2024/11/19 19:31:23
(INPsntiz)
俺には、遠く離れて会えなくなった人が、20年前、30年前、40年前に3人いる。
まず40年前、物心ついた頃から一緒だった幼馴染の佳恵。
おてて繋いで幼稚園、小学校に通ってた。
幼稚園の頃、二人ともパンツ一丁でおへそ弄りのお医者さんごっこしてる写真が今でも残ってる。
忘れられないのは、小学校5年の夏休み、この頃から、佳恵の母親がパートに出だして、お互い一人っ子の佳恵は家に一人、俺、午前中に佳恵の家に行って夏休みの宿題やってた。
そして、お昼は佳恵を俺の家に連れて行って、一緒に昼飯食って、午後は俺の部屋で宿題やってた。
ある日、佳恵の家で宿題やってると、
「ねえ、久しぶりにお医者さんごっこしようよ。」
と言って、佳恵が脱ぎだして、俺もパンツ一丁になったら、
「おちんちん診察するから、パンツも脱いで。」
と言われて、恥ずかしかったけど全裸になった。
佳恵に、チンポ弄られて、勃起してしまい、
「あら、おちんちんが腫れてますね。治療しなくてはダメですね。」
と言われて、綿棒で擦られたり、滲んでる我慢汁拭うように綿棒の先っぽを尿道に刺されたりして、ハアハア状態にされた。
まだ精通してないから、我慢汁が溢れるばかりで、快感に悶えた。
佳恵も見せろよと、佳恵のパンツ下ろして佳恵のオマンコ観察、佳恵、薄らと毛が生え始めてた。
吉亜門熟れてきて、そしたら佳恵、仰向けで股開いて、
「ここにおチンチンでスリスリして。」
と言い始め、いわゆる素股、抱き合って、腰振った。
俺も佳恵も気持ち良くて、佳恵なんかアンアン喘いでて、ブチューッとキスした。
まだベロチューじゃなくて、タコチューだったけど、初めてのキスだった。
素股、夏休み中毎日してた。
今思えば、佳恵は既にセックスという行為を知ってたんだと思う。
俺たちが小学校を卒業するとき、佳恵の両親が離婚したんだ。
佳恵、母親に引き取られて、遠い母親の実家へ行くことになった。
「明日、お家出て行くことになった。」
俺、翌朝佳恵の家に行って、出て行く佳恵を見送った。
佳恵、母親に手を引かれて、振り返りながら俺に手を振った。
俺も手を振り続けて、yし得の姿が遠ざかる中、大きな声で、
「さよーならーっ!」
って叫んだら、佳恵が、
「バイバーイ」
って叫んだ。
俺、家に帰って、部屋でずっと泣いてた。
佳恵の写真って、幼稚園の頃のお医者さんごっこと、小学校低学年の頃に一緒にお風呂に入ってるのと、高学年の時に俺の家で昼飯食ってるのくらいしか残ってない。
でも、今電も大切に保管してる。
初恋の人だし、初めて性行為に及んだ人だから。
その行為が何なのかもわからず、でも、秘密にしなくてはならない行為だとは分かってた。
素股を楽しんだ小学生カップル、佳恵って、おマセだったんだなあ。
30年前、東京で大学の4年間を淫らに過ごした元カノと別れた。
地方から上京して、アパートが近所で毎朝駅への道すがら一緒だった元カノ、仲良くなって、処女と童貞で初体験した。
一度快感を知ってからはもう止まらなかった。
毎日ヤリまくりの日々、毎日奴地赤の部屋にお泊りする半同棲状態で、ヒマさえあればセックスしてた。
講義が休講になると、一旦アパートに帰って一発ヤッてた。
大学に戻ると元カノが上気してるから、友達にも気づかれて、スキモノカップル扱いされた。
1年生が終わった春休み、
「セックスしてるところを見せて。」
と友達に懇願されて、友達2人が見てる前でセックスしたことがあった。
凄く恥ずかしかったけど、セックスを見られるのに次第に興奮して、元カノなんかいつもより大股ガバッと開いて、結合部見せ見せしてた。
他人に見られてのセックスって、メッチャ興奮したのを覚えてる。
そんなスケベな時間を4年間過ごした元カノとも、卒業でお別れ、それぞれの出身地方へ帰らなければならなかった。
荷物を実家に送り、二人で温泉旅行に出た。
その温泉で、最後の夜を過ごした。
差しつ差されつ、日本酒なんか飲んじゃって、ほろ酔い気分で頬杖ついて見つめ合い、あんなことあったよね、こんなことあったよねって、4年間の思い出を語り合った。
思い出を語り尽くすと、それ以上の思い出は積み重ならない寂しさを感じた。
最後のセックスをして、眠りに就いた。
翌日、温泉街の最寄り駅から、それぞれ反対方向に進む列車に乗って、お別れした。
「4年間、楽しかったよ。思い出をありがとう。さよなら。」
「あなたのことは忘れない。元気でね。さよなら。」
それぞれ、反対方向に列車が進み、窓から手を振る姿はすぐに見えなくなった。
新幹線の駅に着いて、新幹線を乗り変えて故郷を目指した。
遠く離れたけど、今も忘れられない元カノだ。
その後、社会に出て、元妻と知り合い、26歳の時に24歳の結婚した。
2年後に娘が生まれ、幸せな生活をしていた。
元妻は、海外勤務を夢見てた。
地元の短大で英語を学び、それを活かしたかったが、英語ができるだけでは海外勤務にはならあかった。
それで、海外勤務を諦めて、俺と結婚し、娘を生んだ。
あれは今から20年前、元妻に海外勤務のチャンスが巡ってきた。
「今更…」
と俯いた元妻、その無念さは見ていられなかった。
「俺に構わず、夢を追っていいぞ。これ、もし叶ったら、出していいから。」
と元妻が書き込めば完成する離婚届を渡した。
夫婦の問題だから、親には事後報告でいいと判断し、相談はしなかった。
でも、元妻が俺の親と義父母に話したようで、両親から「ふざけるな」と電話があったけど、夫婦の問題に口出すなと一蹴した。
元妻の海外勤務が決まり、俺たちは別れた。
夜、玄関ドアの前にスーツケースが置かれ、ああ、今日で夫婦最後の夜なんだと思いながら、元妻と最後のセックスをした。
翌朝、封筒に入れた離婚届をテーブルに置くと、キーホルダーからアパートの鍵を外し、指輪を外し、封筒の上に置いた。
「さよならだね…」
時計を見た元妻は、
「ええ、もう、行かなくちゃ…」
最後のキスを交わした後、と玄関へ向かった。
4歳の娘は、母親との別れを気丈に耐えて、下唇を噛んで、上目遣いで元妻を見つめた。
元妻がアパートを出て行った…
「背中を押してくれてありがとう。あなたのことは忘れない。忘れないけど、もう、二度と関わらないから、新しい奥さん貰ってね。さよなら。元気でね。」
「お前…頑張れよ。もう関わらないんだから、俺たちのことは忘れていいぞ。じゃあな。体に気を付けて、元気でな。さよなら。」
「ママ…バイバイ…」
元妻が玄関を閉めた瞬間、娘が嗚咽し始めた。
俺は、娘を抱きしめて泣いた。
20年前、渡米して遠く離れた元妻、もう、消息も分からない。
俺に3人いる、遠く離れて会えなくなった愛しい人立ち…
3人とも、せんべいの缶に写真と思い出の品々をしまってある。
今の妻には見せてないし、見せられないけど、彼女たちが今、どこでどうしているかは分からない。
元妻からは、この20年間一度もメールも来ないし、俺もしていない。
4年前、娘が成人したときでさえ、何の音沙汰もない。
俺たちの存在を忘れて、今もアメリカで暮らしているのだろうか。
それとも帰国しているのだろうか。
忘れられないけど、何も知りたくない…