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性的虐待体験 RSS icon
※幼少時に受けた体験談

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2013/05/12 17:17:00
今から32年前の6月くらいの話しです。当時私は小学6年生でした。父は自営業だったのですが、仕事がうまくいかず家計が大変でした。少しでも家計のプラスにしようと、私は暖かくなった4月から新聞配達のアルバイトを始めました。当時の私はどちらかというと小柄な体型で痩せているので、自転車に200部くらいの新聞を積んで配達するのは重労働でした。毎朝4時半に起きて7時前には配達を終えて家に戻り、支度をして学校へ行く。のが日課でした。配達コースが決まっているので、どこの家に何時何分に届けるのか大体決まっています。その中で、いつも6時30分くらいに配達する、線路脇にある三角の建物(アパート)があり、そこの2階に住んでいる40歳くらいのおじさんがいました。その建物は下が倉庫みたくなっていて脇に階段があり、そこを昇っていくと襖があり、そこを開けるとワンルームの6畳くらいの狭い部屋になっていて、そのおじさんはそこに一人で住んでいました。毎朝6時半くらいに脇の階段を昇っていって新聞を届けていました。届けにいくとおじさんはいつも起きていて、『おー、ヒロカちゃんごくろうさんね!』と声をかけてくれました。外見は具志堅用高似でいつも気さくに話しかけてくれるおじさんでした。襖を開けるとその狭い部屋全体が見渡せるのですが、正面にはその部屋にそぐわない大きなステレオがあり、奥の方には煎餅布団が敷いてありました。
新聞配達を始めて一ヶ月くらい経った頃、そのおじさんの部屋に配達行った時に『ヒロカちゃん、いらないレコード処分するからいらない?沢山あるから持っていっていいよ』と段ボールに詰められたレコードを指差して言われました。どんなのがあるのだろうと思い、その時初めておじさんの部屋に入りました。段ボールに入っているレコードを見ていると、おじさんは『いつもごくろうさんだね』とジュースを入れてくれて、学校や家のことを話しました。うちの親は虐待まではいかないですが、相当厳しく私を育てていました。おじさんはすごくやさしく話してくれて、大人でもこんなやさしい人いるんだなと思い、その日からすっかりおじさんになついてしまいました。日曜日になると『配達終わったらジュース飲みにおいで!』と言われたまにおじさんの部屋に遊びに行ったり、ある日曜日には遊園地に連れて行ってもらったこともありました。そんなことが一ヶ月くらい続き、ある日曜日、6月の下旬で、早朝といえども凄く暑い日でした。いつものように6時半くらいにおじさんの部屋に新聞を届けると、おじさんは『ヒロカちゃんごくろうさん。今日は学校休みだよね!?配達終わったらまたジュース飲みにおいで!』と言われたので、『わかりました。後で来ます♪』と急いで配達を終わらしに行きました。
7時ちょっと前に配達終わった頃には、Tシャツが汗でびっしょりでしたが、自転車をこいでおじさんの部屋に向かいました。階段の脇に自転車を止めて、階段を昇っていくと襖が開いていて、おじさんは『ごくろうさん。今日は暑くて大変だったね!』といつものようにやさしく迎えてくれました。『お邪魔します!』と部屋に入ると、おじさんはオレンジジュースをコップに注いでくれました。喉が渇いていた私は一口で全部飲み干すと、おじさんは笑顔で2杯目をそそいでくれながら私を見て、『スゴい 汗!シャツもびしょ濡れだね…暑かったからね。ちょっと待って!』と言い、タオルを絞って持ってきてくれました。『拭かないと風邪ひくからね』といい、おじさんは私の顔や首筋、腕の汗を拭いてくれました。『こんなに汗かいて!』と言い、脇の下を拭いてくれたあと、Tシャツの中にもタオルが入ってきました。お腹や背中を拭いてくれてるとき、私は恥ずかしくてうつむいていると、おじさんは『こんなびしょ濡れなシャツ着てたら風邪ひくから脱いで乾かそうね!バンザイしてごらん』と言われ、ついバンザイしてしまい、スルリと脱がされてしまいました。当時小柄な私は胸もほとんどなく、大きさはAカップ以下だったけど、乳首がすれるのがイヤでスポーツブラだけは着けていました。おじさんは『これも乾かそうね』といいスポーツブラもあっという間に脱がせてしまいました。恥ずかしかったけど、胸を腕で隠したりすると逆にいやらしい感じがするのでそのままにしていました。おじさんは背中や胸をやさしく、必要以上に拭いて『おっぱい少し膨らんでるね』と言ってタオルで包み込むように拭いてくれました。私は恥ずかしくて抵抗もできず、苦笑いをするしかありませんでした。
次におじさんは『足も拭こうね』と言い、短パンを穿いていた私の足を太もも、ふくらはぎ、足首と拭いていき、『ヒロカちゃん、今度はあお向けになって!』と言われ胸を押されあお向けにさせられました。私はまさかと思ったのですが・・・やっぱり、おじさんはわたしの短パンのホックを外そうとしたので、私は起き上がり、『大丈夫です!ここはいいです!』と初めての抵抗をしました。するとおじさんはにっこり笑顔で『大丈夫だよ。恥ずかしくないから。きれいにするだけだよ。ちゃんときれいにしないと病気になっちゃうからね。』と言いまたやさしく胸を押してあお向けにさせられました。こんなことになるなんて・・・私はこのあとどうなるんだろう・・・と頭が真っ白になりました。
おじさんは短パンのホックを外すとチャックを開け短パンを下し始めました。おじさんは薄ピンクの下着を見て『可愛いパンツ穿いてるね』と言ったのを覚えてます。
私は恥ずかしくて両手で顔を覆いました。短パンを足首から外しておじさんの手が下着にかかったときに、恥ずかしさと怖さのあまり横を向いてしまいました。
おじさんはその行為を中断して、私の覆った両手をやさしく開いて『全然恥ずかしいことじゃないよ。大丈夫だからおじさんにまかせて!ちゃんときれいにしてあげるから。いいでしょ?』と頭をなでてくれました。私はうんとも言っていないのにおじさんはまた私の下着に指をかけてあっというまに脱がせてしまいました。私はもう観念しましたが、反射的に顔をまた両手で覆ってました。おじさんはほんの少し生えていた産毛のような陰毛を指で撫でて『大分発達してるね』と言い少し足を拡げました。『もうちょと拡げてみてね』と言われもう半分足を拡げると『じゃあ、きれいにするね』と言いタオルであそこの周りを拭いてくれました。拭いてくれながらおじさんは『ここ誰かに触られたことある?』とか『彼氏はいるの?』とか『オナニーって知ってる?』とか聞いてきましたが、私は全部首を振って否定しました。事実、私は誰にも触られたことはないし、オナニーなんかしたことはありません。ただ、クリトリスを触ると気持ちいい感覚はありましたが、オナニーまでにはいたりませんでした。
おじさんはあそこの周りを入念に拭き終わったらしく、今度は割れ目を開かれてヌルっていう感覚がしてクリトリスに今まで感じたことのないような気持ち良さが感じました。覆っていた手の指の隙間から見てみると、おじさんが私のあそこを指で開いて、口を付けているのが見えます。その光景を不思議な感じで見ていると私のあそこを舐めているおじさんの目と私の目が合いました。するとおじさんは『ヒロカちゃん、ここ気持ちいい?今きれいにしてるからね。ヒロカちゃんのここ固くなってきたよ。気持ちいいでしょ』と言ってまたクリトリスを舌で舐めはじめました。この時はまだイクっていう感覚は知らなかったけど、声が出そうなくらい気持ちよかったです。私は恥ずかしくて『気持ちいいです・・・』なんて言えるはずもなく、逆に気持ちいいと思われるのが悟られたくなくて必死に黙っていました。舐められている最中、おじさんの部屋でレコードをもらったことや、遊園地に行って遊んだこと等を頭で思い出していて、まさかこんなことされるなんて・・・と思いながらとは裏腹にエッチなもう一人の自分が覚醒していくような不思議な感覚がしていきました。
おじさんは時々口をあそこから離して指でクリトリスの皮をめくろうとしたり、膣に指を入れようとしていました。膣に指が入ってきたときは痛くて、『痛いよ・・・』というとおじさんは『ごめんごめん!』と言ってやめてくれました。どのくらい時間が経ったでしょうか・・・多分30分以上、おじさんは私のあそこを舐めていたと思います。
おじさんは『そろそろきれいになったよ。ヒロカちゃんのおまんことってもきれいな形してるよ。普通、こんなにきれいなコはいないよ』というようなことを言ってたのを覚えています。私はどういうリアクションしていいのかもわからなかったので、下着を穿きながらうつむいていました。おじさんは『大丈夫?怒ったかな?』と言ってましたが、私は首を横に振りました。おじさんは『そっか・・!ヒロカちゃんもこれから彼氏とか出来たらエッチなこともしなきゃいけないし、いろいろ教えてあげるからね』と言ってました。
私は短パン穿いてスポーツブラを付けるとまだ生乾きなTシャツを着て、『お母さん心配するのでそろそろ帰ります』と言うとおじさんは『うん、またジュース飲みおいでね。明日も新聞待ってるよ』と言われ、おじさんの部屋を出てきました。この日はここまでの行為でしたが、おじさんんとのこんな関係は、私が新聞配達辞めた中一の終わりくらいまで続きました。このあとの展開はまた時間があったときにでも書きます。
871
2013/05/12 07:23:57
中学1年の10月でした。
母子家庭で母と2人家族
その日は母が高校時代の同級生と旅行にいって不在の日でした。
たまに家に来るおじさんが来て夜ファミレスで食事をしました。
その後おじさんは私の家に泊まることになり
わたしの隣の部屋で寝ることになりました。

夜中にふと体に重みを感じで眼を覚ますと
いつの間にかおじさんが私の横で寝ていて、
わたしの胸の上に手をおいていたのです。
なんだか怖くて声を出すことができずじっと寝ているふりをしていました。
そのうちパジャマのボタンを外して、胸を触りだしたのです。
怖さといやらしさとで何もできずじっとしていると
その手がだんだん下のほうに下がってきて、
下着の中に手を入れてあそこを激しくさわりだしたのです。
勇気を出して「止めて」といったら、よけい興奮したのか、
私の体の上に乗っかって、胸にキスをしたり揉んだり、体中を触りまくられました。
こらえきれずに涙を出して泣きだしたら、「好きだったんだ」といいながらきつく抱きつかれてしまいました。
そのうちおじさんがおちんちんを取りだして、私のあそこに入れようとしました。
もうすでに生理があったので、「妊娠するかもしれない」と思って怖くなり抵抗しました。
でも結局処女を奪われてしまいました。
やっと終わった後。「誰にも言うなよ。いうと裕美子の恥になる「」と言われました。

でも、妊娠したらどうしようと思って、母親が帰ってきた次の日に母に打ち明けました。
母は顔をまっかにして私を叱りました。
産婦人科にいって妊娠していなかったことをしてホッとしましたが、
大事な処女をおじさんに奪われたのはくやしくてしょうがありませんでした。
872

(無題)

投稿者:美織
削除依頼
2013/04/26 17:34:51
小学生の頃、パパにヤラれてました。
婿養子だったので何か不満があるらしくママの悪口言いながらヤラれてました。
それを兄にバレて兄にもヤラレました。
今はそうでもないけど当時は深刻な悩みだったので先生に相談しました。
正直、一日に3人の相手するのが面倒でした。
エッチは気持ち良かったからいいけどフェラとか色々するのが超めんどー
当時は子供だったから逆らえなかったからね、ちと病んでサイトしてたら
このネタに飛びついてくる大人の多かったのも今思えば笑える
そんなに小学生とエッチしたいのかね?

873
2013/03/25 03:25:27
自分が24で相手の女が32のシングルマザーで小5の娘がいた
1ヵ月付き合って同棲ってことになり女の家に転がりこんだ
娘は子供ながらに結構可愛くて大人しめで友達もいないみたいだから
遊んでやってたら懐かれてね
女が夜の仕事で夜いないから自分が飯作ったりして
娘とゲームしたりしてたんだけど
ある日気がついてしまったんだよな
この娘の体エロイなって
小5の割にいい乳してたの
冗談で数回触ってみたけどすげー気持ちよくて
そんなこんなでロリ属性はあまりなかった自分も
目覚めはじめちゃって
ある時お風呂入ろうって言ったらいいよってことに
なってお風呂に入ったね
娘は乳がボンと年の割にデカイのにアソコは無毛で
どんな発育じゃと思った
おっぱい大きいねって言ったらクラスの男子にイジメられるって言ってたから
男はこのおっぱいが触りたくてしょうがないんだよって
そしたらお兄ちゃん触りたい?って聞かれたから
そうだねで触っていいよって流れで乳揉んで
その流れでここも可愛いねなんて言ってワレメ触って
気持ちよくなるよって言ってクリと乳攻めて
発育はいいみたいだから少しは感じてくれて
それからはオナニー教えたりフェラ教えたり
2ヵ月もしない内にはセックスして中出しきめて
毎日セックスしてたね
娘も子供ながらにイッたりしてたし
でも女が夜の仕事で別に男作って
突然別れてから会ってないね
娘も15か16かな、今は
自分とのことはトラウマにはなってないはず
だって自分とエロイことするようになってから
内向的だったのが少し改善して明るくなったし
性的虐待っちゃそうかもしんないけど
会ったらセックスさしてくれっかな
あんだけ可愛かったならさすがにもう彼氏とかいるだろう
はじめては自分だけどw
会いたいな、娘に
874
削除依頼
2013/03/22 23:38:22
二番煎じみたいだけど、うちの嫁も似たような過去があるので・・・。

うちの嫁さんは、5年生の時に股関節脱臼になって今でも歩くのに不自由しています。
生活に支障はないですが、歩くときに右足を引きずるようにしか歩けません。5年生の時に無理矢理お父さんにされたのだそうです。今でも小柄ですが、当時はもっと小柄だった嫁は、結局耐えきれずに股関節脱臼になりました。
お母さんは世間体を気にして病院へ連れて行かなかったそうです。それでも、痛みに歩けなくてひと月もした頃にようやく病院へ連れて行ったそうですが、その時にはすでに遅く、完治できない身体になっていました。
嫁が19歳の頃から付き合っていますが、初めて身体を許してくれてからまもなくして、ベッドの中で打ち明けてくれました。
嫁のご両親とは、当時何度か一緒に食事をしたこともあり、ごく普通の方たちだったので、嫁のそんな暗い過去がにわかには信じられませんでした。しかし、現実に嫁は足が不自由ですし、そんな作り話をするわけもないから、それは事実なのでしょう。
非常に明るくて気立てのいい女です。高校時代の先輩で、当時はひまわりのように明るい彼女はとてもモテて、俺には高嶺の花でした。告白されたことも何度もあるらしいのですが、付き合ったことは一度もないそうです。
どうしてあの頃の嫁があんなに明るかったのか、話しを聞いてわかったような気がします。暗い過去を思い出さないように明るく振る舞うことで、自分を騙していたんだと思います。
セックスは普通にできて出産も無事にすませ、今では二児の母親です。
夜の生活に今のところ特に支障はありませんが、ただ、俺と付き合うようになってから被虐性癖に目覚めたというか、自虐的になったというか、とにかくひどく虐められることを好んで、このままでは、いつか嫁を殺してしまうんじゃないかと心配になります。
セックスの最中に首を絞められることを望んで、何度か失神したこともありました。あと、リスカではないんですが、刃物で肌をなぞられることを悦び、こっちも狂気に取り憑かれるから、おかげで嫁の背中や内股には、うっすらとした細い切り傷がもう数え切れないくらい増えてしまいました。
昼間はごく普通の母親ですが、夜になってセックスするときだけ別人になってしまいます。昼間の明るさはすっかり消え失せて、別の女がベッドの中にいます。目つきからして、変わってしまうんです。責めているときは尋常じゃない目をしていますよ。
まだ子供たちは幼いから、声を聞いてもわからないと思いますが、本当に吠え狂うといった表現が正しいような喘ぎ方をします。
とにかく虐められれば虐められるほど、狂ったように悶えて悦ぶんです。自分を壊したがっているような姿は、やはり子供の頃に受けた性的虐待の影響なのかな?とも思ってしまいます。
普通ならセックスも暗いところを好むんでしょうが、嫁は明るいところでしたがります。だから、いつも灯りの点いた寝室で嫁を責めます。嫁がそうしたがるからです。
蛍光灯の点いた明るい部屋でしたがるのは、嫁がお父さんに襲われたとき、居間の蛍光灯が点いていたからだと思います。
一度だけ話してくれました。ずっと前のことですが、嫁は酔ったお父さんの荒い息遣いを聞きながら、ずっとまぶしい蛍光灯の光を見つめていたそうです。
やはりショックすぎて、その時にどこかが壊れてしまったのかもしれません。
明るくて可愛い女だけに、そんな過去をずっと忘れられずに引きずっているのかと思うと、すこしだけ憐れみを覚えてしまいます。
亭主としては、嫁が泣き疲れて泥のように眠るまで、責め続けてあげるくらいしかできません。


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