エピソード3
変態人妻性奴隷
加藤 恵美(めぐみ)(旧姓「倉田」)といいます。
結婚して7年になる32歳の専業主婦です。
身長155cm 体重42kg
バスト 82cm Cカップです。 ウェスト60cm ヒップ95cm
ヒップは恥ずかしいくらい大きいです。骨盤が大きいって感じで、よく「安産
型」って言われました。
肌は白いほうだと思います。
恥ずかしいですが体毛は濃いほうだと思います。
5歳年上の夫は地方公務員で恋愛結婚をして幸せな生活を続けていました。
結婚するまで処女でした。
私が3年半前、産婦人科の診断で子供が出来ない身体だとわかるまでは。私の
身体が子供を生めないと分かってからは、全身を使ってセックスで夫を喜ばす
玩具・・・道具にされています。
今は、夫だけではなく、始めて味わった他人棒の男、マンションの管理人『山
口』の性奴隷として扱われてます。
『チンポ狂いの母娘』
防音になっているピアノの部屋に折りたたみ式のパイプベットをマンションの
管理人の山口が持ち込みました。
失禁シートが敷かれた上に、スケスケのネグリジェ姿の私は仰向けに寝ます。
下着はSサイズのビキニパンティが尻肉を歪ませて食い込んでいます。
ただ、自分の身体が見えるように頭が半分以上も持ち上がる格好で枕を当て
て、ご主人様(夫)と管理人様(山口)に悪戯をして頂きます。
夫と管理人は私が中学の時に盗み見た私の両親の性の営みと母の痴態を私に告
白させて嘲り笑います。他界した父は勿論、55歳の母の痴態は何度言わされ
ても胸が痛みます。
そんな私の胸中は完全に無視されて、管理人が
「奥さん、毎晩見ていた、『ご両親様』の種付け現場、教えろよ?」と嘲りな
がら言うと、夫までが目を爛々と輝かせて、
「恵美の母親も変態女なんだろう?」と夫が追い討ちをかけ、管理人が
「さっさと言わないと、明日から外で下痢糞、脱糞させるぞ」とまで脅されま
した。
二人の共同便所女に成り下がった私はこんな理不尽な要求にも、
「ご主人様・管理人様、便所人妻の倉田恵美は中学の時に毎晩覗いていた、両
親のドスケベ種付けを告りますから、変態恵美に悪戯をして下さい。」とまで
言わされ
「ドスケベ恵美の母親は毎晩父の前で、デカケツを高く上げて肛門オナニーを
やってましたぁ」必死に告る私に、管理人は、
「フルネームで言え!」とさらに恥を晒させられます。
「ドスケベ倉田恵美の父・倉田肇にケツを打たれながら、便所女・倉田恵美の
変態母親倉田真知子は肛門に指ズボしてましたぁ」と両親の秘密を大声で言わ
されます。
スケスケのネグリジェの上から、管理人に乳首を捻り潰されながら、
「全部言わないと、母親犯すぞ」と脅され、ムービーを構えた夫までもが、
「ドスケベ母親を呼んで、やらせるぞ」と追い討ちをかけます。管理人に、
「母親が、どんな女か言ってみろ!」と命令しながら、肌蹴た私の胸に『チン
ポ狂い』と油性ペンで書かれました。
私の脳裏には両親の変態行為が完全に蘇ってしまいました。母も背中に『チン
ポ狂い』『ドスケベ女』と書かれていました。
私はムービーを構える夫に向かって、
「倉田恵美の母親・倉田真知子ははチンポ狂いの女です・・・変態母親の倉田
真知子はおチンポに狂っていました」
「ドスケベな母・倉田真知子は、肛門に自分で指ズボしながら、父のチンポを
舐めていましたぁ」
管理人に、
「母親のマンコは、どんなのだぁ?」と聞かれ、一緒にお風呂に入って見た、
母親の性器を描写させられました。
「チンポ狂いの母・倉田真知子の便所マンコは剃られて、ツルマンでしたぁ」
「いつの弄ばれてる母・倉田真知子のおマンコは土留色で便器より汚いおマン
コでしたぁ」
「クリは大きくって、ちっちゃなチンポみたいでしたぁ」
夫は私に最悪のことを言わせようとします。
「恵美はどこから生まれたんだぁ」
さすがに口篭る私に
「母親、呼ぶぞ」と脅してきました。
意を決して、言うしかありませんでした。
「変態倉田恵美は、母、倉田真知子の公園の便所の便器より汚い、真っ黒な便
所マンコから生まれましたぁ」
「ドスケベ倉田恵美は、誰にでも、おマンコをやらせていたドスケベ母・倉田
真知子の公衆便所マンコから生まれましたぁ」
「倉田恵美はケツ穴を指ズボする変態女・倉田真知子の子供ですぅ」・・・
『堕ちた母』
最初に近頃の母の写真を見た管理人が興味を持ったようです。
今でも面影がありますが、若い頃は『さとう珠緒』似の母です。
私の姉と言っても可笑しくない母の容姿は、158cm 44kg 84-62-
90 Dカップです。
夫と管理人は私から実家の合鍵を取り上げました。
二人はドスケベ用の性具を持って、母に自宅で毎晩のように『変態夜這い』を
繰り返しました。
父が他界して2年間、禁欲生活を送っていた母には辛過ぎる責めだったようで
す。
おチンポでおマンコを犯される時は肛門を極太バイブで抉られ、肛門を犯され
る時はおマンコを電マ責めにされたそうです。
毎晩身体を翻弄された母は、1週間で五十路の変態共同便所女にさせられ、私
たちのマンションに無理矢理に同居させられました。
同居させられた母は、夫と管理人の二人に『変態母親』なんだからと、娘の私
の前で、『肛門指ズボ』の強制変態自慰を徹底的にやらされました。
母は3本の指で自分の肛門をウンコ汁が出るまで嬲らされました。
最後は変態母親の娘として、私は、ウンコ汁で汚れた母の『肛門舐め』をさせ
られました。
『母娘奴隷』
今、脅迫されて母はマンションに同居させられ、私と一緒に夫と管理人の『共
同便所女』にされています。
私たち母娘は肛門を舐め合う変態レズ行為までやらされています。
※おまけ1
本当に母は父に色々、やられていたみたいです。(当時、幼い私にはわかりま
せんでしたが。)
① 小学校の低学年の時まで、母と一緒にお風呂に入っていました。
入浴中に脱衣所から父の声がすると母は四つん這いになって、お尻だけを脱衣
所に突き出していました。洗い場に戻ってきた母のお尻には黒い栓のような物
が挿さっていました。
その後、母は泣きながらお尻から黒い栓を抜いて、お風呂場の隅で下痢便を垂
れ流していました。
下痢便を垂れ終わった母は父のいる脱衣所に何度もお尻を突き出しました。
曇りガラスの影に注射器のような物が見えた気がします。
母は私に見られながら何度も下痢便を垂れるのを繰り返していました。
あれはきっと父にお浣腸責めをされていたのですね。
① 幼い頃の記憶ですが、母は毎晩スケスケのネグリジェやベビードー
ルで父の晩酌の相手をしていました。
全裸にガーターベルトのストッキングだけの時もあったような記憶もありま
す。
私が寝る時間の頃に母は、頭にバスタオルを掛けられて四つん這いで父の股間
に顔を埋めていました。
きっと父が満足するまでチンポ舐めや金玉舐めを、やらされていたのだと思い
ます。娘の前で。
② 私が小学5年の時に母はジョギングと言って私を裏の人気のない公
園に毎日連れていきました。当時35歳の母の格好は必ず髪をポニーテールに
して、タンクトップとレーシングパンツ(陸上競技用)姿という若い格好でし
た。
公園には不良っぽい高校生がいつも5人待っていました。
母は汚れた公衆便所の男子トイレに連れ込まれて、私は高校生の誰かとトイレ
の裏で待たされました。
高校生は順番で交替しました。トイレから母の呻き声が聞こえました。
帰りの母は、生臭い臭いがしていました。時々はオシッコやウンチの臭いもし
ました。
父の命令だったのでしょうか?
でも、性処理女として自分の半分の年齢の高校生5人に弄ばれていたのは確実
です。それも今思えば、口唇奉仕やマンコ奉仕ばかりではなかったと思いま
す。
オシッコをかけられたのでしょうか?全身アンモニア臭い、ずぶ濡れの母と帰
ったことがあります。)
※※おまけ2
(余談ですが、小学5年生の私も母を待っている間、不良高校生に『絶対、誰
にも言うなよ』と脅されて、暇つぶしの玩具にされていました。
公衆便所の裏で、母を待ちながら、最初はパンツの上から自分で割れ目を触る
ように命令されました。でも3回目か4回目に『オシッコが洩れそうです』と
感じ始めた事を言うと、パンツを降ろして直接割れ目を触るように命令されま
した。
毎日毎日、母が弄ばれている2時間の間、割れ目を生で撫ぜさせられていた私
は『オシッコ以外の感覚』に襲われるようになりました。
半月近くたった頃には割れ目から愛液(バリトリン氏腺液)まで垂らす程に身
体が変化してしまいました。
高校生たちは性的興奮を覚えた小学5年生の私に容赦しませんでした。
処女こそ破られませんでしたが、高校生が母を待つ間の『暇つぶし』に、酷い
仕打ちを受けました。お手本は母の痴態でした。
不良高校生達に、
「めぐみちゃん、お母さんを見てごらん」と言われて、公衆トイレの窓から母
の痴態を見せられました。幼かった私にも母のしている事が恥ずかしい秘め事
なのはわかりました。
母は乳首と股間に目玉クリップを付けられたまま、指ズボを繰り返す、変態強
制自慰を強要されていました。
不良高校生達にそんな母の姿を見せられて、
「めぐみちゃん、お母さんと同じ事、やれるよね」と唆されました。
私が素直に「はい」と頷くと、不良高校生たちは私のパンツ脱がしてまだ無毛
の股間を晒しました。次に、ブラウスと木綿の下着を脱がして幼い胸までも露
出させました。
小学5年の私の胸は少し膨らんでいました。乳房は幼く僅かな膨らみでしたけ
ど、乳輪は乳腺の発達が早かったのか、尖って飛び出ていた記憶があります。
「誰にも言っちゃ、駄目だよ」と念を押されて、スカート私は母と同じように
股を開いた和式便器のウンコ座りをさせられました。
目玉クリップを持った不良高校生が、一度だけ軽く乳首にクリップを噛ませて
私に悲鳴を上げさせると、
「オシッコ、お洩らし出来たら、痛くしないで許してあげるからね。」と私の
幼い乳首を指で転がしてきました。
幼いながらも、小さな乳首が固くなり始めると、
「力を、抜くんだよ。」ともう一人が後ろから肛門と割れ目を撫でてきまし
た。
私は、始めて肛門を触られる感触に逃げたい気持ちでした。
「だんだん気持ち良くなるからね」と言われて、割れ目から滲み出る僅かな愛
液を肛門に徐々に塗られて、本当におかしな気分にさせられました。
目を閉じると、息づかいの荒くなっていました。
そして本当に乳首と肛門を悪戯されながら、オシッコをお洩らしてしまってま
した。
小学5年生の幼い身体に変態的な性的興奮を刻み込まれて、お洩らしまでしま
った私に不良高校生達は、母とセックスをして淫液と精液に塗れたおチンポを
舐めさせるようになりました。
まだ小さなお口の私は亀頭を含むことは出来ませんでした。不良高校生達は、
私におチンポの先端『鈴口』を吸わせました。時々はそのまま精液をお口に出
されていました。