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義家族との体験 RSS icon
※義父母・義兄弟・義姉妹等との体験

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2024/06/13 13:20:29 (QyUF/GHR)
妻が亡くなり10年になります。 
妻が亡くなる前から隣町に住む義妹と遣ってます。
義妹はバツイチで子も無い。
私が義妹の家に通って遣ってる、時には泊まって遣る。
暫く遣って無かったせいかも知れないが
今朝、息子や子供達が出掛け息子嫁が台所で洗い物をしてる後ろ姿を観て、腰つきが色っぽくて勃起してしまい
咄嗟に息子嫁を後ろから抱いてしまった
息子嫁が凄い反応し逃げたので余計、慌てて手を掴み、部屋へ引きずり入れてしまった。
そして泣きながらヤメテッと言ってる息子嫁を無視して私は下半身だけ裸にし足を拡げマンコに嵌めてしまった、それも、たまらずに数十分も突き中に出してしまった。
中々、息子嫁は部屋で泣いていて出て来なかったので昼前に、また嵌めてやった
まだ息子嫁は泣いていて出てこない
もう一度、遣るか
211
2024/06/10 20:40:59 (yUU6txsa)
昔から女性の下着に興奮してまして…。
結婚してから、妻の両親と姉、叔母と暮らし婿さん状態です。小言を言われる事もありますが、今では出て行け!と言われるまで同居します!
洗濯物からパンツとブラを取りオナしたのが姉にバレ、叔母にも言われ…謝ると、両親には言わないからと叔母の言いなりに。
叔母と2人になると、パンチラで誘われ関係を待ち、その事を姉に言われ。姉とも関係を持ってます。
俺が下着が好きと思ってなのか、2人共パンツを脱がないで、ずらして挿入してます!
姉は無理ですが、叔母とは中出しです。終わると、パンツの中に精子がたっぷりになります。
こんなエロい姉と叔母とは離れたくないので、ずっと続けていきます!
叔母は、他の男や露出も興味ありみたいなので、募集するかもしれません!東北の募集になります。
212
2024/06/10 19:11:01 (EJGIOH7Q)
妻の母、義母と10年間、肉体関係がありました。
きっかけは妻の妊娠、10年前、妻が第一子妊娠して入院、妻の下着などを取りに義母が来た時、ずっと前から憧れてた俺は、つい、義母を見つめてしまいました。
義母は、俺が義母に向けてた好意に気づいてて、見つめ合う形になってしまい、抱き寄せたら目を閉じたので、唇を重ねました。
そしたら、舌をこじ入れてきたから、そのまま押し倒してスカートの中に手を入れると、義母は濡れていました。

この日、下だけ脱いで、生で交わりました。
私28歳、義母50歳、22歳差のセックスでした。
次第に汗ばみ、対面座位になって上も脱ぎ素っ裸になって抱き合いました。
これが50歳かと思うくらい、いいスタイルしてて、でも、若干贅肉が付いたお腹周りが所帯じみててそそったし、色気がムンムンしてヤバかったです。
オマンコは黒みがかってて、義父にハメまくられたのが分かりました。
「ああ~~硬い…お父さんのより凄く硬い…」
50歳の義母は、まだ義父に抱かれてるのかと思ったら、妬けました。

「中には出さないでね…まだ、あるから…」
という義母のお腹に射精しました。
義母も嬉しそうな表情で私を見て、精液を拭きとった後、キスしました。
一度関係したら、泊まらなくなり、二度目はホテルで一緒に風呂に入って、両足を広げさせオマンコを舐めました。
妻よりも愛液の味が濃く、黒みがかったビラビラが卑猥で、妻のピンクのオマンコより、使い古されたオマンコに興奮しました。
激しく交わって、お腹に射精、もう一度シャワー浴びて二回戦、そして三回戦と、約2時間に亘ってハメまくりました。

義母と義理の息子の肉体関係だけど、真剣に愛し合いました。
妻が出産を終えて里帰りから戻ると、会うのは月イチになりましたが、関係は切れませんでした。
第二子出産のときには、義母は閉経していましたが、義父との営みで中出しされた翌日に限り、中出しさせてくれました。
昨夜の義父の中出し精液を書き出して、娘婿の若い精液を注ぐ、この背徳がたまりませんでした。
そして、義母が57歳の時、
「タップリ中に出していいよ…お父さん、もう起たなくなったから…」
と還暦を迎えた義父との夫婦の営みが終わったことを知りました。

今年、還暦を迎えた母を抱き、抜かずの三発を注ぎ込み、10年の義理母子相姦を終えました。
義母は、流れ出る精液をティッシュで押さえ、
「最後の子種汁だから、中に残しておくよ。」
と言って、ティッシュを当てたままパンツを穿きました。
ラブホを出て、いつものようにショッピングモールの立体駐車場で義母を車から下ろしました。
「それじゃあ、恋人から義理の母子に戻ろうね。さよなら・・・」
「さよなら、恋人のお義母さん・・・」
そう言うと、ショッピングモールの入口に入っていく義母の背中を見送りました。

あれから15年の歳月が流れ、義母と義父はホームに移り、今は妻の実家で、私たち家族が住んでいます。
子供たちも一人前になり、私は53歳、妻は50歳です。
そう、私が義母を初めて抱いた年齢に、妻がなりました。
黒みがかったオマンコは、義母を彷彿とさせます。
50歳になった妻ですが、私の妻好きが高ぶって、週に3~4回妻を求めます。
「50歳になってもセックスしてるとは、若いときには思わなかったな。でも、この年になっても夫に求められるって、嬉しいなあ。」
と言って、黒いオマンコを開きます。

50歳の妻を抱くと、義母を思い出します。
お腹周りに少しばかりのぜい肉が付いた、ムチムチボディは妻も同じ、母娘だなあと思います。
使い込まれた黒いオマンコも、私のペニスにフィットしてとても気持ちいいです。
私以外のが入れられたら、きっと気付くような気がします。
でも、私にしがみついて、アンアン喘ぐ妻を見てると、それはなさそうに思えます。
妻を喘がせられていれば、妻も私以外に抱かれることはないでしょうからね。
50歳の義母と50歳の妻、母娘味比べのお話でした。
213
2024/06/10 16:50:30 (o.vh.DrA)
私は、去年還暦を迎えました。子どもや孫達から「おばあちゃんおめでとう」と祝ってくれました。
亡主人は5歳上で、職場で猛烈にアタックされて、タイプではなかったのですが上司ということと母や周りの勧めで結婚しました。
結婚すると、すぐ子どもを授かり、子育てや実家の世話で、あっという間に主人が定年を迎える歳になっていました時に、主人が入院し病院から大病の診断が下され
退職の日は病院で迎え、それから半年後に他界しました。
あれから、子ども達が私を励ましてくれて、今日の私があります。
亡主人が、預金と少しの財産を私達に残してくれてたので、不安なく生活できていることに仏壇でお参りしながらいつも感謝しています。

最近は、お稽古事や近所の皆様とのお付き合いも自然と縁遠くなりました。
なんとなく、家で空白の時間を過ごしているとき、なんとなく昔のことが昨日のことのようによみがえるようになってきました。

実は、私は母の再婚相手と長い間お付き合いをしていました。
父が出張ばかりの仕事をしていた時、不倫相手の女が妊娠したことで、母はものすごく怒って離婚しました。
その後、母はヤクルトやスーパーで働きながらお金をためて、自分でスナックを始めました。
その当時は、町の景気も良くて母は毎晩酔って帰宅していました。
それから、3年経過したときに、母は若い男性を連れてきて、一緒に暮らすようになりました。
母は38歳で、彼氏は9歳年下の30前で、私が中学3年生でした。私は、二人の関係が不潔で嫌悪感で頭が狂いそうでした。

でも、私の人生では母の言うことが絶対でしたので、黙って一緒に暮らしていました。
私が高校受験でしたので、勉強していたらいろいろと教えてくれたので、そのことを母に話したら「この人00大学を出ているのよ。そうだ家庭教師してちょうだい。」と言って
それから、本当に猛勉強しました。勉強のやり方が分かってきたので、勉強が楽しくなりました。母も私の成績が良くなっていったので大喜びでした。
私の心は、母の彼氏に勉強を教わることがとっても楽しくて、学校から早く帰って彼に会うことを楽しみにしていました。

彼は当時、若くて起業して地元でも注目されていたようで、時間も自由に調整できていたので、私の勉強時間に合わせてくれていました。
そして学校での最終進学協議では、憧れの進学校受験が決まりましたので、家に帰って彼に喜びの報告とハグをしたとき
彼が私をいつまでも強く抱きしめたので、胸が感じていました。
母は、彼に「ねえ、あんたいつまで抱き合ってるの?」と怒っていました。

その晩は、彼から強く抱かれた興奮でなかなか眠れませんでした。
次の日から、教科書や消しゴムをとる時、私から何気なく彼の手や体をさわりながらしていました。
そんなある日、私が遅くなって自宅に帰ると、彼はソファーに寝てたので、私は服を着替えると彼の横にそっと座って毛布を掛けながら抱きしめました。
すると彼が、目覚めましたので「もう少し、このままにして」と言って彼を抱きしめていました。
目と目が合って、しばらく見つめあっていましたが、その後長い時間キスをしていました。

その日から、受験勉強どころではなくなって、私達はあっという間に結ばれました。
彼は私を優しくリードしてくれて、女の色々な喜びを教えてくれました。
もう、受験勉強ではなく、大人のデートばかりでした。

母が帰ってくると、二人とも気まずい思いで会話していました。
やがて受験の日が来ましたが、第1志望はだめで、第2志望校に行くことになりました。
高校に行き始めたころ、母が私に「彼に女ができていないか調べて」と言ってきました。
理由として、30代の若い男なのに母を求める回数が極端に減ったので、「女の感」だそうです。
私は、その言葉を聞いて驚きました。

彼は、私を積極的に心を込めて抱いてくれて愛してくれました。
抱かれるときは、時間があるときは2~3回私は大人の女になった喜びと、なんとなく母を出し抜いたような気持になっていました。
いくら若いからといっても、男の人はすぐには精子は作れないと思います。

当時は、私は彼を母に渡したくなかったので、彼が私に夢中になるようにフェラとか、最後は思い切って飲んじゃいました。
夜、母がお店をしているとき、二人でドライブに行き公園の駐車場で愛し合ったり、刺激を求めあいました。
そして、母には「彼に聞いたけど、仕事がうまくいっていないので少し休ませてくれ」と言っていると報告しました。
そうしていると、今度は母に彼とは別の男がいるとの噂が、飲み屋の界隈で広がっているとの情報が入り、彼と一緒に、母の行動を監視していました。

結果は噂通りでした、お店が休みの時に、お客とのお付き合いがあるということで出かけたので、後を追いかけました。
私の彼はさすがです。男が車で迎えに来ると思うとの予想通りでした。車から出てきた男は、どう見ても20歳台でした。
母は若い男が好きなんだと思いました。二人はコンビニで買い物してラブホに直行でした。

ラブホの近くに2時間以上待ちましたが、出てこなかったので家に帰りました。
翌日、私の彼が母の店に行き、客として来ていた若い男性の確認をして帰ってきました。

私は彼に「母が不倫しているのに怒らないの?どうして冷静にしているの?」と聞いたら、
彼は「俺達は人のことを言える立場か?俺たちは親子だぞ。」と言って私を抱きしめてくれました。
彼は、母を攻めれば離婚になるかもしれないし、そうなったら私とも会えなくなるので「自分が我慢すれば」と言ってくれたので
その日は、激しく求めあいました。

母と若い男との関係は、男に複数の女がいることが発覚して、それからは店に出入りしていないとの話しが流れてきましたので、安心しました。
私と彼との関係は母にはほとんどばれませんでしたし、彼とも何回も喧嘩しましたが二人の深い関係はどちらも話しませんでした。
私と彼が喧嘩していると「あなた達、夫婦喧嘩か兄弟喧嘩しているみたい。それだけ仲がいいのね」と良いほうに理解していました。

私は、早く社会に出たかったので就職を希望しました。当時高卒はすぐ就職が決まりました。
その職場で、主人と出会い、母の店の常連になって、母を先に口説いてお墨付きをもらって、
私に堂々と求婚してきたので、母の言うことは絶対だったので、好き嫌いは別にして結婚しました。

結婚してからは、生活に不便さを感じることもなく、子育てに集中することができました。
でも、母は夜の商売ということでお酒の飲みすぎとヘビースモーカーで大病を患い長期の入院をし他界しました。
その間、実家では彼とゆっくりと夫婦のような生活をすることができました。
亡主人は、一度だけ「お母さんのいない実家にどうして泊まるんだ」と聞いてきましたので、「義父の
世話も娘の務めよ」と言ったのを覚えています。

私が結婚する前から、初めて体を許した心から愛する彼も、すでに他界しています。この歳になると昔の思い出ばかりが思い出されます。
誰にも話せないことが本当に残念でなりません。
214
2024/06/10 13:58:04 (yLkGfoai)
諸事情により義理の息子と関係を持っています。
以下、長文ですがご勘弁ください。

申し遅れましたが、私は40歳で昨年、結婚しました。
夫(48歳)は再婚で16歳の息子S君がいました。
S君は色白でかわいらしい少年で、私に対してもすぐに
由美ちゃんと呼んでくれて打ち解けてくれました。
家族3人での生活は順調のように思えましたが、一つだけ
気になる事がありました。それは夜の営みをS君に聞かれて
いる気がしたのです。新婚ですのでほぼ毎晩SEXをする中で
ドアの向こう側に人の気配を感じていたのです。
夫に相談しても”気にするな、あいつも夫婦のSEXの
事は理解しているよ”と取り合ってくれませんでした。
特に激しいSEXをしたときは、大きな声が出てしまい、
翌朝にはS君の部屋のごみ箱にはオナニーをした残骸の
ティッシュが大量に捨てられていたのです。
見た目はかわいい男の子と大人の男になって行く複雑な
環境に直面したのです。

さらには、主人の希望で家の中では比較的、短めのスカート
を穿くことが多い私は、階段の下や食卓テーブルの下から
S君にスカートの中を覗かれている気もしていました。
それでも私はS君くんの事がかわいくて何も言い出せずに
いました。

でも、私に対しては甘えん坊で学校の事や友人の事など
よく話をしてくれます。私が疲れていると思うと
肩を揉んでくれたり、足の脹脛を揉んでくれたりする
優しさがとても嬉しいのです。
もちろん、下心が少しあることは承知していました。

今年の3月の事です。3学期の成績が大幅に落ちたことで
S君は夫に激しく叱責されました。それ以来、S君は部屋に
閉じこもり、夫がいるときにはほとんど部屋から出てこなく
なりました。私は、彼の成績が落ちた原因の一つに私と夫の
SEXが原因だと感じていました。我々夫婦の声が聞こえる事で
勉強に身が入らないのだと・・・・
そんな、ある日の事です。洗濯をしようとしていた私は
自分の下着を入れている洗濯ネットのチャックが開いて
いることに気づきました。中の下着を調べてみると、ショーツ
のクロッチの部分に大量の精液が付着していたのです。
少し悲しい気持ちにはなりましたが、怒りのような感情は
ありませんでした。むしろ、S君に何か手を差し伸べなければ
という気持ちがありましたが何もできませんでした。

それ以来、洗濯前の私のショーツには頻繁にS君の精液が
付着するようになったのです。

5月の連休前半の最終日、些細なことで夫とS君が激しく言い
事態が発生しました。翌朝、朝食も取らずに無言で学校へ
行ったS君の事が心配で仕方ありませんでした。
そして、学校から戻ったS君に最近イライラしている理由を
聞いてみたのです。最初は黙っていましたが、私がそばに寄り
優しく抱きしめると、彼は泣きながら話始めました。

S君は
「俺は由美ちゃんの事が大好きなんだ。それなのに毎晩、父さんと
由美ちゃんがSEXをして・・あの声が聞こえると寂しくなる・・」

私からも聞きました
「それで私の下着でオナニーしてるの」

S君は真っ赤な顔をして下を向きながら「うん」と答えました。

私は、S君が素直にすべてを話してくれた事、自分と夫にも原因
がある事に涙があふれS君を強く抱きしめました。しばらく二人
で泣いていました。
そしてS君の「ごめんなさい」という言葉を聞いて私に一つの
決心がつきました。

私は彼の前で上半身の服を脱ぎ、胸を晒毛出しました。
驚いた顔のS君の体を引き寄せて言いました。
「あなたのお父さんと同じように触っていいよ」

最初は恐る恐る触ってきたS君ですが、やがて乳房に赤ん坊のように
吸い付いてきました。それが、夫とは違う微妙な刺激で、私も
感じて声が出てしまいました。
そしてその声に刺激されたS君はズボンの中に射精してしまいました。
私がズボンを脱がせて拭いてあげると、再びおチンコが大きくなり
またすぐ射精、今度は私の顔面目掛けて飛んできました。

そんなうぶなS君の姿を見た私は、さらに彼の事が愛おしくなり
上半身までと思っていた気持ちが崩れ、彼のおチンコを私の
体に挿入させました。

夫よりも硬く、荒々しいピストンは私の体を刺激して気づくと
私が馬乗りになり腰を振るってのけ反っていました。

それ以来S君と夫の関係も修復し、勉強にも励んでくれています。
もちろん、私のショーツでのオナニーは禁止としました。

誤算は、夫のおチンコだけでは少し満足できなくなってしまった
事と、今でもS君が夫とのSEXを盗み聞きして嫉妬しいじける事です(笑)

夫ともS君ともコンドームは着けづにシテいます。
もし、妊娠したら高齢出産ですがチャレンジしようと思っています。
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