俺は貧しい家に生まれ、若い頃は悲惨な生い立ちだった。
両親は町長の講演会に入り、勢力的に活動していたおかげで、何らかの恩恵を受けていたようだ。一方、俺は大が鵜付属中学に合格し、中学がある隣の県庁所在地に通うのに便利な駅近だった町長家に住み込みで暮らし、通学した。
しかしそれは、中一少年に対する町長夫婦の姓虐待の始まりだった。
当時町長は50代後半、奥様は50代前半、子供の目から見ても美人だった奥様だったが、少年好きで、しかも町長も男色だった。
ややくたびれた体形の五十路夫婦、少しお腹の出た五十路夫婦の間に、ピチピチの中学生の男の子が裸で寝そべり、寵愛を受けるのだ。
まだ、性愛を知らない少年に性の快感を与え、変態行為に引きずり込むのだ。
オナニーさえしたことのない少年のチンポを、亀頭責めで悶絶させるのだ。
俺は、まだエロ本さえ見たことないのに、目の前の奥様のドドメ色のマンコを舐めさせられながら、亀頭責めのもどかしい快感に悶えた。
まだ12歳の俺は精通さえしてなくて、勃起を扱かれてもハアハアするばかりだった。
奥様にチンポを責められながら、町長にアナルを解された。
コンドームを被せた指を入れられ、少しずつ拡張された。
「おお…幼い顔、華奢な身体、ピンコ起ちした可愛いチンポ…いつかケツマンコに俺のチンポを入れてやるからな…」
ホモショタの町長は50代後半のチンポを勃起させていた。
その後、興奮した町長風雨fのセックスを見せつけられ、終わった後にもまたチンポとアナルを責められた。
夏休みになった頃、奥様にチンポを責められている最中、ざわつく内股から何かがやってきて、ついに俺は射精した。
悦んだ奥様は、一度の射精では萎えない俺のチンポに跨って中学一年生の童貞を奪い、腰を振ってヨガり狂った。
大人体型の奥様が少年とセックスしてるのを、町長は嬉しそうに見つめておた。
町長にとってそれは寝取られではなく、奥様が無垢な少年を悪戯してる、無理やり犯してると見えているのだろう、ガチガチに勃起していた。
奥様は私の上に覆い被さると反転し、正常位になった私のアナルにローションが塗られ、指ではなく、町長のチンポが入れられた。
奥様と正常位でセックスする中一少年のアナルを犯す町長、おぞましいプレイだった。
こうして、私は中学の3年間、町長と奥様に犯される日々を過ごした。
町長が不在の夜は奥様と抜かずの5発だったり、町長が不在の時は、いつも奥様に覆い被さって後背位で犯されていたアナルが、正常位で犯された。
町長に明かれ、アナルを犯されながらキスされると言いうご寵愛を受け、町長の精液をケツマンコに種付けされた。
私が高校になると、還暦を迎えた町長は私を開放、私は町長の大物支持者の女社長に下賜された。
高校は進学校に合格したものの、俺の家庭では進学できる経済力は無いから、就職希望だった。
平日は高校に通い、土日、バイトと称して女社長に下半身を弄ばれていた。
女社長も50代半ば、閉経マンコに何発も搾り取られていた。
そして、女社長は少年のチンポを悪戯するのが好きで、椅子に縛られて、金玉を縛り上げられて、町長の奥様にされたような亀頭責めされて、射精を焦らされハアハアさせられた。
その後、射精させられると直後の亀頭責めで絶叫、それを二度三度と繰り返されて発狂した。
それだけでなく、金属製の編み針を尿道に抜き差しされる尿道責めもされた。
年に数回、女性のお得意様を集めて、現役高校生のチンポ苛めショーをやらされた。
十人くらいの女性が見つめる中、惨めに縛られたキンタマをパンパンにして、亀頭責めを受けた。
我慢汁を垂れ流して、射精を焦らされ続け涙目、そして、ジャジャ漏れの射精の後、敏感亀頭を責められて発狂する姿を見て失笑された。
そしてその後、憔悴しきった私のチンポは、編み針に寄る尿道責めに恥辱の海綿体快楽の射精を披露したのであった。
私は、町長の勧めもあって町役場を受験して合格した。
高校を出ると、町役場に就職した。
町役場では、もう一人同期がいて、それが中学の同級生の七海で、可愛い女の子だった。
同じ大学付属高校に通ってたけど、家が裕福でないから、やはり進学校から町役場を受験した。
高校は私が男子校で、七海は女子校だったから、高校は別々だった。
役場で再会した二人は惹かれあい、特に俺は可愛いと思ってた七海だったから、ここぞとばかりに口説きに入った。
俺たちは、就職1年目のクリスマスを共に過ごした。
19歳同士でラブホに入り、まだ未成年なのにシャンパンで乾杯して、裸で抱き合った。
七海のフェラは上手でチンポ扱いに慣れていた。
可愛い清純そうな七海のマンコは濃い紅色で、処女膜は無かった。
「私、高校に行くために親に負担かけないように、援交で処女を売って、週1回、その人の愛人してたの。汚い女なんだ…」
俺たちは、似た者同士で打ち解け合い、22歳の時に結婚した。
俺たちは若かったから、暫く子供をつくらず、どちらの実家も頼れないから、節約して子育て貯金した。
俺たちが25歳の時、町長が勇退し、町は隣の県庁所在地と合併して、当時制定されて間もない中核市になった。
田舎の町役場が、いきなり中核市の支所になった。
翌年、七海が本庁に異動、8階建てのビルで仕事をするようになった。
元々人口30万人超えの都市の市役所、規模が違った。
最上階に展望食堂があったり、圧倒された。