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近親相姦 親×子体験告白 RSS icon
※父母とその子の間柄での体験談

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2023/09/17 15:24:25 (r37j3Cu5)
母が糖質だった。
男がいる間はある程度安定してたけど、男に捨てられるとそりゃ酷いもんだった。
ある時しばらく男が出来ない時があって、襲われた。
母にだけ見えるご主人様?がいるらしく、「自分の息子とさせるなんて酷い」「でも命令だから」「あんたも命令には従いなさい」みたいな事を言っていた。
逃げようとしたらガラスの灰皿で顔面やられて諦めた。
母のマンコやアナルを舐めさせられて吐きそうになった。
キスが一番辛かった。
でもフェラやセックスには快感があった。
諦めた俺は、そのご主人様?と話を合わせて少しだけ復讐もした。
ご主人様が母を殴れと言っているよ。
3回に1回くらいは話が噛み合った。
その度に俺は母の体を躊躇なく殴った。
女の柔らかいお腹に、子供とはいえ加減なく殴るとめり込む拳の感触とか、マンコを平手で叩くと異常なくらい悲鳴を上げて痛がる母の表情とか、頬や目の周りを力任せに殴るとほんの数分で腫れたりするのをこの時覚えた。
ぐへぇ、とか言いながら、母はご主人様の命令に従えたのが嬉しいのか笑っていた。俺に笑いかけた事なんてないのに。
おかげで俺は今になっても、近親相姦とか腹パンとかじゃないと興奮できないようになった。

511
2023/09/19 06:36:33 (5X2Ll2gS)
毎晩寝る前にお父さんのおちんちんを舐めさせられてました、それはお父さ
んが逝くまで舐めてて長い時には一時以上も舐めてた事もありました、たく
さんお酒を飲んだ時は長いです、お口が疲れた時にはアソコに入れて中に出
してました、まだ初潮を迎えてないんで中に出してもいいらしくたくさんの
精液が流し込まれます、まだ気持ちいいわけでもないんですが何か入ってる
な~って感じです、いつかは気持ちよくなるんでしょうが今はまだです。
512
削除依頼
2023/09/17 22:35:18 (SDC0ekkx)
俺は直哉25歳の社会人です。大学は東京で1人暮らしする憧れがあり
東京の大学に進学する事にした。
東京に旅立つ日に親父から行く前に話しが有る。と言われで
激励なのか?と思い親父と面と向かって話しを聞く事にした。
親父は開口一番、お前の母親は実母じゃないんだ。
びっくりしながら今ここで言う話しか?と言ったら
お前が2歳の時に実の母親はお前を捨てて男と駆け落ちし離婚した。
それから1年位して色々と世話してくれた今の母親K子と再婚した。
お前は3歳位だったので記憶は無いと思う。
でも大きくなったら話そうと思って今に至ってしまつた。
話しを聞いて、もやもやしたまま東京に行った。
大学生活も楽しく実家に帰るのは正月と5月の連休にお盆位
なんか、そんな話しを聞いてからは実家に帰る度に
継母K子さん見ると母と言うより一人の女性として見てしまうようになっ
た。
大学4年のお盆前に親父が入院したと継母K子さんから連絡が来た。
夏休み中も有り急いで実家に帰る事にした。
親父の見舞いに行き親父から2週間位で退院できるから
不在時は頼むな。と言われ親父が退院するまでは2週間滞在する事にした。
実家に泊まりK子さんと二人でいると余計に女を感じてしまった。
K子さんは直哉さんが一緒に居てくれると寂しくならないし安心できる。
と言ってくれたが俺は我慢の日々だった。
それでも親父の退院近くなった頃にK子さんと飲んでいる時に
K子さんは、もうすぐ東京に帰っちゃうんだよね。寂しくなるね。と言わ
れた。
俺は酔いも有って親父からK子さんは実母じゃない。と初めて聞いてから
一人の女として見てたんだ。俺もK子さんと離れるのは寂しいよ。と言う

K子さんは、嬉しい。と言って俺に抱きついてきた。
私もお父さん(親父)から直哉くんに真実を話した事は聞いてました。
でもお父さんが入院して不安だし寂しくて堪らなかった。
そんな時に直哉くんが来てくれたから助かったの。
直哉くんと二人だけでいたら私も意識いるようになってしまったの。
そんな事を聞いてしまったら俺も抑えられなくなってK子さんを抱き返し
ててしまった。
親父には罪悪感は有ったのは事実だがK子さんの想いは止められず
今まで我慢してた気持ちを開放したように朝までK子さんと求めあって
た。
親父が退院するまでの数日は毎日K子さんと求めあった。
親父も退院し俺も東京に戻り休みの度に実家に帰るようにしたが
ほとんど親父が居るのでK子さんとの関係は無いままでした。
大学を卒業後は東京の会社に就職し彼女もできたのですが
どうしてもK子さんと比べてしまい身体の相性も合わず長続きしませんで
した。
そして1年経過した頃に、今度は癌で親父が入院する事になった。
社会時になった俺は学生の時のように長期休みは取れないので
毎週末に実家に帰り親父のお見舞いし闘病している親父には申し訳ないと
想いながらも一泊してK子さんと求めあい。翌日には東京に戻るようにな
ったのですが
入院して3ヶ月経過した時にK子さんから親父が危篤との連絡が入り
会社を早退して病院に向かい親父を看取る事ができました。
亡くなる直前に親父は何かを言いたいようで俺は親父の口元に耳むを近づ
けると
お母さんを頼むな。と言って息を引き取った。
葬儀をドタバタと済ませてから会社に出社し実家近くの支店に異動届けを
出した。
ダメなら辞めて実家近くに再就職しようと思ってたが運よく異動させても
らえたので
今は実家に引っ越してK子さんと一緒に住んでいる。
俺とK子さんは法律的には結婚はできないけど事実婚として新婚生活を送
っている。
実家近所の人からしたら親子と思っているので外では手は繋げないし
恋人同士のようにベタベタできないので実家を売って通勤できる範囲で
誰も知らない場所に引っ越して暮らそうと思う。
513
2023/09/16 04:42:23 (K04CX4lR)
子種のない私に代わって父に妻を抱いてほしい、、そんなよくある話で
す。
当時妻は38歳、もし今妊娠しても生まれてくる時は39歳、40までに
どうしても子供を産みたいという妻の願いを聞いて私は父に相談した。
父は当時65歳で今だに現役で母を抱いていた。
当時私たち夫婦は離れに住んでいて父と母は母屋。
母も承諾してでもこのことは4人の中にしまっていて墓場まで持って行く
ことを約束して、初めての夜私と父は交代した。
離れでは妻の幸が父に抱かれる準備をしていたが、夫婦の寝室では嫌とい
って1階の客間に布団を敷いて待っている。
もちろん1回で妊娠するとは思っていなく、父には幸が妊娠するまで頑張
ってもらうつもりだった。
母屋から離れの客間の窓が見え、父が離れに行って1時間ほどで客間の灯
りが暗くなった。
とは言っても真っ暗になったのではなく薄暗く常夜灯は点いているようだ
った。
私は今から父が妻の幸を裸にして抱くのだと思い嫉妬で握り拳を作ってい
た。
それを見ていた母がそっと私を抱きしめてくれた。
いま父と妻はどんなことをしているのか、父にはできるだけ幸に早く挿入
をして中に出して欲しいとは言っていたが、父は私にも準備があるからと
いっていた。
そんなことを思っているとつい母を抱きしめ、ベッドに押し倒している私
がいた。
父が私の大事にしている妻を抱くのなら、私は父が大事にしている母を抱
いてもおかしくないと思い、母をベッドに押し倒し着ている物を脱がして
いた。
母もたぶん父に私の物を奪われて嫉妬しているのだと思って、ここは自由
にさせておこうと思って抵抗しなかったと思う。
母は若くして私を産んだので歳の差は20歳、まだ還暦手前だった。
スタイルの良い母、それだけではなく豊満で抱き心地も良かった。
母の胸の谷間に顔を付けても母は嫌がらず反対に抱きしめてくれた。
時折顔を上げて、母さんと言ってキスを迫っても応じてくれ、股間に手を
入れてもその時は私の手を握っていてもすぐに手を離して許してくれた。
そして時間が経つにつれ離れの出来事は私の頭から消え、母の体に夢中に
なっていた。
父は終わっても翌朝まで幸さんと一緒にいてもいいかと言っていたから体
力が続くまで2回でも3回でも幸を抱くつもりだ。
だから私も翌朝まで母を抱く権利があると思った。
母のパジャマを脱がしショーツを母の脚から抜くと私が出てきた穴があっ
た。
でもそれまで何度父が母のこの穴へ父のペニスを出し入れした事か、それ
を思うと母の膣が愛おしくなりつい舌を這わしてしまった。
母は嫌と言いながら私の頭を手で離そうとしたが、体はのけ反り反対に頭
を股間に押し付けていた。
舌を這わしていた私も次第に息が苦しくなり、ハア~と言って顔を上げた
時に母と目が合い、母は恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
そんな母が可愛らしく思い、私は母の脚の間に入ってペニスを入れようと
したが母に拒否された。
やはり母は父を愛していて最後の一線は超えないのかと思ったが違った。
母は私をベッドに寝かせると自ら私のペニスをしゃぶってきた。
最初はペニスを握って頬へ着け感触を確かめ、私の目を見ながら舌を這わ
せ口の中へ入れて先だけを舐めその後根元まで入れてくれた。
それを何度か繰り返し何度かは喉の奥まで入れて自分で咽ていた。
それが終わると今度は自ら私の腰に跨り、私のペニスを股間に宛がうと腰
を下げていくのです。
初めて母の中に入っていく感覚に気持ち良く、つい母さんと声に出してし
まった。
それからは無我夢中でした。
妻がいても初めての経験、童貞のようにすぐの射精することだけはないよ
うにと心がけとりあえず我慢することだけを思っていた。
でも母の中は思っていたより気持ち良く、我慢できないと思って母の体を
掴むと上下を入れ替え、腰を思い切って振り思いのたけを母の体にぶつけ
ていた。
そして射精と同時にぺニスをこれでもかというくらい母の奥深くに入れて
射精していたのです。
射精の痙攣が終わると恥ずかしくて母を抱きながら顔を合わさないように
していたが、母はじっといつまでも動かず私を両手で抱きしめていてくれ
た。
しかしいつまでもこのままと言う訳にも行かず、離れてペニスを抜こうと
思って体を動かしても、母はもう少しこのままでいてと言って私を抱きし
めたままだった。
それから母とはその夜もう1回したが、2回目は1回目より長く続き何と
か母をいかせることができた。
2回終わって母と一緒にシャワーを浴びたが、その時になってようやく離
れのことを思いだした。
父は妻の幸の中へ何回出したのか、終わって二人は一緒にお風呂に入った
のか、それともまだ続いているのか、そう思うと先ほど2回も出してシャ
ワーを浴びていても私のペニスは大きくなってきた。
そしてそれを母に気付かれ母はニコッとしていた。
シャワーを浴びながら母は私のペニスをしゃぶってくれたが、その時は離
れのことを忘れていた。
もう一度母とベッドに入りお互いの性器を舐め合いをしながらしばらく過
ごし、母と抱き合いながらいつしか眠ってしまった。
翌朝起きると母は隣にいなく、夢だったのかと思ったが私が裸のままだっ
たこととペニスが異常に硬いことから夢ではないと思った。
そしてしばらくすると母がやって来て、もう少ししたらお父さんが帰って
来るわよ、帰ってきたら幸さんの所へ行ってあげなさい、と言ってくれ
た。
父には妻の幸を週に2回抱いてもらった。
65歳の父には過酷かと思ったが父は嫌がらずかえって嬉しそうだった。
一方の妻はどうだったと聞いても何も言わなかった。
妻は受け身だから大丈夫だろうと思っても途中私が抱くこともなかった。
続けて父に抱かれることで早く妊娠して欲しいと思っていたからだ。
その間私は母屋で母を抱けると思った。
私と母の関係は父にも妻にも内緒だった。
そのため父に抱かれた妻に翌朝会うたびに私は妻を抱きしめてねぎらって
いたがキスだけで留めていた。
というより、母に精液を吸い取られ翌朝には精液が無く勃起しなかったの
だった。
妻が妊娠したと言ってきたのは父に抱かれるようになって5か月経ってか
らだった。
生理が3回来なくて私に内緒で病院へ行っておめでたですよと言われたそ
うだ。
どうして初めて生理が来なくなったときに病院へ行かなかったのか聞いた
ら、早い時期に妊娠していても病院では分からないこともあり、その時に
なってがっかりしたくなかったと妻は言っていた。
私に病院へ行くと言わなかったのも私をがっかりさせたくなかったためと
妻は言っていた。
でもその分妻は父にたくさん抱かれていたことになる。
その日の夜、父と母に妻の妊娠のことを話すと母は喜んでくれていたが父
はどこか寂しそうだった。
父が二人目はどうするんだと言ったことを思うと、妻の幸をもっと抱きた
かったと思う。
父さん、その時はその時だよ、今一人目が出来たところなんだからまだ早
いよ、と言うと父はそうだなと言って照れていた。
それからは妻が出産して交尾が可能になるまで妻を抱かなかった。
流産の恐れもありそんなリスクより子供が生まれることを優先した。
その間私は母と関係を続けていた。
妻がいつも離れにいるので、いくら父が仕事でいない時に母を母屋で抱く
ことも出来ず、平日は会社を早退して母を外へ呼び出し、休日は妻に友人
と会ってくると言って外で母を待ち合わせをしラブホテルに入ってセック
スをしていた。
母も久しぶりのラブホとあって凄く喜び、部屋に私と入ってすぐに着てい
る物を脱いで私に抱き付いていた。
もうその時には母の喘ぎ声は遠慮がなかった。
父が離れに行っていた頃はまだ喘ぎ声を出す遠慮があったが、外へは聞こ
えないと分かってからは、いい、いいわ、ああ、凄い、もっと、もっと激
しくして、、と言っていた。
とは言っていても私に抱かれた夜に父に抱かれることもあり、その時は意
識して大人しくしていたそうです。
妻が出産して病院の先生から交尾の許可が出るまで、私は母を抱き続けま
した。
妻とセックスをしていた時でも頭の中は母のことを思い、妻を母と思って
抱いたこともあります。
あれから1年が経ち生まれてきた子供も1歳なりました。
今は母屋で父と母と私たち親子3人が食事をしていますが、父は孫と言う
か自分の子供に食事を食べさせるのがうれしく、でも二人目はどうするん
だと自分から言い出せずにいます。
妻もアラフォーに入り父も67歳、まだ子種があるのか分かりませんが妻
の幸を抱きたそうな雰囲気です。
その横で私と母は、食卓に隠れて母の手が私の股間へ、私の手が母の股間
へ、最近母は裾の広がった大きめのワンピースを着るようになり下着は着
けていないのです。
ですから直に母の膣穴へ指が入り触っていると、母の口から小さいながら
喘ぎ声が、、
そろそろ出来るかどうか父次第ですが、妻の幸に二人目をと提案してみよ
うかなと思っています。

514
2023/09/15 00:34:44 (EXx270Cn)
娘の年齢は言えないけど、嫁さんは7歳上でバツイチ子持ちだった。
もう結婚して十数年。
娘が喋れない頃から見てるから本当の子供の様に思える。

でもそれは他人の目がある時だけ。

友達親子と言えば誤魔化せるけど、私との年齢差が17歳だから娘は友達から「若いパパ」で羨ましがられるのが優越感らしい。

嫁さんは40過ぎてだいぶ擦れてきたのか、私と娘の話題に入ってこない。

街に遊びに行くにも嫁さんだけ着いてこない事も多い。

ありがたい事に娘は私が居ないと買い物もゲーセンもつまらないと言ってくれる。

こんなだから思春期だろうに、未だに一緒に風呂に入ってくれる。

もうここ1、2年で発育著しく、私の方が嫁さんに「流石にもう娘と風呂に入るのはマズいだろ?」と聞いたくらいだが、嫁さん曰く「あの子がいいんならいいんじゃない?」と気にもしない。

娘にも「もう友達はパパと風呂入ったりしないんじゃない?」と聞いた。

そしたら「そうらしいけどウチはウチじゃない?1人で入るのつまんないし、ずっとパパと入ってるから逆に居ないと違和感w」

そんなこんなで娘と風呂に入っている。
生理の時だけは流石に1人で入る。

しかしいくら娘と見ていても、10代の女性の体は発育を続けてとうとうVゾーンに毛が生えてきた。
うっかり「毛が増えたね~」と言ってしまった。

すると「これって剃ってもいいの?」と聞かれて困った。
「そりゃ好きにすりゃいいけど、剃ったら濃くなるとは聞いた。」
ってな事を話すと娘から「パパ…チンチン上向いとるよ!変な事考えてるでしょ?」

指摘されてちょっとパニクった。

コレまでも娘と風呂に入ってる時に何度か勃起した事がある。

当然、娘の体を見てのことだけど娘には言い訳として「男はイタズラ心があると上向くんだよ」と言っていた。

だから娘も見慣れたもんだけど、流石に股間の産毛と割れ目を凝視していたからとは言えない。
娘には嫁さんに言わないように小さい頃から何度も言っていた。言うとパパと風呂に入らなくなると。

そして娘はイタズラ好きである。

上を向いたチンチンを触る。
触るとより硬くなると知っているから。

しかも小さい頃は握るだけだったのが、いつの間にか擦る様になった。

これがしつこくて頭を洗っている時とか視界が塞がれている時にやってくる。
湯船で寝落ちしてた時もやられる。

数回我慢に失敗して出た事がある。
とは言えちょっと漏れ出たくらいだったので、娘も気づかずお湯で流されたと思う。

しかし今回は無理だった。

ちょっと溜まってた事もあって勃起がおさまらないし、なんならドンドン硬くなる。
それに娘も自分の股間を見て父親が勃っている事に気づいている様だった。

そしてとうとう一線を越える言葉が娘から出た。

「パパ、一回思いっきり出したら?ママには言わんから。」

私の心臓は音が聞こえそうなほど鼓動した。
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