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近親相姦 親×子体験告白 RSS icon
※父母とその子の間柄での体験談

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2013/09/13 17:24:31 (QtWBxccX)
もう20年以上も前の、私の息子が中学生の頃の話です。



ことの始まりは、息子が有名私立高校の受験がある為に、一日10時間程度
の勉強を強いられていた時期でした。

大学の付属高校で私の母校でもあるので、半ば強制的に行かせることにし
ました。

早朝には授業前の補習があり、放課後は予備校に行き、週末は予備校と家
庭教師の両方で勉強漬けの毎日でした。

ある晩、息子は勉強のストレスから欲求不満が爆発し、当時45歳の妻を襲
いました。

息子は、部屋に夜食を届けに行った妻に突然襲い掛かったのです。

幸いにも、隣の部屋の娘が大騒ぎになっている二人に異変を感じ、息子の
部屋に押し入り二人に割って入って止めてくれたのです。

次の日、私は息子を強く叱りつけ、二度としないと息子は半べそをかきな
がら約束しました。



しかし数日後、息子は今度は娘を襲いました。先日の邪魔された恨みもあ
ったのだと思います。

夜中に娘が寝ているところに夜這いをかけたのです。

勿論、娘は大声を出して助けを求め、私と妻が飛び起きて娘の部屋に駆け
つけ、息子を止めて未遂に終わりました。

再度その場で強烈に叱ったのですが、息子は「オナニーだけでは性欲が抑
えきれない!」と涙ながらに妻と私に訴え掛けたのです。

冷静に考えてみると、14歳の男の子が45歳の実の母親や13歳の実の妹を襲
ったわけですから、尋常な精神状態ではないのです。

自分ではどうしようもない程の有り余るストレスや性欲だったわけなんで
すね。

あんな毎日毎日何十時間も勉強漬けになれば、ストレスが溜まらない人間
なんていないなあと、逆に私は息子が哀れになり反省をしたのでした。

受験を止めて息子を楽にさせ、公立高校に行かせることも考えましたが、
大学受験がないその私立へ行く方が後々楽になると思い勉強を続けさせま
した。



次の日、娘には迷惑が掛からないようにしなくてはと、妻と話し合い息子
だけ受験が終わるまで、同じ区内の私の両親の家に住まわせたらどうかと
提案しました。

しかし、結局息子の性欲が収まらない限り誰かを襲う可能性があることは
明らかなので、私達でなんとか解決するしかないという結論に至りまし
た。

最終的に、妻が毎日息子のオナニーの手伝いをして、それで息子を何とか
我慢させるしかないという結論に達しました。

勿論、最初妻は非常に嫌がりましたが、また娘が襲われたり外で強姦をす
るかもしれないんだぞ!と私が脅かすと、妻はしぶしぶそれを受け入れた
のでした。

当時、私は金融機関に勤めており、息子の警察沙汰は私のキャリアの死を
意味しました。家のローンもまだまだ残っていますし、近所に知れたらこ
こにも住めなくなり最悪の事態になります。そうなったら私たち家族の終
わりでした。

それを妻は理解したようでした。



娘は襲われて以来、息子の事を非常に怖がり、トラウマになっていまし
た。

ですから、直ぐにでも家の中が安全であると思わせる必要がありました。

思春期の娘を守る事が、妻と私の最優先課題だったのです。



息子とはいえ、自分の妻に他の男のオナニーを手伝わせる事に対しては、
男としての嫉妬はないのか?と妻に聞かれました。

妻と私は、学生時代に知り合って結婚し20年以上も一緒にいますので、恋
愛感情などはもうほとんど無く、兄弟や親友のような関係になっていまし
た。

当時は何年も前から既にセックスレス状態だったと記憶しています。

なので、息子の性処理を妻に頼む事は、そこまで私には違和感が無かった
のです。

実際、私は毎日のように残業が有りましたので、妻に問題の解決のすべて
を託すしかなかった事情もあります。

妻には、くれぐれも娘には感づかれないようにして欲しいと強く頼みまし
た。



妻はごく普通の中年の主婦です。

容姿も派手ではなく、家庭的な雰囲気です。

痩せた体型にしては、少し大きくて垂れた乳房が印象的な女性です。

妻と出会った時彼女は処女でしたので、浮気をしてなければ男は私しかし
りません。

なので、息子とは言え私以外の男のペニスをいじる事は、相当勇気がいる
事だったと思います。



次の日から、夜寝る前にベッドで息子との性処理の様子を妻から聞く事が
私の日課となりました。

初日、妻が息子の部屋に夜食を届けに行った時に、勉強している息子に
「今日からオナニーを手伝うから!」と突然あっさり宣言して、息子を椅
子から立たせズボンとパンツを勝手に下ろして、いきなりしごいて上げた
そうです。

息子はキョトンとしていたそうですが、流石14歳のペニスは反応が早く、
即座に完全勃起し、ほんの1分程度で大量の精子を放出して果てたそうで
す。

妻が片手に用意していたティッシュでは、足りないぐらいの精子の量だっ
たみたいです。

直ぐにペニスを丁寧に拭いて上げて、また勝手にズボンとパンツを上げて
机に向かわせたと言っていました。

部屋を出る前に、「したくなったらお母さんに言うのよ。いつでもして上
げるから。だからメグミにはもう絶対あんなことしちゃダメよ。」と息子
に言うと素直にうなずいたそうです。

妻も息子とは言え、オナニーを手伝う事はとても恥ずかしかったのだと思
います。

だから、初回は時間を掛けずにあっと言う間に終わらせたかったのでしょ
う。



しかし、妻と私は中学生3年生の性欲をみくびっていました。

一日一回のオナニーで収まるわけがなかったのです。

翌朝、妻が息子をお越しに行くと、朝立ちしてるペニスを見せて「お願
い。」と言って来たそうです。

妻が躊躇すると、「いつでもしてくれるって、言ったじゃないか!」と怒
り出す始末。

慌てて妻はしごいて射精させたそうです。

朝食後、私と娘が家を先に出て、最後に息子が登校するのですが、家を出
る直前にまたしごいて欲しいと言ったそうです。

今度は妻は躊躇せずに、息子の制服のズボンからペニスだけ急いで取り出
して、しごいて出させたそうです。

妻は学校に遅刻させたくなかったんですね。母は強いです。



午後も、息子は帰宅直後に1回、夕食後に1回、夜食の時、そして寝る前
と、最低6回は妻にオナニーを要求して来たのです。

娘の目を盗むのがとっても大変だったと、妻は言っていました。

でも、妻にはとても申し訳なかったのですが、娘や家の為に続けて行って
もらうしかありませんでした。



ですが、息子はオナニーだけでは欲求不満だから、以前妻や娘を襲ったの
ですから、オナニー以上の事を妻に要求するのは時間が掛かりませんでし
た。

2週目は、妻の乳房をしゃぶりながらしごいて欲しいと要求されたそうで
す。

妻が少し拒否すると、また息子は怒り出し妻をののしったそうです。

仕方なく息子をベッドに寝かせ、授乳のように膝枕し乳房をしゃぶらせな
がら、妻は手でしごいて上げたのでした。



そして、3週目になると、息子はフェラチオを妻に要求して来ました。

ある晩、日課になった報告を妻から聞いていると、「今度はしゃぶって欲
しいって言うのよお。どうしたら良いのお?」と妻が助けを求めて来まし
た。

私は考え悩みました。オナニーの手伝いだけで我慢させるべきか、或いは
妻に息子の要求をすべて受け入れさせるべきか。

でも、もし妻がしなかったら、息子は娘に強引にしゃぶらせるに違いあり
ません。

結局私は「お前が嫌じゃなかったら、しゃぶって上げて。」と妻にお願い
しました。

妻はシクシク泣き始めましたが、「メグミが襲われたら困るだろ?」と言
うと納得したようでした。



翌朝から、妻は息子にフェラチオをして上げたそうです。

とにかく息子は毎回大量の精子を射精するので、あちこちに飛び散ってし
まいそれを拭いたり、息子のペニスや自分の口を拭いて掃除したりする
と、ティッシュの消費量が尋常ではなかったのです。

なので、妻はそれを避けるために、一度口内射精をさせてからティッシュ
に吐き出すようにしていました。

しかしそれも束の間で、それを一日6回以上も繰り返すのも大変になり、
妻は途中から息子の精子を飲み干していました。

その頃になると、息子は仁王立ちになり妻を上半身裸にして自分の前にひ
ざまずかせ、フェラチオさせていました。

フェラチオしている妻の乳房を両手でいじりやすい体勢だったからです。

妻は我慢はしているのですが、悶え声が少し出てしまうと悩んでいまし
た。

私は自然に出る声は我慢しなくてもいいんじゃないか、とアドバイスしま
した。



その後の2~3週間、何故か妻は要領の得ない形式通りの報告を私にしてい
ました。

流石に私も、息子とは言え他の男のオナニーの話を毎日事細かく聞くのも
少し面倒になっていましたので、受け流して気にしませんでした。

しかしある晩、妻が神妙な顔つきで私に話しかけました。

とうとう息子が妻に「挿入したい!」と言っていると言うのです。

私は予想はしていましたが、ついに来たか!と思いました。

でも、私はどうして急にフェラチオから挿入になってしまうのかを問いた
だしました。

すると、妻はここ2~3週間で、息子に強要されたので膣を手でいじらせた
り、クンニを許したり、挙句の果てには二人で全裸になって、息子のベッ
ドで69をもさせてしまったと言うのです。

私は呆れてしまい「そんなの許可してないだろ!どうしてもっと前にそれ
を報告してくれなかったんだ!」と妻を怒ってしまいました。

加えて「そこまですれば、誰だってお前に挿入したくなるよ!」と言って
しまったんです。

妻は口には出しませんでしたが、何年もセックスレス生活の最中に急に息
子の性処理が始まったので、彼女の性欲に火が付いたんだと私は確信しま
した。



でも、良く考えてみると、男女が全裸で69をしたら、その場で挿入まで行
くのが自然の成り行きです。

しかし、妻はそれを私の許可をもらうまでは出来ないと!と拒否してくれ
たのです。

私は、ここで息子を止めたとしても、息子だけでなく妻も欲求不満になっ
てしまうと考えました。

その上、今後私と妻のセックス生活が復活する事も考えられないので、他
の男より実の息子に妻を寝取られた方が安心で安全だとも思ったのです。

そして、家庭内で息子と妻の欲求不満を一度に解消で出来るのは、一石二
鳥で素晴らしいアイディアだとう結論に至ったのでした。



私は私に怒られて泣いている妻に、「お前は亮介に抱かれたいのか?」と
聞きました。

妻は「分からないから、あなたが決めて下さい」と答えました。

「お前が抱かれなければ、亮介はまた必ずメグミを襲うだろ?」と私は以
前と同じ答えを妻にするしかありませんでした。

「そうね。」と妻は冷静に答えました。

「でも、避妊だけは必ずして欲しい。」と私は妻にお願いしました。

「あと、今以上にメグミに気を付けて欲しい。亮介の部屋以外では絶対に
しないでくれ。だって、きっとお前声が出ちゃうだろ?」と付け加えまし
た。

妻は少し恥じらいながら、黙ってうなずきました。

次の日、妻は婦人科に行ってピルを処方してもらい、ドラッグストアに立
ち寄ってコンドームを買って来ました。



その1週間後、夜の夫婦の報告会の時に、妻が「ピルが効き始めた頃だか
ら、明日から洋介に挿入させますけど、いい?」と私に聞いてくれまし
た。

私は「分かった。教えてくれて有難う。」と言って、久しぶりに妻とキス
をしました。

でも、それ以上はしませんでした。

お互いのフェロモンが感じられなくなった夫婦というものは、こんな感じ
で悲しいですね。



そして次の日の夜、息子との初体験の様子を妻に聞きました。

いつものように、お互い全裸で妻が息子の上に乗り、69でお互いの性器を
しゃぶっている時に、妻がしゃぶりながら「もう少し我慢できる?」と息
子に聞いたそうです。

息子は「うん、もう少しなら我慢出来そう。」と答えたそうです。

妻が息子のオナニーを手伝うようになってから2か月経っていましたの
で、息子も少し長く我慢出来るようになっていました。

そして、妻はおもむろに息子から降りて、脱いだ服のポケットからコンド
ームを取り出し、息子のペニスに装着したのです。

「えっ!良いの?」と息子は感嘆の声を上げたそうです。

妻はコンドームを付けた息子のペニスをしごきながら「お父さんが許して
くれたのよ。」と答えたそうです。

そして、息子の上に乗り、騎乗位で息子のペニスを自分の膣にゆっくりと
突き刺して行ったそうです。

妻は何年振りかに自分の膣に入るペニスが、実の息子のものだと言う事が
複雑な気持ちだったようですが、あまりの快感に悲鳴を堪えるのが辛かっ
たと言いました。

妻は自分で自分の口を押さえ、隣の部屋の娘に聞こえないように耐えたそ
うです。

10回位腰を上下すると、息子は声を上げて妻の中で果てたました。

その後は、もう妻も息子を止める事が出来ず、動物のように妻を求め、正
常位やバック等色々な体位で妻を突き上げたようです。

初めてなのですから、息子が夢中になるのも仕方が有りません。

途中で「そんなに激しくしないで!声が出ちゃうから!」とお願いしたそ
うですが、息子はそんなのお構いなしに、我を忘れて妻に激しく腰を打ち
付けたようです。

結局、息子は立て続けに5回妻の中で射精し、満足して勉強に戻りまし
た。

妻はクタクタな様子でしたが、満足気な表情でした。

セックスの快感を覚えた中学生は、誰にも止められないのですね。



それからの息子は、人が変わったように優しくなり、わがままも言わずキ
レる事も無く。妻や娘にも親切に接し手伝いもしてくれる、非常に良い子
供に変わって行ったのでした。

考えてみれば当たり前なんですよね。

中学生の分際で、24時間365日いつでもどこでもセックスが日常的に出来
る女性が、家の中にいるわけですから。

しかもその女性が母親で、いつでも優しくしてくれるのですから。

息子にとっては、家庭はまさに楽園だったのです。



その後、息子は無事に希望校へ合格し、晴れて受験から解放されました。

すべては、息子に身を捧げてくれた、妻の頑張りのお蔭でした。

妻と息子の関係は、息子が大学を卒業するまで日常的に続きました。

息子の部屋から微かに漏れ聞こえて来る妻の悶え声は、まれに聞きまし
た。

しかし、実際に妻が息子に抱かれているところは、やはり見る勇気があり
ませんでした。

息子は社会人になり一人暮らしを始めた後も、度々妻を自分のアパートに
泊まりに来させて抱いていました。



娘はもしかしたら、その異常な母子関係に気づいていたのかもしれないで
すね。

隣の部屋で自分の母親と兄が、毎日何度も抱き合っていたのですから、聞
こえないはずがないのです。

でも、私達には一言もクレームは言いませんでした。

きっと、母は自分の為に兄に抱かれているのだろうと、考えていたのかも
しれません。

そのせいか、娘は大学卒業後にアメリカに渡り、その後現地の人間と結婚
して幸福に暮らしています。



今では、息子も結婚して子供も出来たのですが、時折実家に帰って来ては
妻を抱いています。

前の夜に妻が「明日、亮介が来たいと言っていますが良いですか?」と聞
いてくれます。

息子は息子で「明日、お母さんといい?」とメールしてきます。

もう20年も経っていますが、妻と息子はいまだに私に義理を立てて伺いを
してくれます。私が嫌と言うわけがないのにもかかわらず。

初めての女性が実の母親ですから、息子はその卑猥な体験を一生忘れられ
ないんでしょうね。



因みに、私と妻は息子が大学に入学した頃から、セックス生活を再開しま
した。

やはり、毎日毎日妻と息子のセックスを事細かく聞いてるだけなのは耐え
られず、妻に再び抱かせてもらうようになったのです。

ですから、当時妻は一つ屋根の下で、二人の男に日常的に抱かれなくては
ならなかったので、とても大変だったと思います。

それでも、妻は文句ひとつ言いませんでしたが。



少し形は普通では有りませんが、今でも私達家族は仲良く出来ているので
幸福です。
326
削除依頼
2024/07/27 16:08:44 (lGyskh2V)
母が脳梗塞で倒れ、リハビリをしながら在宅で介護することになった。
父も仕事なので、在宅勤務をできる僕が普段介護している。
半身不随と言う感じなので、色々介護が必要。
在宅勤務の日は実家に行って勤務。
久しぶりの実家。
高校生まで母とセックスしていたのだが、大学で海外に行ったり一人で
暮らすようになった。
僕としてはとても楽しい介護の日々が始まった。
母に聞くと嫌ではないというので普段は下は履かないで対応。
母の方からペニスを触ったり咥えたりしてくれる。
お風呂の介助の際はセックス。
たまに時間ができると逆に僕の方が母の横で添い寝させてもらう。
母もうれしそうで胸で抱きながらペニスをさすってくれる。
動かない方の手でさすってくれているのに気づいたときは、回復してきた
ねと一緒に喜んだ。
出ちゃう出ちゃうと射精してあげると母はうれしそうに気持ち良かったの
と笑っていた。
できることが増えると励みになるようだ。
動かなかった方の手や足も使って気持ち良くしてくれるようになった。
介護しながら介護されている感じ。
通ってるリハビリでも褒められるらしく、割と早く回復していった。
327
2024/08/01 05:23:56 (MzCyQliK)
先程、母親に種付けしました。

父と母は学生時代に結婚し、母は俺を産んだそうです。周囲の反対を押し切りましたが結果として俺が小さい頃に父と母は離婚し、母は周りに頼らず俺を育ててくれました。俺も母に迷惑掛けない様、日々を過ごしていました。

いつからだったのかはわかりませんが俺はそんな母に欲情する様になりました。
母はそれなりに綺麗なほうなのでしょう。
スタイルも良く、Jカップあり、小さい頃から俺が成人するまでの間、一緒に出掛ければ必ず、ナンパに遭ってました。

母との約束で一緒に風呂に入れる時は必ず一緒に入ると約束していたので母に欲情してからは大変でした。更に寝る時はいつも一緒に寝ると約束していたので仕事で遅くならない限り一緒に寝てました。

そんな母が珍しく酔って帰ってきました。
普段、酒を飲まない母ですが大きな仕事が成功したのか飲み慣れてない酒を飲んだらしいです。酒を飲み甘えん坊になった母は新鮮でしたが俺は別の事を考えていました。

そう。ここまで読んだ方なら分かると思いますが母とのSEXでした。

帰ってきた母の世話をしながら、俺はチャンスを伺い、母がベッドに入ったタイミングで実行しました。俺は普段からベッドでマッサージをしていたので、母は何の疑いもなく身を任せてくれました。マッサージしてる内に母の寝息が聞こえたので、確認の為に母の乳を揉んでみました。母は起きる気配すらなかったので、俺は母のパンティーを脱がし、即挿入しました。

母は挿入された時、小さく声を漏らしましたが起きる気配はなく、俺は夢中で腰を振りました。そして、俺は母を自分の女にしたくなり、一緒に暮らしてるからこそ分かる、母を生理周期も把握していたのでそのまま種付けしました。昨日の朝ぐらいから母は危険日に入っていたので寝てる母に何度も種付けしました。

何度目かのSEX中に母は起きましたが寝ぼけていて、俺の嘘の説明を聞いて、また寝ました。説明してる最中も挿入したままでしたが気付かれなかった事で俺は母のおっぱいでパイズリもする事にしました。

そして、現在、母は精子まみれの裸で寝ています。起きたら、母は気付くでしょう。
でも、気付いても良いと思っています。
もう、母を母とは見れなくなっていますし、1人の女として、母を愛していますから。

近日中に新しい報告が出来ればと思います。
328
2024/08/04 15:56:45 (6mbtaEr.)
私は、小5で両親を亡くし、以来、独身の叔父に育てられました。
叔父はなぜ独身かというと、ニューハーフなのです。
しかも、ニューハーフ女王様で、当時35歳の叔父の性欲は、11歳の私
に向けられました。
私のアナル、叔父はケツマンコと言いますが、拡張され、ペニクリと
言われる生チンポを入れられ、小学生でアナル快楽を知りました。
毎晩叔父に抱かれ、アナルに精液を注がれました。
中学に入ると、叔父にチンポ苛めを受け、まだ13歳のチンポを強制勃
起させられ、精通するまでは何度も空砲を打っていました。

中1の2学期、叔父にアナルを犯されながら手コキされて、初めて射
精しました。
私が射精すると、騎乗位で叔父のアナルに入れられ、男のアナルの味
を知りました。
叔父とのアナルセックスで、チンポを穴に入れて腰を振って射精する
ことを覚えました。
そして、これから恐ろしい叔父の計画が始まるのです。
叔父には、マゾ同士で結婚したマゾ夫婦の性奴が2組います。
奥さんが被虐マゾで、旦那さんが寝取られマゾ、女王様の叔父に奥さ
んを辱められ、犯されて、それを見ながらオナニーする変態です。

中学2年の夏休み、叔父に言われて、このマゾ奥さん2人を、寝取ら
れマゾの旦那さんの前で日替わりで犯し続けました。
男子中学生に犯されて、喘がされて、種付け中出しされる奥さんを見
て、旦那さんはは興奮してビュービューオナニー射精していました。
そしてめでたく、2人の奥さんが私の子をご懐妊、翌年、男の子と女
の子が生まれましたが、夫婦の子供として育てられていました。
中学生に寝取られて出産した子供を自分の子として育てる、究極の寝
取られマゾなんだそうです。

高校生になると、叔父は私の勃起させた尿道に、金属製のマドラーを
挿し込んで、
「棒で刺されて気持ち良くなる穴だな。尿道マンコだな。お前はケツ
マンコと尿道マンコを持つ男だ。」
と言われました。
この日から、週末になると尿道を犯され始めました。
大学生になっても、彼女を作らせず、叔父にケツマンコと尿道マンコ
を犯されて過ごしました。
叔父が働いているニューハーフの店に連れて行かれ、ケツマンコを犯
されながら、尿道マンコを犯されて射精するマゾ大学生のショーをさ
せられました。

観客の一人に女王様がいて、叔父は、
「マドラーじゃなくて、尿道責めには専用のグッズがあるのよ。」
と言って、カタログを貰っていました。
そして、私の尿道マンコには、Uプラグシリコンチューブという尿道
を責めるボコボコした表面の、中空のチューブ状のシリコン製の黒い
某が入れられ、尿道を責められて、中空の穴から射精しました。
長さは250㎜で、最初は最大径6㎜から始まり、それがズボズボピス
トン出来るまで拡張された大学卒業の頃、次に最大径8㎜の棒にステ
ップアップしました。
そして、三十路になった頃には、最大径10㎜の棒に行きつきました。

その頃には、私のケツマンコは思い切り感じるハメ穴になり、トコロ
テンするようになっていました。
ケツマンコを犯されながら、直径10㎜の太い棒を尿道マンコに挿され
たまま、中空の穴からトコロテンするショーは、大受けでした。
でも、ショーの最中、仕事上の知り合いには見られたくない思いで苦
しかったのを覚えています。
私が33歳になったとき、叔父が57歳でニューハーフの店を副店長に譲
って、隠居しました。
その時、叔父が高3の女子高生を連れてきて、
「この娘と付き合って、そして、嫁にしろ。親も望んでいる。」
と言いました。

その女子高生は、とても清楚で、美術部か吹奏楽部に在籍してそうな
美人さんで、セーラー服がよく似合っていました。
「美鈴と言います。よろしくお願いします。」
というと、私のアパートに上がり込み、私のズボンとパンツを脱がせ
ると、
「これ、受け継いでいます。おじさまのオチンチンで練習もしまし
た。でもあまり自信iから、まずは、8㎜で練習させてください。」
というと、Uプラグシリコンチューブを取り出しました。

ローションをまぶして、8㎜の棒をゆっくりと尿道に挿し込んでいき
ました。
セーラー服の女子高生にされるのは、恥辱だけでなく、不安も伴いま
した。
「ハア~~」
と思わず深呼吸になりました。
「気持ちいいですか?」
すると、エネマグラを取り出し、私のアナルへニュルリと入れて、前
立腺を上手に刺激、
「ああ~~イク・・・」
女子高生にトコロテンに導かれ、トロトロと射精が始まりました。

尿道に刺された8㎜の棒の穴から、トロトロトロトロと精液を垂れ流
す、それをセーラー服の女子高生がニコニコしながら見てる・・・最
高の恥辱でした。
射精中の尿道をズコズコされて、
「ああ、ああ、ああ、ああ・・・」
と喘がされてしまいました。
その翌日、美鈴の18歳の処女膜を破りました。
私にとって3人目の女性、あの、19年前の他人妻種付け以来のオマン
コ挿入でした。

美鈴が高校を卒業した後、美鈴の両親に結婚の許しを貰いに行きまし
た。
美鈴の両親は、どこかで見覚えがあるなと思いましたが、その時、恐
ろしい事実に気付きました。
美鈴のお母さん、19年前に他人妻種付けしたマゾ奥さん・・・という
ことは、美鈴は・・・私の娘ということになります。
父娘相姦・・・33歳の父が、女子高生の娘の処女膜を破る・・・そし
て夫婦として子作りをする・・・
「娘を、よろしくお願いします・・・」
もう、後には引けなくなっていた。
知らないのは美鈴だけ・・・

私35歳、美鈴20歳で結婚しました。
美鈴は私とのセックスも大好きだし、私のアナルを犯すのも大好きだ
し、尿道苛めも大好きです。
実の父娘で営む夫婦の性行為、娘のオマンコをクンニして、娘にフェ
ラされて、そして、父娘が裸で抱き合って舌を絡め、娘の子宮に父の
子種を注いだのです。
実の娘のピンクのオマンコから、父の精液が流れ出る・・・狂気の沙
汰でした。
美鈴は、私を実父だと知らずに、年の離れた男性としか見てません。
15歳の年の差ですから、実父だと思わないのが普通でしょう。

実の父娘がお互いの肉体に溺れ、罪深き姦淫の快楽に耽るのです。
常軌を逸した近親相姦に狂乱しているのは私だけ、美鈴は、アナルと
尿道を捧げてくれる夫に抱かれて幸せな快感に酔い痴れているので
す。
しかしこれは、許されざる姦淫であり、しかも、神をも恐れぬ父娘中
出し、私は、愛娘の禁断の淫肉を喰らい、異常近親中出し相姦をした
のです。
甘美な罪の悦楽に溺れながら、愛娘の子宮に中出し淫射をして、美鈴
は父の子種で解任、それは、肉親の絶望に彩られた瞬間でした。

美鈴は22歳と25歳で出産しましたが、子供に何の障害も出ていませ
ん。
子供が産まれて以降、美鈴は私を「パパ」と呼びます。
夫婦の営みでも、
「パパ、パパ、パパのチンチン気持ちいい。パパの精液いっぱいかけ
て~」
とご満悦ですが、実の娘に「パパのチンチン気持ちいい」と言われる
のは、複雑です。
更に、美鈴が生理中は、Uプラグシリコンチューブの10㎜を私の尿道
に突き挿し、
「パパ~尿道ズボズボしてあげるから、気持ちいい射精してね~」
と言われ、娘の前で、父が尿道に刺された棒の穴から射精するので
す。
「パパ、いっぱい出たね。気持ち良かった?」
なんて言われて、棒を尿道から抜かれて、後始末をされるのです。

またある時は、Uプラグシリコンチューブを尿道に刺されたまま、四
つん這いで美鈴にアナルにエネマグラを入れられ、
「パパ、前立腺気持ちいい?いっぱいトコロテンしてね。」
と言われる始末です。
そして、実の娘の見てる前で、娘に前立腺を突かれ、尿道に刺された
棒の穴からトロトロタラタラとトコロテンをして、
「いっぱい出てるね。パパ気持ちいい?チンチンの棒から出てる
ね。」
と言われます。
娘にトコロテンされる父、たまりません。

現在、私45歳、美鈴30歳です。
美鈴は尿道責めのテクを上げて、現在私の尿道はとんでもなくガバガ
バになっています。
私の尿道には、現在、Uプラグシリコン ヘビーロングがズッポリ刺
さっています。
これは、長さ150㎜で、最大径は13㎜もあります。
そして、これの何が凄いかというと、形状がネジ状になっているので
す。
ネジの山から山が、13㎜あるのです。
私は、長さ15㎝、太さ13㎜のネジを尿道に抜き差しされているので
す。

「ほうらパパ、パパの尿道にぶっといネジが入っていくよ。ズボズボ
~って入っていくよ。」
「ああ・・・ああ・・・ああ~~」
さすがにこれの抜き差しには、声が漏れますし、ヨガリ狂わされま
す。
45歳のオヤジが、実の娘に太さ13㎜mのネジを尿道にジワジワ挿入さ
れて、ヨガり狂い、のたうつ姿ほど、惨めで情けない姿はないと思い
ます。
今は激しいピストンには耐えられなくて、ゆっくりとしたピストンで
ぬきっ視されていますが、それでも耐え切れずに漏らします。

「パパの尿道、ガバガバね。変態だね。」
実の娘に言われています。
「ガバガバ尿道だから、座って用を足してね。」
と言われている通り、絶って用を足すと、拡張され過ぎた尿道では、
シャワーのように飛び散ってしまいます。
だから、仕事に行くときは、中空の尿道プラグを入れたまま出かけま
す。

先日、田舎から叔父の訃報が届きました。
69歳でした。
叔父は、実の父娘を結婚させて、子供を産ませたことを、生涯をかけ
て達成したのです。
さぞ充実した人生だったでしょう。
叔父の遺言通り、私だけで密葬し、後の法事は一切するなとの遺言を
守りたいと思います。
ここに、数奇な叔父の人生をかけた近親夫婦の誕生秘話を遺します。
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2024/08/08 00:30:04 (yhLQc6Gx)
高1の時、父親が若いフィリピン人と再婚した。

俺を産んでくれた母親は中1の時に病気で亡くなってた。
両親は33歳くらいで俺を授かったから再婚したときは50歳くらい。

新しい母親は21歳だった。


最初はよく家に遊びにくる若い外人くらいで無関心を貫いていたけど、思春期 露出の激しいファッションは十分に刺激した。

そして我が家に来るのが当たり前になったころ、父親が仕事で居なくても合鍵使ってやってくる様になった。

狙いは俺だったらしい。

まだ母親になる前の外国人のネーチャンも普通の若者だった。
普通に俺に一目惚れしたって言ってた。

俺に「付き合ってる子いるか?」と聞いてきた。
「いないよ」と答えると「ならよかったね!私達仲良くしようね!」と抱きついてきた。

「オトンと引っ付いとけや」と引き離すと、このネーチャンは「パパさんはあとあと!K(俺の名前)はエッチしたことあるか?私としてみたいか?私はしたいよ!」と胸を寄せてにじり寄ってくる。

俺は負けた。
初体験を奪われた。
しかも避妊もクソもなく外人のネーチャンに搾り取られた。

「子供できても大丈夫!もうすぐパパと結婚するから一緒に育てられるよ。」

結局妊娠しなかったが、オトンはどうやらあまり夜の営みはしないらしい。
仕事人間でもあったから暇さえあれば立場上母親と言う歳上ネーチャンと致す日々。

そしてめでたく2年目は妊娠。

もうどっちの子かわからなかったが、戸籍上は妹になった。

オトンはドンドン衰えていく。
母親は一人暮らしの大学生の息子の世話を焼きに頻繁に訪れる。

妹はオトンが子守する。

母親は彼女を作らせまいと骨抜きにしていく。
ますます綺麗になる母親。
約20年経ちオトンは他界した。
それなりの遺産を残して家族は十分な生活が送れる。

オトンには孫の顔は見せられなかったな…
弟妹は3人できたけど。

近所ではいつも「カップルみたい」と言われる有名親子になってる。

母親はいまだにタンクトップにミニスカ姿。
かなり近所のおっさん達からアプローチがあったらしいが、「私は息子が彼氏だからネー!」と言って避けているとか。

「それシャレにならんからあんまり言うなよ」と母親には言い聞かせているが「だってしつこいんだよ」と少しキレる。

もう俺、将来どうなるんやろ…
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