2025/05/27 15:53:23
(6XfhyOvg)
>>2さん
このような自分語りのような投稿に僅かでも興味を持っていただいて恐縮どあります。
ぽちゃ・豊満好きな嗜好と、ノーマルな美意識との乖離がどこからだったか、自分なりに振り返ってみたくなったのです。
言わば備忘録みたいなものなんですが、尻切れトンボにならないように続けてみますね(^^)
ちなみに無自覚に性的快感に遭遇したのは小学2年生だったことは鮮明に覚えています。それは登り棒で遊んでいた時、必死に登っていると鉄棒に押し付けられていたチンコがなんとも言えずにむず痒くもあり不思議な気持ち良さ。「あれ?なんか変(汗)なんだこれ???」と思いつつ、体はてっぺんに届いたにもかかわらず、ジンジンくる気持ち良さの追求がやめられずそのまま登る動きを続けてました。ほどなくして体中に電気が走ったような気持ち良さに襲われて、そのまま棒にしがみついたままでてっぺんで固まってしまいました。そう、生まれて初めてチンコでイッてしまったんですね(笑)当然ながら精通はもっと先の話ではあります。
この登り棒での行為は子供心にもなんだか普通ではない、いけないことをしているような自覚はありました。なにしろそんな動きをしてたのは自分だけですから。なので休日の夕方とか、誰もいない時を狙って学校に行って続けていました。
余談ですが、高学年になった頃に3学年下の、結構ませた感じでエキゾチックな顔立ちの女の子が登り棒で私と同じような登り方をしてました。それを見て「ああ、お前も登り棒の秘密に気付いたんだな…でもチンコないのに???」と思ってしまいました。今にして思うと未発達なクリトリスや土手をぐいぐい圧迫、擦り付けていたんでしょうねえ。罪深い子であります(笑)
さて、中学生になり、他の小学校出身の連中とも一緒になったりで顔ぶれにも変化や増加もありました。そうなると目新しい可愛い子に惹かれたり、また逆に思ってもみなかった子から告られたり、女子グループから「あの子どう思う?」などと探りを入れられた挙句にデートをセッティングされたりなどと微妙なモテ期を送っておりました。でも自分が好きな子には思いも告げず届かず。実に未熟な恋愛下手だったんだと思います(・_・;
当時、親の勧めで神道系の某宗教(カルトではない)の教会に出入りしていて毎年夏の旅行に意味もわからず参加してました。その時に大きな街の教会の会長の息子と懇意になり、それからは電車で30分の距離にあるその子の家、つまりはよその教会に自転車を駆って頻繁に遊びに行っていたのです。夏休みなどはタダ飯も食わせてもらえますし、2・3日くらいは平気で泊まり込んだりしてました。深夜までダベり倒したり楽しく過ごしていた中、男衆の共同部屋みたいなところの一角にいくつかの雑誌、しかもエロ雑誌が目に止まり手に取ったのです。主に外人の、いわゆるエログラフ雑誌でして単体のヌードあり、ソフトですが絡みの写真ありで中学生には刺激十分でありました。その中で特に印象的だった雑誌のタイトルが「BACHELOR」とありました。77年から、今に至るまで刊行されつづけている現存する日本最古のエロ雑誌ですね!おそらくですが「巨乳」という単語を初めて世に広げたのもこの雑誌だと記憶しています。自分の性癖を決定した重要なピースのひとつがこの雑誌との出会いでした。
そんな雑誌の置いてある協会、ろくでもないなとも思いますが、教義のひとつが「陽気に産めよ増やせよ」的なものだと聞いてますので案外エロには寛容だったのかも知れませんね。なにしろその教会の会長は子沢山で、息子である友人は13人兄弟でしたから。
その頃には登り棒のいけない遊びは中学に上がる頃にパンツを汚してしまい(精通)学校の図書室の医学書籍で「それはマスターベーションである」と知り、手でシコって射精するものということも覚えました。それでも圧迫するのも捨てがたく、それはやがて布団に押し付ける、という妙なオナニー方法を自ら会得してしまいました(笑)その方法は後に自分のSEXおかしな影響を与えることになるのです。
ひとまず今回はここまで。
長いなあ(・_・;