2024/02/10 13:56:34
(GbtewRWI)
大学進学で上京してた4年間、伯母と関係してました。
もう、10年前になりますが、私は大学1年のゴールデンウィーク、伯母で童貞を卒業しました。
伯母は父の一番上の姉で当時53歳、夫とはレスで、しかも閉経してました。
若くして上京した伯母は、田舎の母より8歳も年上でしたが、洗練されてて、黒田知永子さんに似た若々しい美人でした。
ゴールデンウィークに、アパートで初めて独り暮らししてる甥っ子が心配で様子を見に来たのですが、その時、熟女エロサイトのエッチな0930見てオナッてて、慌ててオナニー中止したから勃起したままになってました。
その勃起に気付かれ、
「祐樹、ちょっと、何大きくしてるの?もしかして、伯母さん見てそうなってるとか、言わないわよね。」
と言われて、オナッてたとは言えず、もう、
「いや、おばさん奇麗だから・・・」
と言うしかありませんでした。
優しく撫でられ、ズボンとパンツを下げられ、騎乗位で童貞卒業、父の姉のオマンコに、ドクドクと射精したのです。
一度女を知ると、もう伯母が欲しくて我慢できなくなり、伯母も伯母で、19歳のカチコチペニスに夢中になり、しょっちゅうやってくるようになりました。
伯母は、私の部屋に来るなりいつも興奮して、ペニスを見てうっとりしました。
胸に手を持っていき、乳房をさすっていたら、気持ちいいのか目を閉じたから、手を前から服に差し入れて、直接乳首を摘まむと吐息が漏れました。
横たわった伯母のスカートを脱がせ、下着姿にすると、思いのほかセクシーで興奮しました。
ショーツを脱がそうとすると自分から脱いで、私の手を取りバスルームへ、そこで股間を清めてベッドへ、伯母の53歳のオマンコは黒光りするビラがクパア、っても卑猥でした。
しっかり濡れたオマンコが見えて、私も興奮してクンニしているうちに、どんどんヌルヌルしてきました。
伯母に唾をまぶしたジュルジュルフェラをされて、フル勃起した私のペニスを伯母のオマンコに深く挿入して、激しくピストンすると、伯母はヨガリ狂いました。
甥っ子に犯されて、身を捩る叔母は、黒田知永子に似た美熟女、そんな叔母の痴態にとても興奮していました。
伯母のオマンコの奥深く出で射精したあと、オマンコを開いてみると、まだ中がヒクヒクしていてエロく、そのヒクヒクからドロッと精液が溢れて、たまらない光景でした。
その様子に興奮して、たいていは伯母とは3回戦が普通でした。
伯母がアパートにやってくるのは、私のアパート資格の初ピングモールに買い物に来る月曜と木曜が多かったです。
夕方4事故路来て、約1時間くらい、シャワーを浴びてクンニ、フェラからの3発でした。
だから、1年生の終わりころにできた彼女には、月曜と木曜はバイトがあると言って、デートを避けました。
同じ学年の彼女は処女だったから、大切にしていました。
セックスも恥じらいがあって、初々しいけれど、快楽を貪る叔母とのセックスの方が、やってては楽しかったです。
血縁者に中出しする興奮もありましたし、何せ美人ですから、彼女には無い色気がムンムンしていました。
夏休みになって彼女が帰省した後なんか、旦那を仕事に送り出したあとやってきた伯母と午前中から抜かずの3発決めて、ランチ市に出かけたりしました。
「あっ!祐樹のが出てきちゃった・・・ちょっとトイレに行ってくる。」
なんていうときは興奮しました。
お盆には故郷で伯母と顔をあわえますが、平静を装ってます。
何度か伯母と地元のラブホにシケ込んだこともありますが、お盆のラブホって割高なんですよね。
大学を卒業して帰郷するとき、彼女が先に帰郷するからお別れのセックスして、東京駅から彼女を見送りました。
「楽しかった。大学時代の思い出は、あなたでいっぱいだったよ。ありがとう。さよなら・・・」
彼女の目が潤んでいました。
「元気でな。困ったことがあったら、ラインしろよな。さよなら・・・」
彼女を乗せた新幹線を、手を振って見送りました。
私が帰郷するとき、最後の精液を伯母に注いでから、東京駅に向かいました。
「祐樹、元気でね。伯母さん、祐樹と愛し合ったこと、忘れない・・・さよなら・・・」
「伯母さん、お盆に会えるじゃないですか。そんな顔しないでよ・・・」
と言いましたが、伯母とは1,000回を超える中出しをした仲、別れが哀しかったです。
泣きそうな伯母に、
「それじゃ、俺、行くね。」
と言って背を向けたとき、堪えていた涙が零れました。
帰郷して6年、今年、私は結婚しました。
式には伯母もやってきて、眩しそうに私を見ていました。
「祐樹、おめでとう・・・」
伯母に祝福された時、遠い昔に別れた元カノに言われているような、そんな気がしました。
そんな、4年間愛し合った伯母との思い出を書き込みます。