近親相姦 経過報告

よく読まれている体験談
2016/08/05 14:52:53(ARi9dYxA)
けんじろう様 続きありがとうございました。
母強しっ!ですね...
この状況で息子へ愛を伝えるには方法がなかったのですね(泣)素敵なお母様です。
16/08/23 20:41
(SitL97VD)
結局、このマンションで3ヶ月半生活をしました。もちろん、専務さんの持ち物です。最後まで、電気と水道は来ませんでした。
ホテルのプレハブ小屋でいた時はそうでもありませんでしたが、離れたマンションに住み始めると、母への専務さんの呼び出しが一気に増えました。
ほぼ毎日のように連れ出され、連れ回されておもちゃのようにされていました。ほんとに、最後は帰って来ない日もあったくらいです。
そんな母でしたが、僕との関係は別だとばかりに、毎日のように求めた来ました。僕が心のよりどころのようになっていたのかも知れません。
専務さんに遊ばれて、お尻やアソコが腫れ上がっていることもありました。これ見よがしに、母の身体にキスマークが無数もつけられていることもありました。
それでも、お互いに理解していたのでしょう。僕は母が汚ないとも思いませんでしたし、母もその身体を惜しげもなく開いて見せてくれました。
ある日の夕方。マンションから歩いて10分くらいの駅に僕達は居ました。この日、プレハブ小屋やマンションを提供してくれた専務さんから逃げたのでした。
彼の父は、今は仕事を手広くやっている商売人ですが、元はヤクザです。追われる心配もしながらの逃亡です。
1週間くらいはラブホを巡りましたが、とにかくお金がない僕達。そんな母と、ある人物を訪ねることになりました。
隣の県ですが、電車を乗り継ぎ、かなりの時間を掛けてその方の家に着きました。玄関から出てきたのは、60歳近いおじさんでした。
母が自己紹介するまで、おじさんは僕達に不信感を持っていました。自己紹介が終わると、少し納得をされ、家の中に招かれます。
後で分かったのは、このおじさんは、母の遠い遠い知り合いということです。昔、少し世話になった方なのでしょう。
僕は居間に残され、母とおじさんは奥の部屋で話をしていました。出てくると、話はまとまっていました。これから、この家に住めることになります。
先に説明すると、僕はこの後におじさんの手伝いですが仕事を始めます。母の方は、結局このおじさんにも手を出され、籍を入れないままに夫婦となります。
16/08/24 12:22
(GzCcS9ev)
ここに住み始めることになり、すぐにご近所さんに僕達は紹介されることになります。母は『おじさんのいい人。』として紹介されました。
ご近所さんは『若いええの捕まえたのぉ~。』と母より10歳も年上のおじさんをからかっていました。
僕達3人の生活は、しばらくぎこちなかったです。一緒にご飯を食べていても黙り込み、それを心配した母が一人で場を盛り上げるような感じです。
そんなおじさんがお酒を飲み始めると、場は一変します。普段、無口なおじさんも酔うとかなり陽気になります。ほんと、これには助かりました。
僕と母との関係もおじさんの目があるために、ほぼ皆無になってしまいます。林の中に入ってヤることも考えたりしましたが、実際は行いませんでした。
ここに暮し始めて、2ヶ月くらい経った頃でしょうか。ほんと何気なく、食卓で変な空気を感じました。
会話をする母とおじさんが、どこか怪しく思えてしまったのです。僕の勝手な思い違いだと、その時はそう判断したのですが。
それから数週間後、おじさんから母との結婚を告げられました。今すぐではなく、タイミングが合えば…という話でした。
その話をされた夜です。寝るとき、母は与えられていた部屋ではなく、その日からおじさんの寝室に消えて行きました。
足音が母の部屋で止まらず、その先のおじさんの部屋に向かうのを聞く僕は、やはりどこか納得が出来ませんでした。
夜中に、ギシギシと音を立てるベッド。小声の母の声が聞こえる時もありました。もう、嫌でも受け入れるしかありません。
その日からです。おじさんから、よく臨時の小遣いを渡され、『町で遊んで来い。』と言われるようになりました。
僕を出掛けさせ、母と何かをするのは明らかです。しかし、居場所もない僕は、その小遣いを持って出掛けるのでした。
この田舎にも、僕と同世代の女性もいました。『遊びに行こう。』と言えば、付いてくる子もいたかも知れません。
でも、その先のことを考えてしまいます。僕と母は、逃亡者なのです。身を明かした途端に、債権者が来てしまう恐れがあります。
このまま、出来る限りにひっそりとするしかないと思っていたのです。
ここに住み始めて、4ヶ月くらいは経過していたと思います。夕方6時に寄合いにおじさんが出掛けました。僕は、すぐに母を自分の部屋に連れ込みます。
納得した顔でついてきた母でしたが、部屋に入るといろいろと口実を並べ始めます。意外でした。残念でした。
その喋り方から、僕を説得しようとしてるのが分かります。知らない間に、母はおじさんのものになっていたのです。なんか、ガッカリしてしました。
それでも何とか『お口だけで…。』と言ってもらい、4ヶ月ぶりに母の口の中に入って行きました。
僕は性欲も精子も貯まっていて、母の口で受けきれないほどの射精でした。母はティッシュに吐き出すと、僕の前に座り、話をして僕の様子を見ていました。
僕の納得と満足を確認していたのです。話終えると、立ちあがり、部屋を出ようとします。
その姿に、僕は『せっかくのチャンスなのに、勿体ない。』と思ってしまったのです。再び、手を掴むと、母の唇を追い掛けてしまいました。
16/08/24 13:50
(GzCcS9ev)
続きありがとうございました。
母に拒絶された心中お察し致します。
一人の女性として意識したということですね。
続き楽しみです。
16/08/24 19:54
(0rqMLaqs)
心のないセックスは、すぐに飽きが来てしまいます。心が離れた母を抱くことが、段々と僕には苦痛になって来ていました。
それが恐くて、母に『この家を出よう。』と言ったこともありました。しかし、母は安定を望みました。あんな地獄のような生活には戻りたくないのです。
最後には『出ていくなら、一人で行きなさい。』とまで言われます。
そうなると身体を重ねる数も減り、いつしかお互いに意識もなくなって行きます。もう、母はおじさんの物なのでした。
そんな僕も彼女を見つけて、それなりの生活を始めます。もちろん、ある程度で深入りはしませんでしたが。
更に8年が経過します。おじさんは68歳、母も57歳、僕も29歳となっていました。この年、おじさんの足が悲鳴を上げました。
元々、足の悪かったおじさんは、老化と長年の無理がたたり、疲労骨折をしてしまいます。
『すぐに治りだろう。』と安易に考えていたのですが、それから歩けるようになるまで、実に2年半掛かることになるのです。
歩けるようになっても、結局は亡くなるまで足を引きずる歩行になってしまうのでした。
おじさんの仕事は、僕が引き継ぐことになります。おじさんも最初こそ無理をしてまで仕事に出てきましたが、やはり無理だとわかり、諦めて静養に入ります。
代わりに助けてくれたのは母でした。もちろん、お手伝い程度ですが、母なりに頑張ってくれました。この時、もう5年近く母を抱いていませんでした。
村にある小さなボンプ場。もちろんその中には入れませんし、その奥になると村の者も入りません。用がないからです。そこに茂みがあるのを見つけました。
生活道に面していて、誰も来ず、車も停められ、見つからない場所。まさにここでした。
『母と買い物に出掛け、茂みに入り、情事を済ませ、家に戻る。』僕の考えた計画でした。ところがこれが見事に失敗に終わります。
母の老いでした。母に触れなかった5年間、当たり前のはずなのに、母の老化に気がつきませんでした。
浮かれて、母をこの場所に連れ込んだはずなのに、母の身体を見て、現実を思い知らされます。胸はしぼみ、スリムだったお腹もこんもりと膨らんでいます。
抱くには抱いたけど、あまりの母の身体の変化が気になり過ぎて、つまらないものとなりました。
更に7年近く過ぎ、おじさんが亡くなります。母も64歳になっていました。おかしなことが起こります。これを機に、母と僕は再燃をすることになるのです。
16/08/24 23:04
(GzCcS9ev)
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