2019/08/28 18:54:31
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昭和50年代後半、私はある有名女優さんのお屋敷に囲われ、愛人として高校生活を過ごしました。
高校1年になってすぐ、私は両親を交通事故で無くしましたが、その車がある女優さんの芸能事務所の車だったことから、私はその女優さんの贖罪の念でお世話になっていました。
当時、その女優さんは38歳、綺麗と言うよりは可愛い方で、お手伝いさんと二人暮らしのお屋敷の一室に私は住まいました。
高校1年の7月初旬、期末試験の勉強の最中、気晴らしにオナニーに耽っているところを女優さんに見られて、
「賢哉君、童貞なんでしょ?いらっしゃい・・・」
38歳の可愛い女優さんに手ほどきを受けて、16歳の童貞を失いました。
初めて間近で見た女体、女性器、神秘的でした。
舟形に裂けた陰裂、ハの字に割れた陰唇、その中心にポッカリ開いた膣口・・・
「私もね、初体験は16歳だったのよ・・・ダンディな俳優さんに性を開発されたの・・・」
腰振り1分でスキンを精液で満たした私でしたが、浴室で洗ってくれた彼女は、
「若いから、何度でもできるわよね・・・」
と再び勃起させて、スキンを被せました。
今度は3分ほどで射精、また浴室で洗われて、3回目は10分近く持ちましたが、ほとんど精液は出ませんでした。
毎日ではありませんが、女優さんの時間に余裕があるときは時刻に関係なく寝室に呼ばれ、或いは私の部屋に女優さんがやってきて、若い陰茎を楽しんでいました。
毎回1回で終わることはなく、最低でも3回の射精をしていました。
女体の愛撫の仕方、クンニリングスの仕方、腰の動かし方を徹底的に仕込まれるうち、次第に私も持続力を備えてきて女優さんを逝かせることができるようになりました。
その頃には膣外射精も習得して生挿入で、女優さんの安全日には膣内に射精していました。
色っぽい声で喘ぐ女優さんの素敵な顔、身体を見て、私は22歳年上の女優さんに恋していました。
「私が若い頃は、有名な俳優さんによく抱かれたものよ。恋人役とか夫婦役なら、結構抱かれてた。まあ、そうじゃない役柄でも、抱かれてたけどね。」
そう言いながら、数々の俳優たちが掻き回した膣口を陰唇を拡げて見せていましたが、その話を聞いて、私は嫉妬していました。
「10代の頃なんか、役で着たセーラー服の衣装のまま、役で着た学ランの衣装の俳優さんに抱かれていたわよ。あの頃、20代後半の俳優さんが高校生役とか平気でやってたのよ。ああん!」
嫉妬に狂った私の陰茎が、何十人もの俳優の陰茎で掻き回された可愛い女優さんの膣を抉っていました。
「ああ・・・硬さで言ったら、今までで最高のオチンチンね・・・ああんあん・・・」
心から愛しい気持ちで抱いていました。
私が高3を終えて女優さんのお屋敷を出るとき、進学する大学のそばに借りたアパートまで女優さんがやってきて、女優さんが揃えてくれた真新しいベッドの上で、18歳の私と40歳の女優さんの最後のセックスを膣内射精で終えました。
「もう、今後は会わない方がいいわね。元気で頑張るのよ。じゃあね・・・」
女優さんが去っていくハイヒールの音を聞きながら、私は玄関のドアにもたれて泣いていました。
大学時代も女優さんの大人の身体が忘れられず、バイト先の30代の人妻数人と不倫していました。
やがてバブルが来て、女子大生ブームに乗って女の子のケツを追うオヤジ達に余されたたくさんの人妻と関係しました。
大学時代で、50人くらいの熟女と関係したと思います。
就職して、就職先の高卒の女の子と付き合い、生まれて初めて処女喪失を経験し、バブル崩壊と共にその女の子と結婚しました。
結婚して26年、東京の郊外、埼玉県境に家を構えて20年、私も52歳になりました。
長女は大学を出て社会人、長男は大学生です。
先日、テレビであの女優さんを久しぶりにお見かけしました。
70代になってもお綺麗と言うより可愛い女優さんを見て、昔を懐かしく思い出しました。
そしてここに、その思い出を認めた次第です。