て、母親の行方を捜した。
興信所の力も借りて、仕事の合間に探し出し、神奈川県藤沢市にいる
ことが分かった。
恋愛にはまじめに向き合い、27歳で24歳だった嫁と結婚が決まったか
ら、そのことを伝えようと母親に会いに行った。
そこは、郊外に建つ西洋風の建物で、母親は再婚して新しい家族と幸
せそうに暮らしてた。
道路を歩き、塀越しに庭を眺めてたら、おそらくは母親だと思われる
五十がらみの女性と目が合ってしまったので、思わず、
「素敵なお庭ですね。」
「ありがとうございます。」
これが、実の母子で交わした最後の会話になった。
俺は、今の母親の生活に俺の居場所はないことを知ったから、
「さよなら、母さん…」
とつぶやいて、そのまま歩いてその家の前を過ぎ去り、帰ってきた。
俺28歳、嫁25歳で結婚して、20年が過ぎた。
一昨年に父親、そして今年叔母が亡くなった。
父親亡き後、叔母は実家に一人暮らし、一人で亡くなっていた。
俺は叔母を弔った後、休暇を貰って実家を整理した。
父親から相続したから、今は名義は俺になっているが、何十年もロク
に帰らなかった家だった。
俺の部屋は、タイムスリップしたようにあの頃のまま、叔母の部屋を
整理すると、俺に宛てた短い手紙が出てきた。
「あなたの母親は、私です。あなたは、兄と私の子供です。あの人に
は、悪いことをしました。私が嫁ぐためにあの人は犠牲になってくれ
たのに、ひどい仕打ちをしてしまいました。」
俺は、父親と叔母の子供だった。
ここでいうあの人とは、母親のことだと思われた。
叔母が嫁ぐために、母親が父と結婚したのだろうか。
俺は、いてもたってもいられず、20年ぶりに藤沢市にあるあの西洋風
の家を訪ねた。
カーナビが導いた住所は間違いなく母親がいた場所なのに、そこには
西洋風の家はなかった。
まるでキツネにつままれたような、そんな気分だった。
その時、そういえば俺が高校時代に父親が単身赴任してたのって、藤
沢市だったような記憶が蘇った。
母親と父親は、この街で密会してたのだろうか…
そして、俺は兄妹相姦で生まれて、そして母子相姦をしていたことに
なるんだと改めて知って、今ではどこにいて、存命なのかもわからな
い母親を想った。
「母さん…」
もう、二度と会えない育ての親に思いを馳せた。