2024/10/20 21:51:01
(Xsf9GUZb)
電マを性器に当てると気持ちいい、という事が
知られるようになるよりも前の時代の話です。
当初は純粋に「マッサージ器」として売られており
うちの親も肩のマッサージ用として購入してきましたが
あまりお気に召さなかったらしく、最初すこし試しただけ
で、ほとんど使われていませんでした。
小4の遠足から帰ってきた時のことです。
両親は仕事に行っていて不在でした。
遠足でずいぶん歩いたので、家に付いたころには
足が筋肉痛になりはじめていました。
それで、マッサージ器の事を思い出し、
足をマッサージ器でマッサージすることにしました。
最初は普通にマッサージしていました。
足の付け根(股関節のあたり)も筋肉痛になりはじめて
いたので、そこに電マを当てた瞬間、
快感が全身をかけぬけました。
本能的に、「これはなんか違う」と思い、
そのときはそれ以上のことはしませんでした。
しかし、その一瞬の快感を、いつまでたっても
忘れることはできませんでした。
それ以来、ちょっと足が疲れるような事があると
「これは足のマッサージだから」と言い訳しながら
足のマッサージのついでに、電マを股関に一瞬当てて
快感を楽しむようになっていきました。
電マを股関に当てる時間は少しづつ長くなり、
逝く寸前までいって、怖くなって寸止めする、
ということ繰り返して遊ぶようになっていきました。
そしてXデーがやってきました。
その日、私は電マで何度か寸止めを繰り返したあと、
ついに我慢できなくなって、臨界突破してしまいました。
死ぬかと思うほどの快感で、そのまま気を失ってしまうほどでした。
まだ精通もしていない、小4の時の話です。
気が付いた時、幸い両親はまだ帰ってきておらず、
私はあわてて電マと部屋を片づけました。
死ぬかと思うほどのあまりの快感に、自分の頭が
おかしくなってしまったのではないかと不安になり、
電マあそびはもう封印することにしました。
それから、1ヵ月ほどは我慢しました。
幸い、自分が電マ遊びしている事は
誰にもバレていませんでした。
自分のアタマがおかしくなった訳ではない、とも
思えるようになっていました。
そして、1カ月後に、
「もう1回だけ」「逝く寸前でやめるから」
と、また電マ遊びをしてしまいました。
しかし1回始めてしまったら、
逝く寸前でやめることなどできず
また激しく逝きまくってしまいました。
あとはもう、麻薬中毒のようなものでした。
電マの使用頻度は2週間に1回、1週間に1回、
3日に1回、2日に1回、やがて毎日、そして
暇さえあれば親の目を盗んで電マ漬けで逝きまくり、
と、際限なくどんどんエスカレートしていきました。
そして母親に見つかってしまい、
電マは没収されてしまいました。
電マが無くなってしまい、しょうがないので、
それから自分でチ○ポをしごいて
ふつうにオナニーすることを覚えました。
しかし、あまりにも幼い頃に電マの強烈な快感を
覚えてしまったせいか、その後、成長してからも
普通のセックスでは逝くことができません。
これは結構深刻で、やはり電マはやめといたほうが
いいと思います。
ちなみに母は、私の様子を見て自分も電マを
股関に当てて試してしまったらしく、
その後、母の枕もとや布団の中には
いつも電マが転がっていました。