近親相姦体験告白
よく読まれている体験談
2012/09/06 23:37:28(FNmxQsPn)
そんな場所がまだ日本には残っていたんですね。
もう30年前でしょうか、山間の小さな部落に友人を訪ねて行ったことがありました。
戸数にして30軒ほど、「ここらはみんな○○で名字が一緒なんだ。みんな親戚だ。」と言っていた友人。
夜になると何処からか私の寝るところに30代の女性を連れてきて、
「親戚の女なんだけれど、亭主が今出稼ぎに行っている。今晩抱いてやってくれ。明日は他の女を連れてくるから。」
そう言って置いて行った。
友人は隣の部屋で違う女を抱いているようで、大きな喘ぎ声が聞こえてきた。
ここでは親戚同士で近親相姦は当たり前らしく、私のような外からの種は大事にしてくれるようだ。
12/09/07 05:53
(LQ0wbjbA)
もっと詳しく臨場感をもたせてくれなきゃーせっかくのいい話を
期待してるから頑張って。
12/09/07 23:14
(gSHMuckm)
臨場感、と言われても。そのような文才があるわけでもなく、知らなかったとはいえ、抱いた女が母親だったことには、相当ショックを受けました。ましてや、ああんとかうっふ~んなんて表現にはなかなかなじめません。もう少し、年月がたてば、落ち着いて、それなりの表現ができるでしょうが。それでも、高校生の身でありながら、笹掛け小屋で女の体をスムーズに楽しめたのには、それなりの理由がありました。私とその同級生男4人と女3人は、この集落の中学分校最後の卒業生で、何かとイベントに引き出され、話題にもされ、絆は結構強いものがありました。中学三年の12月、学期末終業式のため、その日は本校へ出席。終業式を終え、HRなるもので自己紹介。そのあと最後の分校生だから、と特別に分校生だけ校長室に呼び出され、なんたらかんたら、との訓示を受け、やっと解放されてバス停に急ぎましたが、昼のバスは出発した後。次の、かつ最終のバスは、5時間後の夕方まで待たねばなりません。バス道を歩けば3時間はかかります。山越えの峠道を行けば、体はきついものの、1時間かからないでしょう。バス停横のコンビニで、腹の足しになりそうな駄菓子にバス代を回し、山越えの道を歩いて帰ることにしました。峠を越え、あとは下り道となったところで、男女のあの時の声が聞こえてきたのです。峠道からはやや見えにくいところに、笹掛け小屋があったのです。中学生七人、そっと忍び寄りました。近くまで来たとき、最後の大きな喘ぎ声が聞こえてきました。そのため、私たちの接近は気づかれずに済んだのでしょう。一休みが終わったのでしょうか。交代するか、との声が聞こえてきました。すぐに二組の、別々の、喘ぎ声が聞こえてきました。互いに競い合うように、大きな喘ぎ声が漏れ出てきます。女子も男子も、顔を真っ赤にして耳を澄ましています。やがて一際大きな喘ぎ声がすると、もう一方もわざとのように大きな喘ぎ声。やがて静かになり、男二人が最初に小屋から出て、道を下っていきます。少し遅れて、女が二人、やはり下りの道に進んでいきました。もう小屋は、無人のはずですがそれでも忍び足で近づき、そっと覗いてみました。中には痕跡は何も残っておらず、ただあの行為の熱気が籠っているだけです。中に入ると、中身の残るティッシュ箱が置いてあるだけでした。それまで私たちは、あのような行為は、二人だけで秘かに楽しむものだと、なんとなく思っていたのです。しかし集団で、そして交換し合うこともありなのだ、ということに気が付き、なんとなく気詰まりな雰囲気が7人を包みました。そんな雰囲気を断ち切るため、私はふざけて入口の戸を立てかけました。突然、小屋の中が暗くなりました。女子はキャッと叫んで、そばにいた男子に、しがみつくように抱きつきます。私もしがみ付かれた勢いで、転んでしまいました。中は暗くなったと言っても、シルエットぐらいははっきり見えます。周りから見て、私たちはその行為に及ぶかの様に見えたのでしょう。一組、もう一組、と中に敷かれた茣蓙の上に横たわりました。さっきまでの覗き聞き、で相当火が付いていたのでしょう。横たわった組は、もぞもぞ体を動かし始めました。私も下に横たわる女子の下着を脱がせようとしましたが、勝手がわからず、なかなかうまくいきません。焦れたように女子は私の体を押し除け、自分から下着を脱ぎました。私も慌てて自分のズボンを、下着ごと脱ぎ捨て、制服のスカートをまくり上げ、女子の脚の間に体を入れ、女子の股間を探ります。すぐに熱く、濡れそぼった秘所に指が触れました。いっしゅん、二人の体が硬直します。慣れた組があるのか、早くもひそやかな喘ぎ声がし始めました。女子が腰を持ち上げ、私の竿を誘導してくれました。一瞬の抵抗がありましたが、すぐに竿は、濡れそぼる秘所の奥に潜り込むことができました。女子は小さな悲鳴を上げた後、すぐにひそやかな喘ぎ声を上げ始めました。最初に喘ぎ声を上げた組が終了したようです。残された一人が、すぐに一度終わった女の子に覆いかぶさりました。それを見ながら私はこみあげてくる快感に耐え切れず、初めての射精を経験。そのまま彼女の体の中に入れておきたかったのですが、最初に終わった奴に催促されるようにして体を離しました。もたもたしていた三組目も終わり、野郎のほうが体を起こします。横たわったままの彼女の両脚の間に、私の下半身を割り込ませました。
...省略されました。
12/09/09 00:09
(GauWxDDI)
楽しみが、少なかった時代は、閉ざされた集落や小島では、セックスを儀式化して楽しむ習慣があったと何かの本に書いてあったのを思い出した。私としては、お母さんとのセックスより、同級生との体験談の方に惹かれた。
羨ましくなるような体験したね。
12/09/09 04:12
(Wxp/UhnS)
中学の時に女の子4人と関係した。
童貞の筆降ろしはクラブの先輩の子。
その先輩とは半年付き合った。部室、俺の部屋で半年で100回くらいはした。
2、3年の時に新入生を3人食った。
そのうち2人は処女だった。
12/09/10 00:06
(4lV3C2bS)
大学生の頃、ボランテアで秋田の雪降ろしに友と行きました。屋根に積もった雪を下へ掻き降ろすのです。四日後の夜、区長さんからお礼にと女の方を連れ来られました。お礼にと出稼ぎに行かれている奥さんが今夜は一緒にお泊りと言われ、驚きました。40代のオバサンでしたが堪能しました。
12/09/10 10:07
(whhBpsrj)
申し訳ありません。
母とのことは、臨場感が出てくるかと思い、今年の夏の帰省中、と書きました。
でも実際は、遠い日のこと、20数年前のことです。
同級生との付き合いもあり、大学に入るまでは、母のことをそれほど必要とは思いませんでした。
しかし、大学に入ると、母は私の世話をするという名目で、時々山を下り、町に住む友達と交遊を復活させていました。
時々泊まり込むようにもなり、ある日、そっと笹掛け小屋のことを、言ってみました。
驚いたことに、母は最期の相手が私だということを知っていたようで、途中で気が付いた時にはどうしようと思ったそうです。
結局は気が付かなかったふりをすることにしたのだそうです。
もちろん、知らなかったこととはいえ、一線を越えてしまったことは事実なので、その日以来、母とはタブーを犯すことになり、現在に至っています。
同級生とは、分校最後の卒業生、ということで結束が固く、年に一度、温泉で同級会を開いています。
もちろん結束が固いのは、夜の懇談会があるためです。
話す内容は、いわゆるボディランゲージ、というわけで、尽きることはありません。
母の成熟した体。子供を数人持った女性たちの、盛りの体。
違う味わいを愉しんでいます。
愉しみの詳細は、後日に。
12/09/13 00:20
(Lj50qiDu)
いやーいい話をありがとう。
ブレーキが止まらなくなるのも青春なんだよね
なかなか文書もしっかりしてて読みやすかったです
また聞かせてください。
12/09/24 01:52
(n6fkxfNm)
延喜式、覚えている方はおいででしょうか。
昔、日本史の中に出てきた何かです。
その中で、国民として犯してはならない罪が列挙されているそうです。
自己流に解釈すると、
それは、自分の母親を犯してはいけない、
自分の子を犯してはいけない、
他人でも、親子丼ぶりはいけない、
義母を犯してはいけない、等々です。
でも、私は犯してしまいました。合掌。
12/09/25 22:40
(nsp3xHN2)
閉鎖されたような山奥だからできること、、、、、、
こんなことでもやって気晴らししなきゃ激しい労働なんかできなかったろうしね。
でも、ちょっとうらやましいような、、、
13/06/03 18:53
(t6y/bKek)
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