本編、あとがきが共に数日前に終えている体験談にも関わらず、わざわざコメントして頂いておりますこと非常に光栄なことだと思っております。本当にありがとうございます。皆様のコメントにすべて目を通しております。そのなかでntrss さんの「振られた後に追いかけず、必死に受け入れたことはなかなか出来ないこと」と仰っていただいたことについて、僕自身少し思うところがありました。本編でもその点については触れていなかったので、当時の心境を記させて頂くことにします。『未来は常に過去を変えている』僕とトモミの学生時代の恋愛は、もちろん「大好き」だという大前提はあったものの若さ故の性欲にまかせた恋愛だったことは否めないでしょう。しかし、別れを告げられたことによって僕は自分の気持の真実を思い知らされることになります。この点については本編でも明かしておりますが、では何故僕はトモミを追いかけなかったのか?僕は、別れた翌日から何度も何度もトモミに連絡を取ろうと考えることもありました。長いメールを打っては消し、打っては消しを繰り返しているうちに、それが自身の本当の気持ちを知る作業になりました。そして、メールを打つ度に自分の想いよりもトモミのそれの方が大きかったことを理解し始めます。トモミは別れの際「僕のことを好きだけれども、自分のことに精一杯で好きな僕を支えることができない自分が嫌だから別れる」と言った意味をよく考えました。これを僕は自分のことに置き換えて考えました。「果たして、自分はトモミのことが支えられない自分に嫌気がさすのだろうか?それに罪悪感を感じて別れを決意するのだろうか?」答えはNOでした。この時にトモミの「想い」の大きさを実感しました。そのトモミの想いの前には、別れを受け入れるしかなかったのです。そして、それだけがその時の僕ができるトモミへのたった一つのことでした。そうやって自分の気持ちを知り、トモミの想いを知り、受け入れ難い現実を受け入れました。その日々を飲めない酒でごまかし眠りについていたことは先述のとおりです。そして、再会するまでの6年間これは、僕にとって「失恋」でした。震災をきっかけに僕はトモミを探したことで、本当に心から大事な人だと気付かされるのですが、それがなければ今なお、失恋は「失恋」のままだったでしょう。しかし、運良く僕はトモミとの再会を果たしました。そして、トモミのそれまでの僕への想いも知ることになります。それによって、僕達は再び時間を共にすることなったのですが、6年前に一度は「失恋」と結論づけたものが形を変えた瞬間でした。その6年間によって、お互いにお互いの存在の大切さをよく知るためには必要な時間だったのではないかと思っています。「マチネの終わりに」という小説に「未来は常に過去を変えている」という一文があります。まさにそれを実感した訳です。本意ではありませんが、もしかすると「失恋」から形を変えたものが更に形を変える可能性だって今後の僕達の行いによってはあり得ることです。もちろん、そうならないように努力はしておりますが。娘が誕生して、一年を迎えようかという時期に僕は深夜に救急車で運ばれました。その日は金曜日で娘を寝かし付けた妻が、そのまま自分も寝てしまい僕はこれを千載一遇の機会と思っていました。その日、僕は仕事中からお腹に若干の違和感があったのですが、特に痛いわけでもなく、それほど気にもとめていませんでした。そして、それは帰宅後も変わりませんでした。妻が寝てしまったことをいいことに、久々に大きい画面で・・・と思いノートPCでDMMから夏のビーチでナンパ落ちする素人モノのAVをダウンロードしました。PCをTVに接続し、さらにヘッドホンを繋ぎます。「いや、こんなに簡単に落ちるか?(笑)」とか「こんな可愛い子でもAV出ちゃうんだな~」と思いつつ自分にとって「良い場面」を待ちます。その場面がやってきそうな気配を感じた頃ズボンとパンツを脱ぎました。そして、その場面がやって来た頃に、昼から感じていた違和感が痛みに変わっていきます。
...省略されました。