性的虐待体験
1:昔は貧しかったから仕方なかったと思うこと
投稿者:
美穂
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こんばんは
よかったです子供授かってよかったですね
でも まだ何かありそうな感じが気になります
続きお願いします
息子の話になります。
親バカで申し訳ありませんが、息子は小さい時から利発で可愛らしく皆から愛されていました。
私もそうですが夫にとっても自慢の息子でした。
息子が中学に上がる時から私達夫婦の転勤に付いてあちこち学校が変わるのは可哀想だと夫の実家に祖父母と一緒に暮らすことになりましたが、夫の実家は資産家で事業をしていたため住み込みで働いている人もいて、息子はそれまで以上にちやほやされるようになりました。
夫もそれを心配したらしく、次の年からは夫は単身赴任となり私が夫の実家で息子を見るようになりました。
離れて生活していた1年の間に息子の感じが変わっていました。
母親の私の目から見たらわがままが強くなっているのに、義父義母はそうとは思わないようで溺愛を続けていました。
実際に学校での成績はいつもトップクラスで、運動はテニス部でしたが二年生のころから三年生と試合をしても勝つことが多く、三年生になると生徒会長になって先生からも信頼されていたようでした。
その上本当に親バカですが息子は外見も天使のようでした。
当然女の子達からも人気があり学校でもちやほやされているようでした。
もちろん男の子同士では僻まれることもあったようですが、息子には裏の方でも実力があったようで、喧嘩を売ってきたから負かせてやったと息子本人が私や住み込みで働いてる人に言うともありました。
それを義父義母に聞かれないように気を使いました。
男の子の喧嘩ですから、終わったらサバサバしていれば良いのですが、そうではなく息子は勝った後に負けた相手の子を子分にして蔑みバカにしているようでした。
女の子との関係も心配でした。
息子に自分を売り込もうとする可愛い女の子が家に遊びに来ることも多く、中にはませた子もいましたし、息子も思春期で性に強い興味を持っているようでした。
どこから手に入れるのか机の引き出しの奥からエロ本を見つけたこともあります。
それに当時は珍しいSM物が有ったことはとても衝撃でした。
私は義父義母のいないところで息子に女の子との交際は気を付けなさいと言うんですが息子は、あいつらは勝手に僕のことを好きになってるんだから良いじゃないの、と言う思い上がった考えになっていました。
あの女の子達に息子が不純異性交遊と言いますか中学生同士では責任を負えないことをしてしまうのでないかと心配でした。
そしてその心配が当たりました。
ただ相手の女の子は私の予想していた女の子達とは違っていました。
美穂様
おはようございます
やっとお幸せになれたのですね…
良かったです。
息子さんが心配ですね…
お子さんに恵まれて良かったですね。でも子供が出来たら出来たで心配事もてできますよね。また続きを待ってます。
家に来る女の子の殆どは息子に自分を売り込むつもりの容姿に自信のある積極的なお嬢さんでした。
ところがそうでは無い女の子が一人いて、私がその女の子に初めて会ったのは息子もその子も中学三年生の春でした。
家の勝手口の方で、はい、ではお預けします。よろしくお願いいたします。と言ってる若い女の人の声がしましたが、言葉使いは大人なのにその声はまだ子供のようでした。
覗いてみると、その声の主は息子の通う中学の制服を着た小さな女の子でした。
お手伝いさんが、この子が生徒会の書類を坊っちゃんに届けてくれました、と言うので私が息子を呼ぼうとしました。
また息子のファンが息子に会いに来たのだろうと思ったのですが、その子は、会長から清書するように言われてたのが出来たらからお届けに来ただけです、会長のご迷惑になりますからここで失礼させていただきます。と言うとちゃんと会釈をして雨の降ってる中を帰って行きました。
中学生が社会人のような言葉使いをすると、似合わなくて笑いを誘うか、駒しゃくれた生意気な感じを覚えることが殆どなのに、その子の態度は不愉快な感じはしませんでした。
息子に近づきたくて来たのではないらしい女の子は初めてでしたし、息子のことを◯◯君と呼ばずに生徒会長と呼んだのも印象に残りました。
その子が届けてくれた書類を息子に渡すと、息子は特に気にも停めない様子で、その子に対して特に関心がある様子も、雨の中を届けたくれたことを感謝する様子もありませんでした。
あの子が誰なのか聞くと、生徒会の庶務係の退屈な女の子、と答えました。
息子は雨の中を届けてくれたあの子に感謝するでもなく、自分があの子に命令する権利があることを当然だと思っている様子を見て私は心が痛みました。
それからもその子は時々家に来ましたが、けして玄関からは入ろうとせず勝手口から出入りし、用件が済むと直ぐに帰ろうとしました。
その子がまた、生徒会の連絡です、と来た時に私は無理を言ってその子を引き留め、紅茶を入れて上げました。
私が息子の母だと分かったのか顔を真っ赤にしていました。
あまりお喋りしない子で僅かな話しか出来ませんでしたが、この子は真面目なこと、目立つのが嫌らしく謙虚過ぎるほど謙虚なこと、それと最後に使い走り等をさせられても少なくとも息子に悪感情は持ってないことが感じられました。
中学三年生にしては小さくてまだ女らしい身体になってないので、息子はこの子を恋人には選らばないだろうな、とも思いました。
息子の祖父母があまりに息子を甘やかすので、息子に家の敷地内の草取りをさせたことがありました。
今度の日曜日にあなたが責任持って敷地内の雑草を刈ってしまいなさい、と言うと意外にも、分かった、と返事をされました。
かなり広い敷地ですから、一人ではとても1日では終わらない筈でした。
ところが息子は、学校で自分の言うことを聞く子達を集めて草取りをさせると言う私が全く考えもしないことをやってしまいました。
土曜日の夕方から家に、明日は雨が降っても草取りがあるんですか?と次々と女の子達から電話が入り、驚いた私が息子に聞いたところ、多分女の子だけで30人くらい来るんじゃないかな、と言われてしまいました。
私が息子に、貴方一人でするのよ!と叱っても、誰々が来ると決まってるわけでもないし学校の連絡網で中止の連絡を回す公的な内容でも無いからもう仕方ないね、と言われてしまいました。
そして午前10時頃から次々と40人近い女の子が集まって来ました。
もちろん草取りなどしたことがないお嬢さん達で、ワーワーキャーキャー騒いで遊んでいるようなものであちこち刈り残したりの見苦しい結果になりました。
それなのに祖父母は孫が人気があるのを見れて満足気でした。
でも本当は皆が集まるよりずっと早く朝の6時ころにあの庶務の女の子が一人だけで来ていたんです。
それも他のお嬢さんのような可愛い服ではなく、ダブダブの元は男物だった古いワイシャツ、いっぱい継ぎを当てた作業ズボン、黒い雨靴で首に古いタオルを巻いて自分で鎌を持って来ていました。
勝手口の外で渡が出てくるのを待っていたようで、最初に出てきた私に挨拶をすると直ぐに斜面のところのススキを刈り始めました。
私がちょっとお茶を飲みなさいと言っても、朝露で柔らかいうちに刈らせてください、と言って手を止めまでした。
まだ寝ていた息子を起こして一緒に草取りをさせようとしたのに息子は、集まるのは10時って言ってるんだよな、と冷たい態度で家から出ようとはしませんでした。
その子は二時間かけて刈り取るのが難しい斜面をきれいにしてくれると8時に、すみません、家の用事があるんです。これだけしかお手伝いできずに本当にすみません。と言って帰ろうとしました。
私が引き止めてまた紅茶を飲ませようとしたのですが、本当にごめんなさい、他の人から私が来てたって知られたくないんです、と言って帰られてしまいました。
お察しと思いますが、この子がその当時思い上がっていた私の息子から恥ずかしい目を受けたんです。
美穂様
おはようございます
美穂さんご自身の生活は好転されましたが、息子さんが…
なかなか難しいですね。
美穂様
度々すみません
僕は昭和40年代生まれですから、息子さんとおそらく同年代かと。
健全に?育った僕からすると、息子さんが羨ましくもあります。
女性には申し訳ないですが、性的欲求・願望を満たせる「相手」がいるのは、やはり男性目線からすると羨ましいです。
息子さんに「利用」されていたその女のコは、生い立ちなんかが美穂さんに似ていたのではないでしょうか。
時が経ち、今はお孫さんが、そんな感じになってないでしょうか。
…それはまた先の話ですね。
まずは息子さんのお話を是非お聞かせください。
私は他の人に知られずに草取りをしてくれたあの子がとても可愛く思うようになりました。
私の家に出入りしている人に色々聞いてみると、お察しの通りその子の家庭も私が子供の時と似たところがありました。
病院の付き添い婦をしている母親と二人の母子家庭。
親戚の家の古い離れに住み、親戚の援助をもらう代わりにその子が母屋の手伝い等をしている。
母屋が広い畑を持っている兼業農家なのでその作業も手伝っている。
真面目で頭も悪くないけど金銭的に貧しくて学校では他の女の子からばかにされるらしい。
などの事を知りました。
名前をさきと言いましたが、さきちゃんが家に来たら時間がある時は紅茶を飲ませてあげて、時間が無いときはキャンディーを2つ3つくらい持たせてあげるのが私の楽しみになりました。
遠慮するさきちゃんでしたが、それまで紅茶を飲んだことがあまり無かったようで、美味しいです。本当に美味しいです。と嬉しそうに笑ってくれる顔はとても可愛く思いました。
さて一学期の終わりに息子の成績が学年一番ではないことが分かりました。
自分の努力不足、油断が原因だから、それに気がついて今後努力することを学んで欲しいと母親として思っていました。
わがままな息子だから夏休みに家で荒れるかと思っていたら、何故かさばさばした様子でした。
義父などの前では、一学期は成績で失敗したけど反省して頑張ります、と殊勝な事を言い義父も人間として成長してるじゃないか、と喜んでました。
私も喜ぶべきなのにそんな息子が不自然なようで、何か引っかかるような気がしていました。
夏休みに入って数日、さきちゃんが息子に届けるプリントを持ってきました。
勝手口でさきちゃんがお手伝いさんに挨拶してる声を聞いて私も出て行きました。
ところが私の顔を見た途端、さきちゃんの顔が変わったのです。
顔を伏せて視線を逸らせ、何か悪いことをした後のような感じでした。
おかしいな?と思った途端に、もしかしたら!と私の頭に息子の顔が浮かんだんです。
推理とかでは無く、女の直感としか言いようがありませんが、息子がさきちゃんを...と確信のようなものがありました。
私から逃げるみたいに帰ろうとするさきちゃんの手を握って、私がさきちゃんを誘拐するみたいに家の奥に引っ張り込み、さらに渡り廊下の先の離れまで連れて行きました。
二人だけになると、さきちゃんから話を聞くと言うよりもう取り調べでした。
私が誘拐された時に刑事さんに聞かれたような事を泣きかけているさきちゃんに次々と聞きました。
あの時の刑事さんはお仕事だから冷静でしたが、私はそうではなくかなり激昂していたと思います。
さきちゃんは泣きながら話してくれました。
終業式の後に残って生徒会室の掃除をしていたら生徒会長の息子が一人で入って来た。
イライラして腹を立ててるみたいだった。
挨拶したらいきなり、うるさい!と怒鳴られた。
恐いのといつも皆の前では明るくて優しい会長がこんなになってる事が心配になった。
じっと立ってたら椅子に座ってた会長から、お前は成績はどうだった?と聞かれて、おかげでまあまあでした、と答えたら、お前とかそれで良いから良いよな!とまた激しく怒鳴られて、こっちに来いと呼ばれた。
側まで行くと会長がいきなり立ち上がって抱き締められた。
逃げようとしたけど、片手で腰を抱えられて動けなかった。
反対の手で胸を触られた。
やめてくださいと言ったけど片手で胸、片手でお尻を触られ、お尻の方はスカートを捲られた。
さきちゃんが泣きながら話したこんな内容を今でも鮮明に覚えています。
中途半端なところで止めてすみません。
息子さん甘やかされて育ったからか…周りからの期待もあり溜まった物もあったんでしょうね。でも不幸な生い立ちの娘さんが理不尽なめに合うのは心が痛みます。
さきちゃんの話では息子は生徒会室でさきちゃんを裸にしたようです。
無理やり脱がされたの?叩かれたりしたの?
そう聞く私の形相は多分般若のようになっていたと思います。
さきちゃんの話では力ずくでは無かったようです。
息子からボタンやファスナーに手を掛けられて外されたり身体を叩かれたりはしていないことは何度聞いても変わりませんでした。
それでは自分で脱いだの?
何故?恥ずかしかったでしょう?辛かったでしょう?
この質問はさきちゃんはとても答えにくかったようです。
私が、やっぱり嫌なのに無理やりなのね!と決めつけるように言うとさきちゃんは急に、ちがうの!ちがいます!とはっきりした声で言いました。
無理やりじゃないです。私が自分で脱ぎました。会長は優しかったです。ごめんなさい..。
全部脱がされたの?パンツもなの?
私の畳み掛けた質問にさきちゃんはもう隠そうとせずに正直に話をしてくれました。
息子はさきちゃんを全裸にして身体を触ったのは間違いないようですが、さきちゃんの純潔までは奪ってないようでした。
それでも辛かったでしょう?
とまた聞くと、いえ、会長は洗うことを許してくれましたから..と言うんです。
洗う?どう言うこと?生徒会室に水道なんかあるの?
いえ、生徒会室にはありませんがパンツを脱ぐように言われた時に私が、汚いですから..と言ったら洗うことを許してくれました。
そう言うんです。
理解が出来ませんでした。
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