2021/03/23 20:40:29
(7KiAqq0y)
去年、60代後半の私の両親が交通事故に巻き込まれて亡くなりました。
一人っ子の私は、全て相続することになって、大した財産はなくても色々大変でした。
ようやく今年になって、妻に手伝ってもらいながら遺品整理に手を付けたのですが、両親の寝室のライティングデスクの引き出しの奥から、Hi-8のビデオテープが出てきました。
Hi-8のビデオカメラは平成初期、私が小学生の頃に両親が買ってきたのを記憶しています。
「何か、懐かしい映像が映ってるかもね。」
と妻と言って、父が捨てずに置いてあったフィルムカメラなどが保存してある棚から、ハンディカムを持ち出して、アダプタ直結で再生してみました。
画面に映りこんでる日付は25年前、私が中学3年の初夏の頃で修学旅行に行っているときでした。
懐かしい父のクルマ、あずき色のコロナと母が映っていました。
場所はどこかの旅館で、私がいない間、40代前半だった両親の旅行記録でした。
「お義父さんもお義母さんも若いわね。数年後の私たちね。」
と妻が言っていたら、画面が切り替わり、ビデオカメラが三脚に固定され、和室に敷かれた布団に浴衣姿の両親が映りました。
まさか・・・と思ったら、抱き合ってキス、そして浴衣が開けて半裸からやがて全裸に・・・母を愛撫する父・・・カメラに向かって母の股間を晒す父・・・どうやらハメ撮りのようでした。
ハイビジョンではないから画像は粗いですが、母のドドメ色の陰唇が映っていました。
母をクンニする父、母の喘ぎ声、ピチャピチャと愛液の音が聞こえました。
そして母のフェラ、ズズズ―っと音を立てて唇で扱くように舐めていました。
そして、父はカメラに向かって母を抱きかかえるようにして、背面座位で生挿入しました。
母の膣に父の陰茎がズボズボ出し入れされている様子がハッキリと映っていました。
父は、母の両乳首を親指と人差し指で摘まみながら、乳房を揉みつつ腰を突き上げていました。
母はとても気持ちよさげにウットリとし、とても幸せそうでした。
父の陰茎には、白く泡立つ母の愛液が絡みついていました。
母は、身体を捩って父の唇を求めると、二人はそのまま後ろに倒れ、母が身体をひねって父と向かい合って女性上位になりました。
母は脚を開いて、父は下から突き上げ、その結合部はモロに映っていました。
父と母は情熱的にキスし始め、腰をクネクネさせて、結合部のクチュクチュとキスのチュパチュパが部屋に響いていました。
その後母が上体を起こし騎乗位になり、腰をクイクイさせて喘いでいましたが、この時は母の背中しか映っていませんでしたが、その腰の動きの淫らさは分かりました。
そしてラストは正常位でしたが、母は大股開きで父の陰茎を迎え入れ、激しいピストンで母のドドメ色の陰唇がベロベロするド迫力の結合部が見えました。
「ああ・・・あなた、あなた・・・」
「お前・・・綺麗だよ・・・お前の中に出すぞ・・・」
「出して・・・あなたのいっぱい出して・・・」
父が射精、母が足を高く上げながら痙攣、萎えて母の膣から吐き出された父の陰茎、母の膣口から流れ出る父の精液・・・私と妻は、ゴクリと唾を呑み込みました。
この後、亡き両親の寝室で、私と妻が下半身だけ裸になって激しく愛し合ったのは言うまでもありません。
そして、このHi-8はテープを引き出して処分、更に、私と妻が新婚時代に撮影した、妻のブルセラコスプレで撮影したロリロリなハメ撮りDVDも一緒に処分しました。
27歳の私と24歳の妻が、学ランとセーラー服でセックスする動画は、子供たちに見られたくありませんからね。
両親のハメ撮り動画はいい教訓になりました。