いつもありがとうございます。まだ幼いかずみさんのアソコからピチャピチャ音がするくらい濡らしてたんですね。おじさんは飴と鞭の使い方が上手いんですね。お姉さんはアナルに道具を入れられ性器を犯されたんですか。本当に想像が膨らみ股間まで膨らんできます。また続きをよろしくお願いします。
私がおじさんのところに行くのは、ずっと姉と一緒でた。初めて私一人で行くことになったのは、小6になってからです。姉は修学旅行の準備などで、母と買い物などに行かねばならず、やむを得ず私一人でおじさんのところに行きました。おじさんに姉が来ないと話すと「和ちゃんはどうする?今日はやめるかい?」と聞かれました。「ううん、して」と言うと「うん、そうか。よしよし、良い子だ」と頭を撫でてくれました。その日は裸になると、小さな真っ赤で後ろと横が紐のパンティを穿かされました。おじさんは白や淡い色の下着が好きみたいで、派手な赤のパンティは珍しいから良く記憶しています。その日は直ぐには拷問されずに、裸のままで色々な写真を見せてもらいました。もうその頃はきれいで可哀想な写真だけでなく、生々しい感じのものや、汚ない責めを受けている写真も見せられていました。女の子だけでなく、大人の女性が拷問されてる写真も見せられましたが、乳首を引き伸ばされたり、割れ目のところに何本も針を刺されたり、恐ろしい写真がいっぱいありました。それでも「おじさんは、例えひどくても私の耐えられることしかしない筈」とおじさんに対する信頼感がありました。おじさんが写した私と姉の写真も、いっぱい見せてもらいました。「これなんか、イギリスでとても評判が良かったらしいよ」と言われたのが、姉が泣きそうな顔をして、私の割れ目を舐めようと顔を近づけている写真でした。あくまで私の感想ですが、外国の写真は本当に残酷な拷問で女の子が痛さで裂けんでいたりする感じが多くて、おじさんの写してる写真は、残酷な拷問をされるより、観念して恐さや恥ずかしさに耐えて待っている感じの写真が多い気がしました。それをおじさんに言うと「うん、和ちゃんは分かるんだね」と誉めてもらえました。前にも見せられてて、その日も見せられた親子で裸で写されてる写真について、よく意味が分からなかったから質問しました。「これは、お母さんと娘が一緒に奴隷になってるんだよ」と言われても、まだピンと来なくて首を傾げていると、「和ちゃんのお父さんが、お母さんとお姉ちゃんと和ちゃんを奴隷に売ってしまった、ってことかな」と言われました。自分の愛してる奥さんや娘を奴隷に売るってイメージはまだピンと来なかったんですが、頭の中で「お母さんとお姉ちゃんと私三人で裸で並べられてる」と想像してみました。すると、それまで優しいけどちょっと恐いお母さんが、写真の中の項垂れている外人の女性のイメージと重なって来ました。大人になって、男の子が母親に性的な興味を持つことがあると言うことは、知識として知りましたが、あの時の私は女の子なのにお母さんに性的なイメージを妄想したみたいです。おじさんは、また私の頭の中を見通してるように「和ちゃんのお母さんもきれいだよね。お姉ちゃんと和ちゃんと三人で奴隷市場で売られたら高く売れるよ」と言うんです。私は考えてることがばれたみたいで恥ずかしく、とっさに「そんなことない。お母さんとお姉ちゃんは高く売れても、私はブスだから売れないよ」と言ってしまいました。おじさんは面白そうに「そうかな?和ちゃんも可愛いけどな?」と言うと「でも、可愛いくない子もこんなことをされるために買われるんだよ」と本棚から別のスクラップブックを持ってきました。そのにはイラストがいっぱい並んで貼られていましたが、最初は「お料理教室?」と思いました。背景に、釜戸に掛けられた大きな鍋、上から下げられた大きなスプーンやフォークが描かれていて、前景に高いコック帽を被ったシェフ達に混ざって縛られた女の子が二人いるんです。でも次のページで、女の子が大きなテーブルに磔られて、シェフが包丁で女の子を切ろうとしている絵で理解出来ました。「この女の子はお料理されて食べられちゃうんだ!」そんな世界があることを知ってショックを受けました。その時、私はおじさんの膝に座らされて、おじさんから乳首や割れ目を弄られていました。おじさんがイラストに沿って、「この子、乳首を切り取られてフライにされるんだよね」と言いながら、私の乳首を弄るんです。割れ目を包丁で抉られてるイラストでは「抉りとる前に、クリトリスとか切り取れば良いのに。生で食べたいな」と言いながら、私のクリトリスを激しく剥いたり摘まんだりしました。最後では、乳房と割れ目のところを抉り取られた女の子二人は、太い串でお尻から口まで太い串で貫かれて死んでいました。私はお尻までむずむずしてしまい、自分から「これ、されたい」って言ってしまったんです。おじさんが直ぐに立ち上がって用意をしてくれました。浣腸とお腹の洗浄です。この日は「食べられる前に、お腹の中をきれいにしとかないと」と言われて、お湯をかなり多く入れてもらいました。四つん這いでいると、お腹が重たく垂れてるか張ってるような感じになりました。そのお腹を擦りながら、おじさんから「苦しいかい?でも、もう死んじゃうんだから、苦しくてもしかたないんだよ」と言われると、あくまで想像の中だと分かっていながら、「ああ、私、死んじゃうんだ..」ととても甘美な気持ちになりました。後でおじさんに、私のお腹にどのくらいお湯が入ったのか聞きましたが、やはり異常過ぎたのでしょう教えてくれませ
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そのうちエロ雑誌が注目するのでは?という感じがします。お姉さん、やはり小学生の頃からMだったんですね。もっと早く勇気を持ってSM雑誌?を立ち読みして興奮してもらいたかったですね。そしたらもっと早くからおじさんに目を付けられて、良い写真もっと撮影出来たでしょうし・・。それにしてもおじさん、毎回毎回本当に良いことばっかして・・。どうやってテクニック身に付けたんだ?天性の才能?下調べ・準備もしっかりやってるし、かずみさん姉妹へもすごく気を使ってるし・・お姉さんの乳首を鞭で外さすに打つための練習・素振りも欠かさずやってるのかも?(多分昭和初期)の大卒、だから半端じゃないエリート、その能力が全力?でロリータSMに発揮されてる訳だから・・凄い。してる内容も大人以上?!だから・・松の葉尖ってるし・・今後に期待しちゃいます。
能天気な幼いころの私は「おじさんってすごいなー」と思うだけでしたが、成長して色々な事を知ってくると、本当に13番様がおっしゃる通り「おじさんって何者だったんだろう?」って不思議に思いました。当時は陰毛が写った写真でも検挙されてた時代でしたから、あんな大量の、性器がはっきり写っているワイセツ写真をどうやって集めてたのかも不思議です。13番様は松葉の拷問に興味を持たれたようですが、おじさんが巧妙だったのは、本物の針を使わずに松葉を使ったところにもあると思っています。あれが本物の銀色の針だったら、子供の私には、やはり恐ろし過ぎたでしょう。松葉なら、痛いけど突き刺しはしないだろう、と子供の心ではギリギリセーフだった感じです。姉は松葉で責められて、肉体的にも快感を感じる事が出来るみたいでした。実際、姉が両手両足を広げた磔のように縛られて、おじさんから松葉で乳房や乳首を責められている時に「痛いです..、赦してください...」と口では言いながら、割れ目から銀色の糸が垂れていて、そのうち立ったまま身体をガクガクさせて絶頂に達してしまったのを見ています。私は肉体的な快感を得るまでにはなっていませんでしたが、拷問されてると言う精神的な興奮は味わえました。話を変えますが、私がお尻で処刑してもらったことは、姉にはしばらく内緒にしておくようにおじさんに言われました。それなのに、姉が修学旅行から帰って直ぐに、私は自慢げに話してしまったんです。「え?うそでしょ!本当なの?」と、普段家では大人しい姉が、私の襟を掴むくらい凄く興奮しました。翌日、姉は修学旅行の疲れ休めの休校日でしたが、自分一人でおじさんの家に早朝から行きました。私は普通に小学校に行き、4時半ころ家に帰ると、直ぐに姉から家に電話がありました。私が出ると「今おじさんの家だけど迎えに来て」と言うんです。私は「いやだなあー、話すなって言われて話したのを、おじさんに怒られるかもしれない」と思っておじさんの家に行きましたが、おじさんはいつもの調子でニコニコして迎えてくれました。奥の部屋に入って姉を見ると、それまでおじさんの家でも見たことのない、革のパンティだけを穿いていました。その時は、姉の方からおじさんに「和ちゃんに見せていいでしょ?」と積極的に言いました。何を見せてくれるんだろう?と思っていたら、姉は私の前で穿いていた革のパンティを下げました。普通のパンティのようにすっと下げる作りではない様子で、左右に止め金のようなものが付いていました。姉がその止め金を外すと、サイドの部分と前から股間に当たる部分が離れました。赤ちゃん用のオムツカバーや紙オムツみたいな作りでした。パンティを前から股間に当たる部分を下ろした時に、パンティの股間に当たる部分に二本の棒が内側に向けて付いてるのが分かりました。つまり、この革のパンティを穿いてる間は、二本の棒が膣とお尻に入っていたんです。その棒の太さも、私がとても痛みを感じてやっと入ったディルドーとあまり変わらない大きさでした。後で姉に聞きましたが、私の第一声は「うそっ!」だったそうです。二本の棒は姉の汁がいっぱい付いていましたし、棒が取り付けてあるパンティの股間の部分にも付いていました。姉は「これ、けっこう痛いのよ」と言うけど、その声は痛さで辛いというより、私に自慢するような口調でした。おじさんが「穿くところを見せてあげようね」と言うと、姉は嬉しそうに「はい、してください」と言いました。姉はがに股になって足を広げ、おじさんはお尻、膣と棒の先端を挿入した後、パンティの股間部分を手のひらで押し上げるようにして、姉に革のパンティを穿かせました。股間部分を押し上げられる時、かなり辛いらしく顔をしかめましたが、それでもがに股の姿勢を崩さず耐えていました。股間部分が落ち着くと、両サイドの止め金を止めましたが、止め金には南京錠が掛かる穴が空いていて、おじさんは小さな南京錠を差し込み鍵を掛けました。姉が「これで私はこのパンティ脱げないの。前とお尻の穴、ずっと拷問されるのよ」と言いましたが、私に勝った自慢のように聞こえました。でも、姉のうごく姿を見ると、確かに辛そうでした。特におじさんに言われて階段を登る時には、14段しかない階段で4度も立ち止まりました。おじさんも危ないと思ったのでしょう。二階で姉のパンティの鍵を開けて脱がせましたが、脱がされると、姉はその場にしゃがみこんで動けなくなってしまいました。しゃがみこんで、はあはあ荒い息をしてる姉の前で、私はおじさんから「どう、和ちゃんもしてみる?」と言われましたが、その途端に姉がガバッと上半身を起こして「だめ!絶対和ちゃんはしちゃだめ!」と凄い剣幕で言いました。確かに私も「これはちょっと恐いなー」と思ってましたし、おじさんも「うん、そうだね。和ちゃんにはまだ早いね」と言ってくれ、この件は終わりになりましたが、姉は自分の身体の中に入っていた革のパンティの部品を口で舐めて清めていました。後でお風呂で姉の割れ目を見せてもらいましたが、膣の周りもお尻の穴の周りも赤くなっていて、痛々しい感じでした。その事を姉に言うと「うん、おじさんにいっぱい拷問さしてもらったんだ」と嬉しそうに言いました。どうもおじさんに恋心を抱いていた姉は、自分より先に私
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お返事頂きましてありがとうございます。やはり、思ってらっしゃいましたか。昭和が終わるまでは子供は性対象にならない、というのが社会一般の考えでしたから、ロリータなら案外すり抜けたのかな、とか、外国ものならおじさん英語が出来たから在日米軍基地を活用?とか思ってしまいました。
お尻を処刑してもらってから、姉がおじさんの家に行く回数が増えたように思えました。それまでは大体週末だけだったのが、平日にも一人で行くようになったようです。おじさんの家に行った時は、姉の顔が微妙に普段と違ってて私には分かりましたし、夜寝てる時に姉から私に、そっと「今日はこんな拷問してもらったのよ」と話してくれることが多かったです。梅雨に入った時でした。私が友達と一緒に学校から帰っていると、後ろから姉に声を掛けられました。「今日は特別授業で、早く終わったの」と言って、友達にも挨拶してくれましたが、顔が熱があるように赤く、目が潤んでいました。私が友達と別れて、姉と一緒に歩き始めたら直ぐ、後ろからおじさんが追い付いてきました。おじさんは姉に「大丈夫?」と聞くと姉が「はい..」と答えましたが、その声変わりもうおじさんに拷問してもらってる時の感じになっていました。おじさんは「先に戻っているから」と行ってしまいましたが、その後に姉が「この前の革のパンティ穿いてるの」と小さな声で私に打ち明けてくれました。私が驚いて「あれ、痛かったんじゃないの?」と聞くと「うん、痛いよ。でも、多分大丈夫」と言いましたが、言われて見れば、姉の歩きは歩幅も小さいし、かなりゆっくりでした。「おじさんに無理やりさせられたの?」と聞いたら姉から怒ったように「違うわよ、無理やりなんかじゃない!」と言われてしまいました。そこからおじさんの家まで300メートルくらいでしたが、休み休みで15分くらいかかりました。おじさんの家に着くとおじさんに「ありがとう、和ちゃんがいてくれたから、私は先に戻れたよ」と言われましたから、おじさんは姉を一人で歩かせてたのではなく、私に会うまではちゃんと後ろで見守っていたんだって分かり、ちょっと安心しました。姉は私とおじさんが話をしている横で、着ていた制服を脱ぎましたが、革のパンティの上からは大きめの白い、その頃私達がズロースと言ってたパンツを穿いていました。多分風でスカートが捲れたりした時の用心なんだと思います。その頃の子供のパンツは、裾が膨れたズロースを穿くのは幼稚園くらいの小さな女の子で、小学校に入ったら普通のショーツでした。姉はそのズロースも直ぐに脱ぐとしたのですが、おじさんが「ちょっと待って」と止め、「まっすぐ立って」と言いました。姉がズロース姿で気をつけをすると、おじさんはニコニコしながら「私の子供の時や若い時は、女の子はみんなこんな提灯ズロースを穿いてたよ」と言いました。それから本棚からアルバムを出して、提灯ブルマや提灯ズロースを穿いてる昔の女の子の写真まで見せてくれました。その中で、おかっぱ頭にズロース一枚の裸で鍬を持って働いてる女の子の写真もありました。おじさんはその写真が気に入ってるようで、「外で裸で働かされてる女の子、可哀想だって思うかい?」と姉と私は聞かれました。姉は正座してましたが、前後二つの穴に棒が入ったままでの正座はかなり辛そうで、薄く汗をかいていました。私はその時に見せられた写真の中では、おかっぱ頭にズロースだけの女の子が壁をバックに写されてる連続写真が強く記憶に残っています。最初はスリップ姿。次はズロースだけで両手で胸を隠している姿。3枚目は、多分隠すなと言われたのでしょう、両手をわきにつけた気をつけの姿勢ですが、顔は斜め下を向けてとても恥ずかしいみたいで泣いてるように見えました。4枚目5枚目は後ろ向き、横向きで写されていますが、年齢は私と同じくらいのようでした。6枚目は正面を向いて両手を上に上げています。7枚目ではついにズロースを脱がされてて、全裸で両手で割れ目を押さえて隠しています。8枚目では両手を下げて気をつけ。私と同じで全く発毛してない割れ目がくっきりと写っていました。9枚目は両手を頭の後ろに組まされて、足は横に広げていました。顔は俯いていました。10枚目はがに股のように腰を落とさせられて、横から男性が女の子の割れ目のところを、棒で指し示しているように見えました。女の子は顔を上げていましたが、きつく目を閉じて顔には涙の筋もしっかり写っていました。痛いことをされてる訳ではないけど、年齢的にも私と同じくらいでしたし、この子は本当に恥ずかしくて死にそうなんだって感じでした。写真の脇に所々写ってる男性が、軍服を着た外人のようで、「戦争に負けて直ぐの時は、本当にあったのかもしれないな」とも思いましたし「この子はこの後どうされるんだろう?」とすごく感情移入してしまいました。おじさんは姉に別の写真の説明をしてましたが、私がその連続写真を繰り返し見てるのに気がついて「ああ、それはアメリカの知人らもらったんだ。可哀想だろ?」と言って「このシリーズ、まだあるはずだから、探してあげようか?」と言いました。ところが私が返事をするより前に姉が「あの..痛くて...」とおじさんに甘えるような声で言いました。おじさんは私には「探して今度見せてあげるよ」と言って姉にかまってしまい、その日は私はそのまま帰りました。その写真は、ちょうど順番的にもこの時期に見せてもらったものですし、13番様の投稿の「基地うんぬん」を読んで、この写真の記憶が鮮やかに蘇ったので書かせていただきました。
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いつも続きをありがとうございます。お姉さんのことですが、下品な不良少女とは全く思って無いですよ。優等生で品のあるお淑やかな少女と思っております。かずみさんは活発な少女と言う印象です。お姉さんのことを大好きだけどお姉さんに並びたい、勝ちたい、負けず嫌いな処もあったような印象です。かずみさん1人での拷問も当時のかずみさんが想像できて読んでいて楽しいです。無理をなさらず続きをよろしくお願いします。
おじさんは、私達の安全には十分気をつけてくれてました。山で裸にされた時もですが、たとえ遠くから見られることはあっても、直ぐ近くで見られたり、捕まったりすることの無いようにちゃんと計画してると言っていました。みかん山の時は、向こうの家にいた人が私達を見たのかどうか、はっきり分かりませんでしたが、外で裸になって、他の人から見られたとはっきりわかったことが一度だけありました。時期は前に話した姉が革製のパンティを外で穿かされた時のちょっと前、5月の末か6月に入った頃でした。 朝の8時過ぎにおじさんの家を出て、10時頃に隣の県の海岸に着きました。舗装道路から脇に逸れて、松の大きな木がいっぱい生えている林の中を通って海に出ましたが、そこは海水浴場なんかではなく、ごつごつした岩場に小さな砂浜がある海岸でした。もちろん全く民家も無いし、当日の漁村に良くあった、砂浜に引き上げられた小さな漁船も見当たりませんでした。おじさんは最初は岩場で、主に姉の写真を撮ってました。姉は、ごつごつした岩場に横たわったり、大きな岩に凭れかかったりして写真を撮ってもらっていましたが、多分あれは姉が好きだったアンドロメダになった演技だったと思います。海の岩場は、川の岩と違ってごつごつして尖ったところも多く、裸足ではとても歩けませんでした。それから私も砂浜の方で写真を撮ってもらいました。気温も温かく、裸ではあるけど、気楽なピクニックと言う感じでした。しばらくしておじさんが「場所を変えるよ」と言いましたが、その時に「二人ともパンツを穿いて」と言いました。その日の朝に、海で濡れるから、と言っておじさんが白のショーツをくれたんですが、私達はそのショーツだけ穿いた裸でまた車に乗りました。そして連れて行かれたのが、小さな岬の付け根みたいな所です。岬を回る人がやっと一人通れる細い道があり、そこを歩いて、岬を回るようにして反対側に連れて行かれました。ところが反対側には、小さな入江を挟んで、漁船が引き上げられた砂浜と、コンクリートの堤防が見えているんです。その向こうには民家も見えました。砂浜までは100メートルくらいしかありません。砂浜から私達のいる所に直接来る道は無いようでしたが、その気になれば、入江を泳いだり船で渡ってくることができそうな感じでした。「おじさん、人がいるみたい..」と私が言うと、「うん、でも今は大丈夫だから」といつものように優しい感じでしたが、次に「じゃあここで泳いで」と言うんです。「だめだよ!人が出てきたら裸見られちゃう!」と私が逆らうとおじさんは「裸じゃないよ。パンツ穿いてるでしょう」と言うんです。そしてまたずるい作戦を使われました。姉に「君は出来る?」と言うんです。姉は「出来ます!」と言うと、唇を噛み締めるようにして足から海に浸かりました。おじさんは「寒くないかい?」とのんびりした口調で聞きながら、何枚も写真を撮ります。姉は「寒くは..ないです..」と平泳ぎをしながら答えました。上から見ると、海の中に姉の白の身体と、さらに白いパンツがやけに目立って見えました。姉だけに恥ずかしい思いをさせたくない、といつものパターンで「私も泳ぐ!」と私も足から海に浸かりました。それほど寒くもなく、ゆっくり泳ぐと辛くないんですが、ちょっと先に行くと急に深くなり、底の方は水も冷たかったです。しばらくしておじさんが、「さあ、上がって。こっちでも写真を撮るから」と言うので二人とも海から上がりましたが、お察しのとおり下着のパンツは肌に張りついて、姉の陰毛も私の割れ目もくっきりと見えてしまってました。その姿でおじさんから言われるとおりにポーズを作って写されていたんですが、そこでいきなり近くで人の声がしたんです。二人ともギョッとして、胸を両手で隠しました。岬の上のとても人が登れないような所から、小学校の高学年、私と同じくらいの男の子二人と女の子二人が、木の枝や蔓に捕まりながら降りてくるんです。「もう泳いでるの?」「でも大人と一緒だからいいんじゃないの?」とそんな感じな話し声が聞こえましたが、私も姉もその子達に背中を向けて、縮こまってしまいました。頭の中では、恥ずかしい!大変!と言うパニックでした。「私と同じくらいの子供に見られた!」「早く逃げないと大人が来る」とそこまでは考えるんですが、まず身体が動かないのと、どう逃げたら良いのかが分からないんです。その子達の会話も男の子が「パンツだけなんだね」と言うと、女の子から「私も3年くらいまではパンツだけで泳いだけど..」「お姉さんの方は中学生でしょ。胸も大きいし」など言われてとても恥ずかしく、消えてしまいたいような事を言われ始めました。その時、やっとおじさんが話始めてくれたんです。「みんなすごいね。こんな急坂を登り降り出来るんだ!」と、まずその子達の気を良くしてあげたみたいです。それからの会話で、その子達が私と同じ六年生なことなどを話しました。問題はその後でした。男の子が「この二人はなぜパンツだけで泳いだの?」と質問したんです。その時のおじさんの答えが「だって二人とも裸がきれいだからだよ」でした。女の子から「恥ずかしくない?エッチな感じしない?」と言われましたが、おじさんは怒ることも焦ることもありませんでした。
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