2021/05/29 10:34:14
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俺はさっきの勧誘おばさんが裏口で俺が出て来るのを待っているなど予想だにしていなかったので、ショートヘアのおばさんのお疲れ様ですの声にお疲れ様ですと反射的に返事をした。
おばさんは、はい。お疲れ様。と缶コーヒーを差し出してきた。俺が煙草を吸う度に角の自販機で買っていた銘柄だ。こんな事まで観察されていたのかと少し怖くなり俺は結構ですと丁重にお断りした。
しかしショートヘアのおばさんは、大丈夫よ。私、自分の分も買ってあるからと答える。
お仕事忙しいのね。5時には終わるって言ってたからと言う。
腕時計を見ると6時近い。人が良いにも程があるが、俺は1時間近くも待たせたのかとすみません。残業したものですからと答えた。
いえ大丈夫。勝手に待っていただけだから。それにさっき話をして、もう一度どうしても貴方と話したくてと缶コーヒーを手渡して来る。
俺は1時間近くもこんな裏口で待たせたのかと何となく気の毒な気持ちになり、缶コーヒーを受け取った。
彼女も自分の缶コーヒーを鞄から取り出してカコンと音をさせて缶のプルを開ける。
俺も仕方なくプルを開けて彼女に、じゃ遠慮なく頂きますと缶を煽った。
社員さんなんですか?アルバイトさん?とおばさんが聞いてくる。おばさんは独特のおっとりとした口調と柔らかい雰囲気で何となく旧知の仲の様な親しみ易さがあり、俺は大学を卒業して一旦は就職したが、やはりデザインの仕事がしたくて来春から通う予定の専門学校の学費を稼いでる事を話した。
俺のデザインの仕事がしたいという言葉に彼女は反応した。そうなの?私、実は夫婦で小さい広告代理店やっているのと笑顔で言う。
専門学校ってどこ行くの?と聞いてくる
俺が予定している学校名を挙げるとそうなんだぁ、旦那はそこ出身だと言う。
だったら飲食店で学費稼ぐよりウチに来ない?大した仕事はしてないけど、少なくとも飲食店よりは貴方のやりたい事に近いし、多少は勉強になるんじゃないかしら。こんな時期だからウチも必死で細かい仕事沢山抱えてて、ちょうどアルバイトさん探してるところだったの。
俺はその頃バイトに明け暮れていた。
大学の同級生達は就職2年目を迎えてそろそろ小さいなりになんらかの仕事を任せられる様になった等の話を聞く度に自分で決断したとはいえアルバイトの身の上に焦りを感じたり
喫茶店に毛の生えた程度のレストランだったがコロナでランチ以外に弁当を始めたり、ケータリングを始めて店を守ろうと頑張っているオーナーに協力したい気持ちもあって朝の仕入まで手伝うようになっていた俺はいつしか当初のデザインの仕事をやりたい気持ちが少し薄れて、なんとなくこのまま此処にずっと居る様な気持ちも出てきていたり毎日気持ちが揺れていた。
貴方まだ時間ある?この近くなのよ私の会社。
この時間だと誰も居ないかもしれないけど、ちょっと覗いていかない?
彼女はそう言うと缶コーヒーの残りを一気に飲み干して俺に向き直り、飲んじゃってと俺を即して駅の反対側、南口の方なのと歩き出した。
彼女のペースにすっかり巻き込まれていた俺はやおら缶コーヒーを飲み干し自販機横のゴミ箱に自分の缶を捨て、俺の空き缶をそこに捨てるとばかりに差し出された彼女の手に俺の空き缶を手渡した。