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果葬(かそう)
カテゴリ: 官能小説の館    掲示板名:ノンジャンル 官能小説   
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1:果葬(かそう)
投稿者: いちむらさそり




 あのとき、白雪姫が口にした真っ赤な毒林檎は、彼女の味覚にどのような疑念を抱かせたのだろうか。
 ただ甘いだけの口あたりではなかったはずだ。
 小気味良い歯触りの果肉に仕組まれた、おそろしく陰湿な気配を感じながらも、咀嚼(そしゃく)を止めることができなかったのかもしれない。
 果たして彼女は自ら毒を摂取し、しんと降り積もる雪のような深い眠りに落ちたあと、思わぬ接吻で目覚めることになるのだ。
 けれども私にはわかる。彼女は最初から彼の唇を、心を奪うつもりで、魔女の呪(まじな)いを利用したにすぎないのだと。
 色恋に狂った女々しい体を慰めることができるのは、セックスシンボル以外には考えが及ばなかったのだろう。
 ほんとうは男女の性交こそが毒だということを疑いもしない、なんて可哀想な姫なのかしら──。

 そんなふうに取り留めのない妄想に耽ったまま、花井香純(はないかすみ)は冷蔵庫の扉を開け放ち、その火照った頬に冷気の流れを感じていた。
 もうさっきからずっとおなじ姿勢を崩すことなく、左手に乗せた林檎の様子を眺めては、ごくりと生唾を飲み込む仕草に終始しているのだ。
 真っ赤に熟した果実は手に余るほど重く、その内部に甘い蜜を分泌させているのが容易に想像できた。
 そしてまた喉が鳴る。
 二十八歳になったばかりの女は、後ろ髪の結った部分をふうわりと片手でなおし、一呼吸おいて、艶めかしく濡れる唇を林檎の表面に重ねた。
 あ、あん──と喘ぎたい気持ちがほんとうになると、息のかかるその接点からは、たちまち卑猥な吐息が漏れはじめる。
 そしてただ一口、さくりと歯を立て、あとはもう勢いにまかせて下顎をしゃくった。
 もうじき、官能が舌にひろがっていくだろう。
 うっとりと瞼を閉じ、二度、三度と噛みほぐしていくと、そこから溢れ出す果汁が口のはじから垂れ、やがて下唇から顎の輪郭をつたって滴り落ちた。
 香純は陶酔していた。体のあちこちが種火のようにくすぶり、あわよくば、いますぐにでも慰めに先走りたいと思っている。
 女がこれでは始末が悪い。
 けれどもどうにもできない恨めしさが、あと一寸のところで理性を働かせているのだ。
 毒でもいいから、とにかく楽になりたい、快楽が欲しい──そんな欲求に促され、二口目をかぶりつこうというとき、冷蔵庫の半ドアを知らせるアラームが鳴った。
 はっと我に返る香純。
 気づけば林檎の蜜が、首から胸元までをぬらぬらと汚していた。
 それが誰の仕業なのかがわかると、喪服のおはしょりを丁寧になおし、ハンカチで胸元を拭った。

いけない。買い忘れたものがあったんだ──。

 このところの眠れない夜のせいで痩せてしまった頬に、ふたたび体温が灯った。
 ひっそりと広い家の中は、女独りきりではなにかと心細く、懐かしい生活音さえ聞こえてこない。
 キッチンの隣は十畳ほどの和室になっており、いまは急ごしらえの仏間にさせているのだ。
 あちらとこちらを仕切る引き戸の隙間へ目をやれば、亡き人の遺影が無言のまま鎮座して見えていた。

「こんなことになってしまって、ごめんなさい。孝生(たかお)さん」

 ほとんど唇を動かさないで、香純は遺影に向かって独り言を呟いた。
 そうしてかるく身支度を済ませると、線香の残り香をたなびかせながら家を出た。


 
2013/04/16 22:22:43(rIDFYmeq)
2
投稿者: いちむらさそり




「おまえさん、もう煙草はやらないのかい?」

 黒塗りのセダンの助手席に深々と座った大上次郎(おおがみじろう)は、運転手の男に向かって雑談を持ちかけた。

「ええ、まあ。あれは体に毒ですからね」

 車のエンジンを始動させながら、若手の藤川透(ふじかわとおる)がそれに応じる。
 かかりはあまり良くないが、これでなかなか妙な愛着が湧いて、おなじ車をずっと手放せないでいるのだ。

「聞いたぞ、藤川。もうすぐ父親になるんだってな」

「さすが大上さん、耳が早いですね。だから余計に吸えないんですよ。妊婦の前で二本指を立てようもんなら、離婚だ裁判だなんて騒がれかねませんから」
 言いながら、やれやれという表情の中にも、どこか幸せを滲ませる余裕もあるのだった。
 大上は皮肉な笑みを浮かべ、
「俺はもう三度も禁煙に失敗している。値上げしようが、体に毒だろうが、やめれんものはやめれん」
と自分の煙草に火をつける。

 やがて車は静かに走り出し、カーステレオから流れるラジオ番組の音声が、二人のくだらない会話を遮った。
 パーソナリティーらしき女性は声のトーンを微妙に下げ、めりはりをつけた語り口で、ある事件についての記事を読み上げている。

「これって例の、神楽町で起きた通り魔事件のことですよね?」

 先に食いついたのは藤川だ。
 それに対して年配の大上のほうは、
「まったく、物騒な世の中になったもんだ」
と鼻と口から煙を吹き出す。

「犯人の目撃情報も乏しいっていうし、まあ、夜の十一時なら無理もありませんね。被害者の名前、なんて言いましたっけ?」

「花井孝生、三十五歳の警備員だ。その日も通常どおりに出勤して、事件現場となった道路の交通整理にあたっていたそうだ。そうしたらいきなり背後から、ずぶり、というわけさ」

「犯人はそのまま逃走して、被害者はそこで息絶えたというわけか。まだまだ働き盛りで将来があったはずなのに、遺族の人たちの気持ちを思うと、なんだかやりきれませんね」

「所帯持ちで、夫婦のあいだに子どもはいなかったらしいが、そこの奥さんがえらいべっぴんだって噂が流れている」

 そこを右だと藤川に指示を出しながら、大上は喫煙の合間に上唇を舐めた。

「その話なら俺も知ってます。こんなときに不謹慎かもしれませんけど、若くして未亡人になると、ありもしない男関係の噂がいろいろと立つもんなんですよね」

「まさか、おまえさんもそのくちかい?」

「なにがです?」

「彼女の傷心につけ込んで、どうにかなろうって考えてるんじゃないかと思ってな」

 そう言って大上は、備え付けの灰皿で煙草の火を揉み消した。

「やめてくださいよ、そういうの。うちのかみさん、あれで結構、地獄耳なんですから」

 藤川は大げさに口を尖らせて否定した。
 その様子があまりに可笑しくて、大上は低い声で含み笑いをした。つられて藤川も笑う。

 そんなやりとりの中、車は大きな交差点で赤信号に捕まった。二人同時に車外の景色を物色する。
 飲食店の入った小さなビルから、それなりに名の知れた高層オフィスビルまでが、まるでブロックのパズルゲームでもしているみたいにびっしりと建ち並んでいる。
 企業がどれだけ成長しようが、社屋の底辺が限られているため、こんなふうに上へ上へとフロアを積み上げていくしかないのだ。
 日本は狭い国なんだな──と藤川はあらためて実感した。

「おい、藤川」
と半身を起こした大上が、遠慮がちに窓の外を指差す。
 何事かと思った年下の相方がそちらを窺うと、スーパーの買い物袋を提げた二十代くらいの喪服姿の女性が、ちょうど横断歩道を渡るところだった。
 袋の中身が紅く透けて見えているのは、おそらく林檎で間違いないだろう。

「あれが噂の未亡人ですかね?」

 そう藤川が頬肉を弛めると、
「どうだろうな。もしそうだとしても、あんな格好で外を出歩いた日にゃ、目立ってしょうがないだろうに」
と大上の口調はぶっきらぼうだ。

「上着の一枚でも羽織れば間に合うじゃないか。それなのに」

「仕方ありませんよ。心痛で、気がまわらなかったんでしょう」

 藤川は自分で言いながら、前を横切っていくその異様なまでに美しい女性のことを、いやしい目で見つめている自分に気づいた。
 それでも視線を逸らせることができないでいる。
 黒い蝶が花から花へと渡っているのだ──藤川の脳裏にはそんなイメージが湧き出していた。

 ふと隣を見ると、大上の皺の深い顔面がこちらを向いていた。
 取り繕う間もなく、
「よそ見してると、ろくなことにならんぞ」
という台詞を聞かされる。

「な、なんのことです?」

 藤川がとぼけていると、
「信号、青だ」
と言いながら、大上は二本目の煙草を口にくわえた。


13/04/16 22:32 (rIDFYmeq)
3
投稿者: いちむらさそり
3―1



「リーチ!」

 もう何度も聞いたその声に、場の空気はすっかり諦めムードに変わっていた。

「またかよ。お姉さんには適わないなあ」

「ビギナーズラックもここまでくると、実力に思えてくるぜ」

「そのリーチ、ちょっとだけ待ってもらえないかな?」

 そうやって面子の男らの弱音が一巡すると、
「麻雀て、思ってたよりも簡単なんですね」
と青峰由香里(あおみねゆかり)はピンク色の舌先をぺろっと覗かせた。
 初めのうちこそ七対子(チートイツ)あたりの比較的あがりやすい役ばかりを手持ちにしていたが、そのうちに跳満や倍満を連発するようになり、ついには役満まで披露してみせたのだ。
 由香里にしてみれば、これで面白くないわけがない。

 この雀荘に足を運んだのは、今日で二度目だった。
 たまたま知り合った主婦と世間話をしているうちに、お互いの育児疲れのことや、旦那に対する愚痴などで馬が合い、腹の中に溜め込んだ日頃のストレスを大いに発散したのだ。

「もっと楽しいストレス解消法があるんだけど」

 そう言ったのは相手の主婦のほうだった。どういうものかと訊いてみれば、うまくいけば小遣い稼ぎもできるということで、由香里はなにも考えずに二つ返事で話に乗ったのだった。
 まだまだ手のかかる子どもは一時保育へあずけ、家の金を勝手に持ち出し、その主婦と二人して麻雀に浸った。
 どうせ勝てないだろうと予想していた通り、その日の成績は散々なものだった。
 それでも局の中盤ぐらいの一時、由香里が有利になる場面もあったりして、自分の知らない世界を垣間見れたことに興奮とスリルを覚えていた。

 そして今日、由香里は一人でこの雀荘を訪れ、前回のリベンジを果たすべく手に汗握っているのだった。
 しかし先ほどの由香里のリーチ告知の直後から、面子の誰もが口々にする台詞の語尾に、どこかきな臭いものが混じっているような気がしていた。
 そんな不穏な気配を秘めたまま、東、南、西の男らがそれぞれの牌を切り終え、いよいよ由香里がツモる番になった。
 彼女が流れを呼び寄せているのは間違いなかった。
 牌の山から一枚取り、手首を返して、由香里はあからさまにがっかりしてみせた。
 そして面子の誰もが注目する中、
「ツモ!」
と宣言して目を輝かせた。たちまちギャラリーが沸く。

「また勝っちゃった。あたし、今日はすごく調子がいいみたい」

 由香里は胸の前で小さく手を打った。
 たった一人の女相手に、大の男が三人ともに負け越しを喰らっている。
 今日は久しぶりに家族で外食に出かけられそうだと、由香里はそんな淡い幸せに酔いしれていた。

「そのツモ、ちょっと待った」

 彼女の対面に座っていた髭面の男が、唐突にそんな言葉を発した。
 その両脇でさっきまで白旗を振っていた二人にしても、この場面では口のはじに気味の悪い笑みを浮かべている。
 由香里は事態を呑み込めずにいた。

「あたし、なにもしてませんけど」

 気圧されないように精一杯声を張り上げたつもりが、つい力みすぎて変に裏返ってしまった。

「それじゃあ、これを見てもまだ白けつづけるつもりか?」

 この言葉を合図に、由香里以外の三人が同時に牌を倒して、手の内を明かした。
 一見して、なんの意図もないただの出来損ないの手に見えたが、しかしそこには、あってはならないものが確かに存在していた。

「お姉さんがいまツモった一筒(イーピン)、俺らが四枚とも抱えてんだよ。いかさましたね?」

「そんなこと……」
と言ったきり、由香里はわなわなと口ごもってしまった。鴨にも葱にもなるつもりはなかったが、言い返すべき文句が何一つ思い浮かばなかったからだ。

「由香里ちゃん、だったよね?ここらではっきりさせておこうよ」
と右側の茶髪の男が言うと、
「その体のどっかに、ほかの牌も隠してんじゃねえの?例えばそうだなあ、下着の中とか?」
と示し合わせたように、左側の猪みたいにずんぐりした男もにやつく。
 由香里は反射的に立ち上がり、口をかたく結んで目を潤ませた。そして恐る恐るまわりを見渡してみて、そこに居合わせた全員の視線が、漏れなく自分に注がれていることに気づく。
 罠だ──と直感したときにはもう手遅れだった。
 都合のいい女を餌にしようという陰気な空気に包まれる中、博打の勝者になるはずだった由香里は、強面(こわもて)の三人に連れられて雀卓をあとにした。
 彼女の腰からぶら下がったラビットファーのストラップが、寂しげに尻尾を振っていた。


13/04/18 00:16 (PsqyD.jw)
4
投稿者: いちむらさそり
3―2



「ほんとうに、あたしはなにも知らないんです。嘘じゃありません」

 事務所と思われる部屋に入るなり、由香里は俯き加減にそう言い放った。
 そして部屋中に配置されている豪華な調度品を一瞥し、学生時代に一度だけ入ったことのある校長室みたいだなと、どうでもいい感想を抱いた。
 しかし彼女を取り囲んでいるのは良識のある聖職者ではなく、狂犬のごとく欲望を剥き出しにした浮浪者たちなのだ。

「可愛い顔してりゃ、なにやっても許されると思ったのか?」
と髭の男。

「ずるいことなんて、素人のあたしに出来るわけがないじゃないですか」

「素人の人妻か。こりゃいいや」
と茶髪の男が由香里に歩み寄る。
 それを避けようと後退りした背中に猪男の贅肉(ぜいにく)が触れ、さらには両肩を抱きすくめられてしまう。

「いやっ。放して!」

 由香里が足をじたばたさせると、そのベロアのミニスカートから覗く白い太ももが、彼らの生まれ持った生殖器をいたずらに刺激するのだった。

「なあに、ちょっとした身体検査だよ。それでなにも出てこなかったら、さっきまでの分、耳を揃えて払ってやろうじゃないか」

「あたしの体にひどいことしたら、あとで警察に……」

 そこまで言って、それが出来ないことに由香里は気づいた。育児放棄みたいな真似までして、旦那に黙って生活費を持ち出し、それを賭け事につぎ込んでいるのだ。事情を喋ったところで、
「それこそ自業自得だ」
などとあっさり言われ、自分の手元にはなにも残らないような気がした。
 そんな彼女の心境を見透かしたのか、ふっと力の抜けたその手足に、胸に、内股に、男らの乱暴な愛撫がマシンガンのように繰り出された。

「いやあああ!」

 金属音に似た悲鳴とともに、由香里の着衣は散り散りに引き裂かれ、あとに残ったブラジャーとショーツが唯一の貞操帯に変わり果てた。
 女性用下着売り場に飾られたマネキン、それがいまの彼女の姿なのだった。

「なるほど、なかなかいいもん持ってるじゃねえか」

 この台詞は由香里のバスト、ウエスト、ヒップに向けられていた。適度に脂がのっている。

「自分で脱ぐか、俺らに脱がされるか、どっちを選ぶ?」

「これだけは許してください」

 部屋の真ん中に一人放置された由香里は言いながら、あまりの恥ずかしさに為す術もなく、もじもじと手指を揉んで気を紛れさせている。
 腹部に薄く残る妊娠線の跡にしても、女性器とおなじくらい、誰にも見られたくない汚点なのだ。

「あんた、がきを産んだばかりなのか?」

 相手が目ざとく訊いてきた。
 由香里は頷いた。

「だったらさあ、ご無沙汰している股座(またぐら)の穴が、口寂しいって具合に疼いてんじゃないのか?」

 言った男の目の色が、カメレオンのように変色して見えた。そして爬虫類の長い舌に巻かれ、捕食されるに違いないとも思った。
 髭面の男がぱちんと指を鳴らすと、格下と思われる残りの二人が由香里を前後から挟み、そのブラジャーのカップの中に、ショーツの内側のホットスポットに、がっつりと指を差し入れた。

「やめてえ。いやあ!」

 耳鳴りがするほどの悲鳴が密室に響き渡る。
 そんな由香里の反応を鼻で笑う男と男と男。
 満員電車の中で行われる痴漢行為を錯覚させていながら、しかしその魔手は、由香里の乳首と膣をいじくり鞣(なめ)していた。

「あんたみたいないい女、久し振りだよ」
と悪臭を放ち、
「しこしこしたら、母乳が出るんじゃねえか?」
と乳首をしごき、
「俺の精子を恵んでやってもいいぞ」
と膣内を掻きまわす面々。
 由香里はかるいパニック状態に陥り、酸欠気味に呻いたり喘いだりした。
 彼らに犯される──そう思った瞬間だった。

「そこまでだ」

 鍵のかかっていないドアが蹴破られ、威嚇を含んだ声がした。
 何事が起きたのかと、全員の視線がそちらを睨む。
 すると背広姿の二人組の男が、ずかずかと立ち入ってきた。

「おまえさんたち、こんなところでなにをやっている?」

 鉄砲風を吹きかけるみたいに、訪問者の一人が言った。

「あんたら、誰?」

 髭の男も臆さず言い返す。
 そこで背広の片方が藤川と名乗り、同時に手帳を見せた。次いで年配のほうは大上と自称し、こちらもおなじく手帳を提示した。
 それがどういう意味なのか、その場にいた誰もが瞬時に理解した。
 由香里を取り囲んでいた三人はそれぞれに散らばり、
「刑事が雀荘なんかに、どんな用件で?」
「なにか事件でもあったんですか?」
「この女の子はなんでもないんで」
と口を揃える。
 大上はとりあえず自分の上着を由香里の肩にかけ、
「ここにいる連中に、なにをされていたのです?」
と視線を巡らせた。

「なんでもありません。あたしが勝手に脱いだんです」

 由香里はそう言って背中をまるめた。

「まあ、そのあたりの詳しい話は、あとで聞き取りさせていただきますので」
と厳しい顔つきの大上は由香里に腕を組ませ、
「おまえさんたちにもすぐにお呼びがかかるだろうから、せいぜい外に出ても恥ずかしくない恰好をしておくんだな」
と男らに向かって声を張った。
 それに対して反論する者はいなかった。
 行きましょうか、と藤川が先を促し、続いて大上と由香里も部屋をあとにした。
 あれはどう見ても熊か猪だ──先ほどの男らのうちの一人を思い出しながら、藤川は吹き出しそうになった。


13/04/18 00:27 (PsqyD.jw)
5
投稿者: いちむらさそり




 彼女はここ一年ほど、毎朝のウォーキングを欠かしたことがない。
 自分の体型にコンプレックスを感じているわけではなく、人並みに生活習慣病へ気を配り、実年齢よりも若く見られたいと願う女心からくるものだ。
 夜明け前の時刻にそれらしい服装で家を出て、近くの公園を周回するコースを辿り、だいたい三十分程度の運動を終えて家に着くことになる。

 今日もいつもと変わらぬ朝を迎え、ほぼ予定通りに門を出た。
 頬にあたる春風も幾分ぬるんできているとはいえ、四十路の身にはこたえる気温である。

「おはようございます」

「あらあ、今朝も早いですねえ」

 すっかり顔馴染みになった婦人と挨拶を交わし、そうして公園に差しかかる頃には体も温まりはじめていた。
 マナーの良い人もいれば、またその逆もいるものだ。公園内にペットの汚物が見あたらない代わりに、家電品などの不法投棄が目立ち、注意を促す看板を立ててみてもなかなか効果が表れないときてる。

 ふとして彼女は公園の片隅で立ち止まり、そこに不審な物があることに気づいた。

なにかしら、これ──。

 使い捨てられた小型の冷蔵庫や電気ポットに並んで、中身が詰まって膨らんだ青いごみ袋が棄てられていた。
 ちょうど人一人が入れそうな大きさだ──彼女がそう思ったとき、ごみ袋がわさわさと動いたように見えた。
 彼女は目をまるくした。このまま放置しておいてもいいのだが、中身が気になって仕方がない。
 そんな好奇心に勝てるはずもなく、彼女は恐る恐るごみ袋の結び目を解き、その中身を見て腰を抜かした。


13/04/19 00:01 (xWVV3KX.)
6
投稿者: いちむらさそり




「ラーメン、おまちどお」

 白いコック帽を被った初老の店主は、カウンターにどんぶりを置いた。
 客の男はそれを自分の前まで引き寄せると、箸もつけないうちに、
「昔ながらの和風だしの中華そばだね」
などと知ったふうな口を利く。
 店主は面白くない顔をして、
「そばじゃねえ。うちは昔っからラーメンしか出してねえんだ」
と腕組みの姿勢をとった。まさしく労働者らしい太い腕をしていた。
 男性客はスープの中に箸をくぐらせると、そこから引き上げたちぢれ麺を一気にすする。
 そして納得の表情で何度か頷き、立ち上る湯気の中で、美味い、美味い、と絶賛しながら食べつづけた。
 美味くて当たり前だ、と店主は無言で次の仕込みに取りかかる。

「じつはですね」

 客の男があらたまって言った。

「僕はラーメンを食べに来たわけじゃないんです」

 突然なにを言い出すんだという目で、店主は彼のことを凝視した。

「少しだけ、お話を聞かせていただきたいのですが」

 そう言って彼は手帳を示し、加えて北条(ほうじょう)と名乗った。
 店主の顔に焦りの色が滲んだ。

「それってまさか、今朝の事件のことですかい?」

「そうです。あなたの奥さんが公園で発見したという、あの全裸の女性についてです」

「うむ……」

 あまり関わりたくないのか、店主は明らかに狼狽している。
 幸いにも北条以外に客はおらず、込み入った話がしやすい状況ではあった。

「わたしが自分で見たわけじゃないから、正確なことは言えませんがね」

 そう前置きをしてから、ラーメン屋の主は渋々といった感じで喋りだした。

「うちの女房がね、いい歳してるくせに若い恰好でウォーキングをやるわけですよ。なにが楽しくてそんなことをやり始めたんだか。それがねえ、なにをやっても三日坊主だったあれが、めずらしく続いてるじゃないですか。わたしに言わせれば──」

「お話の途中、すみません」

「はあ」

「その部分は結構なので、今朝の状況だけ聞かせてください」

 北条が申し訳なさそうに口を挟むと、空気の読めない店主はきょとんとした。そして中空を漂わせていた目を閃かせ、話のつづきをした。

「そうそう、そのウォーキングコースの途中に、ちょうどあの公園があるようなんです。んで、不法投棄っていうんですかね、壊れた電化製品に混じって大きなごみ袋が放ってあったとかで、その中身を確かめたわけですわな」

「そうしたら中から全裸の若い女性が出てきた、ということですね?」

「はあ。女房はそう言っておりました」

「それは何時くらいの出来事でしたか?」

「どうでしょうな。だいたい五時半から六時のあいだってところですかねえ。何せ女房のやつ、帰るなり床の間にこもってしまいまして、口を開いても曖昧なことしか言わねえんです」

「お察しします」

 北条はゆっくりと瞬きした。

「ところで、被害者の女性の身元についてですけど。青峰由香里という名前に、心当たりはありませんか?」

 若い刑事の問いに、店主は首を横に振った。

「それではあなたの奥さんは、被害者の女性以外に何かを見たり、聞いたりしたということは、おっしゃっていませんでしたか?」

 この問いに対しても、店主の反応はおなじだった。

「わかりました。ありがとうございます」

 北条はスマートに手帳を仕舞った。
 そこでようやく重い荷が下りたというふうに、店主は大きな溜め息をついた。

「最後にもう一つだけ、お願いがあります」
と北条は右手の人差し指を立て、相手の返事を待たずにこう繋いだ。

「餃子も一人前、お願いします」



 北条は店を出るとすぐに手帳を開いた。そしてそこに書かれた文字を事務的に目で追う。
 被害者となった女性は、青峰由香里、二十五歳の専業主婦だ。全裸の状態でごみ袋に入れられ、公園に放置されているところを近所の主婦が発見する。
 命に別状はなく、目立った外傷も特になし。陰部に乱暴された痕跡があり、膣内には複数の男性のものと思われる精液が残留していた。
 ごみ袋の中身については、被害者自身のほかに、辱めに使われたであろう道具が多数見つかっている。ごく一般的なバイブレーターやディルドのほか、小型ローター、シリンジ、首輪とリード、被害者の私物といった具合だ。
 さらに被害者の手足には玩具の手錠がはめられており、口は猿轡(さるぐつわ)で塞がれていた。
 警察側は強姦事件と断定し、犯人捜索に人間を充てるつもりでいたのだが、この件に関して事件性はまったくないと言った人物がいた。
 外でもない、それは被害者である青峰由香里本人の口から出た言葉だった。
 彼女はどうして嘘をついたのだろう──北条は目をしかめ、冷静に次の手を探っていた。


13/04/19 00:09 (xWVV3KX.)
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