ふとした僕の悪戯心から図らずも露見することになった、義母のあの恥辱の写真の過去について、彼女は布団の中で僕とは意識的に目を合わそうとはせず、消え入るような弱々しげな声で、そして言葉も何度もいい澱ませたり途切れさせたりしながら、長い時間をかけて告白したのでした。 静まり返った午後の時間で、誰もいない二人だけの空間でした。 僕は義母の柔肌の艶かしい匂いの漂う真横で仰向けになり、頭の下に両手を組んだ姿勢で、時折苦しげに言葉を詰まらせる彼女に、 「ゆっくりでいいよ、亜紀子」 と声をかけたり、短く問いかけたりするだけでした。 二人きりの時間はまだこれから充分にあるのです。 義母の告白の最初を僕なりの想像と解釈を混ぜて要約すると、あの写真は四年前にある男に撮られたものだということで、彼女が五十九歳の時で定年の一年前のことで、まだ聖職者として現役の頃の出来事ということでした。 当時、義母は小学校の教頭職の立場にいて、学校内で生徒によるある窃盗事件が発覚し、そのことで学校側の事後処理で重大な不手際が生じ、関係する保護者を激怒させてしまうという出来事があったとのことです。 六年生の教室である女子児童のランドセルから給食費の入った紙袋と、何冊かの教科書が失くなる事件が起き、その後の担任教諭の調査により、その日の内に一人の男子児童が盗んだということが判明したということなので、校長と教頭の義母と担任教諭との協議で、大袈裟な出来事にせず、盗んだとされるその児童への担任教諭からの説諭で処理を済ませたのでした。 ところがその翌日になって、同じクラスのある児童から有力な目撃証言が出て、担任教諭の再調査で違う児童が盗みを認めたことで話が大きくこじれてしまい、ついには保護者を巻き込む事態に陥ってしまったとのことでした。 最初に盗んだとされるその児童はそれまでの学校生活でも、いわゆるガキ大将的な粗野な性格の子で、教員室でも何かと話題に上がったりしていて、結果的には若い男性の担任教諭の迂闊な思い込みと先走りが、事態をややこしくしたのだそうです。 最初に盗んだと目される児童はその日、学校を無断休校し、代わりにその児童の父親が、午後に血相を変えて学校に抗議しにきたのです。 校内資料によると、その児童の父親は二年前に事情があって離婚してから、男手一つで一人息子を引き取り育てているという四十二歳の鳶職人でした。 そしてたまたまその日は校長が出張で不在だったこともあって、応対に出たのが教頭の義母と担任教諭の二人だったということです。 青木幸三という名のその保護者は、髪を短く刈り上げ、引き締まった身体つきをしていて、赤銅色に日焼けした精悍な顔つきの男のようでした。 校長室のソファで対峙した時から、青木はかなりの剣幕で大声で叫んだり、テーブルを強く叩いたりしてきたようですが、非は学校側にあるのは間違いのない事実で、義母と担任教諭の二人はただただ頭を深く下げ続けるしかなかったようです。 「お前ら、貧乏人の子だと思って始めから俺の子に目星つけて犯人扱いしやがったんだろ? 一旦盗っ人扱いしておいて、今更無実でしたって、馬鹿にするんじゃないよ。見てみろ。もうあいつは学校なんか行きたくないって一人室に閉じこもってしまっているんだぜ。この落とし前はどうつけてくれるんだよ」 そういって喚きがなりたて続けていた青木だったようですが、最後には子を持つ親の顔になって、 「俺も学校の先生相手によ、慰謝料出せとか、そんな野暮なこというつもりはねぇんだよ。先生のほうからよ、息子に一言詫びをいってほしいんだよ。じゃないと、俺も親としてのケジメがつかねぇし、第一あいつがこのまま登校拒否にでもなったら、それこそ責任問題だけじゃ済まなくなるぜ」 といってきて、結果的に教頭職の義母が学校代表で青木の自宅へその夜訪問することになったのです。 学校からそれほど遠くないところにある児童の住む市営住宅団地に、義母は担任教諭の同行の申し出を断って一人で出かけたのでした。 義母の後悔の言葉ですが、この時に担任教諭を同行させるなり、屋外待機にでもしておけば、屈辱の事態は回避できたのかもということです。 娘の由美に帰宅が遅くなる旨のメールを入れてから、相手の夕食時を外してと思い、義母が訪問したのは七時過ぎ頃だったようです。 玄関のチャイムボタンを押すと、ほどなくして中からドアが開き、ジャージー姿の青木が少し驚いたような顔つきで立っていたそうです。 「ほんとに来てくれたのかい。先生一人か?」 頭を深く下げ、義母は夜の訪問と学校での不始末を詫びる言葉を丁寧にいったのだと思います。 しかし青木のほうから、 「先生、せっかく来てもらって悪いが、息子はこの近くにあるばあちゃん家に夕方から遊びに出かけちゃったんだよ。あいつにいっとけばよかったな。何、ばあちゃん家で飯食って、もう帰ってくる頃だから、どうぞ中へ入ってくれ」 といわれ、その時も義母はそこへの入室を躊躇したそうです。 玄関口で対峙する赤ら顔の青木から酒の臭いもし
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閑話休題的になりますが、義母の告白はもう少し長く続きます。 彼女の告白の言葉自体は、過去の自分の思い出したくもない忌まわしい事象を、簡潔ないい回しで話し流そうとするのですが、そこに僕が口を差し挟むようにして、忌まわしい屈辱の事象を具体的に語らせるというペースでした。 例えばこうです。 児童の父親を訪ねて、そこでいきなり襲われ犯されてしまった、と義母は途切れ途切れの言葉ながら、起きた事を簡潔的に短く話すのですが、そこで僕が口を挟み、どんな風にして犯されたのか、室はどこだったのか、と具体的で詳細な状況報告を問い返すという具合でした。 そして佳境部分ともいえる、犯されている時の義母の気持ちがどうだったのか、と聞き返す時は、義母の真横にいる僕の手は、彼女の乳房に触れたり、細いうなじに息を吐きかけたりするのでした。 恥ずかしい状態の場面を話す時、義母は僕から受ける愛撫への反応と相俟ってか、喘ぎの声と熱い息を絶え絶えしく洩らしながら言葉を発するのでした。 義母の告白に戻ります。 青木からの着信が義母にあったのは週末の午後でした。 娘が朝から出かけていて、義母が自宅に一人でいる時でした。 発信者の名前のないコールでしたが、下四桁の番号だけが何故か義母の記憶に残っていて、青木だというのはわかっていました。 あの日以来、戦々恐々とした暗鬱な日を過ごしてきていた義母でした。 一度目の着信は無視したのですが、間髪を入れずに二度目のコールがあり、已む無く義母は着信ボタンを押しました。 「もしもし、先生?…俺だよ、俺…青木」 義母はしばらく黙ったままでいましたが、まだ記憶に生々しい青木の声に、背筋に悪寒が走る思いでした。 「用件だけいうぜ。明日の日曜日、一時に駅裏公園の駐車場で待ってる。俺の車はグレーのワンボックスだ。必ず来いよ」 青木が義母の斟酌を無視して、一方的に用件だけいって携帯は切れました。 寡黙なまま聞いていた義母が、慌てて拒否の言葉をいおうとした時にはもう切断されていたのです。 必ず来いよ、といった青木の言葉の続きが、存外に来なかったらどうなるかという響きを匂わせるような強い口調だったのが義母の心の中の動揺を大きくしていました。 あくる日の日曜の朝まで、義母の心の中の葛藤は続いたそうです。 眠れぬ夜を過ごした義母でしたが、結果的には娘の由美にも哀しい嘘をついて、彼女は青木のもとに出かけたのでした。 そして義母は万が一の危険も考えて、セーターの上にジャンパーを羽織り、普段はめったに穿かないジーンズ姿の身軽い装いで出かけたのです。 駅裏公園の駐車場に着くと、グレーのワンボックスカーから、カーキ色のジャンパー姿の青木が降りてきて義母に手招きして、彼の車に乗るように指示してきました。 それほど広くはない駐車場には何台かの車が止まっていて、人の往来もあったりしたので、義母はいわれるまま青木の車の助手席に乗りました。 青木は煙草の煙りをくゆらせたまま黙ってハンドルを握り、義母も言葉なく寡黙を通していました。 車は郊外に抜け、国道から脇道に逸れたところの先方に色鮮やかな外壁のホテルが見えてきました。 義母の顔が見る間に蒼白に染まりました。 「やめてっ…車を止めてっ」 義母は青木に強い口調でいったそうですが、彼の車はそのままそのホテルの駐車場に潜り込んでいました。 「私、降りませんっ」 助手席でシートベルト強く握り締めて義母は唇を強く噛み締め、蒼白な顔に断固拒否の表情を露わにしていました。 「こんなとこであんたと話するわけにもいかんだろ?俺はあんたとゆっくり話がしたいだけだ」 青木が語りかけるような声でそういいました。 信じられる言葉ではないということは頭のどこかでわかってはいましたが、今日を限りの決着を心に決めていた義母は意を決してシートベルトを外したのでした。 自分に対してこれ以上の脅迫まがいなことをするのなら、義母は恥を忍んででも事を公にし、警察にでも訴える強い覚悟の気持ちも持っていたようです。 こういう類のホテルへ入るのは義母は無論初めてのことでした。 悠然と歩く青木の後をおずおずと気恥ずかしげに追いかける義母でした。 暗い照明の廊下から狭いエレベーターに乗り三階の一室に入ると、艶かしげな照明の下の大きな丸いベッドがすぐに義母の目に飛び込んできたそうです。 後悔がすぐに頭に浮かび、義母は踵を返してその室を出ようとしました。 しかし青木の力強い手に腕を掴み取られ、そのまま引き戻されベッドに押し倒されたのでした。 青木の筋肉質の身体が、小柄で華奢な義母の上に重くのしかかっていました。 「や、やめてっ…いやっ」
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