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処女、童貞喪失体験告白 RSS icon

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2023/06/17 17:44:48 (3WEeswTK)
私は美優、今は高校生になっています。お世話になった、ナンネットに、私の処女卒業の様子をご報告したいと思います。
 まだ中学2年生だった、おととしの3月の初めに、いとこの俊が、近くにある大学の個別学力試験を受験するために、私の家に来て、机のある私の勉強部屋に俊が泊まることになったのです。その日、私が学校から帰って、部屋に行くと、俊が勉強していました。「お着替え持っていくね」と箪笥を開けて着替えを探していますと、「ここで美優ちゃんの生着替えを見たいな」と俊が言ったのです。
 お母さんの里帰りについて行っていた小さい頃は、一緒に遊んで、二人でベッドに潜り込んで隠れんぼしたりした仲だったこともあり、というより、私なりの好奇心もあったりしたので、気軽に「いいよ」と言って、俊に向きながらブラウスを脱いでから、パンツの汚れが悟られないように後ろ向きになってスカートを脱いだのです。上下とも白の、スポーツブラとパンツが俊の眼に晒されました。
 すると俊は、後ろから私を抱きすくめて、私の身体を向き直したかと思うと顔を近づけてキス。私は心臓が爆発するんではないかと思うほどバクバクして、息ができないくらいになりました。そして、俊の手がパンツの底を撫でたのです。目まいと、何かが漏れた感じがして、どうなってもいいやと成り行きに任せる気分になりました。俊がズボンを下ろすと、二人でベッドに倒れこんだのです。俊は激しく動いたかと思うと、静かになりました。「ごめんね、美優ちゃんのパンツを汚しちゃったね、でも、大好きだからなんだ、許してね」
 パンツを確かめると、ヌルヌルしたものがべっとりとついていたのです。プールの消毒剤のような青臭い匂いがしました。俊のおちんちんは下を向いて、白い糸を引いていました。
 私は急に恥ずかしくなって、着替えをもって逃げるように、洗面所で着替えたのですが、汚れたパンツをお母さんに見られたくなかったので、洗濯機に入れずに洗濯機の下に隠したのです。翌朝、確かめますと、面白いことに、パンツの表側は、薄茶色に染みがついていましたが、染みの輪郭が濃い茶色に縁どられていたのです。そしてパンツの内側のクロッチには、白っぽいガビガビがついていて、ヨーグルトのような匂いがしました。汚れたパンツが何となく愛おしくなって、これが、私が汚れフェチになった始まりだったのです。
 二日目の夜、特に用があったわけではなかったのですが、俊が勉強している私の部屋に行きましたが、何もありませんでした。なんだか、はぐらかされた気分になりました。俊は3泊して、入試を終えて帰りました。そのあと、私が着替えようと、箪笥のパンツを探しますと、下になっている3枚に、茶色の染みがついて、ガビガビになっていました。俊が私のパンツに盛って、例のヌルヌルを出したのでしょう。不思議な感情が沸き起こりました。汚いとか、厭らしいという気持ちよりも、勝った!という気分になったのです。俊が汚した私のパンツは、灰色や紺色の濃い色のものではなく、パステルカラーのものに限られていました。そして、共通して、クロッチに、洗っても落ちない汚れが染みついているものでした。男子は、真っさらなパンツよりも、汚れているパンツが好きなんだなぁと分かりました。
 それから一生懸命に、男子の欲求やオナニーなど、いろんなサイトで調べました。そして私は、毎晩、パンツの上から割れ目を擦って、グッチョリ濡れて気持ち良くなってから眠るようになりました。
 俊は受験した大学に合格して、私の家の近くのアパートで独り暮らしを始めました。俊のお母さんと一緒に俊が私の家に挨拶に来て、アパートの場所を教えてもらいました。俊のアパートに私が遊びに行くようになるには、時間はかかりませんでした。
 俊が入学式を翌日に控えた日のことでした。俊のアパートへ向かう途中から、お股に何かが溢れ続けていて、ヒヤッとしているのが分かりました。俊のお部屋に入ると、「美優ちゃん、お着替えしようよ」と、ラベンダー色の可愛いパンティをプレゼントされたのです。心臓が爆発しそうで、息が苦しくなっていました。その時が来たんだ、と俊の見ている前で、まだ大きくなっていない胸を裸にして、そしてスカートを脱いで、最後の、ピンク色と緑色の刺しゅうのある白いパンティを脱ぐのは俊に任せました。
 俊が私のパンティを下ろすと、「へ~ぇ、美優ちゃん、立派に生えそろっているね」。「いい匂いがする」と言いながら私のヘアの匂いを嗅いだのです。抜き取ったパンツの内側の、ヌルヌルも嬉しそうに舐めました。「いやぁ~ん、汚いよぉ~」「美優ちゃんのだったら、何だって綺麗だよ」。その時、また、勝った!という気分になったのです。
 俊のおちんちんが立ち上がっているのが見えました。お父さんのしなびたおちんちんとは違って、こんな太いものが私のお股に入るのかしらと不安に思いながら、触るとカチンコチンでヌルヌルしていました。もう、精液が出ちゃったのかしら、早くしなきゃと思って、ベッドに横になると、私は、膝を立てたまま脚を開かれました。お股から溢れたものがお尻に伝うのが分かりました。俊は私の割れ目を開いて、膣口を確かめると、「美優ちゃんもヌルヌル、ドロドロだよ」と言うと、一気に差し込んだのです。まるでゴムが切れるときのような感じで、ブツッ!という感じがしました。「いたぁ~いッ!」すぐに俊の身体が私の上で跳ねました。
 息が落ち着いてから身体を起すと、シーツの上に、赤い点が三つ、私の太腿には、血のこすった跡がついていました。程なく、ピンク色に染まった精液が、私の膣口からシーツへ伝い落ちました。俊と離れることができないまま、身体を撫でたり舐めたり匂いを嗅いだり、おちんちんをしゃぶったり、握ったり、吸ったり、俊も私の割れ目を舐めたり、吸ったり、指でもてあそんだり、匂いを嗅いだり、二人の身体がぬるぬる、べちょべちょになっているのも気にしないで、身体を離すことができませんでした。
 俊のおちんちんは鉄錆みたいな味がしました。私の性器は、ヨーグルトの味だったり、南国のフルーツの香りだったりしたそうです。その日は夕方までに、3回、結ばれました。二人でお風呂に入ったのですが、浴槽の中で私の膣から、残っていた精液が出てきたのに興奮して、4回目もしました。
 夜になってから、俊からプレゼントされたパンティを穿いて帰宅したのですが、家に着くまでにお漏らしをした時のように、ヒヤッとなってしまいました。私の愛液と精液とで汚れたパンティは私の宝物となりました。
 俊とは半年くらい続いたのですが、いとこ同士なので、かえって束縛されたくないということかもしれませんし、私が高校を受験するために、毎日のように塾に通わされたりしたこともあって、いつしか逢えなくなりました。その間に俊には、別に彼女ができたみたいなので、負けた気分にもなりました。
 今も毎日、寝る時のオナニーは欠かせません。愛液で汚れたパンツの匂いは男子を誘惑するって、俊が常々言っていましたので、朝、ガビガビのパンツを着替えないまま学校へ行きます。でも、一カ月に一回くらい、とってもHが我慢できない日があって、そんな時は、俊のとこへ行って慰めてもらっています。昨日がそうした日でした。学校にいても、授業はうわの空、制服のスカートに染みないか心配になるほど、パンティが濡れっぱなしでした。トイレで行って用を足す時には、パンティからココナツミルクのような匂いがして、女であることを実感しました。
 高校から帰宅する途中に俊のアパートに立ち寄りました。制服を脱ぐと、俊が盛って、びっちょり濡れていたパンティに顔を埋めました。うなされたように「いい匂いがする、美優ちゃん、いい匂いだ!」パンティを脚から抜き取ると、私のトロトロになっているお股を舐めてから入ってきました。「美優ちゃんのべっちょが最高!」
 ベチョッ、グチョ、グニュッ、ビジョッと濡れた肉がこすれ合う音と、パタンビタンと身体がぶつかり合う音、自然と「アン、アン、アン」と声が出ます。これまでは、すべて俊にお任せで気持ちよくなっていましたが、昨日は初めて、おしっこを我慢するようにして膣をきゅう~っと締めますと、「行くう~っ」と叫んで俊は果てました。
 二人の液が泡立ちながら膣から流れ出る中、生々しい香りに包まれながらベッドでまったりしていると、俊が、「美優ちゃん、上手になったねえ」とつぶやいた時は、勝ったッという気分になりました。シーツやタオルケット、ベッドカバーにも、私の匂いをたっぷりつけてから、帰ってきました。

161
削除依頼
2023/06/10 15:13:37 (HTNA9HO9)
僕の田舎では秋祭りがあり、最終日に神社の社殿に明かりを灯し翌朝まで担当者が寝ずの番をする。
担当になった僕と美津おばさんは社殿の中に布団を敷いて服を脱ぎだし美津おばさんが僕のパンツを脱ぎおろすとボロンと僕の肉棒が晒されると瞬時に勃起し僕も反撃して美津おばさんのレースの入ったピンクのブラジャーのホックを外し脱がせてボロロンとB90のEカップの豊満な乳房に挟み込みパイズリを楽しむ。
「やっぱりおばちゃんのパイズリは気持ちいい・・・・」尿道口からドクドクと愛液が溢れ出して美津の口の中に注ぎ込まれていき、そして美津の膣の中から愛液となってパンティーを濡らして僕が脱がせると蜂蜜のように糸を垂らして落ちていく。
28歳になった僕と65歳の美津は歳が離れすぎていても僕の巨根と美津の巨乳で瞬時に欲情し気が付いたら全裸で抱き合いSEXしていた。

162
2023/06/10 10:54:26 (5DafVDBM)
母の友人なんですが、私は双子なので妹も同じ人なんです。

幼稚園からのエスカレータ学校に妹と通っていて、父親は転勤族であまり男性と親しくなる機会がなかったまま中学生になり、その人とはその頃知り会いました。

母の地元に家を建てて暮らしてました。
それは母が活発な人で交流関係も地元に根づいていたからで、おかけで父は転勤族に…

まあでも皆が住みたがるような人気の街だったし、父も別荘があるみたいでいいとポジティブに考えていたみたいです。
離れてるから新鮮さも持続できるでしゅうし、夫婦仲は良かったと思います。

母は多趣味で色んな方と交流があったから、私達が中学生になるとよくパーティーやら飲み会やらに外出するようになりました。
私達も母の不在を寂しがる年でもないし、妹とのんびりやってました。

そんな日常を送っていた時に母から1人の男性を紹介されました。

私達姉妹は外見から趣味から何から何まで似ている、いかにも双子的な双子でした。
文化部の同じクラブに入部し、運動音痴なのも一緒。

ある時、体育の授業で鉄棒が全くできずにこのままだと実技は0点になりそうなピンチが訪れ、それを知った母がその男性に相談したという経緯ですね。

同じ趣味のサークルのその男性は父よりは少し若く感じました。
まだ独身で、見るからに運動できそうなスポーツマンな感じで私達にも気さくながら丁寧にせっしてくれた。
これなら母のお眼鏡に叶うかなと妹とも話した記憶があります。

近くの公園でコンビニに行った帰りなどに練習してると言うと、ちゅうど6時とかそれくらいにその人も来てくれて教わったりした。
まだ日も高い時期だし、帰りは送ってくれるから母も全然心配してないみたいだった。

不思議なもので、ちょっとしたコツを教わると、苦心しながらもできるようになった。
その人は片方が出きると二人揃って出きるようになるので、そっちの方に感心してました。

その人をOさんとしておきましょうか。

Oさんは私達双子に興味津々でした。
本当にそっくりな双子だったし、髪型や眼鏡をかけてるのも同じ。
ちょっとポッチャリ気味で体重もたいして変わらないから、他所の人が興味をひかれるのはよくわかりました。

私達は好意を持つ男性まで似ているのか、二人ともOさんを気に入り、アドレスも交換し急速に親しくなっていった。
運動音痴なのは全般に渡るので、これからも色々教えてもらったらと母も交流に賛成してました。

Oさんには長い年月ずーっと好きな女性がいるらしく、まさか中学生をそういう対象にはしないと思ってたんでしょうね。

最初に鉄棒を教わった時から、私に触れる手つきなどにドキドキするものは感じてました。
これは妹も一緒だったみたい。
男性に触れられる機会がなかったし、体を支えるために仕方なく触れてしまうんでしょうけど、やっぱりこれはドキドキでした。
たまにはお尻にも手が添えられたりするし。

ただ、イヤではなかったです。
だから、きゃあきゃあ騒いだりなんてしないし、むしろ全く意識してません的に振る舞ってました。

それは妹もそうらしいのはわかったし、Oさんも教えるためにというポーズをとってました。

でも、みんなお腹の中ではいちもつあったって事かな。

後に話を照らし合わせるてわかるんですけど。


(書き留めできないようなので、レスであらためて)

163

姉貴の友達

投稿者:AKIRA ◆4M4uRlH3cE
削除依頼
2023/06/09 20:36:21 (/vZ5H912)
注2の時、姉貴の友達のIさんにしてもらいました。

当時、うちの家は姉貴の友達のたまり場の様になってて
Iさんと2人きりの時やらしてもらいました。
Iさんの身体を見た時はフル勃起。
ゴムをIさんに付けてもらって、挿入。

緊張のせいか挿入してもあまり気持ち良くなくて、
よく解からないまま動いてたら何となく気持ち良くなっ
て来て、ガンガン突いてたらIさんが逝ったけどかまわ
ず続けたら「待って、待って」て言われたけどドンドン
突いてたらIさんは続けて逝ってオレも発射。

めでたく童貞卒業しました。
ちんこを抜いたIさんのマンコはパックリ開いて汁でグ
チョグチョでした。

その後もしばらく関係は続いて、色々な事をしました。
164
2023/06/06 19:11:10 (h1ZD6cNe)
25年ぶりに舞い戻った高校卒業までいた街。
親父の転勤で、中学と高校の6年間を過ごした。
本当は高校2年の終わりにオヤジの転勤があったけど、大学受験生だった俺と母は1年残り、1年だけ親父が単身赴任した。
だから、大学進学と共に母もオヤジの元へ行き、俺も帰省先がこの街じゃなくなった。
この街で、初めて出来た初カノと恋をし、愛を育み、高2の夏、処女と童貞で初体験した。

今でも初カノの写真を捨てずに持っている。
高校のセーラー服姿の写真を見ると、切ない別れをもい出して胸が軋む。
十数枚ある写真を見て、処女だった頃の写真と、女になった後の写真を分けられる。
一見何ら変わっていないけど、全部処女の可愛い女子高生に見えるけど、ああ、この写真の数時間後、処女喪失したんだとか、この頃にはもう騎乗位で腰振ってったなとか、全部覚えてる。
あの頃、デジカメはあったけどまだ汎用じゃなかった。
大学時代の元カノとのデジカメのハメ撮りはたくさんあるが、初カノはスナップしかない。

今、初カノの写真を見ると、初カノはこんな未熟な時に、初めて男に抱かれたなんて信じ難い。
夏の白いセーラー服の短い紺色のスカートから、白い足が目映いばかりに露出してる。
撮影の数時間後、初めて入ったラブホで、この足首を掴んで脚を開かせ、初々しいマンコにむしゃぶりついた俺。
その太腿の奥の白い肌に舌を這わせ、ワレメを舐めて、初カノを喘がせた。
生まれて初めて男に脚を開かせられ、ワレメを観察された初カノが、そのあまりの恥ずかしさに混乱して、羞恥と快感の区別さえ見失っていた。
愛する男のイチモツを求め、淫乱な自分を愛とごまかし、恥穴へイチモツを受け入れ、純潔を散らした高2の夏。

白いセーラー服から透けて見える白いブラ、輝くような笑顔が可愛い初カノだが、この時の初カノには既に処女膜は無く、少女ではなく女だった。
そのブラを剥ぎ取り、やっと膨らみきった乳を露出され、尖った乳頭をしゃぶられ、そして背後から乳房を掴みし抱かれながら、突き続けた俺。
写真の輝くような笑顔は、覚えたてのセックスの快楽に恍惚の表情となっていった。
その後の公園のブランコに座る初カノの白いセーラー服の下には、飛び散った精液をティッシュで拭いただけの、俺の精液の匂いが肌から漂っていた。

マックで撮られた一枚。
短いスカートの奥、見えそうで見えない白い太腿の奥。
この写真の初カノの恥穴にはタンポンが挿し込まれ、セックス中に来た生理にかこつけて、初めての中出しした精液が混じった経血で溢れていた。
この清純そうな笑顔の可愛い女子高生の恥穴に、精液が湛えられているなんて、信じられない。
ほんの1時間前まで、男の生イチモツで掻き回され、ヒイヒイ言ってたなんて、信じられない。

初カノと最後のセックスをして、別れた。
「俺、明日から東京だ。そして、お袋は親父の元へ引っ越す。だからもう、俺はこの街に帰省しない。今日で、お別れだ。さよなら。元気でな。」
「うん。明日、見送りには行かないよ。大泣きしそうだから。ここでさよなら。じゃあね。元気でね。」
背中を向けて歩き出したら、涙を見せたくなかったから、二度と振り向かなかった。

25年ぶりの街には、俺と女房と中2と小5の子供たちの4人でやって来た。
俺は、25年ぶりに街を歩いた。
初カノと入ったラブホ、あの頃と同じように佇んでいた。
お金がない時、セーラー服と学ランで立ちバックした、公園の障がい者用トイレ、新しくなっていた。
俺たちが6年間住んだ戸建ての貸家、俺と同年代の家族が住んでた。

小川にかかる橋を渡り、川沿いの柳の並木道を歩くと、初カノの実家がある。
懐かしい初カノの実家、一度もお邪魔したことはなかったけど、表札はあの頃のまま、白いミニバンと赤い軽自動車がとまってた。
自転車には俺と初カノが通った高校の通学許可証が張ってあり、懐かしさに包まれた。
誰が住んでいるのだろう。
高校生の子供がいるということは、初カノの弟家族ではなく、初カノ夫婦が住んでそうな気がして、暫し離れて見守った。

ミニバンに父親らしき男性が乗ると、高校生の女の子と、中学生くらいの男の子が乗ってきて、母親らしい女性が乗ってきた。
母親より、高校生の娘さんの顔で、初カノ一家と分かった。
あの写真の初カノにソックリだった。
走り去るミニバンに、
「可愛い娘さんだね。まだ、処女膜はあるのかい?」
と呟いたら、一気にあの頃の気持ちに戻っていった。
その瞬間、風景がセピア色に色褪せて、もう、戻らない過去なんだと悟った。
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