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少女との体験 RSS icon
※フィクションです真似をしないように

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2021/02/28 19:54:35 (KSx.FtOR)
定年退職してからも、継続して5年間嘱託で勤務した会社を昨年退社した。
合計42年間お世話になった会社を去るとき、ロッカーを整理した荷物を詰めた通関箱の中に、百数十枚の写真があった。
それは昭和50年代後半に撮影された猥褻なモノクロ写真で、当時昵懇にしていた写真屋にネガにしてもらったものだ。
カラー写真はプロしか現像できなかったが、俺はモノクロ写真を現像する設備を持っていた。
しかし、フィルムをネガにするのはプロに依頼しなければならなかったので、付き合いがあって信頼できる写真屋に依頼していた。
まだデジカメが無かった時代、街にはたくさんの写真屋があり、俺はネオパンSSというモノクロフィルムで猥褻写真を撮影していた。

その猥褻写真は、半分以上が当時の社長の依頼で俺が撮影したものだ。
愛機ニコンF3で撮影したその写真は、かなりヤバイ写真だったから、現像後にはネガは処分していた。
ロッカーに残っていたものは、出来が悪くて社長に渡せなかったものだった。
それも40年近く経過して、黄ばんだりセピア色になっていた。
社長はいわゆるロリコンで、赤貧家庭のローティーン娘を金で買って、純潔を散らし、猥褻な行為に耽っていた。
その様子を若かりし俺が撮影していたのだ。

年端も行かない十代前半の女の子が、昭和の香りがプンプンするセーラー服を着せられ、やっと生え始めた陰毛の下の恥裂をめくられ、辱めを受けている写真ばかりだ。
幼くても凌辱の快感に濡れ、表情は虚ろになり、やがてまだ一筋の恥裂には社長の赤黒いイチモツがめり込み、幼膜を引きちぎられるのだ。
ファインダー越しに見ているから耐えられたが、あの悲惨な場面は直視に耐えがたいものだ。
中には、そのセーラー服でさえ大人過ぎに見える少女もいて、おそらくは小学女児だったのではないかと思う。

昭和50年代後半、金と権力のある社長が、幼さと可愛さを持つ少女を汚辱した写真。
お互いに無いものを補うために交わり合うその様子は、愛は無いがお互いに有益ではあった。
一人の少女はほぼ一年で社長の元を去った。
残っている写真でも8人の少女が社長の毒牙にかかって、幼膜を散らした。
幼い少女も社長に一年間凌辱されると、社長のイチモツの抽挿に喘ぎ、悶えるようになった。
幼いセーラー服少女が、アヘ顔晒した痴態を見せるようになると、社長の興味が失せてお払い箱になっていた。

少女折檻に淫情をたぎらせる社長との付き合いは4年、合計8人の少女を撮影した。
純真無垢な少女も、被虐快楽に染め抜かれていけば、ヨガり啼くようになった。
セーラー服姿で縄をかけられ、被虐オルガに泣き乱れる少女肉奴隷だった。
疼き濡れた恥唇を剥き広げ、発情恥穴は電振バイブさえ締め付け濡れた。
可憐な美少女は、容赦ない凌辱の嵐に、セーラー服の江梨をはためかせながら乱れ狂った。
その中でも、最も美少女だった女の子は、社長の元を去った5年後、高校を卒業して、菊池桃子のような美少女となって私の前に現れた。
セーラー服姿で屈辱の責めを耐え忍んだ精液家畜へ堕ちた美少女は、21歳で私の妻の座へ納まった。
これが、俺の妻が一回り年下の美人である所以だ。

俺はあの写真をすべて焼却処分した。
あの中には、セーラー服姿の中二の頃の妻の痴態もあった。
あの痴態は、今は俺の脳裏にだけ存在する。
十三歳の純潔を散らした妻の思い出は俺だけのものだ。
976
削除依頼
2021/02/27 14:46:29 (2szPzBUm)
かなり前のことですが、銭湯に行ったときふっくらと胸が膨らんでいるS4くらいの子が男湯に入ってきました。
お父さんらしき人の後ろについているんですがキョロキョロと周りを見ていて何かを探しているような見方です。
露系の俺はチャンスとばかりその子を目で追ってるとお父さんがサウナに入って1人になったときバッチリ目が合いました。
ヤバイかなと思い目を逸らすとその子が湯船に入ってきて俺の隣に座り、「お兄さん、私のこと見てた?」と笑顔で話しかけてきたので、「いや、別に見てないけど、いくつ?」と聞くと、「10歳、お兄さん、ヤラシイ目で見てたでしょ」とまた聞いてきました。
「うん、だって胸もあるし、恥ずかしくないの?」と聞いてみると、湯船の中を覗き込んで「別に、それよりお兄さん勃ってるの?、私見て勃ったの?」と。
エライ事聞くなと思ってるといきなり手が伸びてきてムスコをグッと掴んでくるではありませんか。
それも顔は向こうを向いて知らんぷりしながら掴むだけでなくシコシコと上下運動まで。
そして、「私のおまんちょも触って良いよ」と囁かれ、ツルマンに指入れまでさせてもらい、結局入浴客には申し訳ないんですがそのまま放出してしまいました。
女の子は湯に浮かんだ白いモノを見てニヤリとしながら出ていき、俺も後ろにあった洗面器で見えてるものだけでもすくって流してムスコが収まると出ていきました。

977
2021/02/24 07:44:01 (UbObv6RQ)
20年以上前の話しです。
高校に進学が危ぶまれる位に私生活が荒れていた時期に、学校の帰りに車から声をかけられました。
田舎という事もあり、地元の人では無い事はわかりましたが、怖そうな若い感じではなく、おっさんだったこともあり気の緩みから話しを聞いてしまいました。
見た目も茶髪でスカートも短い見た目から、よく金銭の絡んだ話しをされましたが、普通に断っていました。
おっさんからも金銭の話しだったので断ろうとしたら、普通に撮影させてくれてるだけで、かなりのお金をくれるというので、バカな私でも疑いましたが、今までに無い話でもあり興味を持って話しを聞いてしまいます。
そのうち丸め込まれ、裏山の幹線道路近くのホテルで、おっさんが持っていたビデオカメラで撮影されました。
服も脱がずに撮影して、ホントにお金も貰え安心仕切った私は、おっさんとの別れ際にまた会う約束をしてしまいます。
978
2019/01/26 10:11:07 (c4fHFB3M)
仕事休みの今朝7時半前、「ピポン、ピポ~ン!」
「ん? 誰だろ?」分譲高層マンションの角部屋の玄関を開けると、つい先週、家庭裁判所での家事調停で別居が成立した家内(32)に引き取られたはずの絵美(小6)と沙良(小5)が、これから日曜参観らしく制服姿で「パパ、お早う!」「パパのオチンチン、元気~ぃ??」「ねぇ、見せて~ぇ!」と、続けざまに "黄色い声で挨拶" してくれた。
 その一言で軽く勃起させられた私(34)は「だったら、絵美ちゃんも、○○コ(性器)見せてくれなきゃ…。」「それじゃあ、絵美もパパに見せて上げるから、奥のお部屋でパパのと見せっこしようよ!」「アッ、パパのチンポ、どんどん大きくなって来てるぅ…。」「ほら、絵美の、見えるぅ??」父であるわたしの顔を遠慮気味に跨ぐなり、紺色の吊りスカートの前を両手で捲り、そのまま少し腰の位置を下げてガニ股の姿勢で性器を割り広げてくれたが、それでもまだ縦スジの中身までは、完全に観ることが出来ないと自ら悟るや、大胆に両手で捲り上げたスカートのすそから利き腕である右手だけを離し、その右手を器用に使って貝のようにピタリと閉ざされたその縦スジ一本のキレイな割れ目の中に潜むピンクの具を、白無地の小学生パンツごと股布のクロッチを中心に片側にズラして開いてくれたお蔭で、ふだんは観たいと思っても中々観れないでいるつまようじ大でしかないカワイイ尿道口や処女膜、そして包皮の下に隠れていた陰核亀頭までもが、私の視界に、ようやく収まった。
 相前後するかのように、年子の次女(沙良)の手でもって、34歳の父親のパジャマのズボンが、トランクスと共に子供の力だけで脱がされて行くのが判る。
 小5で10歳の沙良は「この元気なパパのオチンチンで遊んでいい?」と、まるで小悪魔のように可愛くたずねてくれた。
 「じゃあ、沙良、好きにしてイイよ!」と言い終わらない絶妙のタイミングで、しばし手コキしてより一層ペニスを昂らせてから、「チュポッ!」と、バキュームフェラを入念かつ熱心に施してくれるお利口さんの女児に育って来ていて、思わず嬉しくなる。
 一方の長女絵美(11歳の小6)はというと、「ねぇ、パパ、全部観えてるぅ?? ビデオとかカメラで撮っても絵美は構わないよぅ…。」と言ってくれて、日頃は離れて暮らすように成った親としても、まったく申し分が無いくらい好く出来た娘である。その言葉に誘発されるが如く、高精細な4K動画まで余裕で撮れるソニーのFDR-AX700を、言い出しっぺの絵美ちゃんに取って来てもらいたい気分に成り、性器の見せっこと私の鼻先へのこすり付けとを一旦中断し、同室のウオークインクローゼットへと向かわせることにしたわたしの息子に、沙良の下の性器が騎乗位でゆっくりとしたペースながらも、小5少女なりの正確な位置決め精度に基づいて「ニュルリ!」と、あたかも自動的に挿入され、「ヌチャッ、ジュボッ、クチュッ…!」と、実年齢不相応な挿抜を、避妊具不使用の状態で開始し出したのだった。
979

夏目漱石

投稿者:杜の都 ◆a65fwEPyzc
削除依頼
2021/02/10 15:34:56 (OxPGid3P)
昔の話ですみません
大学を卒業して都内の会社に就職して5年目の夏
父親が元気なうちに家業を継げということになり6月末で退社
9月から自営業役員、7~8月は自由にさせてもらうことになった
世の中はバブル崩壊が始まりポケベルが全盛期、携帯は金持ち位しか
もっていなくて、厚底のアムラーが大流行してた
俺は、人生最後?の長期休暇を過ごすプランを立て、まずその手始めに
7月初旬から仙台の叔父の所へ
居酒屋・スナック・風俗店を数店舗のオーナーで、バブル期に相当な財産を
築き上げたちょっとキケンな香り漂う当時四十代後半の実父の弟だ
比較的、健全な日の当たる場所で生きてきた俺は世の中の闇というか、暗い部分を
ほとんど知らず、実家へ帰る前に社会経験として夜の商売を見ておきたかったのだ
市内の中心部?繁華街のビルの一室に以外にもキチンと事務所を構えていた
住まいにはアパート一棟丸ごと社員寮の一室を貸してくれた
仕事は人事にw 人の出入りが激しい業界で、毎日面接が来るし、毎日辞職者もいるw
スナックや風俗の嬢に関しては荷物そのままで失踪みたいなのも多かった
募集は新聞の三行広告や折り込みの求人広告に載せたり、
街頭でのティッシュ配り、キャッチなどもやっていた
そんな生活慣れてきた確か平日四時過ぎ頃、一番町の三越~虎横入口付近で初めてティッシュ配りをした
(時給¥1,500~簡単な接客のお仕事です)みたいなチラシ入りのモノだった
その通りは夕方六時までホコ店で、ロッテリアの前に合ったベンチにティッシュ入りの段ボールを置いて
道行く女の子に配っていた
手持ちがなくなりべんちへ補給に戻るといかにもアムラーっぽいJK二人がベンチに座ってジュースか何かを
飲んでいた
特に気にもしないでプラ製のカゴにティッシュを入れていると「一個ちょうだい」と言ってきた
「はいよ」一つ上げると二人でチラシを読んでいた
カゴ詰は出来たが、少し休もうと思って、ロッテリアでアイスコーヒーを買ってきた
ベンチへ戻ると「おにーさん、ここ紹介してよ~」と二人が話しかけてきた
「紹介してって、俺、この会社の人だよ」「エ~!バイトじゃないの?」「こういう現場も知らないとな」「へ~」
なんて会話を交わした
「ね、マジメにさ、雇ってよ!8月に北海道行くんだよね、ウチら」「¥650の居酒屋なら」
「え~っ!¥1,500~じゃないの~?」「それは、18歳以上のコ向け お子ちゃまには出来ないよ」
「え~っ!、エッチ系?歳ごまかしてやれない?」「スナックだよwお酒飲めないでしょ?エッチ系は¥3,000~」
「お酒は苦手だけど、ウチら、フェラ上手いよ」「だから、年齢がだめなんだってば」
援助交際が流行り始める直前の頃、淫行はさほど騒いでなかったが、18歳未満を雇う事だけは厳禁でした
「なんなら、ウチらのフェラ、試して!」「じゃ、デパートノトイレで、5分ずつ、俺をいかせたらとりあえず夏目一枚」
「うん、いいよ~」「けど、おにーさん、2回出る?」「ホントに上手ければいくよ」

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