2023/12/10 20:10:05
(EPsw7Xy9)
中学になって、自転車通学になった。
通学の途中に、父の妹である叔母夫婦が住んでた。
時々、帰りに叔母の家で休んで、ジュースを飲んだりしていた。
叔母夫婦には子供がいなかったから、俺はとても可愛がられていた。
中2になってすぐ、叔母の家に付く手前でタイヤが滑って転んでしまい、膝を擦りむいてしまった。
ズボンは破れはしなかったが、埃だらけになった。
「あら大変。ズボン脱いで、お風呂で傷を洗ってらっしゃい。」
と言われ、脱衣所で叔母の下着が洗濯籠の中にあって、思わず勃起してしまった。
とりあえず、パンツを脱いでシャワーで流した。
叔母は、俺がパンツまで脱いでるとは思わなかったようで、マキュロンを持って風呂場にきて、振り向いた俺の勃起を見て、
「あらやだ、ミツルったらどうしておチンチン腫れてるの?」
「叔母さんの下着見たら、つい・・・」
「あら悪かったね。無造作に置いちゃって。でもミツルも、子供だと思ってたら立派になって・・・本当にミツルのチンチン、大きいねえ・・・」
と言って叔母に握られた。
これはあと数年で昭和が終わる頃で、俺は中学2年になっても、オナニーを知らなった。
叔母に握られて、一瞬ひるんだが、気持ち良くて自然に腰が前後した。
「まあ、ミツルったら、腰使ったりして・・・」
この日、叔母にシコシコされて、初めて手コキ射精を経験した。
腰が抜けるh度気持ち良くて、二発抜いてもらった。
この日以来、学校の帰りに、叔母に抜いてもらうようになった。
そして、中2の夏休み、朝から叔母の家に行くと、夏の薄着の叔母が掃除していた。
多分わざとだったんだろうけど、かがむとパンツが見えるほど短いスカートを穿いてた。
叔母のパンチらに勃起してたら、叔母のておうぃ枯れて風呂場で裸にされ、叔母も裸になって、二人でシャワーで股間を洗った。
もう、中2チンポはギンギンに勃起していた。
叔母にフェラチオされて、その後叔母の手解きでクンニした。
初めて叔母のドドメ色のマンコ見て、鼻血が出るほど興奮した。
その後、コンドームが被せられて、叔母で童貞を卒業した。
俺14歳、叔母は41歳だった。
一発目はあっけなく1分で漏らし、二発目は3分、それでも勃起したままのチンポに3つ目のコンドームが被せられ、今度は5分持った。
夏休み、土日は叔父がいたから、平日は毎日叔母のマンコで三発抜いてた。
次第に慣れて、上達していき、夏休みが終わる頃、10分以上持つようになり、叔母を喘がせられるようになっていた。
夏休みが終わっても、学校の帰りに立ち寄り、叔母と一発だけヤッて帰っていた。
高校に行くと、帰りが遅くて、叔父が帰るまで1時間半しかなくて、玄関わきの客間で、俺も伯母も下だけ脱いでヤッてたから、叔母は学ラン姿の高校生とのセックスで、興奮していた。
高校1年の夏休み、叔母が安全日に生挿入させてくれた。
めちゃめちゃ気持ち良くて、蕩けそうだった。
射精前に抜いて、叔母の裸に射精した。
風呂で洗って、二回戦、三回線とこなした。
それ以来、俺と叔母はコンドームを使わなくなった。
高校時代に平静になり、空前の好景気の中、夏休みや冬休み、春休みには、前戯、クンニ、指マンや腰使いなど、生挿入になって以来色々と仕込まれた。
俺は、大学進学で上京し、一時的に叔母と切れた。
と思ったら、ゴールデンウィークに叔母がイベント参加で上京してきて、俺のアパートに5泊して、計30発くらいヤッて帰った。
そして、長期の休みで帰省するたび、俺と叔母はハメ合ってたが、俺が頻繁に叔母の家に出入りするのは控え、ラブホを使うようになった。
金はかかるが、ゆっくりと楽しむことができた。
叔母は27歳年上の熟女だから、大学時代の彼女も熟女だった。
大学時代の彼女は、バイト先のバツイチ女社長で33歳年上、叔母よりも年上の50代の閉経熟女で、五月みどり風のお色気熟女だった。
最初は可愛い大学生を誑かすつもりだったようだが、まだ大学生の俺が繰り出すクンニの舌使いや、指マンの技や、腰使いに驚き、大学の4年間、彼女にしてと言われ、そして、
「立派で大きいチンチン、凄いなあ・・・」
と言われた。
それでも俺よりはセックステクがある女社長に、更なるテクを仕込まれ、熟女キラーとなって、近所のスーパーのパートさんを誑かして、ヒーヒー言わせてた。
俺は、大学時代、女子大生とは一人も付き合わず、女社長をはじめ、パートさんや飲み屋で知り合った40代50代の熟女十数人とハメた。
そこで初めて知ったのが、俺のチンポはデカいということだった。
ハメた熟女さんはみんな口々に、
「うわー大きい。」
「今までで一番デカいわ。」
「これじゃ、はじめtの女の子は無理ね。」
と言われて、叔母が言ってた大きいは、大きくなっての意味じゃないと知った。
叔母は、俺の20㎝あるデカチンを独り占めにしたかったと知った。
俺は、熟しすぎて腐りかけた果物のような熟のにのめり込んでいった。
俺が大学を出て、郷里に就職を決めて実家に戻ると同時に、入れ替わるように叔母夫婦が海外勤務となってタイのバンコクへ旅立った。
もし、これが無かったら、俺はまた叔母と関係が続いていただろう。
俺は、地元に就職して、初めて同い年の女と付き合った。
彼女は、小中学校の同級生で、地元の短大を出て、2年先に入社していた。
就職して社会人になると、さすがに人妻OLとの不倫は出来なかった。
そんな時、
「ミツル君、ひっさしぶりー。」
と俺に声をかけてきた女がいた。
最初、誰だか分らなかったけど、名札見て思い出した。
彼女は、大人しくてあまり目立たなかったけど、大人びた雰囲気で「姉さん」というあだ名だった。
「あっ、姉さんじゃないか。」
と言ったら、
「もう、止めてよそのの呼び方~」
と言う彼女は、同じ23歳とは思えぬ妖艶な顔立ちだった。
暫く旧交を温めていたが、俺と彼女が仲良くしてるのを見た、彼女の元彼らしい男が、復縁しようと迫ってきて、彼女は何を思ったか、
「やめてよ。新しい彼氏の前で。あんたとは終わったの。」
と言うと、そいつは、
「ああそうかい。俺の使い古しの中古でよかったらくれてやらあ。あ、それからよ、そいつ、俺がハメた時にはもう処女膜なかったぞ。短大でやりまくったんだろうなあ。」
と言って、彼女に思い切りビンタされてた。
その日、落ち込む彼女を呑みに誘った。
「ミツル君ごめんね、勝手に彼氏にしちゃって。」
「いいよ、彼氏で・・・」
「えっ?」
そしてこの夜、彼女と初めて枕を交わした。
そして俺にとって、初めての20代女性だった。
彼女は、熟女と違ってピチピチで、一緒にシャワーを浴びても肌が水を弾いた。
メリハリのある体はムチムチでプリプリのスケベで艶めかしい身体で、ユルみが無く、乳も垂れて泣くつんと上を向いてた。
ビラビラも黒や紫ではなく肌色で、広げると奇麗なピンクの奇麗なマンコだった。
俺のクンニにもんどりうって、俺のチンポ見て、
「さっき、シャワー浴びてる時見てデカいなーって思ったけど、これ、入るかなあ・・・」
と言って舐めてた。
十分濡らして生で入れようとしたら、
「ちょ、ちょっと、そのまま入れる気?」
「ダメ?ちゃんと外で出すよ。」
こうして生で入れて、初めて20代のマンコを味わったが、熟女ととくに違うところは無かった。
マンコの具合は、年代の差よりも個人差が大きいことを知った。、
ただし、熟女のように自分から積極的に腰は降らなかった。
どうしても受け身で、俺が快感ゾーンを探して擦らないとならず、熟女のように自分から腰を揺さぶって快感ゾーンに当てることは無かった。
それでも、終わった後、
「なんか、セックスで初めてメリメリ感を味わった。なんだか、まだ入ってる感じがするよ。大きければいいってもんじゃないとは思うけど、一度これ味わったら、他には戻れないかも。」
俺は、同い年だけれども妖艶な顔立ちと艶めかしい身体の彼女と、毎週ハメ合うようになった。
そして、それから2年交際して結婚した。
今年、お互い50歳を迎え、銀婚式だ。
下の子も成人して、夫婦の時間も増えた。
ピチピチだった彼女も、円熟の旨味が滲む熟女になり、もともとっ熟女好きだった俺を悦ばせている。
50歳になっても彼女を求め、すっかり黒くなったマンコを愛してやると、
「おばちゃんになっても、可愛がってくれてありがとう。50歳でもあなたに抱かれてるとは、結婚した時は思わなかったな。」
と言うが、今が一番俺好みだとは、言えなかった。
まだ生理があるから、安全日以外は外出しだが、生理の時、デカチンを両手で扱いてくれる。
「私、こんなデカいので25年も夫婦生活してきたんだ・・・もう、メリメリ感もないし、置くにあたっても平気になっちゃった。私って、ガバガバなんだろうな。」
と言いながら、嬉しそうに射精を眺めている。
あの大人しかった地味な同級生が、妖艶な女になって、今、俺のチンポを扱いて射精させていることが、なんだか不思議だった。
今年、昨年亡くなった叔父を追うように、叔母が亡くなった。
77歳だった。
20年前に、叔父時の定年退職でバンコクから戻った後は、叔父夫婦は悠々自適の生活をしていた。
自宅にいることは少なく、日本中を転々と旅してたが、コロナ以降は自宅に籠るようになっていた。
俺は、叔母を初めての女として、送った。
叔母とは、中学から大学まで、何千回とハメていた。
もしかしたら、叔母のマンコもガバガバになってて、叔父がそれに気づいていたんじゃないかと思った。
遺言で、叔母の家は俺が相続した。
それは、以前から言われていたことだったから、俺たちはそれまで賃貸マンションに住んでたが、今年そこを出て、叔母の家に移り住んでる。
叔母の家には、思い出がたくさんあった。
脱衣所、お風呂場、幼かった俺がチンポを握られたっけなあ・・・
今は仏間になってるリビング脇の和室、ここでコンドームハメて叔母から女の手解き受けたっけなあ・・・
玄関わきの客間、ここで下だけ脱いで生ハメしたっけなあ・・・
俺はこれからの人生、叔母の思い出とともに、この家で生きていくんだと思った。
今、彼女をのたうち回らせるほどイカせまくれるのも、叔母が女を教えてくれたからだ。
在りし日の叔母を偲んで、叔母の思い出をここに記そう。