それから僕は毎日、朝の10時になれば50円のプールへと通いだしたのです。。船着き場であったあの子は月・水・木を除き、いつも夕方17時の閉館までいるとのことだったのです。僕たちはお互いを自己紹介をしました。名前もしらないあの子の名前はミホとの事でした。住んでいる場所は隣町で、夏休みの課外授業の一環で学校指定のアルバイト体験をしており、その地域の最低自給に毛が生えた程度の給料しかもらう事はできないが、これといって何か遊ぶ用事もないのでやっていると言ったのです。一方、僕は関西地方の某県から、毎年恒例の祖母の家に遊びに来ている事を伝え、夏休みが終わる3日前に関西に戻る事を伝えました。つまり8月一杯は、ミホちゃんと過ごせるという事を意味していました。毎日、僕たちは誰もいないか、あるいはいても近所の家族ずれが数組いるだけの、閑散としたプールの中で、若さというエネルギーからか、それとも思春期のトキメキからか、1時間でも2時間でも平気で疲れる事もなく話を続け、話題が途切れたらプールで遊んでいたのです。どれだけ朝10時にきても、夕方17時がやってくるのはアッという間であり、新鮮な毎日が続いていました。そして8月中旬くらいにもなると、17時のプールの閉館でバイバイするのも惜しみだすようになり、閉めたプールの入り口玄関の少し段差がある小さな凹となったくぼみの形状の中にお互い壁に背を持たれて向き合いながら座り、そこから19時くらいまで話し続けるという状況にもなっていったのです。当時は、恥ずかしさ、奥ゆかしさに揺れ動く年ごろの二人でしたが、きっとお互いに惹かれあっていたんだと思います。ですが、言葉の中で「付き合おう」とか、そういったセリフは出てきませんでした。心の奥底で、もしそんなセリフを言ってしまったら、今の関係が壊れてしまいそうな、そんな予感を持っていたのだと思います。・・・・・結局、僕たちは何の進展もできないまま、、僕は帰らなければならない日の前日がやってきました。会えるのは今日が最後。僕はその最後の日に、何をどうしていいかわかりませんでした。最後の日も、僕たちはプールの入り口玄関の小さな空間の中に腰を掛け、今までとは違う、しんみりした雰囲気の中で話をしていました。時刻も18時くらいになると、夏の夕焼けが空を照らし、鈴虫をはじめとする様々な昆虫の鳴き声が響き渡っていました。そういった夏の終わりの雰囲気が後押しをしてか、僕の胸の中に、静かではあるけど、とても力強い慟哭のようなものが湧き出てきたのです。僕は「そろそろ行こうか・・・」と立ち上がりました。するとミホちゃんも「うん・・」と、それに合わせて立ち上がったのです。本来なら、そのまま車が走っている道路に出る細道に向かってかって一歩を踏み出すだけ。しかしその時僕は、その慟哭の力に身をゆだね、ミホちゃんの方を向き、そのままギュッ・・とハグしたのです。すると軽く僕の腰にもミホちゃんは手をまわしてくれました。そのまま僕たちは暫く停止し、最後の名残惜しさをお互いの身体を抱きしめあって伝えあっていたのです。そして僕はその流れのまま、ミホちゃんの顔のあごに手を添え自分側に向けて、、そしてキスをしました。そして思春期の年ごろの僕たちのキス、それはただのフレンチキスに終わる事はなく、それから不器用なぎこちない動きで互いの舌先を絡めあい、より激しいキスへ、そしてより激しいハグへと変わっていったのです。そして僕は自分の身体に変化が起きている事に気が付きました。これだけ哀愁漂う雰囲気であるにも関わらず、これだけ愛情が溢れかえる雰囲気であるにも関わらず、なぜ自分のアソコは大きくなっているのだろう。。。この時の印象は強烈に覚えています。せっかくのドラマのような展開、これこそ青春の1ページという、とても素晴らしい時間を過ごしているにも関わらず、ミホちゃんを(カッコヨク?)抱きしめているにも関わらず、下半身ではテントを張ったような状態になってきたのです。 (しんみり書いてたつもりですが、ここは笑いどころかもしれません笑)キスをしながら沸き起こる願望は、ふくらんだ胸に手を差し伸べてみたい、、ワンピースの裾に手をいれて、そのまま太ももの内側をスッとさわりながら上にのぼってみたい。。。そういう気持ちでした。そして激しくなっていくディープキス、ミホちゃんからも積極的に舌を絡めてくれるようになり、「本来の男女の流れなら」この後は僕が手を差し伸べていく流れであることは間違いありません。そして僕は、震えながら抱きしめてた腕の片方を解除し、
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あれから1年、その間の春夏秋冬、様々な事がありました。日々、僕に重くのしかかる学業。そしてクラブ活動。学校生活、気が付けば周囲で、こっそり内緒で車の免許を取った。という同級生も増えてきました。「来年またプールで会おうね」という約束。当時の僕にとって、三蔵法師がシルクロードをわたって天竺へ行く旅よりも長い旅、そんな旅はあれやこれやと毎日を過ごしていく上で、あっという間にやってきたという感もあるし、長かったという感もあります。何はともあれ、僕は「来年の夏休み」を無事に迎える事が出来、あのミホちゃんがいるプールへ向かおうとしているのでした。例年と同じ時刻に同じ船にのり、そして徳島へと向かっていく。心の中ではミホちゃんは待ってくれているだろうか。という期待と不安が入り混じっていました。すると、、なんという事でしょう・・・。夏休み始まって2日目の明朝、、僕がフェリーを下りていく、あの乗降口にはミホちゃんが待っていてくれたのです。1年前とは違う、、そんな感じでした。髪の毛の長さこそ、さほど変わりませんが以前より、より凛とした表情、少し大人びたのかロングスカートをはいて、麦わら帽子をかぶり、そして少しメイクをしているミホちゃんでした。ミホ「今日来ると思ったw」と、僕を待っていた理由を言ってくれました。僕は「今日待ってると思ったw」と返しました。この世界の中に、どれだけの快楽物質があるといえども、あの時の僕の頭に流れた脳波ほど、素晴らしいものはないと断言できます。僕たちはそのまま歩いていき、二人で祖母の家へとたどり着きました。すると地元民であるミホちゃんは、「なんだー、ここの人のご親族だったんだねw」と言ってきたのです。というのも、僕の祖母の配偶者である、僕の祖父はこの地域の名士であり、地元では町内会的な活動行事から、名の知れ渡った人であったのです。そして祖母の家の中に2人で入り、祖母にミホちゃんを紹介、するとミホちゃんも自己紹介したところ、祖母は「なんだ、〇〇さんとこの孫かえ」と言っていました。どうやら都会と田舎は違って狭いそうです。そんなやり取りもあって、僕たちは前から友達である事を祖母に告げ、渡航初日から僕たちは一緒に活動する事が出来たのです。しかし、いくら堂々と結婚できる年齢になった僕たちとはいえ、半分は子供の僕たちでした。車があるわけでもなく、飲みにいくわけでもなく、せいぜい、電車で隣の隣町までいってカラオケに言ったり、総合スーパーのような場所をうろうろするだけしか、デートコースはありませんでした。ミホちゃんもプールのバイトはやっておらず、時間はあるけど、する事がない。僕も僕で、田舎にはきたけど、時間はあるけどする事はない。そんな二人はただ、気が狂ったかのように、毎日のように話続けるしかなかったのです。ですが、これで十分でした。これといってする事もない。ということは、つまり自ずとHな方向へと2人は傾きやすくなるのは、きっと正常な青春時代を歩んだ青年、壮年であるなら誰もが共感できる事であるかとは思います。当時の僕達もその例外にはならず、山や海で話しているうちに自然と性的な何か。を感じ始めるのは時間の問題でした。ミホちゃんと再会して1週間目、その時僕たちは小さな山を上がった廃寺の境内に座って話をしていました。その時のミホちゃんの服装は、夏真っ盛りという事もあって、白のリブカップTシャツ、そしてデニムのミニスカートでした。僕たちは境内に座り同じ方向を見て話をしていたのですが、どうしても僕に気になるのは、この二つの足が出ている付け根の部分。結局、簡単な話でした。お互いの合意の元とあっては、自然の成り行きであったともいえます。話が途切れたらキスへと入り。。そして僕が軽く胸に手を添える。そして様子を見ながらふとももへと手を忍ばせていき、、サッとミホちゃんの股間へと手を差し伸べる。そんな感じでした。もちろん、この動作の中にも緊張、興奮、情熱、あらゆる要素が加わったものであるのは間違いありません。でも、予行演習に関しては、すでに1年前に行っているという事もあってか、この展開になるまではスムーズだったと思います。ただ、ここでこのテーマを書いてもせん無き事ではあるのですが、僕はこれといってルックスが優れる訳でもなく、学歴がよい訳でもなく、なんでもないただの男です。そんな男が、こんな最初の投稿でも書きましたが、高校野球のイメージガールのような、こんな爽やかで、活力あふれ凛としたミホちゃんに接近できているのが、まるで夢のようでした。
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