性的虐待体験
よく読まれている体験談
自分のコメントで当時のことを思い出して頂いて・貢献出来て嬉しいです。本当のところ「在日米軍基地」なんてこの作品に似合わない畑違いの堅苦しい言葉なので「使わない方が良いかな」って思ってたんです。また他にもいろいろ思い出してもらえたらって思ってます。
男の子は驚きながらも「エッチだ!」と喜んでいるような感じになってきました。
おじさんも、わざと話をそっちの方に持っていくかのような際どい話もしました。
さらに「この子達は3歳違いだけど、胸も大分違うだろう?」と言うと、私達に「みんなに胸を見せておあげ」と言うんです。
私は「もう無理!本当に泣いちゃう!」と挫けそうになりました。
ところが姉は力むでもなく「はい」と自然な感じに返事をすると、胸を隠してた両手を下ろしたんです。
その子達は、みんな一斉に「わっ!」と口を開けました。
おじさんが「どう?きれいだろう」と言うと、男の子が「すげー!」「お姉さん、きれいだあ」と本当に感動したような声で言いました。
でも、こんな時に意地悪なのは男の子より女の子なんです。
女の子の一人が「そっちの子は?見せないの?」と言い出しました。
私はおじさんの方を見たら、「見せなさい」と言うように、ゆっくりと頷くんです。
私も覚悟を決めました。
両手を下ろすと、四人の視線が小さな乳首に突き刺さるような気がしました。
事実、この時に私の乳首は硬くなっていました。
おじさんから調教されて、私ももう立派な変態にされてたんです。
男の子が「やっぱり小さいな」とか言ってたんですが、そのうち一人が仲間の女の子に「お前も乳も、このくらいの大きさ?」と聞いたあたりから、危なくなってきました。
言われた女の子が、機嫌を悪くしたみたいで「やっぱりこんな歳でパンツだけで泳ぐなんておかしい!」と言い出したんです。
男の子は黙ってしまって、女の子二人が「変態じゃないの?」「きっとそうよ」と言い始めました。
そして「このおじさんが、無理やりさせてるんじゃない?」と言ってから、他の3人も「そうかもしれない」「人の見てるところで裸になるのは違反になるはず」とか言われ始めました。
このまま大人を呼ばれたらどうしよう?
何故か下腹の奥から震えがきました。
その時に、またおじさんが太い声で言いました。
「この二人は私の親戚の女の子だ。誘拐して無理やりさせてるんじゃないよ!」
「いたずらをするつもりなら、パンツも脱がせてる。」
「二人は海で泳ぎたかったんだ。だから私が保護者として見守っていたんだよ。」
「大人の女性が真っ裸だったら、警察に捕まる。でも二人ともまだ子供で、ちゃんとパンツも穿いてるだろう」
半分以上は屁理屈ですが、子供相手には充分だったようです。
四人とも急に黙ってしまいました。
それで終わらせないで、ちゃんと納めるのがおじさんでした。
「ところで、これから帰る前に魚の干し物とか買いたいんだが、店はあるかい?」
と話題を変えて、その子達がその店を教えてくれると「ありがとう、これでお菓子でも買いなさい」といくらかのお小遣いをあげたんです。
子供がお小遣いまでもらって、その相手のことを大人に通報するなんてことは、当時の子供の考えでは出来ませんでした。
女の子はまだ何か言いたげでしたが、男の子が「おじさん、ありがとう」と言ってしまったから、この件はもうおしまい!と言う感じになりました。
私と姉はおじさんから促されて車に戻り、塩水をざっとバスタオルで拭いただけで服を着て乗り込みました。
車が出てから私がおじさんに「裸見せちゃって、ひどいよ!」と言うと、姉から「そんなこと言っちゃだめ!ちゃんと助けてくれたじゃない!」と叱られました。
おじさんは私が怒ったことも全然気にしてないようで「パンツさえ穿いてれば、って本当だよ。前にも似かようなことがあった」と言いました。
でも、その前にあったことを具体的には教えてくれませんでした。
昔は子供が泳ぐ時の裸については、とても緩かったのは確かです。
小学校五年の時の水泳の授業で、男女とも全裸で泳いだ、と言う話を聞いたこともあります。
でも、今なら絶対に、保護者としてその場にいた大人は捕まるでしょう。
おじさんは私達に向かって「どうだった?恥ずかしくて感じた?」と聞きました。
姉は恥ずかしいげに顔を伏せましたが、私は「そんなことない!」と大きな声で答えました。
しかしおじさんから「でも乳首が立ってたよね。パンツ、海水だけでなく別のでも濡れてなかった?」と言われてギャフンと参ってしまいました。
前の投稿の出だしで、姉と私が野外で大人に対する露出責めを受けたのではないかと想像された方がおられたら、大変申し訳なく思いますが、実際は見られた相手は私と同じ歳の子供でした。
後からの想像ですが、おじさんは入り江を隔てた堤防のある側の浜に、人が出て来て目撃されるまでは想定してたのかもしれません。
それなら、見つかったと同時に走って車に乗って逃げたら、間に合ったと思います。
さすがにあの急坂を子供が登り降りするまでは、おじさんも想像しなかったみたいです。
それでも、おじさんの話術とお小遣いで、あの子達は通報などしなかったと思います。
暑い夏には野外での恥ずかしい拷問が多かったと思われるかもしれませんが、実際はこの海でのことだけでした。
話を変えますが、おじさんの家の中で吊りをされたことについて書かせていただきます。
吊りと言うと、高い天井がある大きな部屋が必要と思われるかもしれませんが、おじさんがしてくれた吊りの殆どは、鴨居から吊られるものでした。
それも下にテーブルや台を置いて、その上に立ったり寝かされて、頑丈に縛られた後に台やテーブルをそっと外す、と言う方法が殆どでした。
私も姉も色々な吊りをしてもらいましたが、一番苦しいと言うか痛かったのは、両手をまとめて手首で吊るされる形でした。
これは鴨居からでは高さが足りないので、軒先から庭に張り出したように取り付けられた横木が使われました。
私と姉二人が一度に吊られた時ももびくともしなかったから、多分専門の大工さんなどに作ってもらった横木だと思います。
両手吊りをされた時は、手首には厚くタオルなどを巻いてくれて、上から縄を掛けられるんですが、全体重が手首に掛かり、あと肩や腕全体も引き伸ばされて痛みました。
意外に思われるかもしれませんが、一番苦しくない、痛くないのが、両足を揃えて逆さ吊りにされる形でした。
それは、両足の踝が合わさって縛られると、とても痛いそうですが、私達を吊る時はおじさんが両足の踝の間にもタオルを挟んでくれたせいか、全く痛くありませんでした。
ただ、あまり長時間すると、頭の方に血が下がるから危ないと言って、おじさんは時間に気をつけていました。
逆さ吊りで、両足を広げて左右に引き伸ばされるように吊られる形もあります。
割れ目が上から見下ろされるようになりますが、そのまま割れ目の穴などに道具で拷問されると、すごい残酷で恥ずかしい拷問のような気がしました。
私もお尻にディルドーとお尻用の細い方のバイブを入れられたことがありますが、姉はなんと火のついたロウソクを膣とお尻に入れられた人間灯台と言う拷問をされて、しかも何枚も写真を写されて時間がたち、ロウが垂れてるのを耐えています。
おじさんから「熱いだろう、もう少しだけ頑張って!」と言われて、恍惚とした感じで「私は..、平気..」と答えていましたが、その口調はもう普通ではありませんでした。
さすがに革製パンティと人間灯台は、小学生の私にはされませんでした。
胸やお腹、足首と何ヵ所も縄を巻いて、横向きに吊られる形もありました。
これも姉がされた時は、胸を下向き吊るされて、乳首に重りの付いた洗濯ハサミを挟まれて引き伸ばされていました。
あと、されて恥ずかしい吊りは、手を後ろに組んで縛られて鴨居から吊られ、両足も英語のM字に広げられてそれぞれ頑張ってから吊るされる形です。
おじさんの顔の高さに、私の割れ目が広がってて、意地悪なおじさんはそんな私の前に大きな姿見を置いて、私に見るように強要しました。
恥ずかしいから目を伏せたり閉じてると、私の小さなビラに紐付きの洗濯ハサミを挟んで、左右に引っ張ると言うとんでもない拷問をされました。
まあ私には恥ずかしくて見ない私に見せるための拷問でしたが、姉はビラだけでなく、乳首、クリトリスにも挟まれ、しかも重り付きでした。
我慢強い姉が「ううっ、ううっ、」と痛みを噛み締めるように呻いていたのは、すごい凄みをと感じましたし、おじさんも「すごい!すごいじゃないか!」とどんどんフラッシュを焚いて写真を写していました。
その後、空中に浮いたままの姉の膣に、銀色の膣鏡が入れられたんです。
これは姉も初めてだったそうですが、おじさんから促されて懐中電灯で照らされた姉の膣の中を見せられ、最初は単純に、「ぬめぬめとした赤い肉の色だ」って思いましたが、次第に「お姉ちゃんは、内臓まで拡げられちゃったんだ」と言う考えが頭に浮かんできて、そこまでされる姉がすごく可哀想になりました。
でも、そんな感情にも関わらず、おじさんの事が嫌になるなんて言う気持ちは全く起こりませんでした。
これは自分でも、不思議な心の動きだと思いました。
また、「お姉ちゃんのようにおじさんに恋をしたら、私もあんな拷問に耐えられるようになるのかな」とやはり憧れに似た気持ちもありました。
吊りの事については、次にももっと書きたいと思います。
後になりましたが、外国の軍人さんのイメージを思い出させてくれた13番様、ありがとうございました。
続きをありがとうございます。歳の近い人に見られたんですね。でもおじさんは言葉巧みに切り抜け小遣いを渡し話を変える事で切り抜ける。やっぱり慣れているのか?おじさんの賢さなのか。何事も無く良かったです。お姉さんやかずみさんの吊るされたお話も興味津々です。また続きをよろしくお願いします。
おやじ様、いつも目を通してくださってありがとうございます。吊りをされたことについて、もう少し書かせていただきます。拷問で、吊られて責められるイメージは色々ありますが、実際におじさんからされた吊りは、いつも短時間でしたし、それも吊られてた姿をおじさんが写真に撮るので殆ど費やされていました。おじさんは、浣腸などの時も時間を計っていましたが、吊られる時も当時流行り始めたデジタルの置時計を必ずセットしてから始めました。それと、見せてもらった写真では、猿ぐつわなどで口を塞がれた女の子の写真も多かったのに、おじさんは私や姉に対しては、写真を撮すほんの短時間以外は吊りの時に口を塞ぎませんでした。これも実話かどうかは分かりませんが、おじさんが以前森の中で女の子に吊りをしたところ、ほんの少し目を離して道具を取りに行ってる間に、その子が嘔吐してしまい、口を塞がれてたために口や鼻が詰まって窒息しかけたそうです。実際には、それほど私達に気を使ってくれてましたが、見せられる写真や話す内容は、本当に恐いものもありました。東南アジア系と思われる多分私と同じくらいの女の子が、開脚逆さ吊りをされてるのですが、お尻にホースが繋がれいて、お腹が異常に膨らんでるんです。顔のアップでは、完全に気絶してるようでしたし、鼻や口からいっぱい泡が出ていました。おじさんから「ゲリラからの、裏切者の家族への報復」と言った内容の説明をされました。私が「この子生きてるよね?」と聞いても「さあ、わかんないな」とはぐらかされました。当時はベトナムやカンボジアなどでまた紛争や戦争があってましたから、あの写真は多分本物だと思います。似たような内容ですが、こちらは日本人らしい少し歳上の少女が、やはり開脚逆さ吊りをされているんですが、お尻にホースではなく、挟まれて広げられた前部の割れ目にから細い管が下に伸びていて、それを女の子が口で咥えているというものでした。管によって導尿されたおしっこを、自分で飲まされてると教えられました。こちらの写真は、少女は明らかに生きていると分かりましたので、恐さより「可哀想だな、私でも耐えられるかなあ」と少し憧れた気持ちになりました。完全な吊りとは違うかもしれませんが、姉と二人並んで、鴨居に取り付けられた滑車に通された縄を股間に通されたことがありました。二人とも爪先立っていればぎりぎり食い込みませんが、片方が踵を着けてしまうと、二人とも縄が股間に食い込むんです。これは時間制限なしでされましたし、途中でおじさんから姉も私も鞭で打たれたり、乳首を挟まれたりと追加の拷問をされ、その度に足が床に着いて、割れ目も辛い思いをしました。さらに、股間だけでなく、同じように乳首も挟まれて紐で鴨居の滑車に吊られて、痛さに耐えきれない私は、じっと耐えてる姉の横で「もうだめ!痛いの!千切れる!」と泣きわめき、その姿を三脚で固定した八ミリフィルムで写されています。後からその映像を見せられて、自分のあまりの情けなさにしくしく泣き出しました。先ほど導尿されてる少女について書きましたが、これもおじさんにしてもらったことがあります。お風呂の寝台に、いつもより厳重に、足首だけでなく太股までベルトで固定されました。姉は先にしてもらった経験があり、私がされる前に「とても痛いのよ、おじさんにやらないって言った方が良いわよ」と言ってくれたんですが、それまでも何度も痛さで泣いてるくせに「お姉ちゃんがしたんだから、私もする!」と言ってしまいました。それが、いざされる時になると、おじさんがしてる準備だけでも、普段するアルコールで拭くくらいの消毒でなく、脱衣室にある銀色の箱を開けて、蒸気の中からゴムの管やピンセットを他のピンセットで取り出してる様子を見て、もう恐くて止めたくなりました。必死に頑張ってましたが、おじさんから割れ目に消毒液を塗られるころから、半泣きになってしまい、「お姉ちゃん、手を握って..」と言ってしまいました。おじさんは、いつもの感じで優しく「まだ良いよ、やめるかい?」と最後のチャンスを与えてくれたのに、私は泣きべそをかきながら、「して」と言っちゃったんです。姉から「さあ、ちゃんとおじさんが用意してくれてらのを見て!」って言われました。おじさんがゴム手袋にした手で、ピンセットで挟んだゴムの管に、別の容器から出るドロッといた薬を垂らすように着けていました。姉から「あの薬が痛さを和らげてくれるから..」と教えられました。おじさんがゴム管の先にも何か着けていましたが、そこでもう恐くて目を閉じてしまいました。ゴム手袋をしたおじさんの指が私の割れ目を拡げたと思ったら、直ぐに尿道に何か押し付けられました。「痛い!」と思ったら、もう熱い物がどんどんおしっこが出るところを奥に入っていきました。本当に痛いと言うより、「熱い!」でした。敏感な尿道は、擦られると熱いように感じるんだって後からおじさんに聞きましたが、その時は前に見た蒸気で医療器具を消毒する機械から連想して、「きっとおじさんが、先が熱くなってる道具を入れて拷問してるんだ」と思い込み、「熱いよー!お姉ちゃん、おしっこのところ、熱いー!」と恥じも外聞もなく泣き喚きました。でも、もうおじさんはどんどん管を奥に押し込んでいきました。
...省略されました。
いつも続きをありがとうございます。開脚しての逆さ吊り…当時の紛争地域では拷問も頻繁に行われてたみたいですね…とても胸が痛くなります。おじさんのしてくれる拷問とは意味合いが全く違うのでドキドキしながら読ませて貰ってます。尿道への管の挿入は私も経験がありますが(手術の為)かずみさんの体験を聞いて痛みや違和感が蘇りました。少女の膀胱に管を入れて自らのオシッコを飲ませる…すごいですね。興奮します。また続きをよろしくお願いします。
六年の夏休みに、私はついに発毛し始めました。最初に気がついてくれたのは姉で、まだ割れ目の上の部分の産毛の色が濃くなった感じでしたが、気がついて2週間目には、鏡に撮すとはっきり分かるようになってしまいました。いつも発毛してる姉のあの部分に憧れてた癖に、いざ自分が発毛すると「恥ずかしい」「みっともない」「汚なく見える」と発毛に対して、「嫌だなあ」と言う方の気持ちが強くなりました。おじさんからも気がつかれ「和ちゃんも生えたか。おめでとう」と言われましたが、「残念だ」と思ってるのが分かりました。それでも「生えかけたところを撮りたい」と言われ、割れ目のアップの写真をかなり写されました。その後のことですが、姉がおじさんから「下の毛を無くして問題ないか?」と相談されました。姉は既に、母のような大人並みではありませんが、普通に下の毛が生えていました。それを無くしてしまって、また子供のようにしたいと言うことのようでした。姉は「してください」と即答したんですが、おじさんから「もしお母さんにばれるようなことがあると困るから、一週間お母さんからあそこを見られたりすることがないか確認してからにしよう」と言われました。私にも「和ちゃんの目からもお姉ちゃんを見て、お母さんにばれないか注意しといて」と言われましたが、姉くらいになれば、もう親と一緒にお風呂に入ったりすることもなく、大丈夫に思われました。私達の報告を聞いて、おじさんは「では、やろう」と言うと「和ちゃんにもいっぱい手伝ってもらう」と言いました。私も姉も「お父さんが髭を剃るみたいに、剃っちゃうんだろうな」と考えていました。そんなことをされてる少女の写真を、見せられたこともあったからです。ところがおじさんが姉にしたことは、もっと痛いことでした。足を拡げて縛られた姉は、毛抜きで1本づつ下の毛を抜かれたんです。抜かれる時は、激痛ではないけど、かなり痛いのは姉の顔を見てわかりました。途中で私が「カミソリみたいなので剃ったらだめなの?」と聞くと「剃ってすぐはいいけど、剃って毛の先が尖るから、伸びる時にチクチクなるんだ。お姉ちゃんも痛いし、それで当たる部分のパンツの生地が不自然に擦れて目立つこともある」と教えてくれました。しばらくおじさんが毛抜きを手にして抜いていましたが、最初は姉に「痛いだろう?耐えられる?」とか聞きながらしていましたが、そのうちしゃべらなくなって黙々とって感じで抜き続けました。姉も目を閉じてじっとしていましたが、時々痛いのか、眉を潜め、身体をビクンっと動かすことがありました。始まって30分くらいして、「ちょっと休憩」と言って、おじさんが顔を上げました。横の白い布には、大分抜かれた毛が貯まってるのに、姉の股間には、量は減ったものの、まだかなりの毛が残っていました。姉の抜かれた部分は、全体にちょっと赤く熱を帯びてる感じになっていました。私はおじさんから言われて、布で巻いたアイスノンを姉のその部分に当ててあげようとしたら、姉の割れ目には銀色の汁がきらきらしていました。「お姉ちゃんは、おじさんからされるのなら、どんなに痛いことでも気持ち良く感じるんだなあ」と改めて感心しました。姉は、アイスノンを当てた時は、ちょっと痛そうだったけど、「ありがとう、和ちゃん。冷たくて気持ち良いわ」と言ってくれました。ところが、その後におじさんから、「よし、続きは和ちゃんがしなさい」と言われたんです。「どうしょう?きっと痛くしてしまう!」「私にされるの、お姉ちゃん嫌かもしれない!」といつものように躊躇しました。でもおじさんは、声こそ優しいけど、一度命令したら撤回はしてくれません。私が躊躇してるのに気がついた姉が「和ちゃん、お願いね」と言ってくれました。私は右手に毛抜きを握って、左手で姉のあそこを押さえたり、拡げたりしながら姉の毛を抜きましたが、毛の伸びてる方向に真っ直ぐ引っ張ると抜けやすくて、姉の痛みも少ないと言うコツが直ぐに分かってきました。いつもの通りおじさんは、私達の周りをぐるぐる回りながら何枚も写真を撮りました。「うんうん、妹が大好きなお姉ちゃんの毛を無理やり抜かされる。お姉ちゃんは可愛い妹にされて、痛みと恥ずかしさをじっと耐える。とても良いよ」と誉めてるのか、囃し立てるのか、どっちにしても「私達、可哀想..」と意識して、それがますますいやらしい気持ちになってしまいました。もうこの頃は私も、いじめられたり、恥ずかしいことで興奮するまでに成長させられてました。姉は尚更で、大人の印を私から抜かれていくと言う恥ずかしさだけでなく、抜くために私が姉の割れ目を拡げたり、指がクリトリスなどに触ること等や、毛を抜かれる痛みそのものにも快感を感じていたようです。膣の辺りから出る銀色の汁はどんどん流れてましたし、呼吸もハアハアと荒く、しかも時には「ああっ!」と言って身体が痙攣したりしました。後で姉から「和ちゃんに抜いてもらってて、何回も小さくだけど絶頂みたいになったの」と教えてもらいました。ほとんど抜いてしまい、おじさんからお湯でぬるぬるなどを流してもらと、姉のあそこには見慣れてた黒さが全くなくなり、代わりに赤く熱を持った肌になっていました。
...省略されました。
下の毛を無くした姉は、家に帰ってもやはり気になるらしく、着替えの時などに、そっとショーツのゴムを緩めて上から無毛になったあの部分を覗いてみたりしていました。
今日は直接おじさんから私達がされたことではないけど、姉から経験したいやらしいことを先に書きます。
今は運動会、体育祭は春にする学校も多いようですが、当時は殆どの学校では二学期にやっていました。
二学期になり、私も姉も毎日学校で運動会の練習や準備をしていました。
姉の中学校と私の小学校で小運動会の日が重なりました。
これは本番の大運動会の前に、父兄を呼ばずにする全体予行練習のようなものですが、私達小学生は家から体操服の半袖シャツとブルマを着ていっていました。
姉も、上は半袖シャツの上から長袖のトリコットを着ましたが、下はブルマでした。
当時は体操の時は女の子は黒のブルマが当たり前でしたが、私が小学校に入学したころが、ちょうどだぶだぶの提灯ブルマから、お尻のシルエットがはっきり分かるショーツ型のブルマに変わったころでした。
小学生の時は能天気の私はあまり気にしていませんでしたが、小学生でもそんなブルマを「恥ずかしい」と思って、それを話す女の子はいました。
中学生になって男の子の目が気になるようになると、さすがに私でも、太股やお尻、そして開脚などした時の股間への男の子だけでなく、同性の女の子からの視線が恥ずかしくなりました。
もともと外では恥ずかしがり屋の姉は、尚更だったみたいです。
小運動会が終わり、私が先に帰って、お母さんがいない家の中で、まだ体操の服装のままゴロゴロしてたら、姉が帰ってきました。
姉の顔を見た時に、その日はおじさんの家には行かない筈なのに、姉の顔がうっすらと赤くなっていて、おじさんから拷問して可愛がってもらった時のような感じになっているのに気がつきました。
きちんとしてる姉には珍しく、掛け布団だけ出すと「和ちゃん、ちょっとごめん」と言って、体操服とブルマだけ脱ぎ、布団に潜ってオナニーをしました。
終わってハアハアしてる姉に「おじさんの家に行ったの?」と聞くと、「違うの」って言われました。
当時学校の校庭には、私達が指令台と呼んでいた、高さが1メートル弱くらいある鉄製の台が置かれていました。
朝礼などの時に、全校生徒が並んだ前で、先生がその台の上に立ってお話をするんです。
姉は生徒会の副会長で、生徒会長が挨拶をした後に、その台に立って、全校生徒に大会中の注意事項を話さなくてはいけなかったそうです。
「最初はそんなに気にならなかったのよ。間違えないようにって真剣だったから。」
「でも、ふと六年生の列の方を見たら、前の方の男の子が、じっと私を見てるの」
「あ、私を見てる、て思ったら急に..、あそこに毛が無くなってるのが気になり出したの」
「もちろん見える筈無いし、気づかれてる筈も無いってわかってるんだけど、なんだか全校生徒が知ってて私を見てるような気がしてきたの」
「そのうちね、おじさんの家で和ちゃんと一緒に見せてもらった写真で、奴隷市場で裸で台に立たされてる女の子のことまで思い出しちゃって...」
そんな風に私に話してくれながら、また姉の顔が興奮で赤くなってきました。
私も姉の話を聞きながら、「私が裸で友達とか皆見ている前で台に立たされたら..」と想像してしまいました。
甘えん坊だった私は、駄目で元々くらいの気持ちで「お姉ちゃん、お母さんが帰る前にレズビアンしようよ!」と言ってみました。
いつもなら「家じゃ、だめ!」とけじめをつける姉ですが、その日は先に私にオナニーを見られてるせいか、「ちょっとだけね!」と言って、玄関の鍵を確認してから裸になって抱いてくれました。
私が姉の毛が無くなった割れ目が見たいし、口でしようと顔を近づけたら、「お風呂入ってない。汚いからだめよ」と言ったのに、いつの間にか私の方が姉から、姉より汗臭くて汚いはずの割れ目を舐めてもらっていました。
終わった後に姉が私の割れ目をじっと見て「和ちゃんのここ、きれいだから良いわね..」と言ってくれました。
おじさんからの拷問の話でなくてすみません。
いつ頃されたことだったか、記憶が薄くなってた恥ずかしい方の拷問のことをかなり思い出してきましたので、次はそれを書くつもりです。
いつも本当にありがとうございます。私もかずみさんの歳と近いのでよくわかります。当時は体育の日があり秋場に行われてたましたよね。私の学校でも紺のブルマでした。今のようにポッチャリした女の子は少なく小さなお尻、すらりとした脚が思い出されます。お姉さんは司令塔で みんなが知るはずもないのに見透かされてるような感覚で恥ずかしさに感じてしまったんですね。いつも真面目なお姉さんがその日はレズエッチをしてくれたって…お二人のエッチで美しい光景が思い浮かぶます。また続きを楽しみにしてます。
今朝の投稿を読み返してみたら、姉は中学生なのに、最上級生のことを、六年生って書いてました。
まだ寝ぼけてたんでしょうか。
ごめんなさい。
今晩は私の好きなテレビもないので、また書かせていただきます。
姉と私の裸が、他の人の目に触れそうなことは、おじさんは細心の注意をしてくれてました。
それでも、外で裸にされるのは、やはりすごい羞恥とスリル、あと万が一の時を思うと恐怖も伴いました。
羞恥と恐怖を伴うことで、強いて言うなら「誘拐ごっこ」とでも言うことをされました。
軽四トラックの荷台に積まれた大きなダンボール箱の中に、裸で縛られた姿で入れられて、街中を走られたんです。
「二人ともこれから外国に売られるんだ」とおじさんに言われて、レンタカーの軽四トラックの荷台に積まれた大きなダンボール箱に、私と姉はショーツ一枚の裸で、後ろ手に縛られて向かい合うように体育座りで入れられました。
大きいと言っても、足は伸ばせず、本当に姉と膝を交えるように密着した状態でした。
箱には数ヶ所に細い穴が作られてて、そこに顔を当てると外も見ることができまし、隙間から風も入るので、それほど閉塞感は感じませんでした。
むしろ、かくれんぼをしてるような、不思議な高揚感を
感じました。
私達を入れると箱の横が閉められ、おじさんが箱の上からロープを掛けているようでした。
その作業をしながらおじさんは、「途中で倒れたり落ちたりしたら、大切な売り物に怪我をさせるからしっかりとね」と私達を安心させるような事を言うかと思うと「二人とも私が手に入れた最高の女の子だから、外国で高く売れるぞ」「もうお父さんお母さん友達とも会えないね。」など、お芝居にしても酷いことを、わざと私達に聞こえるように喋っていました。
いよいよ準備が出来ると「口を塞いでないから、話すのは自由だけど、他の人に気づかれたら裸を見られるよ」と念押しされました。
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