僕と妻(万里子)は川崎の工場で知り合いそのまま結婚しました。
妻は5歳上の年上女房です。
妻は蒲田が実家で僕は川崎へは就職です、地元は九州です。
当時25だった妻は社内不倫を囁かれており僕も知っていました相手は上司の山口さん四十代で背が高くいかにも男って感じの男性でした。
工場には仕事が終わると風呂があり入って帰ります。
時々その山口さんと一緒になる事が、見事な男根です、普通でも僕の勃起サイズの長さがありました。
一年後慰安旅行で万里子さんと親しくなり宴会を抜け出し部屋へ引っ張り込まれました。
強引にキスされそのままフェラを僕も溜まっておりパンツを脱がしそのまま前戯も無しに入れてしまいました。
貧乳痩せ型の万里子さん身体の魅力はありませんでした。
でも一度関係が出来ると万里子さんどんどん自分のペースに引き込んで行くのです。
気が付けば2人は付き合ってる事になっていました。
5歳も歳の差があり僕はそれにタイプでは無かったのです。
でもズルズル年月が過ぎ彼女は少し焦っていました。
これはマズイと感じた僕は退社を決意し九州へ帰る事を彼女に伝えると、私も行くと。
まさかの言葉にもうどうしていいか分かりませんでした。
でも彼女も退社すると周りからは寿退社と言われました。
彼女の両親も娘をよろしくと送り出されました。
もう逃げれない僕は彼女と九州へ帰りました。
都会とは違う九州の田舎は電気が無く自家発電が当たり前でした。
男は12歳になるとせんずりで自家発電するのです、男が多い家は明るく、女性ばかりや男が少ない家は暗いのです。
万里子はこんな生活に驚きながらも僕の兄弟のマンコを見せながらせんずり発電に協力してくれました。
東京の女のマンコだと皆は大喜びです。
水洗トイレウオシュレットなど見た事も無く穴を掘っただけの便所でした。
糞ションベンはは畑の肥料です。
車など無くリヤカーですタクシーもなく籠でした。
郵便も飛脚が代行しています。
電話など無く糸電話が主流で外国へは糸で結ばれていましたが時々モグラがかじって不通になる事もしばしばでした。
下着は男はふんどし女はノーパンでした。
万里子が気に入り毎日違った相手とハメハメしていました。
その内、妊娠出産を繰り返し、今でが10人の母ですが父親は全て違いました。
そんな夢の様な生活も長く続かず、村にリニアモーターカーが来たのです。
東京まで1時間半です。
男どもはふんどし一丁で女どもはノーパンで乗り込む都会見物へ。
万里子は義母にお義母さん、ここが二重橋よ記念の写真を撮りましょうと歌っていました。
田舎暮らしの皆は都会の街並みに驚き桃ノ木でした。
帰りは節約のため籠で帰った事をお伝えしてこの壮大な物語を終えたいと思います。
じゃ、次回をお楽しみにしてちょ。