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処女、童貞喪失体験告白 RSS icon

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2022/10/26 19:10:02 (xb/tJMSo)
一番最初に付き合った真弓が、いまだに忘れられない。
俺は高校3年生で、真弓は中学3年生、通ってる塾が同じだった。
俺は大学受験、真弓は高校受験に向けて通ってたんだけど、終わる時間が同じで、帰り道も同じで、仲良くなって、土日は一緒に図書館で勉強するようになった。
後に知ったんだけど、真弓は母子家庭で、家に母親の彼氏が来るから、土日は家にいられない子だった。
しかも、中学2年の時、当時の母親の彼氏にレイプされて、暫く犯されてたそうで、処女じゃなかった。

俺、中3の真弓で童貞を卒業したんだ。
4階建てのビルの塾の4階に資料室があって、その奥に物置があるんだけど、資料室にもめったに人が来なくて、その奥の物置は、棚が一臂あって、一番奥だと入口から完全に死角なんだ。
そこに古いソファーが置いてあるから、そこが俺と真弓のヤリ部屋だった。
資料室に人が入ってくると、ドアの音でわかるから一時中断して、コソコソやってた。
セーラー服の中学生と、学ランの高校生が、最低限だけ脱いでする着衣セックスは、禁忌感満載だった。
高校のセーラー服と違って、公立中学のセーラー服って子供感満載で、凄く興奮した。
帰り道、コンビニのごみ箱にコンドーム捨てて帰ってたっけな。

真弓に会うまでの俺は、自信も持てなくて、女の子にもモテなくて、俺のことを好きになってくれる女なんか、現れないだろうなと思ってた。
真弓とは、8か月の付き合いだったけど、俺に自信をくれたし、女体の素晴らしさを教えてくれた。
毎日、早めに塾に行ってセックスしてから授業に出てた。
平日は帰り道にデートして、土日は図書館デートした後、早めに塾に行ってセックスして、土日の特別授業を受けてた。

それぞれ、志望校に合格したけど、俺は大学が東京に会ったっから、地元を離れて上京して、真弓とはお別れになっててしまった。
春休み、俺が上京する前日、初めてラブホに行ったんだ。
そこで、初めて全裸になって、一緒にお風呂入ってイチャイチャして、初めてクンニをしたんだ。
もうね、女子中学生のオマンコ舐めてるってだけで、メッチャ興奮した。
かなり長い時間舐めてて、真弓はクンニだけでヘロヘロになっちゃった。
あの頃はわからなかったけど、あれ、クリイキしてたんだと思う。

ラブホで、コンドーム使い切る勢いで、何度もセックスした。
女子中学生と男子高校生が、舌を絡めてキスしながら、腰を振ってた。
本当に真弓が好きだったし、愛してた。
8個残ってたコンドームだったけど、使ったのは5個までだった。
俺のチンポが限界だった。
「もういいよ。十分だよ。終わりにしよ…」
と真弓に言われて、ラブホを後にした。

翌日、真弓が俺を見送りに駅までやってきた。
真弓、高校のセーラー服着てきて、メッチャ大人びて見えた。
「真弓、お前と過ごした時間は、忘れないよ。さよなら。」
「元気で頑張ってね。さよなら。」
手を振って改札を抜け、その後、新幹線の中で泣いた。
今でも、地元の新幹線改札に行くと、真弓を思い出すんだ。

その後、大学で女に臆することなく接する事ができたのは、真弓のおかげだと、今も感謝している。
大学では、女子高生の処女喪失にも立ち会えたし、バイト先の旦那さんが単身赴任中の40代人妻との不倫で熟女の味も知ったし、普通の女子大生とも付き合えた。
その中でもやっぱり、熟女とのセックスが一番良かったと思う。
そりゃあ、女子高生のまだ未熟な青い蕾に性感を仕込むのもいいし、女子大生と夜通しハメて朝を迎えるのも良かったけど、熟女の生活感ある女体と研ぎ澄まされた性戯は素晴らしかった。
それに、他人の大切な奥様を寝取っているっていう感覚も良かったしね。
あのドドメ色の卑猥なオマンコを一度味わうと、クセになりそうだった。

大学出て、地元に戻って社会に出た時、真弓が住んでたアパートに行ってみたんだが、真弓たちはもう住んでなかった。
玄関に立ってたら、お隣さんが出てきて、真弓母子は、真弓が高校を出たタイミングで、真弓の母親の実家がある田舎に引っ越したと聞いた。
つまり、真弓は俺が訪ねた1年前にこの街から消えていたということだった。
俺は、真弓が高校生のうちに、一度会いに来るべきだったと後悔したが、もう遅かった。
そして、俺が愛した真弓には、もう、一生合うことは無いんだと思ったら、泣けてきた。

俺はそのあと、就職先で妻と出会い、2年半の交際の後、結婚した。
妻は3歳年下なので、真弓と同い年、時々、もし、真弓と再会して、真弓と結婚してたら…なんて思うことがある。
俺結婚して13年の俺は40歳、あの頃15歳だった真弓は今は37歳、もう、俺のことなんか忘れてると思うけど、どこで、何してるだろう。
元気かな…
幸せでいてくれるといいな…
121
2021/04/22 19:05:25 (LDBJGKfQ)
父が亡くなって2年、弟一家が実家に入ることになったので、昔、私が使っていた部屋の押入れを整理してた。
そしたら、古い封書が出てきた。
これ・・・宛名を見て思い出したけど、別れた初めての彼氏宛てで、出せなかった手紙だった。
もう、23年も昔のことだよ・・・

高校を出た後、専門学校に行くために上京して、バイト先で出会った2歳年上の大学生だった彼。
私が初めて体を許した人。
裸を見せてもいいと思った人。
アソコを見せてもいいと思った人。
アソコにオチンチンを入れられてもいいと思った人。
私にとって、一生に一度の初体験の相手だった人。
彼だけが知っている処女だった私のアソコ。
処女膜を突き破られたとき、痛かったけど、好きな人に初めてをあげられた感動を思い出す。
処女喪失の瞬間の私の表情、反応、彼だけしか知らない。
初体験のときのセックスは、彼と私だけが共有する思い出。

彼とのセックスで、私はセックスが気持ちいいものだと知らされていった。
彼を求めているのか、快感を求めているのか、わからなくなっていった。
若い女の子がふぁだかで股を開いて、アソコを広げられたり覗かれたり舐められたりするなんて、すごく恥ずかしいことなのに、それが快感い繋がっていくことが恥ずかし差に拍車をかけた。
そんな彼は大学を、私は専門学校を卒業するときに別れた。
彼は東京にとどまったけど、私は地元に就職する約束で上京させてもらったから、帰郷した。
彼のことが好きだったけど、当時の新幹線で2時間の距離、遠距離は諦めた。

あの頃、携帯にはまだメール機能が無かった。
機種によってはあったのかもしれないけど、私のにも彼のにも無かった。
彼と最後のお別れセックスして、帰郷して、彼を忘れられなくて書いた手紙だった。
でも、出せなかった・・・
もしあの頃、携帯にメール機能があったら、別れた後も連絡取り合ってたと思う。
声聞いたら泣いちゃいそうで、電話は無理だった。
そういう意味ではメールは手軽な連絡ツールだと思う。
今のラインはもっと手軽だね。

切手まで貼ってある手紙・・・
二十歳の私がどんなこと書いてたのか、見てみたいけど止めておいた。
昔の彼は彼、遠い思い出。
今は、大切な夫と子供たちが私の宝物。
だから、思い出の封は開けないで、そっとシュレッダーに挿し込んだ。
ウィーン・・・私の青春の思い出がひとつ、消えていった。
彼、どこで何してるだろう。
顔もおぼろげになっちゃったけど、元気でいるといいな。
122
削除依頼
2023/01/01 19:54:25 (sitIx4hQ)
僕の職場に萌子という女の子がパートで入ってきた。
高校卒業以来決まった仕事に就いていなかったらしく仕事も物覚えが良くなく時々ミスを犯してベテランのおばさん連中によく怒られて僕が指導担当を押し付けられてしまった。
23歳の彼女は口数が少なく教えても理解しているのか判らないでも根気よく教えてやると少しずつ手ごたえが出てきて少しほっとした。
彼女と僕はいつも行動を一緒にして少しずつ距離が縮まり一緒に帰るようになり僕のアパートに来るようになった。
もうそのときには萌子の着衣巨乳に勃起して萌子も僕の巨根が勃起してふくらんでいるのを目を大きくしてみていた。
飲み会の帰り同僚たちに飲まされた萌子は泥酔してお開きの際にみんなから萌子の面倒を見て送ってくれるように言われた。「指導担当だろ。」僕が酒が飲めないから1次会で帰れという意味だ。
彼女を肩に抱き寄せテクテクと帰る、途中何回も立ち止まって彼女は吐いてしまう背中をさする僕に「亮さん、ありがと・・・」と漏らし振り返って僕に抱きつき
123
2022/12/16 17:31:41 (dH6Vgude)
中2の先輩と放課後のトイレでしちゃいました。
先輩がリードしてくれて、挿入して即イキしてしまい、2回戦へ。
夢のような時間でした。
124
2022/12/09 19:22:12 (eGw3y2Ta)
上京して大学生だった頃の彼女、私も彼女も初めての恋人でした。
大学入学前、3月に引っ越してすぐに近所のコンビニで見かけたあと、頻繁に見かけるようになり、ある日、私がアパートから出ると、目の前を彼女が歩いてました。
「ここに住んでたんだ。ご近所さんだったんだね。」
と言われて、初めて会話しました。
その日、一緒にコンビニまで行って、私が缶チューハイを買おうとしたら、耳元で、
「ねえ、まだ未成年でしょ。」
と言われ、
「いいじゃん。部屋で飲む分には。君も付き合えよ。」
と彼女の分も買い込みました。

この日、二人とも地方出身で、地元は丼天近とか、卒業後はUターン就職することなど、いろいろお話して、とても仲良くなり、ラインも交換しました。
その日以来毎日会っていたから、入学式も二人で行ったし、毎朝、二人で大学に行ってました。
そして、大学1年のゴールデンウィークに好きだと言って、その後、彼女のアパートで初体験しました。
初めてのキス、女の子の甘い匂いに包まれて、もう勃起していました。
それから二人で裸になって、シャワーを浴びて、ベッドで売れし恥ずかしのイチャイチャ、乳房揉んだり、オマンコ広げて見たりしました。
その時、初めて裸を見せてもいい、オマンコを見せてもいいと思った男になれて嬉しかったのを思い出します。

知識だけは知ってるクンニをしながら、女の子のオマンコを始めて舐めた感動に浸りました。
そして、いつかこんな日が来ると信じて買っておいたコンドームを被せて、彼女のオマンコに鵜ゆっくりと入れました。
ゆっくり、ゆっくり、少し腰をフルフル揺さぶりながら、途中の支えを体重をかけて突破し、根元まで入りました。
彼女にとって、一生に一度の初体験の相手、それが私なんだと思うと、感激もひとしおでした。
処女だった彼女のオマンコの感触、処女膜を突き破る感触、処女のオマンコにペニスを突貫させたときの感動は、私しか知らないのです。
処女喪失の瞬間の彼女の表情、漏らした声、そして、処女と童貞が織りなした、初体験のときのぎこちないセックスは、私と彼女しか知らないのです。

一度覚えたセックスの快感、彼女は痛がってましたが、私は毎日やりたくて彼女を求めました。
でも、梅雨が明ける頃には、彼女もペニスの抽挿にアンアン喘ぐようになり、覚えたての快感を分け合うようになりました。
アパートででひたすらやりまくり、汗だくになって抱き合ってキスして腰を振っていました。
お互い、大好きで仕方なくて、離れているのが嫌で、どちらかの部屋で週末を過ごし、その部屋を掃除して、洗濯物を干したら、次の週の月曜日から違う部屋で過ごしました。
お互いの部屋を1週間ごとに行ったりきたり、半同棲状態になりました。

夏休み前には、帰省してしばらく会えなくなるのが淋しくて、冷蔵庫を空っぽにするべくアパートから一歩も出ずに、1日中セックスしまくっていました。
朝から裸のまま過ごして、見つめ合うたびキスして、クンニして、フェラして、激しく交わりを繰り返していました。
1日にあんなにコンドームを消費したことは、その後ありませんでした。
というのも、その後セックスになれた私たちは、何挿入で外出しになり、コンドームを使わなくなったのです。

夏休みが終わり、再会したとたんに服を脱いで、シャワーも浴びずに始まりました。
久しぶりのオマンコに興奮して、激しく愛し合いました。
彼女に、夏休み中浮気しなかったか問い質され、車の免許取りに行ってたから、それどころじゃなかったと言って、免許証を見せた思い出があります。
彼女とは、1,000回以上セックスしたと思います。
奇麗だった彼女のオマンコも、卒業する頃には、ビラビラが薄紫に伸びてしまいました。
半同棲状態で4年間を過ごした彼女でしたが、地方出身者同士、卒業と同時にお別れでした。

見送ったり、見送られたり数るのが嫌だったし、一人残されるのも嫌だったから、帰郷日を同じにして、荷物を実家に送った日に、東京駅にほど近い、日暮里の?trつに泊まりました。
明日は離れ離れになる二人は、夕方、夕焼けだんだんを歩き、もっきり酒屋で飲んで、ホテルに戻りました。
泣きながらした最後のセックス、ずっとキスしたまま繋がってて、切なすぎたあのセックス、今も忘れません。

翌日、東京駅で別れました。彼女は東海道新幹線、私は東北新幹線、
「じゃあね。元気でね。さよなら・・・」
「キミも元気でな。さよなら・・・」
手を振って、別れました。
一度後ろ向いたら、決して振り返らない約束で、まっすぐ改札に向けて歩きました。
さよなら、さよならと心で呟きながら、涙を堪えて歩きました。

実家に着いた午後3時ごろ、彼女に到着の知らせのラインを送りました。
彼女は、あと1時間くらいかかるとラインが来て、その後、到着のラインが来ました。
その後、就職して忙殺され、彼女とのラインもインターバルが開きましたが、それでも彼女を好きな気持ちが消えず、ラインを送っていました。
卒業して1年の頃も、彼女が返してくれるのをいいことに、たまに思い出したようにラインを送っていました。
この先、彼女に会えることも無いから、せめてラインくらいさせてほしいと思いました。

でも、社会人2年目に、新入社員が先輩から、
「いつまでも学生気分で居ちゃダメだろ。もう、学生じゃないんだから、現実的に動け。」
と言われているのを聞いて、ハッと気づきました。
彼女も私も、それぞれが新しい道を歩いていて、それは決してこの先に交わらない道なのです。
それなのに、彼女の優しさにつけこんで、私はラインを送っていたのです。
彼女を愛しているならば、私がすべきことは、彼女を解放すること、彼女との縁は私から切らなければならないことに気づきました。
そのかわり、彼女を想うことは許しました。
その日以降、私は彼女にラインをすることは無くなりました。

彼女にラインを送らなくなって1年以上過ぎた頃、私の住む街を台風19号が襲いました。
河川が決壊し、かなりの甚大な被害が出ましたが、私の実家は何の被害もなく、家族も職場も無事でした。
そんな時、彼女から私の安否を気遣うラインが届きました。
「無事だよ。ありがとう。」と送って、スマホを抱いて涙しました。
そして、それが最後のラインになりました。

私は、台風19号の後始末のボランティアをして知り合った女性と、2年交際の末に、27歳で結婚しました。
そのことを彼女に報告はしませんでした。
私は、彼女以上に妻を愛してるつもりですが、それでもまだ、彼女を好きな気持ちは消えていません。
今はもう会う事はできない人だけど、時々、今は何してるだろう・・・と思うときがあります。
何度か東京に出張した時、大学時代に住んだ街を訪ねました。
そのたび、彼女との思い出が鮮やかに蘇り、あのアパートから彼女が出てきそうな気がして、暫く佇んだりしていました。

忘れ得ぬはじめての彼女、初めてを捧げ合い、4年間真剣に愛し合った彼女、彼女と出会えたことは、私の人生において素晴らしい宝物です。
このスレを彼女が読むとは思いませんが、ここに、思い出深い彼女との出会いと別れを書き込んでおきます。
そして、彼女の幸せを祈ります。
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