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レズビアン体験告白 RSS icon

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2017/10/05 11:02:52 (/7HCl/Cu)
かなり昔の話しなんですが。
私、現在五十路になったばかりですから、四十年くらい前になります。
記憶も定かでない、確か小四か小五です。
学校から家に帰る途中に、ボロいアパートがありました。
そのアパートに時々見かけ、私にニコニコ声かけるおばさんがいました。
会うとちょっと立ち話したりする程度、年の頃は多分、母と同じくらいか、ちょっと上かだと思います。
学校から家に帰る途中、スコールみたいな雨、私はずぶ濡れになりながら、ダッシュで家に急ぎました。
途中のアパート、そのおばさんに声かけられ、すぐ止むだろうから雨宿りしていけと、部屋に上げられました。
いつもニコニコの優しいおばさんですから、私は何の疑いもなく部屋に入り、濡れた衣服乾かすからと、私は脱ぎました。
下着も脱がされ全裸にさせられましたが、女同士だし、やはり疑うことなく脱ぎました。
つぎは風邪ひくから風呂入りなさいとなり、やはり風呂に入りました。
すると、服を乾かす作業してたはずのおばさんが、風呂に入ってきました。
せっかくだから一緒に入ろうね、みたいに。
おばさんは私の体をタオルで擦り、でも段々に素手で私の体、特にあそこを何回も撫でました。
子供心にもなんかおかしいな、そう思いましたが、雨宿りさせてもらい、服も乾かしてもらって風呂までいただいてる手前、黙ってされるがままにしてました。
私が黙っているからか、おばさんの行為はエスカレートしていきます。
私のペッタラ胸を触る、舐める、そしてキスまでされました。
これは完全におかしい、そう思いましたが、嫌だとか言えばどうなるか、ちょっと怖くて言えないのと、痛いとか、乱暴にするとかじゃないし、そのままにされてました。
私は立たされたまま、おばさんにキスされたり、胸を舐められたりされながら、指はあそこをこね回すを繰り返しました。
確か、気持ち良くないの?とか聞かれ、別にと私が答えると、まだまだ子供ねと、不愉快そうな態度をされた記憶があります。
浴槽に座らされ、足を開かれ、おばさんはあそこに口を押し当て、舐められました。
くすぐったいと私が足を閉ざすと、おばさんは我慢してと、また強引に足を開き、また舐めたんですが、私はくすぐったいの我慢出来ず、また足を閉ざすのです。
ダメねーとムスッした顔をしたおばさんに、私はもう帰らないとおばあちゃんが心配するといい、まだ生乾きの衣服をつけ、帰ろうとしました。
今日のことは誰にも言わない、言ってバレたら怖いおじさんがみかちゃんちにいくよ、半分脅しみたいなこと言われました。
誰にも言わないよ、嫌なこととか痛いことされたわけじゃない、ただ一緒にお風呂入っただけだよ、そう言うとおばさんは、ムスッした顔から、いつものニコニコ顔に戻りました。
でもおばさん、捕まりました。
別な子にもしたらしいのです。
私は特に嫌な思いじゃなかったから言わなかったけど、別な子は嫌だったのか、もっとエスカレートしたことされたか?
詳細は不明です。
656
2017/10/02 06:41:56 (joAHeQN8)
私の両親は中3のクリスマス頃に離婚しました。
私は受験勉強で忙しく、離婚の理由を詳しく聞かされないまま離婚してしまいました。
この頃の私は、生理が来てから色々と口うるさく言う母よりは、色々と言うことを聞いてくれる父が好きでした。
性的なものにも興味が湧いていない子供として父が好きだったように記憶しています。
お父さんがどうしても残って欲しいと懇願していたので、当然のように私は父の元に残りました。

母が家を出る時に、お父さんに内緒ということで、こっそり手紙を貰いました。
お母さんは、私に未練があるのかな?と思っていましたが、手紙の内容はクリスマスのお祝いが出来なくなったことのお詫びでした。
私を説き伏せるためのものじゃなかったので意外に感じました。
この時、お母さんの優しさを知りました。
手紙の最後には、お母さんの新しい住所、携帯の番号、プレゼントすると書いてあったパソコンのパスワードでした。

受験の方は、共学の進学校は受かりませんでしたが、家から近い、女子校は受かりました。

高校生にもなると、気持ちに余裕が出たのか、プレゼントに貰ったパソコンを使ってみました。
お父さんに頼んでネットにも繋いで貰いました。

お母さんのパソコンの中には、何もないくらいに削除されていて、お父さんとの離婚の理由があるものと思っていた私はがっかりしてしまいました。
仕方ないので、普通にネットで楽しんでいるうちに、GWの一ヶ月前にHなサイトに繋がってしまいました。
そこは男女のSEXを隠すことなく見られるサイトでした。
最初はグロテスクで目を覆うほどでしたが、抱かれている女性の恍惚とした顔がSEXは気持ち良いものだということを私に教えていました。それに誰も私がこんなサイトを見ているなんて知らないという気安さから、見る時間が増えて来ました。
こうして、急速に私は性的なものに興味が湧いて来ました。

そんな中、GWの旅行にお父さんと出かけました。
二人きりです。
お父さんになら、犯されても良いなと思っていました。
あまり知らない同級生や、学校の男の先生などと比べたら、私にとっての性の対象は実の父親になっていました。
2泊3日の内に結ばれると思っていましたが、ドキドキしただけで何もされないまま帰宅しました。

GWも少し残っていたので、お母さんの家に遊びに行くことにしました。
お父さんにそのことを言ったら反対されたので、仲の良い友達に電話してお泊まりに行くと言って家を出ました。
仲の良い友達には、口裏を合わせて貰って、お母さんの家に泊まりで遊びに行きました。

お母さんに遊びに行くと言ったら、とても喜んでくれました。
最寄りの駅まで車で迎えに来てくれました。

お母さんの家は庭の大きい家でした。
夫婦とも働きで仕事をバリバリこなしていたからか?とも思いました。
家の中は小綺麗でしたが、男臭さのない家でした。
父から母を奪った男が帰ってくるのか?と思ったら気が気じゃありませんでしたが、帰って来たのは女性でした。
それもボーイッシュなキャリアウーマンって感じの人でしたが、話して見ると気さくでサバサバしたところのある女性でした。
その人は絵里さんという名前でした。
私の母は、祐奈といい、絵里さんの方が年上らしく、母のことは祐奈と呼び捨てしていました。

夕ご飯の頃になると、食卓には4人分の食事が用意されていました。
誰がくるのかと尋ねると、絵里さんの教え子が来るとお母さんが教えてくれました。
絵里さんは高校の先生だそうです。
程なくすると、夢ちゃんと呼ばれている女子高生が来ました。学年は2年生でした。
この庭の大きい家はお母さんと絵里さんが共同で買った家だそうです。
お互いに得意なことを補って生活しているとまで教えてくれました。
大きな家なのにそれで、男臭さがまるでないことに納得できました。
でもただの共同生活ではありませんでした。

夕ご飯も終わり、夢さんがお風呂掃除に行くと、程なくして絵里さんが手伝いに行くと言って席を立ちました。
しばらくお母さんと話をしていましたが、夢さんと絵里さんは帰って来ませんでした。
私はトイレに行きたくなったので、トイレの場所を聞いてトイレに行ったのですが、お風呂場の近くを通ったとき、艶かしい声がお風呂の中から聞こえて来たので、そっと更衣室のドアを開けたら、ガラス越しに浴室の中で二人が裸になってキスをしていました。
夢さんの背後に絵里さんが回ると後ろから夢さんの口を吸って、夢さんの胸を揉みしだいていました。
絵里さんがふと目を開けて、私と目があった気がしたので急いでトイレに駆け込みました。

私は信じられない気持ちでいっぱいになってトイレの個室で濡れているあそこに気がつきました。

前置きが長くなってすみません。
続きは次回に書きたいと思います。



657
2017/09/25 20:43:54 (ciOh9HXh)
泣きべそかいちゃうくらいに、今日は、ヘンにして下さいとお願いしたら、両方の穴で泣かされてきました。
54歳、バツイチの瑞恵さん。週に何人かは、お家に出入りしてる女性がいるみたい。その内の1人に私も選ばれました。
メールのやりとりを3ヶ月。ようやく今日、お宅へ。
小さな一戸建てなのに、落ち着く空間。プレイルーム、ありました。赤と黒で、いやらしく、お洒落。
すぐに、オマンコとアナルをお見せする。画像を何枚も送るよう毎日言われていたので、いきなりでも平気。瑞恵さんに、おまかせします、血が出ない程度なら、受け入れますと。
ベッドで、手足も拘束されないまま、キス。瑞恵さんも、食べたくてたまらなかったみたい。すぐに、毛の無いオマンコの味を。同時に私も瑞恵さんのオマンコを奉仕させられる。冷たいゼリーを垂らされた、、、クリトリスに押し付けるように塗る、オマンコに、アナルに塗る。あっ、熱い、ホットな奴だと思ったら、ジーンジン、どうにかして欲しくてたまらなくなった。
瑞恵さん、熱い熱いよ!
ゆり子、めちゃめちゃにされたくて、今日の日が待ち遠しかった。瑞恵さん、ゆり子壊れたい、、、
瑞恵さんが、再びキスしてくれた、用意してあった、オマンコ用、アナル用の玩具が同時に、ゆっくり焦らされながら、入ってきたが、焦らされ過ぎて、ゆり子は自分から挿入してしまいました。あら、いやらしい娘。
瑞恵さんは、態勢を整え、太いアメリカンサイズの玩具で、2つの穴を激しく苛めてはじめました。アナルは、今までに感じたことない、穴の広がり感、オマンコも休むことない動き、もう失禁しても、してもまだ漏らしてしまう、はしたない下半身。アナルが広がり、ウンチが出そうな感覚になったと思ったら、太いのに変えられ、オマンコも電マを当てられました。クリトリスには刺激が強すぎるのですが、抵抗もせず、だらしのない、陰部を瑞恵さんにさらけ出しています。クリトリスが取れそうになると同時にお尻の穴とで同時にイキ果てました。
少し失神。水分を摂り、瑞恵さんが優しく抱きしめてくれ、まだまだ瑞恵さんの玩具にしてくださいと、お願いしました。
毎日来て欲しいとまたキス。今日は、お尻の穴が壊れてはいけないと無理せずに帰宅しました。ああ、明日からが楽しみです。
658
2017/09/13 00:01:54 (XMGmatjT)
最近はセクシャルマイノリティの人が経験を語り合うことも珍しくなくなって来ましたが、さすがに姉妹での体験、しかも今も継続中となると、引かれたりお叱りの声を受けてしまうので、たまにこうしてネットで告白をしています。
特に、トラウマとなっしまった経験も話に含まれてしまうので…


私には双子の姉がいます。
双子といっても、二卵性のため、顔は全然似ていません。
というよりむしろ、容姿も知性も全て姉に吸い取られてしまったのではと思うほど、幼少の頃から姉は美しく、おまけに成績も学年トップクラスで、私は常にコンプレックスを感じていました。
いつしか両親も、あからさまに姉の方ばかりに関心を向けるようになって行きました。

そんなこともあり、何かと私に構おうとする姉に対し、私の方はむしろ姉に敵対心にような感情さえ抱くようになっていきました。
一応、思春期を迎えた頃にはあからさまに姉に悪態をつくようなことはしなくなりましたが、心の中では姉へのコンプレックスが渦巻いていました。
双子でありながら、スクールカーストの頂点に立つ姉と、クラスでも地味で目立たない自分の落差に惨めさを感じていました。

そんな二人の関係に転機が訪れたのは、高校受験を間近に控えた時でした。
姉が私に思いつめたような表情で「ずっと好きだった」と告白をしてきました。
手を震わせ、わずかに紅潮した姉の表情を見て、それが家族愛を意味するものでも、冗談でもないということは一目瞭然でした。
最初は嫌悪感のような感情さえありましたが、あれだけ嫉妬していた姉が冴えない妹である私にそれほどの執着心があったということが不思議で、徐々に姉の気持ちを受け入れるそぶりを見せるようになりました。
姉に請われる形で人生初めてのキスもしました。
私と違い、学校中の男子に憧れられている姉が、なぜ彼氏を作るそぶりも見せないのか、ようやく理解しました。

そんなある晩、隣室で寝ていたはずの姉が私を起こし、寂しいから私のベッドで一緒に寝かせてくれと部屋に入ってきました。
まだ私が姉に苦手意識を持つ前、本当に幼い頃には一緒に寝ていたものですが、およそ10年ぶりの一緒のベッドでした。
私は拒みこそしなかったものの、緊張と驚きでなかな寝付けずにいました。
そんな時姉が、「まゆちゃん、エッチしたい」と震える声で囁きました。
告白の時と同様、真剣で有無を言わせないような声色に、私の鼓動は一気に高まりました。

動けずにいる私に、姉は我慢ができなくなったのか、いつも以上に濃厚なキスをすると、やがて私のパジャマを脱がせ、下着の中へと手を伸ばしてきました。
私が抵抗しないのを同意だと思ったのか、いよいよ本格的なセックスへと発展していきました。
下の階では両親が寝ていたのですが、緊張のため、姉の指が私の性器に触れても、声が漏れることはありませんでした。
その時の気持ちは本当に不思議でした。
女優かアイドルかのように整った顔立ちの姉が、暗闇の中でその自慢の顔を私の性器へと埋め、子犬か猫のように舌を使う姿に、なぜだか感動すらしていました。
本当にこの人は私が欲しくて仕方ないんだなと。

ここまで読んでお気づきかと思いますが、姉はすでに同性とのセックスを経験していました。
相手は30代半ばの保健室の先生。あまり縁のなかった私の記憶では曖昧ですが、美人で年齢よりも幾らか若々しい人だったと記憶しています。若々しいとはいっても、当時の私たちにとっては母親のような年齢の人です…。
数ヶ月ほど、その先生と肉体的な関係があったようなのですが、私への思いが断ち切れず、泣いて捨てないでくれという先生に別れを告げ、私への告白に至ったそうです。
随分と後になって知ったことですが。

その夜から、姉は私への欲望を隠さなくなっていきました。
両親の目を盗んでは私の部屋に入り込み、あるいは、私が一人でお風呂に入っているとそこに入ってきて、私の身体を求めてきました。
実は、成績優秀な私の姉は他県の有名な進学校へ、私は地元の高校へ進学することが決まっていたので、今のうちに少しでもと、私との関係を深めておきたかったのかもしれません。
そして、そんな姉とのセックスを拒まなかった私も、レズビアンの傾向がもともとあったのかもしれません。現に、成人した今も、男性とは付き合ったことはおろか、好きになったこともありません。

やがて春が来て、私も姉もお互いに進学すると、離れ離れの生活が始まりました。
離れて暮らしていても、私よりも姉の心配ばかりする両親への反発もあり、私は外の世界へ刺激を求めました。
引っ越しで残された姉のパソコンを使い、私の住んでいた街のレズビアン向けのサークルを探して、オフ会へと参加することにしました。
そこで出会ったお姉さんたちはとても素敵な人たちばかりで、サークルでもダントツで幼い私は、みんなの妹のように可愛がってもらいました。
また、男性の同性愛者の方との交流の機会もあり、そこのお兄さんたちにもやはり可愛がってもらい、悩みを聞いてもらったりもしました。

そんな風に充実した毎日でありながらも、サークルのお姉さんたちから恋愛対象として見られないことへの不満も高まっていきました。
ある時、サークルのメンバーの中でもとびきり美人の30代の女性から声をかけられました。
その人はたまにサークルに顔を出していたのですが、他のお姉さんたちからは嫌われていました。
「まゆちゃん、あの人には気をつけてね」と名指しで批判する人もいたほどです。
サークルのお姉さんたちから伝え聞く内容で、どうやらセックス(というか乱交)目的のグループを立ち上げているようでした。

「気をつけてね」というお姉さんたちの忠告が頭によぎったものの、寂しさと若さゆえの好奇心には勝てず、その人の誘いにまんまと乗ってしまいました。
結論から言うと、1度目の顔合わせの後、2回目に招かれた会合で、私はセックスグループのメンバーたちによってレイプされてしまいました。輪姦という表現が適切かもしれません。
そのグループは当然ながら女性だけのグループでしたが、年齢はだいたい30代前半が中心で、中には主婦もいました。
女たちは代わる代わる私の性器に指を入れ、舐め回し、私にも同じことをさせ、最後には順番に貝合わせをさせられました。

男性向けのアダルトビデオなどでは、貝合わせといったら、お互い仰向けになって足を交差させるような体位だと思われていますが、実際には、異性同士のセックスの正常位に近い形で、上となった女性が体重を使ってお互いの性器を刺激するような形です。
あの時の不快さは今でも忘れられません。
好きでもない女たちの体液と自分の体液とが混じり合う不快感。
ヘアを処理した後のジョリジョリっとした感触。
逆に、相手の濡れたヘアが自分の性器に擦れる感触。
そして、そういった不快感とは裏側に、快感もまた同時に感じてしまっていること。
全員の相手をようやく終えた時、私の精神は自失呆然となっていました。

そんな私をクスクス笑いながら、行為の最中や直後の様子をデジカメに抑え、女たちは「次も楽しみにしているね」と言ってきました。
女たちが怖かったからなのか、それとも、姉とのセックスが失われた隙間を埋めたかったのか、今となっては自分でもわからないのですが、抵抗することもなく、私は女たちの会合にほぼ毎週参加しました。

印象的なのは、自分以外のメンバーでは最年少だった20代半ばの大学院生からひどく忌み嫌われていたことです。
彼女はまさに、学生時代に私と同じような方法でグループに無理やり加えられていたにもかかわらず、数年経った後には完全に心まで女たちに支配されていたのか、毎回皆に玩具にされる立場を私に奪われたことが気に入らないようで、私のことを「便器ちゃん」と蔑んでいました。
私が参加するようになってから半年ほど経った時、大型の所謂バイブレーター(形状も大きさも速度も、ほとんどドリルのような形でしたが)を持ち込んできて、拘束した私の性器に固定して、10分間に何度イクか(or失神するか)という卑劣きわまりない遊びを考え出したのも彼女です。
白目を剥き、ヨダレを垂らした私の写真を嬉しそうな顔で何度も見せつけてきました。

結局、そのグループとの関係は卒業まで続きました。
最初に加わったレズビアンサークルのお姉さんたちとは、忠告を無視してしまったことへの負い目や、とても相談できるような内容ではなかったということもあり、すぐに足が遠のきました。
もちろん、同級生や家族にも言えませんでしたが、たまに帰ってくる姉だけは、私の様子や身体がだんだんと変わっていくことに気づき、私の肉体を求めながらも、「他に好き何とがいるの?」と何度もしつこく私に聞いてきました。
姉は前述の保険の先生との体験を教えてくれましたが、私は秘密を今に至るまで姉に話していません。

卒業後、姉は都内の有数の名門私大へ進学し、私は都内の企業へ就職しました。
当然のように、姉は私との同居を求めてきました。両親としても少しでも経済的な負担を抑えたかったようで、私たちは3年ぶりに同じ場所で暮らすことになりました。
学生と会社員ということで、なかなか生活リズムが合わないこともありましたが、両親の目から自由になったことと、3年間離れ離れになっていた時期を取り戻したかったのでしょう、姉は私の身体を執拗に求めてきました。
その頃、姉は私との関係は伏せながらも、都内のレズビアンの人たちと交友するようになっていました。
しかし、大学の仲間やレズビアン仲間からどれだけチヤホヤされても、私を一途に慕い続ける姉の姿に、私も次第に姉に心を開くようになりました。

あれから10数年、二人とも結婚適齢期を超えましたが、今も同居生活は続いています。
姉は大学卒業後に大手の総合職として就職し、今や中間管理職です。私は恥ずかしながら、どの仕事もあまり続かずに点々として、今は派遣をやったり、仕事をしない時期は専業主婦?のようなことをしています。
学生の頃と同じように、姉と私との社会的な地位の格差は広がるばかりですが、姉の方はそんなことには気にも留めず、私を求め続けてきます。
むしろ、仕事でのストレスが多いのか、疲れや体力の衰えもあるにもかかわらず、30を過ぎた頃からセックスの回数は急増したままです。
両親は私にはほとんど連絡しませんが、姉にはしょっちゅう「仕事もいいけど、そろそろいい人を見つけて孫の顔を」と催促してくるようです。
まさか、自分たちの双子の娘が、毎晩のようにお互いのアソコを舐めあっているなんて夢にも思いませんよね。

長文失礼しました。
659

目撃

投稿者:ひろ
削除依頼
2017/09/12 15:22:51 (xIgW02DI)
初めてのスレです。つい最近の事です。山手線のU谷駅から女子高生の二人が手を繋いで乗って来ました。車内はさほど混んでもいないで、二人ははじっこに一人座り一人は立っていました。しばらくすると立っていたほうが大きな紙袋で自分の下半身を隠すようにして座っている娘の膝の上位に持っていました。私も可愛い娘が好きでその様子を見ていたら、座っている娘の右手が微妙に動いているのです。これはもしやと思い少し斜め後ろから見える位置に移動してじっとみていると立っている娘の太股をゆっくりと嫌らしく撫で上げてそのままスカートの中に入って小刻みに右手を動かしていました。私もだんだん興奮してきて濡れてくるのがわかります。立っている娘は目を閉じうっとりし座っている娘は左手で自分のスカートの上からおまんこ当たりを摩っていました…続きがありますがまたスレたてます
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