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2015/08/17 05:29:38 (G7R.Tq0i)
この話は、今から5年前に起きた出来事です。その頃、私はまだ17歳の高校生でした。自宅から自転車で10分の場所に

祖父母と叔父夫婦が住んでいました。叔父は、私の母の弟で39歳。叔母は29歳でした。祖父母は、私をよく可愛がってくれていて、

私も小遣い欲しさに祖父母の家に度々遊びに行っていました。叔父は、長距離トラックの運転手で、1週間に1度しか帰ってこないそうです。

叔母は、市内のディスカウントショップでレジや商品の陳列などの仕事をパートで行っていたそうです。  

そんなある日の6時頃、私は祖父母の家に行き、遠回しに小遣いをねだりました。しかし、祖父母には気付いてもらえず、諦めて帰ろうかなと思った時に、

叔母が、「ヒロちゃん、もう晩御飯食べてきたの?」と、聞いてきました。私は、正直に「いや、まだだけど…。」そう答えると、「そう、それじゃ食べて帰って、

多く作り過ぎたから。味は保障できないけど…ふふ」そう言って夕食を勧めてくれました。私は、そのまま帰るのも不自然だし、叔母に小遣い目的で来た事を

悟られるのが嫌だったので、「うん、ありがとう。それじゃ、ご馳走になります。」そう言ってテーブルに着きました。私が居座る事で、祖父母も喜んでくれました。   

叔母は、細身の体で、顔は女優の(常盤貴子)さんを若くした感じで、私から見ても素直に「綺麗な叔母さんだな」と、思っていました。ですから、私は恥ずかしさも有り、

叔母に話しかける事は殆んど無く、叔母から聞かれても、少し緊張してしまう感覚が有りました。

既に、食事を済ませていた祖父母と叔母は、それぞれ祖父母は自分たちの部屋でテレビを観て、叔母は、お風呂に入りました。叔母は、風呂に入る前に小声で、「ヒロちゃん、後で少しお願いがあるの。

その後、少ないけど私がお小遣いあげるから」そう言ってニコっと笑って風呂場の方へ行きました。私は、(お願い)ってなんだろうと考えましたが、少しでも小遣いが貰えるならいいや、と思う気持ちと

その日、小遣い目当てで祖父母に会いに来た事を叔母に見透かされていた事に、恥ずかしさも沸いてきました。暫くすると、叔母が風呂から上がってきました。「ヒロちゃん、御飯食べ終わった?」

私は、「うん、ごちそう様でした。美味しかった。」叔母は、「そう、良かった。ちょっと待っててね、ヒロちゃんの食器を洗うから」そう言って私の食事の後片付けを始めました。待つ事15分、「お待たせ、

さあ、こっちに来て」その部屋は8畳ほどの叔父と叔母の部屋の様です。ベッドは無く、奇麗に整理された和室です。叔母は、押し入れから敷布団だけ出して、それを敷くと「最近、肩と背中と腰が凝って、すごく辛いの。

10分でもいいから、ヒロちゃん、マッサージして欲しいんだけど。こんな事、お爺ちゃんやお婆ちゃんには頼めないでしょ…。だから、ダメかなぁ」叔母はパジャマ姿で、敷布団の上に正座して私に頼んできました。          

私は思いもしない頼みごとに驚いてしまい、「マッサージなんて経験無いけど出来るかなぁ」と、不安そうに言いました。叔母は、「大丈夫よ。難しく考えないで。」そう言うと、敷布団の上にうつ伏せになり、「お願いね」と、言って

顔を横にして両腕を曲げて顔の横に置いた体勢になりました。私は、恐る恐る、傍に行って横から手を伸ばし両肩を優しく揉みました。すると、「ヒロちゃん、遠慮しないで。私の体の上を跨いで強く揉んで欲しいの」私は、動揺しながら

言われた通りに、叔母の体を跨ぎ、あまり体重が掛からないように気を遣い、少し強めに両肩を揉み始めました。叔母は目を閉じたまま「あ~、気持ちいい。やっぱり若い男の子ね。力が強いわ」5分位肩を揉んでいると、「ヒロちゃん、そのまま少し下に降りて

背中もお願い」私は言われるまま、背中の肩甲骨周辺をマッサージしました。気が付いたことは、叔母はブラジャーを着けていませんでした。私は当時童貞で、女性の体はおろか、キスの経験も有りませんでした。叔母の柔らかい体の感触と、風呂上がりの匂い、ノーブラを

確信した事、それらが交錯して少し興奮状態になってしまいました。季節も夏だったので、薄手のパジャマからの感触は、私には刺激が強すぎます。すると次に「ヒロちゃん、腰もお願い。」私は、更に両手を下に降ろし、叔母の細くクビレタ腰に手をやり、揉み始めたのですが、

興奮状態が更に高まり、不覚にも勃起してしまいました。そのままの体勢だと、勃起したペニスが叔母のお尻に接触してしまうので、私は中腰で叔母のお尻にペニスが触れない様に気を付けて腰を揉みました。とてもキツイ体勢に私は汗ダクになりました。程なく叔母が、「ヒロちゃん、ありがとう。凄く楽になったわ」

そう言って起き上がり、私の汗ダクの表情を見て驚き、「ごめんね、大丈夫?無理させたみたいね、ごめんなさい。」必死に謝ってきました。私は、そんな事よりも勃起したペニスがバレない様に少し内股になり、「いや、全然キツクないよ。部屋が少し暑いかな?」動揺しながら誤魔化しました。

叔母は、「汗が凄いから、お風呂に入っておいで。叔父さんのだけど、新しいシャツとパンツも有るから」そう言って風呂を勧めてくれました。私は、とにかくその場を凌ぎたかったので「分かった。ありがとう。それじゃ、風呂借ります。」そう言うと新品の叔父のシャツとパンツを受け取り

風呂場に向かいました。幸い、叔父と私は体型が同じ位でシャツもパンツもサイズは問題有りません。脱衣所で、先ほどの感触を思い出すと、ペニスが最高潮に勃起していました。その次の瞬間、脱衣かごの中に、叔母のブラジャーらしき物を発見して、慎重にその下を確認すると、薄ピンク色のパンティもありました。

私の心臓の鼓動が高鳴るのが分かりました。私は、そのパンティを手に取ると裏返しにしてクロッチの部分を確認しました。その部分は、見る限りでは、無色透明な液体が楕円形に付着していました。指で触ってみると、少し粘着力がありました。さすがに、その時は匂いを嗅ぐ勇気が無くて、その下着を元の場所にバレない様に戻し、

風呂場でオナニーをしました。叔母の体の感触、下着の付着物を思い出し、思い切り射精しました。風呂から上がると台所で叔母が、冷たいコーラを用意してくれて、「今日はごめんなさいね。悪い事頼んだね。許して」そう言って心から私に詫びている気持ちが分りました。そして、「はい、これ。少ないけど、約束のお駄賃ね。」そう言って

小さな手製の封筒を差し出しました。私は、「いいよ、いいよ。あんな下手くそなマッサージで、お金なんか貰えないよ」そう言い断りましたが、「ダメ。約束は約束よ。」そして、強引に私の手の中にその封筒を握らせました。私は「ありがとう…。その代り今度はもっと上手にマッサージしてあげるよ」叔母は、「ありがとう。期待してるから」

とても優しい笑顔で答えてくれました。この日を境に、私は叔母の事を過剰に意識して、1週間に1度は夜の7時頃に家に行き、叔母が風呂から上がるとマッサージをしてあげました。私からの条件は、無料。そのかわり、夕飯とマッサージ後の入浴です。叔母は、「そんな安い条件なら毎日でもお願いしたいわ」と、明るい笑顔で言いました。    

私も、本心では毎日でも行いたいのですが、毎日行くのも不自然ですので、週1の楽しみにしていました。マッサージ後の入浴時には、すでに当たり前の様に叔母の下着、特にパンティは入念に観察していました。初めてクロッチの部分の匂いを嗅いだ感想は、とても甘酸っぱい、いい匂いでした。マッサージの際には、相変わらず勃起してしてしまい、

誤魔化すのには毎回苦労しました。毎晩、叔母を想像しては、オナニーをしました。同世代の女子には全く関心が無くなっていました。叔母の事ばかり考え、欲望もエスカレートして、叔母のアソコを見たい、オッパイを揉みたい、吸いたい、そんな事ばかり思い、オナニーに没頭する毎日でした。私と叔母は血縁関係が無い事も、私にとっては、弊害を緩和させる

自分勝手な理由にしていました。そんな感じで季節が巡り、その年の冬に、大きな出来事が起こりました。
 
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28
投稿者:通りすがり
2015/09/08 12:17:58    (Yaz8/ObT)
最初から最後まで読ませてもらいました。
実に切なく悲しい気持ちになりました。
他のレス投稿者の人と同じく、私もヒロアキさんの
幸せを祈らせて頂きます。叔母様との素晴らしい
体験談を聞かせて頂いたことに感謝します。
私も妻を大切にしようと改めて思いました。
27
2015/09/08 04:24:44    (bfcacVnw)

人はずるい生き物かも知れません
時薬…
時間が建つと段々と薄れていくのが普通です。
イヤ、薄れていかないといけないんです!
でなければ、前には進めません
貴方はまだまだ若い!
これから色々な経験や出逢いが待っています。
良い事も有れば悪い事も それも、此れからの糧になるでしょう
叔母の事を忘れてはいけませんが、それが何十年後に…やはり良い思い出と思う時が来る筈です。
自分も昨年末に、血縁ありの叔母を亡くしてます。
(肉体関係は有りませんが)母の一番下の妹で年齢も15歳の差、叔母さんと呼んだ事は一度も無く○○○姉ちゃんと呼んでました。
色々と良き相談相手になってくれ、御世話なりました
多分、貴方の叔母も天国で見守ってますよ!
早く良い人出来て結婚しなさいよ~って(>_<)

26
投稿者:グレ夫
2015/09/07 18:51:38    (IXksXEZ8)
ヒロアキさん、投稿ありがとうございました。
投稿されてすぐに読ませて頂きましたが、中々お礼の投稿が出来ずすみません。

あまりに切なすぎて何と書けば良いか難しく時間が経ってしまいました。
もう誰も愛せない、愛したくも無いは、本当に胸に突き刺さりました。

気丈に振る舞えるヒロアキさんを尊敬します。

来世ではサキさんと親戚ではなく恋人として巡り会えると良いですね。ですがヒロアキさんに幸せになってほしいとも思います。

忘れる事は出来ないと思いますが、素敵な女性と出会って欲しいとも思います。(サキさんもきっとそう願っていると思います)
すみません、何か支離滅裂で。

独身を貫かれても、家庭を持たれたとしてもヒロアキさんが幸せになってほしいと願っております。



25
投稿者:ヒロアキ
2015/09/06 04:10:25    (yin0pXc.)
こんばんは。今日は、亡き叔母との思い出を聞いて頂きたくて投稿します。あまり萌えた内容は有りませんが、

宜しければ聞いて下さい。前に書いた内容と関連する事も書きますが、御了承下さい。私の最愛の人との思い出話です。

私は、高校を卒業して、三交代勤務体制の会社に就職しました。特殊な勤務体制なので、土、日休みが少なく平日が公休になる

事が多いのです。その為、パートで働いていた叔母との密会も、休みを合わせて平日のラブホテルで会う事も多かったですね。

私が叔母の体を求める事が多く、そのせいで、ホテルで会う事になるのですが、セックス無しの時も当然あって、その時は、

叔母の車で、隣県など、知り合いに会わない様に気を付けてドライブや、海辺に行ったり、森林浴などを楽しんだりしていました。

毎週、土曜日の昼前には、叔父が仕事から帰って来て、日曜日の夕方まで家に居るので、土、日は絶対に私たちは会えませんでした。

私も、三交代勤務なので、平日の公休が有っても、叔母との時間調整が合わなくて、会えない日もありました。私は仕事の時以外は、

毎日、叔母の事を思い生活していたので、2週間も会えないと恋しくて仕方がありませんでした。長く会えなくて、久々に会った時は必ずホテルにいきました。

ここで、セックスに関する事を書きますが、私は、セックスを知って、単にセックスに夢中になった訳ではなく、叔母だけを抱きたいと思う感情を持っていました。他の女性には全く関心など有りませんでした。

叔母を愛していたので、私が快感を覚えるより、叔母を感じさせたいと思い、いつも愛撫には時間を掛けていました。関係を重ねるうちに、分かった事は、叔母の性感帯は、ほぼ全身で、乳首とクリトリスは特別に敏感でした。

女性は誰もが、その部分が敏感なのかも知れませんが、私は叔母しか知らないので、叔母の反応が大きくなれば、執拗に指や舌で愛撫をしました。叔母の体は汚い箇所など無いと思っていましたので、お尻の穴も、足の指なども細かく舐めました。

最初の頃は、その様な行動をする私に驚いて抵抗していましたが、私が、「愛しているから僕の好きな様にさせて」と、何度も言ううちに受け入れてくれる様になりました。クンニを執拗に続けると、すごく悩ましい声を出して、必ず、「もうダメ、もうダメ、

もう来て、来て、お願い!」と、挿入を促してきます。私は、その様な時がとても愛おしく思い、わざと無視をしてクンニを続けて焦らします。叔母の「お願い、お願い……」の連呼が激しくなると、ようやく挿入します。その方が、叔母の中に入っていく時に、叔母の声が

「あっ、ああ、んんんんんっっ!」と、より大きくなり、わたしの背中にしがみ付いて来るのです。自分で言うのも変ですが、私も、初体験の時と比べれば、セックスも上達していたと思います。挿入してからも、叔母の中の感触も味わい、ピストンの速さや強弱もコントロールできる様になりました。

体位も、正常位だけではなく、バックや騎乗位などもこなせる様になっていました。ホテルでセックスをする時は、その日は必ず3回射精します。叔母も、フェラなどで、私に快感を与えてくれますが、私はそれ以上に叔母の体を堪能して、叔母に絶頂感を与えたいと常に思っていました。

セックスの後は、いつも満足感で一杯になるのですが、その反面、私の悪い癖で、「今度叔父さんが帰って来た時もするんだよね」っと、叔母に嫌味を言う事も度々有りました。「もう叔父さんとセックスしないでよ」など、無茶苦茶な事を言った事もあります。叔母が叔父に抱かれる事が耐えられなくて、

叔母を独占したい気持ちが優先していました。あの頃の私は、叔母の気持ちを考えてあげる余裕など持ち合わせていませんでした。そんなふうに、私が無茶を言うと、必ず叔母は無言で私を強く抱きしめてくれました。そんな、わがままな事ばかり言っていたある日、叔母が今の自分の心境を話してくれた事がありました。

叔父に対しての事、私に対しての事、それぞれについてです。まず、叔父についてですが、叔父は私の母と二人姉弟で、子供の頃は家庭があまり裕福では無くて、姉である私の母は、何とか高校を卒業したのですが、弟の叔父は中学を卒業後、すぐに就職したそうです。しかし、何の資格も持たない叔父は、車の免許を取得するまで、

土建業で見習い作業員の様な仕事をしていたそうです。普通自動車の免許を取得して、数年後に大型自動車と、牽引免許を取得して、現在のトレーラーの長距離運転手に至っているそうです。以前に、二人の馴れ初めで聞いた事が有ったのですが、叔母の故郷は、現在住んでる地域から約、700km離れている遠い所で、叔母が短大を卒業後、

務めていた会社に、月2度位のペースで叔父が荷物を運んで来ていたそうです。事務員として働いていた叔母は、黙々と働く叔父の仕事に対する姿勢に好感を抱き、叔母の方から結婚を前提に交際をして欲しいと頼んだそうです。今でも口数が少ない叔父ですが、自分は長男なので、親を養う義務が有ると考えている。しかも、ここより遥か

遠い場所で、長男の嫁になる覚悟が有るなら断る理由は無いと言ったそうです。叔父に惚れ込んでいた叔母は、即答で了承して、その1年後の22歳の時に今の家に嫁いで来たそうです。叔父は現在の家を20歳の時に建て、40歳でローンを完済する予定だったので、結婚しても1週間に1度しか家に帰らなかったけど、叔母に対する愛情は、

叔母は感じていたそうです。そして、叔父は高額な生命保険に加入して、「俺は仕事柄、交通事故に遭遇する確率が高い。飯も殆どが外食なので健康管理も徹底できない。もしも俺に何かが起きた場合は、その保険金と貯めて有る金を持って故郷へ帰れよ。この家で親父やお袋の面倒を看る必要は無いよ。その代り、悪いが、この家だけは親父たちに

残してやりたいんだ。住む家さえ有れば、なんとか生活出来るだろうから」いつも自分の事より家族を思う叔父の気持ちに、「たとえ何が起きても、旦那の両親は最後まで自分が面倒を看る」叔母は心に固く決意したそうです。幸い、祖父母も元気なので、今のうちはパート勤めをしていると言っていました。そんな叔父を本当に尊敬しているとも言っていました。

そこまで聞いて、とても叔父には太刀打ち出来ないと思い、同時に叔母を独占したいだけで、わがままを言う自分の器の小ささを痛感しました。更に叔母が話を続けます。「私は、そんな優しい旦那の事がとても好きだった。毎日会えなくても、1週間に1日だけでも、それでいいと思ってた。優しさだけで…」そう言うと叔母の声が少し詰まってきました。

「ねぇ、ヒロちゃん…私って、本当にズルくて悪い女。自分を騙してる。本当はいつも寂しかったの…。私は弱い女。優しさだけでは耐えられない時もあったよ。好きな人には、愛する人には、いつも傍に居て欲しいと思ってしまう。私が今、そんなふうに思う人、ヒロちゃん、それはあなたよ」叔母はそう言うと私の胸に顔を埋めてきました。「私は本当に悪い女。

一回りも年下の男の子、しかも甥っ子と関係を続けて、気持ちまで委ねている。どうしてだろう。いつからだろう。分からないけど、本当にあなたを愛してる。ヒロちゃんが私を思ってくれる気持ちは凄く嬉しい。ただ分かって欲しい事は一つだけ。今、私がしている事は旦那に対する裏切り行為ね。週末になって、旦那が私を求めて来ても私は拒まない。ヒロちゃんに分かって

欲しいのは、気持ちはいつも、あなただけよ。これが精一杯の答えなの。これ以上は勘弁して…許して…」そこまで聞いて、私は返す言葉を探す事が出来ませんでした。何も罪の無い夫を裏切っている妻の心情。無責任に自分の事しか考えていなかった私。こんな事になったのは、叔父のせいでも、叔母のせいでも無く、私のせいなのだと初めて痛感しました。だけど私は叔母と

別れたくない。失いたくない。叔母も私を必要としてくれている。都合の良い解釈で私はこの関係を続ける決心をしました。叔母は、私が夜勤の時は必ず、弁当を持たせてくれ、その際には短い手紙も添えてくれました。私は本当に幸せでした。叔母の教訓に、「人を傷つける事は簡単で、それに気づく事は難しい。許してくれるのはその人だけ。自分が傷付く事は恐れるが、それを許せるのも自分だけ。」

私はその言葉の意味を理解して、人を思いやる気持ちを養う事に日々努力しています。とても難しいです。社会に出て特に思います。この事も、ほんの一部ですが、叔母には本当に沢山の事を教わりました。しかし、私が一番辛かったのは、叔母の余命が短いと知ってからです。病室で叔母と二人きりになると、叔母の手を擦り、「サキちゃん、元気になったら、またあのイチョウ並木を歩こうよ」「サキちゃんが

疲れたら、僕がいつまでも おぶって歩くよ」「そうね。ヒロちゃんが重いって言うくらい、体重を戻すね。覚悟しててよ」言葉とは裏腹に、叔母の体はやつれていくばかりでした。延命の為なのか、抗がん剤の投与は行われ、副作用の為に満足に食事も取れません。感の鋭い叔母は、すでに自分の病名も余命が短い事も知っていたのでしょう。この頃に、叔父や私への手紙を書いたのだと思います。叔母の前では、

私は至って明るく振舞っていたのですが、一度、危うい時が有りました。それは夕刻の、空がまだ薄明るい黄昏時に、夕焼けを見つめて言った叔母の言葉ですが、「私、あと2か月少しで誕生日がきて34歳になるんだよ。どんな誕生日を迎えるのかな。そのすぐ後に、今度はヒロちゃんの誕生日だね。22歳だね。二人の誕生日、この病室でお祝いしたりして」叔母が私の方を見ないで、窓の外の夕焼けをじっと見つめて

独り言の様に話していました。私は、必死で涙をこらえて、病室でも何処でもいいから、叔母の誕生日を迎えて、おめでとうの言葉を掛けたかった。しかし、その願いは届かず、誕生日の2週間前に旅立ちました。前にも書きましたが、危篤に落ちる前に、私に「ヒロちゃん、逢えて良かった……」涙を溜めて言った叔母の声が私の心を今でも締め付けるのです。とても切ない、とても悲しい。もう誰も愛せない、愛したくもない。

私にとって、掛け替えの無い本当に大切な人でした。最後に、叔母からの手紙の内容を、また一部ですが紹介します。「ヒロちゃんが私にくれたもの、(純粋な愛情)(心の寂しさを埋めてくれた優しさ)そして、(1日でも長く生かせてくれた事)私がもっとヒロちゃんにしてあげたかった事、(あなたの為の料理)(あなたの作業服の洗濯)そして、あなたが安心できる(私でいたかった)ヒロちゃん、ごめんなさい。そして、ありがとう。

この後に(街物語)の歌詞を引用して私の将来を案じていました。叔母との約2年半の出来事ですが、とても伝え切れません。話の順序もおかしくて、読んで下さった方には、なかなか理解して頂けないと思いますが、私が真剣に叔母を愛していた事は間違いありませんし、今も忘れる事ができません。あらゆる場所や音楽や言葉などに叔母の姿を思い出します。私が叔母に語り掛ける言葉は、「サキちゃん、今度生まれてきても、必ず僕の前に

現れて下さい。そして、その時は最後まで二人で生きていこうね」

まとまりの無い形で申し訳ありませんが、何から話そうか、どこから話そうかと考えた挙句、この様な形になってしまいました。すみません。

長文にお付き合い下さった方々、ありがとうございました。

24
投稿者:ヒロアキ
2015/09/03 22:02:53    (A4mFWa.W)
グレ夫さん、こんばんは。

はい。週末に書き込みします。

ぜひ読んで下さい。

今から仕事に行ってきます。
23
投稿者:グレ夫
2015/09/03 18:35:49    (K9bDWWx1)
ヒロアキさん、お忙しいと思いますが週末の投稿お待ちしています。
22
投稿者:ヒロアキ
2015/08/31 19:28:22    (OxM4NycX)
グレ夫さん、早速の御返事ありがとうございます。

グレ夫さんの御意見で、「凄く偉そうに書いたみたい」と、ありますが、全然そんな事無いですよ。

私は、とても嬉しかったのです。逆に、「男なのだから、いつまでも振り返らず前を見なさい!」

なんて、厳しい御意見を頂いていたら、現状の私の気持ちでは無理なので、かなり動揺していたでしょうね。

グレ夫さんの、お心遣いには、感謝しています。

今から、早出の夜勤なので、もうすぐ会社へ向かいますが、今週末には書きますので是非聞いて下さい。

私たちの事を聞いて頂くことで、うまく伝えられませんが、少し気持ちが楽になります。話せる方が居る、聞いて下さる方が居るという事で。

私は、文才が無いので、話が前後したり、支離滅裂な事を無意識に書いてしまうかも知れませんが、

週末には、書きますので、グレ夫さん、宜しくお願いします。
21
投稿者:グレ夫
2015/08/31 18:59:31    (VH5JUa.Z)
度々ありがとうございます。
追記しようか迷っていましたが、(忘れる必要は全く無い)と言ってしまいましたが、前を向いて生きる=サキさんの事を忘れる ではないんじゃないかと思ったまでです。読み直してみると凄く偉そうに書いたみたいで大変申し訳ありませんでした。

私が教えて頂きたいのはどのように愛を深めていったのか、些細な事でも何でもヒロアキさんが書きたい事であれば全て読んでみたいです。
萌え部分も少し見たい気もしますがヒロアキさんが辛くない程度でお願い致します。

20
投稿者:ヒロアキ
2015/08/31 17:20:57    (OxM4NycX)
グレ夫さん、こんにちは。

再びレスを頂き、ありがとうございます。

そうです。(街物語)です。叔母の車の中でよく流れていました。

叔母からは、(山下達郎さん)のCDアルバムも数枚プレゼントして貰ったのですが、

今でも聴くと涙が溢れてダメなんです。(街物語)以外の曲も、叔母が口ずさんでいたので、

その姿を思い出すと、悲しくて、切なくて、車の運転中には聴かない様にしています。危ないので。

グレ夫さんの御意見、とても嬉しいです。叔母の事を忘れる気にはなれませんし、忘れられません。

今週末に、仕事のシフトが代わりますので、時間が取れると思います。グレ夫さんが読んで下さるのなら、叔母との事を話させて下さい。

叔母と初めて関係を持ってから、叔母が体調を崩すまでの間、当然の事ですが何度も情事は重ねています。

その様な事も、お話した方が良いでしょうか?

変な質問ですみません。グレ夫さんの様な理解して下さる方に聞いて頂くとなると、つい嬉しくなり、

萌えた内容をお話しして、冷めた感覚を持たれるのも怖いなと思いまして。別に気になさらないのであれば、

その事にも少し触れようかとも考え、少し悩んでしまいます。

今週末には、少しずつではありますが、お話させて頂きますので、萌えの話の有無だけを御返事頂けますか。

本当に、変なお願いですみませんが、宜しくお願い致します。
19
投稿者:グレ夫
2015/08/31 12:41:27    (VH5JUa.Z)
更新して頂き、ありがとうございます。
歌詞の題名は街物語 ですよね。
私はちゃんと聞いたのは初めてでしたが、曲を聴くとより一層、切なくなってしまいました。

私個人の意見ですが、サキさんとの想い出を忘れる必要は全く無いと思います。次の恋愛に進めないとしても、それが不幸だとは思いません。

お時間の許す限りで構いませんので是非2年半の出来事を教えて下さい。


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