前回の続きです。妻の妊娠→出産の為に1年近くのブランクがあった私とユキの性獣生活は再開後、妻が30歳になった3年前まで実に6年間も続いたのでした。34年前にプロ野球投手のIと女優のYが離婚した時、Yが1年間で450回位だったか500回位だったかセックスしたと発言し、世間を仰天させた事がありましたが、私とユキも彼ら二人と同じくらいのペースで体を交えていたのです。6年間に渡って私とユキは体調が優れない時や用事で出来ない時以外は毎日、平日は最低でも1回はセックスして、休日と休日の前日の夜は何回も体を交え、お互いに溢れんばかりの旺盛な性欲を存分に満たして、男女が愛し合ってセックスする悦びを満喫していたのでした。特に光次郎がまだ赤ん坊だった時、ユキは子育てが大変で私も仕事が忙しくて、お互いに肉体的にはかなりキツかったものの、私たち二人はどんなに疲れていようとも求め合ってセックスしていたのです。お互いの体を交えて情欲の塊、性獣と化して激しく濃厚に愛し合って強大な快感を覚え、男女にとっての最高の悦びを感じ合う日々を送っていた私とユキで、二人とも肉体的な疲労感など忘れてしまうくらいにセックスにのめり込んでいたのでした。あの6年間は私もユキもセックス以外の事にはあまり本気で興味が持てなくなっていて、年中、季節など無関係にいつもお互いがクタクタになるまで体を交えていて、まさにセックス漬けの人生を送っていたのです。元プロ野球投手のⅠが引退後に出した著書の中で、現役時代にYと交際していた時はセックスで体力も気力も消耗して、野球どころではなかったと言っていたらしいのですが、私とユキもそんな感じなのでした。私には仕事がユキには家事と子育てがあって、二人とも大変だったのに持って来て、毎日のセックスでお互いに体力をずいぶんと消耗してしまい、かなりの疲労感を覚えていたのです。それでも、セックスだけは欠かす事が出来ず、毎日、求め合って体を交えていた私とユキで、私たち二人はセックス中心の生活を送っていたのでした。私とユキにとってセックスは生きて行く為の必要不可欠なものに他ならず、まさに生=性、生活=性生活(性活)で、健康の源になっていて、たまにセックスしなかった日にはお互いに心身共に頗る優れなかったのです。たとえ肉体的には疲労困憊の状態でも、性欲の方は衰えを知らないかのように止め処もなく湧き起って来て、お互いに相手を欲してしまい、1日に1回は体を交えないと、死にそうなほどに辛くて堪えられない苦痛を覚えていたくらいの私とユキなのでした。私とユキはセックスしている時、お互いに子どもたちの父親(&祖父)と母親の自覚が皆無に近くなって、と言うか、父親と母親としての自分を捨て去って、夫と妻、いや、セックスに飢えたただの男と女として情欲の限りを貪り合う性獣でしかなく、子どもたちの事などほとんど考えられなくなるのです。光次朗が赤ん坊だった時、セックスの最中に目を覚ました息子が母乳を求めて泣き喚いている声が聞こえて来たものの、父親と母親の私とユキはそれを無視して尚も激しい濃厚な交わりを続けた事が何度もあり、また、夜中に光太郎が起きて私たちを探して泣いていた時もセックスをやめなかったのでした。不謹慎な事を言ってしまいますが、私はあの頃も今も妻との激しい濃厚な交わりで強大な快感の虜になっている時、ユキさえいれば、他にはもう何もいらない、この最高に素晴らしい女とセックスできさえすれば、他の何もかも、自分の全てを捨て去ってもいい、たとえ子どもたちがいなくなっても構わないと思ってしまうのです。もし子どもたちがいなくなって私たち二人だけになっても生きて行けるものの、妻がいなくなったら、私はもう生きて行く事が出来ず、ユキだけは絶対に失いたくないと・・・ユキも私とまったく同じ思いで、私たちはいけない父親と母親で淫乱な男と女なのかもしれませんが、そのような気持ちになってしまうほどにお互いの体、ペニスとヴァギナの相性が抜群に良く、いつも激しい濃厚なセックスで愛し合う事によって、私たち二人の間に生じるこれ以上はないくらいの強大な快感に包み込まれ、男女にとっての最高の悦びを感じ合って生きている実感を強く覚える私とユキなのでした。6年間に渡った性獣生活の時期はユキはまだ20代と若かったのに対して私は40代後半から50代前半で、今、振り返ってみて、その頃の私は自分でも信じられないほどに異常なまでに性欲が旺盛になっていて、そんなもう若くなかった年齢でよくほとんど毎日、年間500回位もセックスできて体が持ったものだと驚いているのです。ユキとセックスするようになってからの私は性欲が衰えるどころか、ますます旺盛になって行く一方で、ペニスの勃起度、硬さ、持続力もそれ以前より遥かに増し、若い妻を最高に満足させられる超絶倫男になって、そんな私にユキの方がたじたじになるくらいなのでした。一方、ユキもそんな私とセックスして行くうちに、いつしか妻のヴァギナは締め付けがかなりキツさを増し、私のペニスに物凄い強烈な快感を覚えさせてくれる最高の名器になって、また、元々、大き目だった乳房も更に張りと膨らみがあるものになって、乳首の突起も鋭くなったのです。そして、以前の少女のように純真無垢で清楚な雰囲気が感じられる表情をした若妻のイメージが徐々に薄らいで、それに代わって、大人の女の色気に満ち溢れたものに変わって行ったユキなのでした。20代後半になった頃のユキはセックスの時、以前とは比べ物にならないほどの本当に淫らな姿を曝け出すようになっていて、私の目の前で見せる妻の表情と仕草はまさに淫乱女の象徴のようなまるで商売女のそれを連想させるもので、も
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前回の続きです。ユキが30歳になった3年前の春から私たち夫婦のセックスの回数は徐々に減って行き、6年間に渡った私と妻のハードな性獣生活は終わりを告げたのでした。それまでの6年間はほとんど毎日、体を交えて年に450~500回位はセックスしていた私とユキなのですが、光次朗が小学校に入学した頃からお互いに性欲が急激に減退し、今では主に週末、金曜の晩と土曜の晩に交わっていて、平日は1回しかしない事が多いのです。回数が減ったと言っても、平日に1回、金曜と土曜は3回ずつが基本的なペースなので、“普通”の夫婦や恋人同士に比べると、私とユキはやはり性欲が旺盛な男女、性獣夫婦である事に変わりはなく、以前の6年間の性獣生活が異常だったと言うべきなのかもしれません。私もユキも決してセックスが好きじゃなくなったわけではなくて、ましてやお互いの事が嫌いになり夫婦間の愛情がなくなったとか、体の相性、ペニスとヴァギナの結合感が悪くなったとか、相手との性生活に飽きたとかいったものではなくて、私たち二人は今でも強く堅い愛の絆で結ばれていて、相変わらず、セックスが大好きな男女で、回数こそ減っても体を交えた時には以前と同様に激しく濃厚に愛し合っているのです。お互いに性欲が減退した原因は体調不良や体質の変化、性機能の衰えといった肉体的なものではなくて、セックスの時、私のペニスの勃起度、大きさ、太さ、長さ、硬さ、持続力、射精した際の精液の量、何れも以前とまったく同じで、ユキのヴァギナも締め付けのキツさは変わっていなく、沸き起こる愛液の量も同じなのです。確かに6年間の性獣生活で体力をずいぶんと消耗して、体に大きな疲労を蓄積していた私たち二人で、30代になったユキは20代の時に比べて体力が落ちて来て、体力にはかなりの自信を持っていた私も53歳になり、さすがに体にキツさを覚えるようになって、3年前の春が訪れようとしていた時期にはお互いにほとんど毎日のセックスが苦痛に感じられるようになったのでした。それでも、お互いに三度の飯よりもセックスが大好きで、強く深く愛し合っている私とユキは苦痛を感じながらも、しばらくの間はペースを落とさずに交わり続けたのです。性獣生活の6年間、私とユキはセックス以外の事にはほとんど何も興味、関心がなくなっていて、盆も正月も無関係に年から年中、体を交えるセックス三昧の生活を送っていたのでした。ただし、私の息子でユキの前夫の光彦と私の前妻で、妻にとっては義母になる(厳密にはすでに“元義母”という事になるのですが)美紀子の命日だけは例外で、その2日だけはお互いの間でセックス禁止日にして、体を交えず、禁欲生活を過ごしたのです。春を迎え、お互いに性獣生活に苦痛を覚えるようになっていたある日の深夜、私とユキはいつもどおりに激しく濃厚に交わってその夜3回目のセックスが終わった後、向かい合ってタバコを吸っていた時の事でした。「あなた、辛くない・・・?」唐突にポツリとそう言ったユキでしたが、私には妻が何を言いたいのかがすぐに理解できたのです。「ユキも辛いのか・・・?」私が逆に問い質すと、ユキは「ええ・・・」と答えたのでした。「この6年の間、お互いにちょっと頑張り過ぎたかな・・・」そう私が言うと、「そうね・・・ この6年で何回、したかしら・・・? 2000回以上はしたわね・・・ もう3000回近くになるかしら・・・」とユキはつぶやくように言ったのです。「よくそんなにしたもんだな・・・ 自分でも驚きだ・・・ おれたちみたいな夫婦、世界中、探しても、あまりいないのかもしれないな・・・」ユキと同様に私もつぶやくように言ったのでした。「あたしたち、もしかすると、歴史上、類稀な夫婦・・・ 類稀な性獣男女(カップル)なのかもしれないわね・・・」そう言ったユキに対して私は「おれとユキがこの6年でセックスした回数、もしかすると、ギネス物かな・・・? こんなにセックスした夫婦や恋人同士、これまでいたんだろうか・・・? 今年1月に亡くなった元プロ野球のピッチャーのIと女優のYも3年位で多分、1000回以上はしたんだろうけど、おれたちがした回数の方が遥かに多いし・・・」と言うと、妻は「あの人たち、IさんもYさんも馬鹿よ・・・ そんなにセックスしながら、3年で別れるなんて・・・ あの人たち、ほんとは愛し合ってなかったんだわ・・・ セックスだけが目的で快楽を満たす為だけで結婚してたのよ、きっと・・・ IさんがYさんに飽きられて離婚したらしいけど、Yさんに捨てられたIさん、なんだか可哀想・・・ ほんとに愛し合ってたら、そんなに簡単に別れるわけないもの・・・ ううん、別れられない筈よ・・・ お互いに相手が愛おしくて、もう一生、離れられない・・・ ずっと一緒にいたいって思う筈だわ・・・」と真顔で、やや強い口調で言ったのです。ユキはそう言ったすぐ後、私を真剣な眼差しで見つめて「あたしたちみたいに・・・」と付け加えたのでした。私を見つめたユキの目は真剣なものでありながら、私を愛おしむ情感で満ち溢れていたのです。ユキにそんな目で見つめられた私は年甲斐もなく、少年のように胸がときめくのを覚えて、私も妻の事が本当に愛おし
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昨年9月19日に最初の投稿をして以来、実に8か月近くも経ってしまいましたが、いよいよ今回がラストの書き込みになります。日本茶々!さん、今もこちらをご覧になっていらっしゃるのでしょうか?正直、当初は自分でもまさかこんなにロングランになるとは思っていなかったのですが、私とユキの性生活の体験談は一応、今回の書き込みで最後にさせていただきます。それでは、前回の続きです。私とユキの6年間に渡ったセックス三昧の暮らし、性獣生活が終わってから3年。あれから私とユキはセックスの回数を減らした分、お互いにそれまでの6年間はほとんど毎日の性生活にのめり込んで、セックス以外には何も興味がなくなっていたので、二人とも新たに趣味を見つけて、それに取り組むようになったのでした。私もユキも週に1回、地域のカルチャー講座を受ける事にして、私は写真教室に妻は絵画教室に通い始めたのです。また、休日には子どもたちを連れてどこかへ赴いたり、子どもたちが外へ遊びに行っている時には二人だけで出掛けたり(=デート)と、セックス以外でも充実した夫婦生活が送れるようになった私とユキなのでした。無論、夫婦間の性生活は以前と同様にちゃんとこなしていて、主に週末に体を交えて性獣生活時代のように激しく濃厚なセックスで愛し合っている私とユキなのですが、お互いに肉体的な快感を覚えると共に精神的な結び付きを強く感じ合っています。回数は激減したものの、セックスの時にはお互いに6年間の性獣生活で身に着けたテクニックを駆使して、いつも男女にとっての最高の悦びを感じ合い、充実した性生活を送っている私とユキなのです。私とユキが初めて男と女として体を許し合って結ばれてから、今年の秋で11年に・・・当時は22歳の若妻だったユキも33歳になり、すでに熟女の域に入っていて、今では大人の女の色気に満ち溢れている女性で、私は56歳になった今でも健康で体力こそ落ちてはいるものの、年齢の割には肉体的にも精神的にも若々しくて精力絶倫で、ペニスのサイズも勃起度も持続力もまったく衰えていなくて、セックスの時、自分より23歳も若い妻を最高に満足させています。ユキの肉体は11年前に比べると、ピンク色だった綺麗な乳首の色は茶褐色になり、瑞々しかったヴァギナの色もこの11年間で私のペニスと4000回以上も結合(ハメ)て来た事によって、今ではかなり黒ずんでしまいましたが、痩せ型のスマートなスタイルの良い体はあの頃のままで、腰のくびれも若い時と変わっていなくて、そして、何よりも私のペニスを締め付ける時のヴァギナのキツさは相変わらずで、いつも私に男としてこれ以上はないほどの大きな悦びを味わわせてくれているのです。私とユキは今でも戸籍上は義理の親子、夫の父と息子の妻、義父と嫁のままで、現行の法律では永遠に婚姻関係を結べない間柄の男女なのですが、現在の居住地では10年前に引っ越して来て以来、ずっと夫婦として暮らしていて(世間向けには戸籍上の夫婦を装っていると言うべきか)、役所関係者、医療関係者、子どもたちが通っている学校関係者等の一部の人たち以外は私たち二人の戸籍上の関係を知らず、“純粋な”年の差夫婦だと思われています。二人でどこかへ出掛けた時、私とユキは知らない人たちからいつも年の離れた夫婦として見られ、これまでの10年間で一度も親子や義理の親子だと思われた事はないのです。今年で長男(本当は私の孫)の光太郎は11歳、小学6年に、次男の光次郎は9歳、小学4年になり、これまで子どもたちには父親と母親(光太郎にとっては祖父と母)である私とユキのセックスは見られた事がなく(多分、見られた事はないと思うのですが)、子どもたちはまだ私たち二人と自分たちに関する真実を知らないのですが、近い将来、話さなければならない時が来ます。その時の事を考えると、不安な気持ちになりますが、友人の和也の娘さんが自分の父親と祖母の関係(婿と義母の間柄である和也と孝子さんが男と女として愛し合っている事)を認めてくれたように、光太郎と光次郎も私とユキをきっと許してくれると、そう信じているのです。私がこちらに投稿している事はユキも去年の秋から知っていて、私が初めて自分の書き込みを妻に見せた時には顔を赤らめ、「いやだ・・・っ! あなた、こんな事まで書いたの・・・ なんだか恥ずかしいわ・・・ あたしたちの性生活の事、あんまり詳しく書かないでよ・・・」と言ってすごく恥ずかしがったのですが、書き込みを読んでいるうちにユキも興味を持つようになり、私が投稿する前に内容を目にしてチェックするようになったのでした。また、書き込みを読んで欲情して、私に積極的に迫って来てセックスを求めた事もあるユキなのです。そんな妻と同様、私も書いているうちに情欲の念が高まり、書き込みを送信した後、私とユキはお互いに肥大化した性欲を抑え切れなくなって、すぐに全裸になり体を交えて激しく濃厚なセックスで愛し合った事があったのでした。もしかすると、この最後の書き込みを送信した後、私とユキは体を交えるかもしれません(苦笑)。最後の書き込みになる今回は先月4月3日に書き込みを送信した後、体を交えた時の私とユキのセックスシーンを描写させていただきます。4月3日午後23時14分に私が書き込みを送信した後、かなり欲情していた私とユキはその日が平日、火曜の夜であったにも関わらず、お互いにセックスしたくて仕方がなく、全身からほとばしる強い性欲を抑え切れなくなっていたのです。
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