さすがに2カ月近くになるので、すぐに思い出せる話題が少なくなってこられたでしょうか?この話、どっかでアニメ化(本当はもちろん再現ビデオが良いですが無理ですので)してもらいたいですね。おじさん、自分が大卒・勉強出来たから・・勉強にはかなりのこだわりがあったのかな?世間がジャネット・リンの札幌オリンピックで盛り上がり出してる時にそんなことがあったんですね。
そろそろ記憶が曖昧になってきています。おじさんの家で初めて三角木馬に乗せられたことを書きたいんですが、五年生の時だったか六年生の時だったかがはっきり出てきません。それまでも、割れ目に縄を食い込まされる拷問はされていました。また、三角木馬まで行きませんが、二つの脚立に渡された鉄棒を跨がされたこともあります。でも、背の尖った三角木馬は、割れ目に加わる痛みが格段に違っていました。おじさんから見せてもらった外国の拷問写真でも、三角木馬は十字架への磔と同じくらい多かったですし、生々しくて写ってる女の子が本当に痛みを感じてると思われるものがいっぱいありました。単純に三角木馬に跨がされているだけでなく、乳首を別の紐でひっぱられてたり、足の先に重りを下げられたりです。中には三角木馬の背が尖ってるだけでなく、細かい針が植え付けられているものまでありました。拷問されてる女の子の年齢も色々でしたが、殆どがぐったりとうつ向いてるか、諦めた表情の人が多く、痛さで泣き叫んでいるものは殆どいませんでした。私はそんな拷問されてる女の子のことばかりに注目してたんですが、おじさんから「この写真の木馬、表面を見てごらん」と言われて改めて見たら、女の子が足を垂らしてる板の表面に、いくつも周囲より濃い色の線が、木馬の背から垂れるように着いているのが分かりました。「それまで拷問された女の子の、血やおしっこだよ」と言うおじさんの説明を聞いて、「血が出ても許してもらえないの?」と外国の拷問の恐さを感じました。今でも、前に拷問をされた女性の体液が着いたままの三角木馬に跨がされるなんて、衛生面ではとても危険なことだと思います。さて、私と姉が体験したことを書かせていただきます。週末に姉と二人でおじさんの家に行ったら、前の時には無かった三角木馬が置かれていて驚いた記憶があります。畳にマットが敷かれ、その上に置かれていました。見かけは重々しくは無く、脚立を2つ並べた脚に、厚手の木の板を組み合わせたと言う感じのものでした。私はその時はてっきりおじさんが自分で作ったものだと思ってましたが、今では板がきれいカンナ掛けされてたり、二枚の板を合わせた部品が凸凹を巧みに組み合わせてあったりしてたことから、少なくとも木製の部品は専門の木工職人等に作ってもらったんだと思います。最初に乗ったのはやはり姉でした。おじさんは木馬の両側に踏み台を置き、それにパンティ一枚の姉を立たせました。姉は「私は直接でも構いませんが..」と言っていましたが、おじさんから「そのうち、直接割れ目を虐めてあげるから」と言われて、パンティ姿で股がりました。姉は足を拡げて木馬を跨ぐ格好で立ってから、手を後ろに縛られました。それから、おじさんに言われて、少しづつ腰を落としていき、ついに股間を木馬の背に当てました。おじさんから「どう?きつい?」と言われた時、いつも我慢強い姉が躊躇いがちに「はい、ちょっと..」と答えました。おじさんは自分も木馬の後ろに置いた別の踏み台に立って、姉の脇に手を入れると姉の身体を抱えると、ぼんやり見ていた私に「お姉ちゃんの足の下の踏み台を外して!」と言いました。踏み台を外すと、姉の身体はおじさんから支えられているだけになりました。「そっと下ろすから、太股を締めて体重を支えて」と言うと、おじさんは姉の身体を木馬に完全に乗せてしまったんです。姉が細い太股を締めて、なんとか自分の体重を支えようとしてるのは分かりました。でも、すぐに力が抜けてしまい、木馬の背がパンティ一枚を隔てて姉の割れ目に食い込むようになったんです。滅多に苦痛の声を上げない姉が「うあぁ」と呻くような声を上げました。目は固く閉ざして、口が苦痛で歪んでいました。それなのに、木馬の上で苦しさのために暴れたりはしないんです。ほんの数分で、姉は外国の写真の女の子と同じように、俯いて時々僅かに身動きする程度になってしまいました。どのくらい痛いのか聞きたいけど、とても聞ける雰囲気ではない、と言うことは私でも分かりました。多分10分も経ってないと思いますが、おじさんが「もう、やめようか?」と聞くと、あの我慢強い姉が「は..い..」と弱音を吐いたんです。股がったのと逆の流れで、姉の足の下に踏み台を置き、姉を立たせ、最後もおじさんが抱き抱えるようにして床に寝せました。おじさんから言われて広げた姉の股間は、ほんの数分でパンティのクロッチが水に浸したように濡れてしまって、二重の布を透して姉のビラやクリトリスが見える程でした。ただ、心配していた出血はしていませんでした。おじさんから聞かれて姉は「すごい辛かったです..」「はい、すみません..。漏らしました..」と答えていました。姉のパンティの濡れたのは、いやらしい汁だけでなく、あまりの痛みで姉がお漏らししたからだったんです。おじさんに言われて姉は濡れたパンティを脱ぎましたが、クロッチ部品が割れ目に貼りついてでもいるのか、剥ぐのが痛そうでした。正直見ていた私も、恐いのとエッチな興奮で、只でさえおしっこが漏れそうな感じになっていました。おじさんから「和ちゃんは?」と聞かれた時、横で姉がやめるようにと必死な形相で顔を横に振っていました。私も恐くてたまらなかったのに、もうその場の雰囲気というか、おじさんからのこれまでされてきた催眠効果と言うか
...省略されました。
続きをありがとうございます。三角木馬ですか、想像しただけで痛そうですね。針の付いた物まであるのは知りませんでした。私はあまり痛々しい物は好みませんが お姉さんやかずみさんが三角木馬を跨がされた美しい姿が想像できました。我慢強いお姉さんが痛みにお漏らしをしてしまったのが本当に酷い痛みだったんだ…そう思いました。また思い出したらで結構ですので続きをよろしくお願いします。
おじさん、本当はかずみさんやお姉さんのクリトリスや乳首に針刺したり・ピアスしたり・切り落として食べちゃったりしたかったんじゃないかな?でも嫌がられたて逃げられたり、警察沙汰になるとマズイので松の葉で刺したり・写真を見せて様子を見ながらプレイしてたんでしょうね。外国の三角木馬の写真、いろんな年齢のロリータにクリトリスに針とかいろいろやっちゃうなんて興奮しますね。どんな写真があったのか、もっと知りたいですね。
急に寒くなりました。寒さの中を野外で責められてた少女の頃と違って、今は寒さが辛いです。一度だけ、姉と一緒におじさんの家に泊まった時のことを書かせていただきます。冬休みに入った年の瀬でした。急な不幸事で、両親が泊まり込みで関西の親戚のところに行かねばならなくなりました。私一人なら絶対に連れていかれてたのでしょうが、両親とも姉には絶対の信頼を持っていたため、「お姉ちゃんの言うことを聞くのよ」と言われて、慌ただしく出ていきました。私が姉に、今晩どうすれば良いかと聞こうとしたら、もう姉はおじさんの家に電話を掛けていました。「おじさんが来なさいって!」と本当に嬉しそうな声で言うと、私を急かして戸締まりをさせました。私がパジャマや下着の着替えを用意してたら、姉はから「私は要らないわ。歯ブラシとかもおじさんのところにあるじゃない。」と言われました。もう姉は、おじさんの所ではずっと裸でいるつもりだったみたいです。それでも前におじさんから勉強の事で叱られたせいか、勉強の道具が入ったバッグだけ持っていきました。おじさんの家に着いたら、早速一度裸にさせられて、下着を小さなパンティに穿きかえさせられ、その上から縦に縄を食い込まされました。私はそれほど強く絞り上げられず、「あ、変な気持ち..」と言う程度でしたが、姉は縄に結び目がつけられ、それがパンティごと縄が割れ目に食い込むほど締め上げられていました。おじさんから「歩いてみて」と言われて、室内を歩きましたが、私は「ちょっと痛いけど、大丈夫だよ」と答えました。姉も「私も大丈夫です..」と答えましたが、どう見ても大丈夫じゃないようでした。私は緩く締められてるせいか、自然に太股を閉じようとしているのに、姉は自分の太股を締めるのが多分痛くて出来なかったのでしょう。がに股までいきませんが、不自然に足を広げていました。歩幅も小さく、部屋の中を回るだけで、何度も立ち止まっては、手で隠した胸を大きく動かして息をしていました。これからどんな拷問になるんだろう?どんな道具が出てくるんだろう?と思ってたら、おじさんは私達に服を着るように言いました。私は着てきたブラウス、スカート、カーディガン、その上からジャンパーを着ました。当時の小学生のスカートは短かったので、縄が見えちゃうかも?とちょっと心配でした。姉は着てきた中学の制服を着ました。膝丈のスカートだから、不自然なことをしない限り縄やパンティが見られることはない筈でしたが、いつもは開いていない筈の姉の足先が外を向いていることだけでも、私には不自然に見えました。その格好でおじさんの車に乗って、30分くらいかけて隣の町に買い物に行きました。年末で人通りの多い商店街を歩き、デパートに入りましたが、そこでおじさんは私達に銀に小さなクリスタルが付いたイヤリングを買ってくれたんです。もちろん家に持って帰ると母に見つかるから、おじさんの家に預けておくことになりました。それに私にはきれいなフリルの付いた膝丈の紺色のワンピースと、それに似合うベレー帽と靴まで買ってくれました。試着の時におじさんが姉に「店員さんに見られないよあうに気をつけてあげて」と言ってくれ、姉が私が試着してる時は、ずっと外で見張ってくれてました。おじさんもとても似合うと言ってくれて、私はそのワンピースを着たまま帰ることにして、着てきた服は大きな紙袋に入れてもらいました。おじさんは姉にも買ってあげると言ったんですが、姉が「和ちゃんに買ってくれてありがとうございます。私は本当に良いんです。」と言って断ってしまいました。その後、三人で地下の食料品売り場に降りましたが、姉はやはり食い込んでるのがきついみたいで、途中階段で何度も立ち止まりましたし、顔も赤くなっていました。食料品売り場で、おじさんは私達に「カレー作れるかい?」と聞きました。姉は母の手伝いをしていたから、お料理も得意でしたが、私もカレーくらいなら作れました。おじさんは、お肉や野菜等の材料、それに家では滅多に食べないような季節外れのフルーツ、ケーキなどまで買ってくれました。多分周りから見たら、買い物をする微笑ましい父親と姉妹に見えたかもしれません。でもその頃は、緩く食い込ませてもらってる私も、自分で「パンティが濡れてしまってるな..」って意識してましたし、強く食い込まされてる姉は、注意して見てる人がいたら、「あの女の子、熱があるんじゃないの?」と分かるくらい顔が赤くなっていました。おじさんの車に乗って、おじさんの家に帰りついた時は、もう姉は眉を潜めて、切なげなため息を何度もついていました。おじさんの家に帰ると、おじさんは直ぐにストーブをつけてくれました。私達も着ていた服を脱いで、ハンガーに掛けたり畳んだりしました。私の穿いてたパンティは、やはり濡れてしまっていましたが、おじさんは濡れたパンティを脱がせると、こんどは柔らか目の白い縄を直接割れ目に食い込ませて締めてくれました。姉は濡れてるパンティを脱がされて、それを自分で拡げたり、濡れてる部分にキスしたりしてる写真を何枚も写されました。
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いつも続きをありがとうございます。お泊りでの拷問ですか。縛られてのショッピング、ドキドキしますね。そして帰ってお料理しながらの拷問も耐えて美味しいカレーを作ったお姉さんに人参を挿入の拷問…少女への異物挿入はとても興奮します。その後のお話もよろしくお願いします。
毎回楽しみにしてます。全国のM女の読者、興奮して、そんなに若い時から本格的なプレイしていた、かずみさん姉妹のことをさぞ羨ましいがってるのでしょうね。浣腸とカレーの組み合わせ・・見た目が似てて・・大胆ですね。数日たってますが、やはり思い出すのにご苦労されてるのではないでしょうか。こないだみたいに思い出すきっかけになる事書ければ良いのですが・・。87番・また改めて・・等、続きお待ちしてます。