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親の性行為目撃談 RSS icon

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削除依頼
2024/11/10 21:40:00 (NITH3st0)
僕の両親は自分たちの行為を動画に残している。
普通にみんなで使うPCに入っているのでよく見てます。
恥じらいとかは特になくて、僕や姉にも見て感想聞いて
きます。
僕もエッチは好きで母ともしていますが、父のように
するのは難しいので、勉強になります。
父はずる剥けで僕は仮性包茎w。
僕もオナニー自撮りしたりして保存してます。
生で見るのはタイミングが難しいので少ないです。
たまに見れるとラッキーなので、シーツを代えたりとか
後片付けをしてあげてます。
16
2018/04/18 22:35:29 (GosANc98)
マンコ濡らして電車を待つスケベ女。母は子連れの通勤なのに痴漢された
くてしょうがない。
その頃の母は40前で、セクシーな肉体を持てあましていました。顔はイン
テリ風だけど表情に淫色が隠せない。そんな母はホームに並んでいても、
痴漢期待への後ろめたさと羞恥からなのか、いつも顔を俯けていました。
乗車駅が始発に近いので連結車両の中間付近はまだ座れる可能性があった
けど、母は最も混雑する最後尾からの乗車だったのです。「降りると後ろ
の方が階段に近いから」と言い訳した母でしたが、本当の理由は痴漢され
たいからでした。

母の痴漢好きは娘の頃からで、結婚当初は通勤も辞めていたけど、頼まれて
短大講師を始めた時に再び痴漢されたのです。以来母は痴漢される快楽が忘れられなくなりました。

頭が良いインテリ女にはスケベが多いと聞いたけど、母のスケベは骨髄の
淫欲でした。女子高生時代から学業優秀な母だったけど、勉強
に疲れたらオナニーに狂って、その時に思い出すのも朝の痴漢行為。
女子大時代には痴漢好きもエスカレートして・母は触られたら触り返す
程のスケベ女になっていました。そして、何食わぬ顔で父と見合い結婚し
て、性欲処理はやはり痴漢行為だったのです・・・

母のセックス遍歴は日記に書かれていたり、男と電話でオナニーをや
り合った時の話だったりで、全てが真実とは限りません。でも、痴漢セックスとオナニーだけは私が見ていた事なので隠しようも無いのです・・

母を痴漢する男は最寄り駅にも数人はいたのだと思います。母が駅の階段を
降りると、痴漢男はピッタリと母の後ろに付いたのです。乗車する時の混
乱時にも、男達はターゲットにした母と離れまいとして、痴漢行為のポジ
ション争いをやったのです。母は直ぐに男達に囲まれて、それは集団痴漢
ではなかったけど、母は何人もの男にやられました。

母の顔が紅潮して吐息が荒くなったら・それはもう痴漢マンコが始まっ
た証拠でした。母はもうスカートを大胆に捲られてショーツを半下げにさ
れて、痴漢の指は確実に母を歓ばせたのです。堪らなくなった母は目を閉
じて腰を前に突き出して、天国もかくやと思える快感に身を任せました。
母もまた男の股間に手を伸ばして、遂には女子大生時代に覚えた相互愛撫
をやったのです。いったい女はこんなにもスケベになれるのかと思う程
に、母は感じまくって快楽の呻き声を漏らして、何回も何回も絶頂が・・!!
満員電車内は快感の逃がし場所も無くて、痴漢達のマンコ責めで母は半狂
乱にされました。

娘時代からオナニーを繰り返した母のクリトリスは、淫の唇から突起する
程にも肥大しています。そこはもう容易に探りあてる事が出来ます。ベテラ
ン痴漢の指でクリをやられたら、その気持ちよさは男には想像すら出来な
い程だったに違いありません・クリもアナルも指で擽られて、母はもう
全身をクネクネと悶えさせたり背中を仰け反らせたりで、その間にも母は
快楽の声を出し続けました・・どんなに抑えようとしても出てしまうよが
り声。それは夫婦のセックスなど比較にもならない快楽の極みです。
指マンコが始まったら母は身体の自由を奪われて、ただ延々と体を悶え
させて、母のマンコは僅かな時間ですら解放される事が無いのです。
母は五人ぐらいの男にマンコやられているので身体中が気持ちいい・・
前も後も右も左も勃起したチンコ押し付けられて、母はもう阿鼻叫喚のス
ケベ泣きをしたのです。

名門女子大卒のインテリ母がやった最低の淫乱行為。見ず知らずの男達に
マンコ弄られて狂喜させられる母。いや、見ず知らずの相手だからこそ
母は淫乱になれたのかも知れません。普通のセックスでは、ましてや夫婦の
営みなんかではあれ程の興奮はあり得ない。通常のセックスで5人もの相
手にやられるなんて不可能です。でも、電車の中では入れ替わり立ち替わり
でオマンコやられてしまう。母はあの興奮には堪えられなかった・・!!

痴漢される女は、意識の中では被害者で居られるます。どんな猥褻行為を
されても自分を責める気にはならない。けど、痴漢達も女が本当に嫌がった
ら自制する筈なのです。しかし母はやられていました。毎朝痴漢されてい
ました。母はもう、私と同行の通勤でもお構いなしです。それは、マンコ
に他人のチンコ入れなければ不貞じゃないと言わんばかりの大胆さ・・
母がされていた痴漢行為はあまりに猥褻でした。


偶然に聞いてしまった母のエロ電話・マンコいじりなからのエロ電話。
私は母が告白した言葉が忘れられません「やられたらやり返しちゃう」と
母は電話で男に言ったのです。「触ってきた男をやると興奮が凄く
なるわよ」と母は言ったのです「女子大時代に痴漢にチンコいじらされ
て覚えたの」と告白した母は、受話器を握りながら自慰を
して果てました。「後ろの人のが触りやすい」とまで言った母は、どれだ
けの男を射精させたのか。スカートを汚されないようにハンカチを使う事
を覚えて、男が射精したハンカチの匂いを嗅いで自慰に狂った母。
私が見た母の自慰はマンコにトウモロコシを突っ込んだ姿でした。

母は自慰を男に電話で聞かせました。互いに猥褻な言葉を言い合って興奮
を高めました。母は淫らな行為を告白させられて、その内容の殆どが痴漢
行為。女子大時代の母は映画館での痴漢セックスも覚えて、混雑した名画
座でも母はマンコやられていたのです。「でも、やっぱり電車の中が最
高よ・もう気持ちよくて立っていられない位になるわよ」「周り中の
男にやられるから・誰に触られてるかも分からなくなるの」と言った母は、
感極まって激しく自慰をしました。それはもう、アスリートの無酸素運動
の如く激しい自慰行為で、母は大股を開いて腰を高く持ち上げて、右手で
マンコを擦ったのです。それを見た私は我慢出来なくて、遂には覚えたての
センズリをやって、その間にも母は絶頂への行為を続けました。母はもう
半狂乱になって、猥褻で支離滅裂な言葉を発し続けたのです。
「あぁー気持ちいぃーもっとやってーおまんこーおまんこやってょーおま
んこーおまんこーおまんこやっちゃうーもっとょーもっとやってーもっと
もっとー」と声を出した母は畳の上を転げ回って自慰を続けました・・・
「そうょーあたしスケベなのーチンコ欲しいょーおまんこしたいょーやっ
てょーやってやってー」と震え声を発した母は腰を高く持ち上げてから
全身を強く痙攣させたのです。「恥ずかしいわょー我慢出来ないのー男の
人はみんなスケベだわょースケベースケベー」とあられもない言葉を言った
母。インテリで上品だった母が言った最低の言葉。母が「おまんこ」なんて
言葉を言うなんて・・・!! 「男なんてみんな痴漢ょーあたしをこんなにしてースケベーースケベーー」「スケベにされたわょー毎朝痴漢されるのょー
女だってスケベになるわょーおまんこしたくなっちゃうーチンコ欲しく
なっちゃうーいいわょーおまんこしましょー」「言うわょーあたしのスケ
ベなオマンコにチンコ入れて下さい・オマンコして下さい・オマンコしたいのょー痴漢だけじゃ嫌ですわ・・チンコ欲しい・チンコ欲しい・」と、母は
これ以上は無い猥褻言葉を言いました。それはもう・痴漢男と痴女の
性的行為で・そこには何の躊躇いも無く、ただ欲望のままにやり狂う男と
女のセックス地獄に見えました・・・しかし・・母と痴漢男はセックスし
ませんでした・・・・!!

電話でのオナニーは続いていましたが、母と痴漢男が逢った形跡はまるで
無かったのです・・・!! あれほど「やりたいやりたい」と言った母は男と
逢わなかった。今にして思えば痴漢男も母も本物の痴漢と痴女だったのだ
と思います。 男は見知らぬ女を痴漢したかったし、母は痴漢されたかっ
た。母は触られたくてしょうがない女で、求めていたのは痴漢行為での快
楽だったのです。満員電車内という逃げ場のない環境で何人もの男にマンコ
やられる事。それこそが母が欲したセックスでした。素性も知らない男に
マンコ歓ばされる背徳感が母を興奮させたのです。母は痴漢される事に強い
羞恥心を感じて、その羞恥心と罪の意識が快楽の源泉になっていた。しかも、
全身痙攣する程の快感を味わっても孕ませられる心配もないし、痴漢行為は
その場限りの快楽だから後腐れも無い。終着駅に着いたら何事も無かった
かのように立ち去るだけです。そして、翌朝もまたスカート捲られてマンコ
歓ばされる。ストーカーの如くに母を追い回す痴漢も居たけど、電車内だ
けの関係ならば気にする事もなくて、つまり母は安全にスケベな欲望を満
たせました。品行方正に見える男が母との肉体接触でチンコ勃起させて、
母の肉体を触り始める瞬間に感じるスリルが堪らないのだと、母は告白し
ました。男性の肉慾を強く感じて、その欲望が自分に向けられている事を
知らされる瞬間は母にとって歓びだった。そして、郊外私鉄は乗車時間が
長いので、母は何回も何回も絶頂を味わった。満員電車内の逃げようもない
環境で不特定多数の男にマンコやられる事。それはもう犯されに違いなくて、
しかも、最後の安全性は確保出来ている。これ程にも女にとって都合が良い
セックスは他にはありません。だから母は、女子高生時代から結婚後までも
痴漢セックスの虜になったのだと私は思います。

17
2024/11/09 16:12:45 (4ghJx5/G)
夏が終わり日が浅いある日セールスマン相手に対応をしていた母親がタンクトップにショートパンツ姿で玄関にて隣に座り対応。後々聞いた際、セールスマンが書類かカバンで顔を隠しながら露出した脇や同じく下半身へ視線が流れていたらしくちょうど良いサービスと言っていました。
後々あくまでも想像ですけど、膝上タイトスカートだったら見えたり、以前から面識や親しさがあり秘密状況だったら手を入れられたり、等想像してしまいました。実際に玄関にて隣に座るにしても距離感が疑問でもありますけど。       
18
2024/11/02 23:04:18 (w7vlL4o0)
その日、両親の営みを目撃してから、私は複雑微妙で困惑した感情に巻き込まれ、あれこれ言い訳をしながら意識的に何度も姉たちの寝る部屋で眠りにつきました。

ただ、たまに遊んで疲れたときや長い間身についた習慣で、たまたま両親の部屋で眠ってしまうこともあり、自分の意志とは関係なく耳が敏感になったせいか、夜に何度も両親の営みを目撃するようになりました。

また、その時は本人の成長期とも重なって燃え上がる性的探求心に行動も大胆になり、欲望が恐れを圧倒して両親の営みを覗き見ながら眠りにつくことがほとんど生活の一部になっていきました。

そして毎回親の営みを覗き見る度に一つ私が感じたのは、昼間は子供たちには厳しく、妻には無愛想な夫にしか見えなかった父が、夜になると妻を抱きかかえて、子供たちの前では見せなかった切ない愛を分かち合い、ひそひそと自分たちだけの世間話を交わしているということです。

そんな中、同じ年の秋の日に明るい満月がカーテンを通過した後、部屋の中をほのかに照らし、隅々まで安置された装飾品がかなり明るく見え、私の目に映ってきました。

明るい室内環境のおかげで、その日も私は押し寄せる眠りを我慢しながら両親が就寝するまで待ちながら、営み全般の過程を詳しく垣間見ることができました。

その日、父は秋の日、ひんやりとした天気のせいか、上半身裸で布団は下半身だけ隠したまま、両手で母の肌着を頭の上に引き上げ、両手が空中を突く姿勢で固定させた後、乱暴に見えるほど母の胸を揉んだり舐めたりを繰り返しました。

月の光の下で抱き合った二人の顔が、くっきり私の眼に映り、昔は自分だけが独占できると勘違いして大切にしていた母の胸が、父によって乱暴に扱われ、揉まれ、形が変形して痛みで歪んでいる母の顔を見て、私はちょっとした怒りと嫉妬まで感じました。

正直、母の体は小さい頃からよく湯船で一緒に風呂に入っていて、かなり見慣れていて、多少神秘性は落ちていましたが、その夜は違いました。

父の黒い肌とは対照的に、母の白い肌が月明かりの反射で妖艶に映り、営み中のエロチックな雰囲気をさらに生かしてくれました。

いよいよ本格的に父がよく見せてくれた見慣れた正常位の姿勢で片手で母の頭をつかんで下半身を動きゆっくり押し込みました。

一方、両手が縛られた母は、ウン~ウんともどかしいうめき声を上げ、少しは嫌な表情で苦しそうに無理矢理キスを試みる父親の口を避けようと頭を左右に振りました。

二人の間で、普段は見られなかった親密感を誇示するように、いつもの単調な営みと違って、気分がアップしている父がキスを試みること自体が、私には新鮮な刺激でありながら、一方ではかなり衝撃的に感じられました。

結局は父の執拗な攻撃に母の頑固な拒否が崩れ、瞬間に開いた母の口の中に父の舌が順調に滑るように入ることができました。

堅固な城壁を崩した勝利者であるかのように意気揚々とした父が、舌で母の口の中をかき回し、母の舌を引きずり出して棒キャンディを吸うように執拗に吸い上げると、母もこれ以上抵抗は無意味だったと判断したのか、少しずつ協力的な姿勢を取りながら舌を出し、父の舌と絡みました。

自分の角度から見ると、もじゃもじゃとしたひげに覆われた父の舌が、まるで魚が水草の間を泳ぐように母の口の中の隅々をかきまぜ、時には密着した唇のせいでお互いの舌が絡み合ったのか、母の頬が膨らんだり縮んだりして、クチャクチャという音が部屋中に響き渡りました。

快楽におぼれて私の存在自体を完全に忘却したのか、静かな夜に起きた営みは雷のように聞こえ、隣の部屋の姉たちが気づかないか、私は内心心配になり、焦りました。

その後も、しばらく濃密なキスが続き、甘雨を飲み込むようにごくりという音と、汗なのか唾なのか見分けがつかないほど、母の口の周りがぬるぬるし、首に沿って降りてきた透明な液体が、月明かりの反射で輝き、私の目に映ってきました。

正直、普段は見たことのない二人の親密なスキンシップと、汚く見えるほど卑猥なキスをするのを目にし、毎回動くたびに布団の隙間から噴き出す熱気と、それによって部屋の中に漂う汗の臭いと石鹸の香りが混じった独特のにおいが嗅覚を刺激して、いやらしいというより不潔さと背徳感で覗き見みする自分自身の行為に羞恥心と身が震えるほど嫌悪感まで感じました。

徐々に本番の営みが終盤に至り、まるで瓶に密封された空気が抜けるようにポン~という音と共に密着してくっついていた二人の唇が分離され、細く透明な液体が光った後、すぐに切れました。

お互いの唇が離れた瞬間と同時に、父はスピードを上げて力いっぱい突っ込みながら、「う~~」と単発のうめき声を上げ、何度かけいれんを起こした後、一瞬力が抜けたのか、母の体にそのまま体重を乗せながら倒れました。

激しい交尾が終わり、両親はしばらく抱きしめた姿勢を維持したまま、お互いに乱れた息を整えながら、さっきできなかった話を続けるように、しばらく何かひそひそと話していました。

話が一段落して、父が向こうへ行き、黙って横になっていた母は、ちらっと私の方を見た後、ごそごそと布団の中を手探りで下着を探した後、下半身だけ覆ったまま裸の状態で浴室に直行しました。

今も確かに確信はできませんが、当時の私の位置が窓から月明かりが照らされない日陰なので、覗き見するのがばれてはいないだろうと自らを慰め、布団の中で深呼吸をし、両親と一緒に高揚した興奮を抑えようと必死でした。

母がお風呂から帰った後も、私はしばらく小便を我慢して横でいびきをかくまで待って、できるだけ音を抑えながらゆっくりと体を動かしてトイレに行ってきました。

今も当時の衝撃的な場面が頭の中に刻まれ、時々思い出すとあまりにも刺激的で、いきなり心拍数も上がり、なかなか興奮が収まりません。

ただ、二重に重なった両親の顔とお互いの裸の状態で密着した上半身は鮮明に見えましたが、残念だったのは両親がいつものような単調な正常位の姿勢で布団で下半身を覆ったまま動き、重要な部位は全く露出しなかったということでした。

記憶ではおそらくその日から、母は、夫婦間の営みが息子にばれて、成長期の息子に悪い影響を及ぼすのではないかと心配になったのか、それとも夫婦間の性生活に私の存在が邪魔になったと思ったのか、結局、私の意志とは関係なく、母のお願いで、私はまた姉たちのお部屋に移る事になりました。

もちろん姉たちの部屋で寝るようになっても、その頃異性関係に目覚め、まるで演技するように何も知らない子供っぽくて天真爛漫な表情をしながら、あれこれ言い訳をして、たまに両親の部屋で眠りにつきました。

しかし、私がたまたま両親の部屋で寝ている時は、寝ないでずっと待っていても、両親は本当に一切営みをせずに寝てしまって、未練だけが残ってしまいました。

私も自分の心の意図がばれたという思いで、ずっと寝ずに待つのも限界が来て、時間が経つにつれ、仕方なく自然に盗み見をあきらめるようになってしまいました。

しかし、私が姉の部屋で寝る時は、両親の営みに慣れた耳が敏感になり、向かいの部屋から聞こえてくる両親の営みに直ちに反応して目を覚ますことが頻繁に起こりました。

両親も私がそばにいなければ、これ以上考慮なしに営んでもいいと思ったのか、ハア〜ハア〜という息づかいが荒くなったり、パチ〜パチ〜という体の激しいぶつかり合いが、静かな夜中に私の部屋まで聞こえてくるようになりました。

その間に時々ペース調節に入ったのか、二人で話を交わす声が聞こえ、しばらくして再びパチ〜パチ〜と音が響き渡り、営みが数分間間欠的に続いたり、また静かになったりを繰り返しました。

ある日は、ますます沸き上がる自分の欲望に耐えられず、生き生きとしてはっきりとした両親のうめき声が聞きたくて、姉たちが眠っていることを確認しながらトイレに行くふりをして、こっそり廊下に出てきました。

つま先立ちをして慎重にリビングに出てきて両親の部屋を見てみると、ドアの隙間からかすかな光が漏れ出て、開けてみることはできず、息を殺して寝室のドアに耳を当てて盗み聞きまでしてみました。

そのように一年ほどして完全に独立して一人で眠るようになったのは、私が中学校に入って姉たちもそれぞれ高校と大学に進学して家を出るようになった時点でした。

一つエピソードを言いますと、母が突然亡くなり、何年も経ったある日、私と妻が一人で残って体の不自由な父のことが心配で実家を訪れた時でした。

突然の訪問に父が母の不在の寂しさを解消しようとしたのか、テレビとつながったエロビデオの交換を忘れて、私の妻がリモコンを操作して電源を入れた瞬間、赤裸々なビデオ映像が私たちの目に入り、お互いが恥ずかしかったことがありました。

男女関係に保守的な妻はその時、どうしていいか分からず顔に慌てた表情を浮かべてその場で凍りつき、結局私がリモコンを握って消してはいましたが、妻の目に私まで変な人だと思われて困惑したことがありました。

それで、別の日、姉に当時の事情を言及すると、前から知っていたように情けない表情で深くため息をつきました。

そんな姉の表情を見て、一瞬ふと頭に浮かんだのは、私の家が小学校1年生の時、引っ越す前は、小さな一間の部屋で五人家族が、川の字のように眠っていた時があったのですが、私はその時、まだ幼くて感知できなかったのですが、おそらく姉はそぶりを見せなかったのですが、不本意ながら親が行う営みを何度か目撃したのではないかと想像するようになりました。

それから私の推測では、引っ越して、別に寝るようになっても、いつも微動だにせず、熟睡しているかのように演技をして、隣の部屋の両親の営みに全く気がつかなかったように振舞っているように見えました。

もちろん大人だから十分理解しているだろうとか、夫婦はそういうことだよと言うかもしれませんが、成長期の私にはいろいろな意味でその時期の体験が自分の性的観念形成に多大な影響を与えたことは間違いなかったと思います。

しかし、両親の営みを覗き見たからといって、心の中にトラウマが残ったり、営み自体に嫌悪感を持つようになったわけではありません。

むしろ現状を踏まえると、私が成熟した女性が好きでキスマニアになったのもその時の経歴が影響したのかもしれません。

当時、両親と同じ40代半ばになった今は、妻との営みに若い頃ほど情熱は持ちないが、いざやりたい時は頭の中から両親の営みの映像を取り出し、下半身に刺激を与え、興奮度を最高値に引き上げた後、営みに臨みます。

近年は両親とも病気で亡くなりましたが、その頃に目撃した近親者の営みほど衝撃的で、それを凌駕して性的刺激を与える体験は、これからの人生では二度とありえないと思います。

さらに付け加えると、私は息子が小学校に入学する時点で別の部屋で寝るようにしました。
なぜなら、自分の子供に私と同じような記憶を植え付けて歪んだ考えをさせたくなく、世の中のすべての人が私のような体験を共有して肯定的に受けるとは想像しないからです。
19
2024/10/31 12:40:44 (K9ZhaOsO)
もう20年以上目のことで恐縮です。

当時私は13歳の中学1年でした。
性への興味も旺盛で、そんな中で両親のSEXに
興味を持ったのでした。
週に何度か夜中に聞こえてくる母のすすり泣く
ような声がSEXだと知った時、少しショックでしたが
やがて見てみたいという興味がわいてきました。
当時は母37歳、父は40歳でした。

はじめは壁に耳を当てて母のヨガリ声に興奮していました。
両親のSEXを見たいと思いましたがそのチャンスは
なかなかありませんでした。

ある週末の深夜、両親の営みが終わり静かになったので
トイレに行ことした時、突然両親の寝室のドアが開く
音がして私は廊下に出る手前で止まりました。
足音がしてそっと廊下の方を覗くと、なんと紺のスカート
に白いブラウスを着た母がトイレに向かうところでした。
白いブラウスはほぼ開け、ブラもしていないようでした。
その時にはこの意味が分かりませんでした。

夏休みのある日、私は友人の家へ泊りに出ていましたが
購入した花火を自転車のかごに入れたままだったことに
気づき夜の9時ころに一旦家に戻りました。

まだ9時なのに家の電気は両親の寝室以外はほとんど消えて
いました。
花火を持って友人の家に戻ろうとした時でした。
家の方から

「ああ~ん、あん、あん・・・・」

という母のヨガリ声が聞こえたのです。
ヤッテル!と察した私は庭から両親の寝室の脇に近寄りました。
エアコンが動いていて窓は閉まっていましたが、カーテンの隙間から
中が見えました。しかも、電気をつけたままでSEXしていたのです。
全裸の父と紺のスカートに白いブラウスを着た母が絡み合っていました。
ブラウスの前はすべて開け、ブラも押し上げられて母の白い胸に
父がしゃぶりついている姿が見えました。
母は口を半開きにして仰け反っていました。母はのスカートはまくれ上がり
大きく足を開いていました。陰毛の中心にぱっくりと開いたおマンコが丸見えで
そこを父の指がこねくり回していました。

「お父さん・・いや~ん・・・もう入れてえ!」

母が泣くような声を上げました。
そして布団の上に仰向けになった母の足を開き父が重なりました。

「あん、あん、あん・・・お父さん・・いいい~ん、オチンチンいい!」

母のヨガリ声を聴きながらフィニッシュを迎えた母は、ぐったりとしながら
最後に父のしぼんだチンポを咥えてすべてが終わったようでした。


その後、両親のSEXを見るチャンスは二度とありませんでしたが今でもはっきりと
覚えています。

そして、母が紺のスカートと白いブラウス姿だった理由はもう少し年を取って
からわかりました。
今では、時々、私も妻に同じことをさせています。興奮します。
20
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