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性的虐待体験 RSS icon
※幼少時に受けた体験談

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2015/10/31 13:58:55
母親が高校1年の3月に私を産みました。

父親はその頃には付き合って彼氏だそうです。

母親は高校も中退して私の祖父が経営してた不動産会社で事務の見習いをしながら働いていました。

些細な事から私の祖母と喧嘩して、一緒に住んでいた実家から出てアパート暮らしを始めました。
仕事もスーパーで働き始め、私も小学校に入学してすぐだったので、放課後は祖父の会社の事務所で時間を潰していました。
事務のおじさんで、多分40代の人がよく私を構ってくれてて、私もなついていました。

事務所は午後になるて、だいたいそのおじさんが一人で留守番してて、私が学校から帰ると遊んでくれました。

誰も居ない時はソファーに座ったおじさんの膝の上に座りおやつを食べたりもして、その時よく身体を撫でられてて、素足を優しく撫でられると気持ち良かった。

テレビを見ながらおやつを食べてると、おじさんの手が太ももを撫でながら上がってきて、パンツの上から脚の付け根を撫でたり、マッサージする様に揉まれたりもしてました。

別に嫌じゃ無かったから、おじさんのする事を拒ばなかった。

アパートに暮らし始めてすぐぐらいに母親は一人の男の人をアパートに連れて来て「ママの大好きな彼氏さんだよ」って紹介された。

優しい印象の人で、3人で買い物や遊びにも出掛けてました。


その母親彼氏さん(たっ君)も、よく私を抱っこしてくれたり、あぐらの上に座らせてくれてて、父親を知らない私は束の間の父親の温もりを感じていました。

始めてたっ君がお泊まりの日の夜に一緒にお風呂に入ると事になり、母親もニコニコしながら私の下着を用意してくれてた。

恥じらい何か感じる年齢でも無かったから、さっさと服を脱ぎシャワーで身体を洗ってお風呂に浸かって居ると、たっ君も入ってきた。

何気にたっ君の股間に目が行ってしまってた。

ピョンピョンとおちんちんが水平に突き出る様になってたから。

祖父ともお風呂には入ってたけど、祖父のおちんちんはダラッとぶら下がってるだけだったから不思議だったけど、何も言わないでいた。

たっ君の髪や身体を始めて洗ってあげた、友達がよくお父さんとお風呂に入った話を聞かせてくれてたから、私も母親の彼氏さんだけど洗ってあげられて嬉しかった。

今度は私がたっ君に洗ってもらう番で、スポンジにボディーソープを垂らしていっぱい泡立てて優しく洗ってもらってたら、事務所のおじさんが撫でてくれる感じより気持ち良かった。

泡だらけでになったままの股をたっ君の指がワレメの溝を掻き出す様に動いてて、くすぐったかった。

髪も洗ってもらい、二人でお湯に浸かりながら色々な話をしている間も、たっ君のあぐらの上に座ったてる私の身体を素手で洗いながら、ワレメは指先で洗ってくれてた。

小学2年生になってからも私があぐらの上に座ると、事務所のおじさんやたっ君は撫でてくれて、最後にはワレメに指先で触ってて、私はこれが普通なんだ、と思ってた。
でも、2年生の夏休み前からたっ君は家に遊びに来なくなり、母親がたっ君と別れた事を話してくれた。

3年生のゴールデンウィークの時にディズニーランドに遊びに行くことになった。

母親と二人だと思ったら、男の人が車で家に迎えに来た。

新しい母親の彼氏らしく、母親から年が離れて見えた。

見てたら、やたらと母親にベタベタした態度をとってて、キモかった。

私にも話し掛けてくれるけど、素っ気なかった。

そこそこ楽しかったけど、母親を取られたみたいでイラッとした事もあった。

家に着くと、新しい彼氏さん(Aさん)が泊まる事になった。

お寿司の出前を頼み、ビールを飲んで酔ったAさん、食べ終わりしばらくするとAさんがお風呂に入ると言ってその場で服を脱ぎ始めた。

お風呂場に行くAさんを見た母親が「美香、Aさんの背中を流してあげたら」といきなり言われ、はっ?となった。

その頃には恥じらいみたいなのも有ったし、何より私に冷たい感じのAさんと一緒にお風呂に入るとか考えもしなかったし、会話に困るわ、って思ってたら母親は「たっ君とは入ってあげてたじゃん…」と何度も催促してくるし、ディズニーランドとお寿司のお礼のつもりで仕方なく着替えの下着とパジャマを持ってお風呂に向かいました。

服を脱ぎ、下着は洗濯機に投げ込みお風呂のドアを開けると、顔を真っ赤にしたAさんがお湯に浸かりながらこちらを見ていた。

シャワーで身体を洗ってたらAさんがお湯から出たので、私がお湯に浸かろうかしたら腕を捕まれ「背中を洗ってくれるかな?」と言われたので、さっさと身体と頭を洗ってあげてお風呂から出たかった。

お湯に浸かれないままAさんの背中を流してあげたら「前も洗ってくれるかな」と言われ、胸毛の生えてる胸や腕やお腹や脚を洗ってあげたら「ここも」と立ち上がりブランとしたおちんちんを突き出す様に腰を前に出してきてた。

キモかったけど、我慢して洗ってたら段々硬くなってきてて不思議だった。

髪も洗ってあげようとしたら、断られたからラッキーだった。

寒くなったのでお湯に浸かろうとしたらAさんも入ってきた。

Aさんのあぐらの上に座らされる様に身体を持ち上げられた。

Aさんの手がお湯の中で動き始め、まだまっ平らな胸の乳首を指が触り始め、もう片方の手が太ももを擦りながらワレメを触り出してた。


背中にAさんの胸毛が感じてキモかったから早く出たかった。

でも、しつこくAさんの指がワレメを触るので出られない。

「じゃ美香りんの身体を洗う番ね」とか、美香りん

マジでキモかった。

普通はスポンジにボディーソープで泡立ててから身体を洗うんだけど、なぜかAさんは自分の手のひらにボディーソープを垂らし直接私の身体を洗い始めた。

腕や背中、お腹やお尻を洗い、Aさんと向き合う様に立たされ、脚を少し開く様に言われて開くと片足ずつ両手で洗いながらワレメにも指先で洗ってた。

ヌルッとお尻の穴に指が入ったのが分かった。

恥ずかしかった。

今度はお尻の穴とは違う穴に指が入ってきて、チクッとした痛みが走った。

Aさんが「バスマットに横になって」と怖い口調で言われた。

まだボディーソープを流して無いから、ツルツル滑ったけどバスマットに仰向けに寝転がると股を強引に開かれた。

理科室で見たカエルの標本みたいなカッコウになってたと思う。


早くお風呂から出たい、そう思いながらAさんのする事を眺めてた、Aさんはは両方の手の指でワレメを左右に広げてきてた。

男の人にそんな所を見られたのは始めてで、恥ずかしかったし、どうしてそんな所が見たいのか不思議だった。

ヌルッとまた穴に指が入ってきて、さきより奥に入ってきてて、中でグニグニ動いてて痛かった。

その時、脱衣場の入口のドアがノックされると「私も一緒に入っていい?」と母親の声に「ゴメンもう上がるよ」とAさんが返事をするより先に私の中から指が抜けてた。

私はシャワーでボディーソープを洗い流してすぐにお風呂場から出ました。

そのあと、Aさんもお風呂から出てきて母親がお風呂に行っている間にまたAさんは、あぐらの上に私を座らせると、パンツの中にてを入れてきて、ワレメを触り始めました。
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病院の検査

投稿者:〇菜 ◆CSZ6G0yP9Q
削除依頼
2015/10/25 02:48:01
私が小学3年生の時、太もものかぶれで近所の病院へ行った時のことです。
いつもはたいてい母と一緒に行っていたのですが、その日はたまたま私一人でした。
いつもベッドに寝かされてスカートをめくり上げて診てもらうのですが、その日は先生が
「ほかの場所にも広がってないか調べよう」
と言ってパンツを脱ぐように言われました。その時は検査だと思っていたので全然なんともなくて、恥ずかしいとかもなく言われるままにパンツを脱いでベッドに寝ました。先生が私の両足をぐーっと開いて最後に指で性器を広げられました。なんかスースーして変な感じだったのと、そのまま
「はい、おなかの力抜いて」「息吸って、はい、吐いてー」「今度はおなかに力入れて」
と言われるままにしました。何度か言われるとおりにしてたら、
「はい、もう終わりだからパンツはいていいよ」
と言われました。ベッドから降りた後、先生がスカートに手を入れてきて
「さっきの検査でちゃんと女の子の大事なところが見えてたから大丈夫だよ」
と言われてパンツの上から2、3度くりくりとされました。
当時は検査だと思ってたけど、今考えるとこれって間違いなくいたずらされてましたよね…


752
削除依頼
2015/06/03 03:00:59
私には母性が欠如していました。
娘が生まれたときから愛せなくて、かわいいとは思えずに義務感だけで育てました。

もちろん、愛情あるお母さん方の真似をして、お昼寝させたりおやつを一緒に作ったりしました。ただ笑顔を作って…保育士さんのような仕事になっていました

それが苦しくて辛くて自分を責めているうちに夫婦ともに鬱になってしまい離婚してしまいました。元夫は親も他界していたため、引き取ってくれると思っていた娘は、私が育てることになってしまいました。


離婚から2年、娘が7歳のときに新しい彼ができました。私は本当に彼の事が大切で、鬱のせいもあり彼に依存するようになりました。

全てが言い訳でしかありませんが、その後私は彼が娘に悪戯しているのを知ったあとも彼と別れることなく一緒に暮らしました。

はじめは娘の下着の汚れを疑問に思ったくらいでした。シミができるようになっていたのですが、それは小さい子でもよくあること。ただ茜のパンツのシミは感想してカリカリになっていて、まるで大人のような量でした

それでも早い子は5歳くらいでも自慰をしたりするので、1人でおいたしてるのかな…と思う程度でした。

あとになって分かったのですが、この頃、彼は茜のクリトリスや縦筋をパンツの上から執拗にこすり、自慰を覚えさせていました。「気持ちいい?気持ちいいんだろ?」という声も残っていました…彼は日付と茜の年齢を入れた動画を撮っていたんです。

まだ性教育もうけていなかったはずですが茜は「やだ、やだ」と小さな声で抵抗していました。でもあんなに濡れていたことを思うと複雑です。

次にもしかすると…と感じたのは茜の言動でした。おじさんもう来ないでほしい…と言った時には変な確信めいたものを感じました。

でも何かされているのかと聞いてしまうと、全てが崩れそうで何も聞かなかったフリをしてしまいました。

安定した生活をくれて、私の頑張りを見てくれる優しい彼が小さな子どもに手を出すはずがないって思い込んでいる方が楽だった。


でも茜が10歳になったときに、とうとう全てが崩れてしまいました。一緒に住むようになっていた彼のパソコンから娘の成長記録が出てきたんです。

自慰をさせられている7歳の茜。隣では彼が自分のものをしごきながらそれを見ていました。また茜の割れ目やそれを広げているもの。そこに顔をうずめている男の姿

大人のモノを口いっぱいに入れられて涙目になっているのにゆっくりとピストンしはじめて、男のものが小さな口を出たり入ったりしているもの。


8歳の茜。背後から撮っているのか男が股間に顔をうずめると小さな足の裏しか写っていないのですが、その足がビクンビクンと痙攣するように動いていました

まだ膨らみすらない胸に男のものをこすりつけられて、ただぼんやりと宙を見ている姿。学校の制服を着たまま、男のものをくわえている女児。

9歳の茜……。男の精子を口にためて見せている女児。自分の割れ目やクリトリスをカメラの前でさわっている。男がまた自分でしごいて彼女の割れ目に放出しているもの。膨らみはじめた胸を執拗に舐めている男の手は、女児の割れ目や包皮をさわり続けている。女児の体がくねくねと反応している。

10歳の誕生日をむかえる一ヶ月ほど前。「ぃたい、もうやめて、ぃだいよ」初めてに近い茜の声が入っているものは、貫通されているものだった。まだ未成熟な割れ目を広げて挿入した所で画像が切れて、三脚に固定したのかまだ体の小さな子に覆いかぶさり、うめき声をあげる男の姿が写っていました

そのうめき声の向こうには「ぃだい……たい……ぃだ…よ…」と何度も繰り返す小さな子どもの声。

「あかね、ちんぽが気持ちいいよ。あかねのマンコがよすぎて…」と話しかけてはうめき、腰をゆする男。この日3度ほどあかねを犯していた。

その後の映像も、全て挿入しているものでした。いやらしい音をたてて、男は激しくピストンし、男に比べるとあまりに小さな体は揺さぶられ、持ち上げられ、女児は女の汁を出していました。

月に一度くらいの頻度で私がいないときに虐待を繰り返していたようで、その映像全てを見ることはできませんでした。もちろん、裏切られたことに対する憤りや、母性がなくとも人として生まれる嫌悪感、そして自分に対する後悔と嫌悪感。

そういったものが襲ってきたのでどちらにしても、4年半の記録のすべてを見ることは精神的にも無理だったと思います。

そこで私は完全に壊れてしまいました。壊れる権利があるのは茜の方なのに、私が壊れました。錯乱し、過呼吸をおこし、薬を大量に摂取しました。そして1か月ものあいだ入院したのです。

その間は、彼と茜は二人きりでした。
月に一度の我慢だった茜には、辛い一ヶ月だったはずです。彼にとっては邪魔な私がいないのですから、天国だったかもしれません。

退院してから半年。
彼に依存していた私は、死ぬ思いで彼を追い出すことにしました。

私はまだ、茜が彼に性的虐待をうけていたことを知っているとは言えていません。



753
2015/10/24 00:59:23
8歳から13歳まで養父から性的な虐待をうけていました。7歳上の義兄は、それを知ってか知らずかすぐに別れた親の方に行ってしまいました。唯一、養父に物を言える義兄が去り、悪戯程度の虐待は男と女の行為になっていきました。

はじめはお風呂に一緒に入ってきて、アソコを必要以上に綺麗にする程度でした。泡をつけた養父の手が太ももから割れ目へとゆっくりと上ってきて、割れ目に沿うように洗うのです。幼い体は幼さに不釣り合いな、気持ちいいという感覚を覚えました。

兄が去ると、自営業をしていた父は頻繁に私を仕事に連れて行きました。仕事は実際他府県に行くなど、時間のかかる仕事が多かったのですが、私と行くときは決まった場所に行きました。車の中で触りっこしてました。

ある日、もっと気持ちいい遊びをしようと目隠しされてパンツを脱がされ、クンニされました。目隠しされていても舐められていると分かりましたが「何してるの?お股ぬるぬるするよ」ともじもじと腰を動かして逃げるしか出来ませんでした。養父は何も言わずに離れると、はぁはぁと荒い息をしていると思ったら股に熱いものがかかりました。

それからはよく仕事だと連れ出されると同じことを繰り返しました。

フェラを始めてしたときも同じ場所でした。車の中で父のものを舐めたり咥えたり…そのときはもういけない事をしているのもわかっていましたが、共犯という概念をいつの間にか刷り込まれていて、いう事を聞くのが一番いいんだと思っていました。

母が父のいいなりだったのも大きく影響していたんだと思います。それでも母が近くにいるときは何もありませんでした。そんな母が実家に帰らないといけなくなったときに私を置いていけという父と、連れて行く!という母の喧嘩がその後の私達家族の歪んだ生活を決めてしまったと思います。

母はそれ以降、全く父に反論することはなくなりました。私は母が帰省しているときに養父に「新しい事」を教えられました。新しい事は痛くて恐ろしいことでした。大きな父が上に乗ってきて、腰を打ち付けてきました。私の下半身は砕けるようでした。アソコは火がついたように痛みました。



754
2015/10/22 19:22:31
その時、自転車で友達の家から帰宅途中に、バイクが突っ込んできた。
それで私は自転車ごと倒れた。
膝は擦りむいて、腕とか痛かった。
バイクの人が私を自転車から引きずり起こして、
「大丈夫ですか?起き上がれますか?」と、起こしておいて言う。
自転車を見るとハンドルも籠も曲がっている。
バイクの人は、しきりに「ごめんね」をくり返し、私を気遣っている振りをして目の前のドアを開けた。
気がつくと部屋の真ん中に私、周りに6人かそれ以上のおじさん。
「お嬢ちゃん、ぶつけられちゃったんだ?」などと言いながら、笑い顔。
どうして自分はそこに居るのか、どうしたら良いのか、判断するには猜疑心もなく経験もなく、事故後という状況もあいまって、抵抗できなかった。
それで、おじさんたちが触ってきたり舐めてきたりした。
私の痛い身体を気遣ってくれる人はいなかった。
逆に掴んできて、動けなくされた。
私が何か言うと、みんな笑った。
おじさんたちは順番にズボンを脱いでは、私を犯した。
四人目が、バイクの人だった。
逃げようとしたけど、ほかの人がもっと強く掴んで固定されてしまった。
やっと、悔しくて涙が出た。
その後に何をされたのか、ほとんど覚えていない。
そんな私なのだが。
今はSM嬢をしている。
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