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性的虐待体験 RSS icon
※幼少時に受けた体験談

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2017/12/14 03:03:20
昭和40年代の初め頃に母親と秘密のクラブでいやらしいショーに出されていました。
母は本当に鞭やペンチなどで痛め付けられるSMショー。
私もいやらしい身体検査と体罰のショー。
メンスの時もされました。
必ず母との親子レズショーがありました。

626

投稿者:
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2017/12/09 20:55:08
複数の人と子供のときにして、気持ちよかったとはっきり言える人がいるなんて思いもしませんでした。ここで読んで驚いています、私は男性恐怖症とまではいかないまでも、男性不信になって今でも特定の人と付き合うことが出来ずにいます。

初めての相手は父の弟である叔父。3年生のときでした。父と叔父から悪戯されても抵抗できずにいたらある日、大きなものを股に入れられて痛くてバタバタと抵抗したけど、さらに奥に何かが入ってきて何度も内臓を押し上げられるような感覚に吐きそうになりました。あれが初体験。

その後そのことで両親が離婚。悪戯からも痛いえっちなことからも逃げることができたと思ってました。母が内縁の夫と同棲するまでは。

母の内縁の夫となった養父は、固い仕事をしていました。お酒も飲まずギャンブルもしない、傍からみれば何が楽しいのかと思うほど真面目に見える人でした。見た目はあまりよくないけど、私を一人で育てる母にとっては経済的な援助や、夜勤のときに留守にしなくてすむ養父の存在は大きかったんだと思います。

話がそれてしまってすみません。どうしても母を擁護したい気持ちになってしまいます。本当に母にとっては理想的な、真面目で安心して娘を見てもらえる人だったんだと思います


養父と母が同棲を始めたのは離婚して2年ほど。私が5年生の時でした。同棲が始まって間もなく私は悪戯されるようになりました。初めは養父の大きくなったものを見せられる程度でした。私がお風呂から出てくると、次に入る用意をしていたとパンツ1枚になった養父が脱衣所にいました。パンツは大きく膨らんでいました。

次は全裸。実の父や、養父と違って、先が丸くて大きくて驚いてじっと見てしまいました。

そして母がいない夜。養父は学校の性教育について聞いてきました。恥ずかしいし、叔父や実父とのことがあったので、気持ち悪くて無視をしていたら、AVを見せられました。最近は子供でも妊娠してしまうのだからちゃんと知っておいた方がいいと言って、見せられたAVは恐らくロリータのレイ〇系のものでした

その時3年生での初体験がフラッシュバックしてしまったのでちゃんと見ませんでしたが、養父は私が虐待を受けていたことを知った上でそれを見せたようでした

そして治療だといって快楽を覚えさせてきました。養父が言うにはセックスは痛いものじゃなく気持ちいいものだと体に覚えさせないといけないとのことでした

嫌だと暴れる私を後ろから抱きつくようにして押さえると、割れ目を触ってきました。怖くてまた暴れると今度は耳元で「しーっ。じっとしなさい。暴れないで」と私が暴れなくなるとまたパンツを脱がそうとしてきました。

また私が暴れて……と何度か繰り返すと養父はネクタイで私の手を縛り、足を括りつけました。暴れても暴れても、養父の手から逃れられなくなって泣いているとまた耳元で「目を閉じて、静かにしてみなさい。パパが触るところだけに意識を集中しなさい。いい子だね、可愛いよ」

私は諦めて目をぎゅっと閉じていました。割れ目をなぞる養父の手の動き、乳首をくりくりとコネ回す指、荒い息の音。幼い時の記憶から恐怖で体がカチカチになっていました。

そこから養父の執拗な責めが続きました。割れ目、クリトリス、乳首、アナルを指や舌で延々と責められました。怖くて怖くてどうしようもなく嫌なのに、体は養父の手や舌の動きに合わせるようにビクビクと反応していました

「怖い…こわいよぉ…ゃめてえ」泣きながらそう言うだけで精一杯でした。でも余計に養父は興奮してしまったのか「まん〇気持ちいいんだろ?濡れてヒクヒクさせて……」と卑猥な言葉をあびせてきて、手足を固定されたままの私に挿入してきました

本当に痛かったんです。「いたいぃ!!やめて痛い痛いぃ」て言っても、はぁはぁと荒い息遣いのまま養父は腰を打ちつけてきました。私の倍ほどもある体でのしかかられて、ブチブチと音をたてて腰をふる養父と、3年のときの初めての体験が重なって記憶が飛んでいます

脅迫ともいえる口止めをされました。そして母がいない日は、手足を拘束されました。玄関で、リビングで、私の部屋で、養父と母の部屋でも、家のいたる所で手足を拘束されて、嫌だって言ってるのに無理やりイかされました

怖くて気持ち悪いのにあそこが痺れて熱くなって…無理やりイかされて私が泣き出すと挿入してきました。「熱くてギチギチで楓のコマンは最高だ、初めてもほしかった」と言いながら

養父に突かれて中でイくようになると、もっと容赦なく責めてくるようになりました。挿入されて腰をふるようになってからの方が、悔しくて、怖くて、泣いていました

結局、お尻の最初は養父のものになりました。


627
2017/12/08 14:50:16
私のまわりにはロリコンの男逹が沢山居ました。
小さい頃は、一人の時に知らない男の人に声を掛けられたり、身体を触られそうになったりしたら気を付けなさい、と両親や学校の先生は言われて居ました。

だから、その様な場面に出くわした時には、その人とは距離を置いて話したりもしていたので、怖い思いをした事は有りませんでした。


その様な生活の中で、隣人や知人、身内の男の人達には心を開きなついていて、そんな大人の男の人達を信用しきっていました。


小さい頃の記憶なのでハッキリはしませんが、隣のお爺ちゃんに抱っこされると、何故かお尻の割れ目を左右に開かれる様に抱っこされて、時には、股間を擽る様な撫でる様にされてて、色んな人に抱っこされたりもしていましたが、こんな風にされたのはこのお爺ちゃんだけでした。

仲の良い友達の家に遊びに行くことも多々あり、ある男の子の家に遊びに行って、遊びに夢中になり服装が乱れると必ずと言っていいほどに「綾子ちゃん、服装が乱れてるから直してあげるからおいで」と言われて、その男の子のお爺ちゃんの側に行くと、上着を捲り下着等をスカートやズボンの中に入れる際に、下腹部辺りまで服を入れた時に偶然なのか、パンツ越しに股間を触られたり、たまたまなのかパンツの中に手が入って来たりした事も有りましたが、その頃は別に変とも思わずに、服装を直して貰ったと言う事でお礼を言っていました。


信頼していた顔見知りの大人の男の人達だっただけに、拒む事も不信に思う事は無くて素直にその行為を受け入れていました。


家の中でも色々な事が有りました。

身内の男の人による行為は、私の実の祖父による行為でした。

普段は厳しい祖父でしたが、私と二人だけの時には優しい祖父でしたが、その祖父が私にしていた行為は、他の家の祖父と孫娘とはあり得ない事がいっぱい有りました。

小さい子供が、身内や知り合いの女性の膝の上に座り抱っこされたり、男性のあぐらの上に座椅子に座る様な格好で座り、話をしたりする光景は普通ですが、祖父のあぐらの上に座る私に対して祖父は、スカートから伸びた素足を撫でる様にしながら触り始めて、そして太ももに素手を這わしながらパンツの上から股間を撫でる様にしたり、割れ目を指でなぞられながら話などをしていました。

私が小学校に上がってからもその行為は続きました…と言うより行為はますます卑猥な行為に発展していきました。

学校から帰れば、祖父か祖母が居て両親は共働きで、6歳離れた兄は中学校の部活とかで遅くなる事も多くて、学校から帰って来ると祖父母かどちらかが留守番をしていました。

祖父は側に祖母が居る時には、厳しい態度でしたが祖父が一人で居る時は、よく私を構ってくれたり一緒にお菓子を食べながらテレビを見ながら話していました。


祖父のあぐらの上に座る行為は小学六年生位まで続きました。


628
2017/12/06 04:51:57
中学卒業までブティックを経営していた母と二人暮らしでした。
母は私を別れた父の分身と思っていたようで虐待されました。
外では私を大切にしているふりをして、家庭内では掃除、洗濯、食事の用意まで全部させられてたし、私に落ち度がなくても自分の気まぐれで罰を与えられました。
罰の時は決まって手に物指しを持って「脱いで!」でした。
脱ぐのを嫌がったら「ガキのくせに恥ずかしがるな!」って物指しで叩かれ、泣きながら脱げば「何で泣く!」って叩かれ、泣くのを我慢すれば「ふて腐れた顔して!」って叩かれました。
人から気がつかれないように服で隠れるお尻とかわき腹を何度も赤くなるまで叩かれ、時にはあざが残ることもありました。
別れた父からクリスマスに可愛い服を買ってもらった時は大変な荒れ方で、さんざん叩かれた後で裸のままベランダに閉じ込められました。
近くの建物から見られないようにコンクリートの冷たい床に伏せるようにして寒さに震えました。
母は取引先の男性と関係を持っていましたが、私はその男性の大学生の息子に差し出されました。
ホテルの部屋で母から裸にされて服や下着を全て持ち去られて一人残され、どうなるのか心配で泣いてるところに相手の息子が入ってきて犯されました。
その後も付き合わされましたけど、この人は性的にはロリコンの変態ではあったけど、それ以外は勉強を教えてくれたりして優しく私を大切にしてくれました。
でも母からの虐待は止まず、その人との外出から帰ると、裸にされてあそこを広げて見られながらどんな変態行為をされたか無理矢理話させられ、「ガキのくせに感じたの?」「その年でよくあんな臭いもの飲めるわね」とか言葉でも責められました。
たしかに彼からされてた事は変態でしたけど、私にしてみれば母からされる虐待より遥かにましでした。
何より行為をされながら「大丈夫?」「よく耐えてくれたね」「可愛かったよ」と気遣ってくれる彼の声を出したけど聞くのが嬉しかったです。
中学を卒業の同時に私は父に引き取られ、父の再婚相手の継母と同居するようになりましたが、優しい女の人でした。
ただつき合ってきた彼との交際は中段しなくてはならなかったのがちょっと悲しかったです。


629

(無題)

投稿者:まりえ ◆C.8DqslHCk
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2017/11/27 15:43:10
小学校4年生から6年生の夏休み過ぎまでの約2年半の期間、私は個人教授の教師に
いたずらをされていました。幸いにも、性交渉までには至っていませんでしたが
私の心にはずっと深く残る記憶です。

きっかけは塾の延長線で、塾講師の家で個人教授をしてもらう事になったことでした。
その先生は非常にまじめで、都内の国公立大に通う、父兄にも信用の深い先生でした。
先生は鹿○島から上京して、一人暮らしだったので、その部屋で勉強する事になりました。

当時私は小4でありながら、145センチも身長があり大柄でした。たぶん胸も少し膨らみ
はじめ、お尻も丸くなりかけていました。
ある日、コタツで勉強中、先生が私をひざの中に招きいれました。とても慕っていたうえ、
私は忙しい父親とあまり接していなかったので、私にとってはうれしい行動でしかありませんでした。
背中で感じる先生の少し香水のような香りが混じった体臭を感じていたのを覚えています。
計算ドリルに夢中だった私は、先生の左手がセーターの上から胸を包み込むように触るのを
感じ、その手は中に入ってきました。小さく膨らんだ胸の上のもっと小さな突起を、先生の指が
滑るように動いていきました。私は嫌だという気持ちより、意味不明の感情と、感じたことのない
くすぐったいような快感で、うつむいたままじっとして、目を閉じていました。たぶん、生意気にも
硬くなった両方の小さな乳首を、左右交互に、先生はゆっくり撫でまわしました。

その後、右手がゆっくりとスカートの中に入ってきました。さすがに私は足をギュっと閉じましたが
先生の左右の足であえなく、私の両足は開かされていきます。先生の右手は、ゆっくりと太ももをすべり
、足の付け根を優しく撫でました。少し冷たい手の感触と初めての・・・恥ずかしいような
恐いことをしているような変なきもちでした。
先生の手は、パンツの上から私の性器を撫で始めました。私は恐いと言う気持ちより、そんな汚いとこを
触らないで・・・・という恥ずかしさで、身を縮めていました。指が縦筋にそってゆっくりと上下動
するたびに、だんだん感じたことの無い鈍い快感が頭の中でくるくる回り出し、あいかわらず乳首を弄ぶ
左手のリズミカルな動きで、私は少しのけぞって、「あっ・・・」という声を上げたのを覚えています。

その声がきっかけで、先生の手はおへその下くらいからパンツの中に入ってきました。最初、性器全体を
優しくゆっくりと撫でていましたが、その後指が溝に入ってきました。たぶん、子供のクセに、その時点で自分でもわかるくらい
濡れていました。自分ではきっとおしっこも漏らしたのだろうと、恥ずかしい気持ちしかありません。
先生は指を、小さく濡れた穴の入り口に少し入れたり出したり、成長してないクリトリスを皮の上からゆっくり
撫でていました。

「まりちゃん、気持ちいい?・・・」小さなしゃがれ声でした。
「うん・・・気持ちいい・・・」先生の首に頭をのけぞらせながら、せいいいっぱい答えました。

先生の指は執拗に性器を弄び、指も性器周辺もびちゃびちゃになっていました。もう私は抵抗するどころか
先生の指が動きやすいような体制をとっていました。

「誰にも言っちゃだめだよ・・・いい?・・・」先生の声が耳もとでささやきました。

その日帰宅して、お風呂に入ろうとした私は、自分が脱いだ、黄色く広い範囲でシミの付いたパンツから
漂う異様な匂いに、妙な背徳感と高揚感を覚えていました。

その日から、ほぼ先生の行く日は必ず、勉強の後・・・というか、いたずらの方がメインとなっていきました。
迎え合わせで先生の膝に乗り、大股開きで、性器や小さなお尻や肛門を弄ばれました。
私は先生の肩に顔を乗せて、抱きいましたついていました。
先生は、私の分泌物で汚れた指を、さりげなく自分の顔に持って行きましたが、そうやって指の匂いを嗅いでいることは分かってました。
気持ち悪いという気持ちより、なんだか可愛いような・・・きっと良い匂いはしないでしょうから
申し訳ないような恥かしい気持ちでした。

6年生になってからは、先生の硬くなったおちんちんを握らされたり、キスしながらパンツの上から、性器同士を
擦りつけたり、時としてベッドの上で、下半身だけ脱いだ私の股を大きく広げて、性器を舐められたり
しました。でも、今思うとなぜか、挿入はされませんでした。先生のせめてもの道徳心だったのでしょうか?・・・

6年生の夏休みが終わった頃、私は父の転勤で京○に移住したので、先生との「関係」は終わりましたが
その時の思い出は、今もなお胸の中で生きていて、たまに思い出すと恥ずかしい気持ちがわきあがるのです。
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