舞い散る桜の花びらが足元を吹き抜けて行きました。大学構内の歩道を仕事場に向かって歩く私。その傍を足早に通り過ぎていく学生たち。希望溢れる新入生達を迎え、学内が一年で最も活気付くのがこの時期です。例年なら、私も年甲斐もなく学生たちの熱気に煽られ、心弾むことが多かったのですが今年は勝手が違いました。いえ、決して心が塞ぎこんでいるわけではないのです。これまで見たことのない妻の姿に戸惑う私。その一方で心の高鳴りを感じている私に気づいたのはここ数日のことでした。私は昨日の夜のことを思い出していました。妻の積極的なアプローチの甲斐あってか、田中君が我が家を再訪したのは私が酔いつぶれた日から数えて、わずか三日後のことでした。恐縮しながらも嬉しそうに玄関の敷居をまたぐ彼、嬉々として彼を出迎える妻、作り笑いの私。食卓には、妻が前日から仕込みを始めた料理が並んでいました。この日のために、という献立ではなかったはずです。私にしてみれば、結婚当初、食べた記憶があったからです。血が滴り落ちるようなローストビーフ箸で裂けるほど柔らかく煮込んだ豚の角煮皮はパリっと、中はジューシーな肉汁が溢れ出す油淋鶏前日から熟成させた国産和牛の霜降り肉ステーキ400グラム既に胃袋も中年化している私には、見ただけで胃もたれがするような献立でしたが、寮住まいで食べ盛りの彼は目を輝かせていました。「すごいです。僕が肉を食べたいと話したからですか?」「ええ、この前はあり合わせのものしがお出しできなかったので。お口に合うといいんですけど。どうぞ召し上がってください。」「ありがとうございます、いただきます。」それからしばらく、私も妻も彼の食事の様子に圧倒され眺めるばかりで、自分たちの箸を動かすこともできませんでした。人の食事というよりは、肉食獣が獲物を捕食しているような光景だったからです。グチュグチュと音を立て、肉にかぶり付く様子は決してマナー的に褒められるものではなかったのですが、不思議と私も妻も嫌な気分になることはありませんでした。むしろ、何かショーを見せられているような感覚で、感動さえしていたかもしれません。彼が四百グラムのステーキ、というより、巨大な肉塊をものの五分で平らげてしまったところで、ふとわれに返った妻がワインを勧めました。彼もそこで呆然とする私たちの様子に気づいたのか「すいません、せっかくお招きいただいたのに、お見苦しい姿を見せてしまって。」申し訳なさそうに頭を下げました。「こんなに豪華でおいしいものを食べたことがなかったので、つい」「いいのよ、それでこそ作った甲斐があったわ。どうぞ、遠慮しないでどんどん食べて。足りなかったらもっと作るから」三ツ星レストランのギャルソンでもかくや、というほどの笑顔を振りまく妻。「ありがとうございます」見ているだけで満腹感を覚えてしまった私は、箸をおき妻に注いでもらったワインに口をつけました。その後も、某テレビ番組かと見紛うかのような彼の大食いショーは続き、妻はそれを嬉しそうに見つめながら彼のグラスにワインを注ぎ続けました。ちなみに私に酌をしてくれたのは一杯目だけで、その後は彼の給仕に夢中だったので、仕方なく私は冷蔵庫からビールを持ってきて栓を開けました。ビールの空き缶が二本並んだころ、彼はようやく箸を置きました。「ごちそうさまでした。ホントおいしかったです。ありがとうございました」「お粗末さまでした。それにしてもすごい食欲よね。さすがに作りすぎたかなって思ってたのに、ペロリだもの。やっぱり若いってすごいわね。」「いえ、さすがに普段はこんなに食べられないです。奥さんの料理がおいしすぎて、つい食べ過ぎちゃいました。」「あら、お上手ねぇ。お口にあったみたいで嬉しいわ。また食べにきてね」「ほんとですか?ご迷惑でなければぜひ」「迷惑なんてことないわよ、ねぇ、あなた」「ああ、うん」顔を合わせるのは今日で二回目のはずなのに、すっかり打ち解けた様子の妻と田中君に、はっきり嫉妬と呼べる感情を抱いていることに気づいた私は生返事を返すことしかできず、すっかり温くなったビールを一気に喉に流し込みました。「それにしても」教務棟の階段を登りながら、私はつぶやき首を傾げていました。昨日の妻と田中君の様子に、どうしても腑に落ちないものがあったからです。いくらなんでも親しすぎる。そう、親しすぎやしないか。教務室のドアを開け、心の中で繰り返しました。そう考えると、胸の奥に押しとどめていたとめどなく疑念が溢れて来ます。私は酔いつぶれて、自宅に運び込まれた日のことを思い出していました。あの晩、ソファに寝かされた後、小一時間で
...省略されました。
五月、連休前の勤務を終え帰宅すると、男物の靴が目に入りました。最近ではもう見慣れた30センチはあろうかというスニーカー。田中君が来ていることがすぐにわかりました。
「ただいま」
リビングのドアを開けると、テーブルを挟んで向かい合い談笑していた妻と田中君が揃って私のほうに顔を向けました。
「おかえりなさい」
「お邪魔してます。お疲れ様でした」
「いらっしゃい」とだけ答えると、寝室に入り着替えました。
初めのころは田中君を招待する度に許可を求めていた妻ですが、最近は様子が違ってきました。
「お招きしてもいい?」がいつの間にか「呼んでもいいでしょう?」になり、最近では「明日、みえることになってるからね」といった具合です。
そのことに腹を立てたり、不満を感じているわけではありません。彼は知れば知るほど、礼儀正しく、誠実で、思いやりのある好青年でした。彼と酒を酌み交わし、世間話をしたり、時に議論を交わす時間は、私にとって楽しみのひとつになっていました。
ただ私以上に妻が、彼の来訪を心待ちにし、彼と過ごす時間を楽しんでいるように見えることに、どこか引っ掛かりを感じていたのです。
これが単なる嫉妬であれば、私も大して気にもしなかったのでしょうが、そうでないことがもやもやの原因だと感じていました。
その原因というのは、あれ以来、時折湧き上がってくる妄想です。
妻が彼に抱かれて乱れている姿を想像してしまうことが、彼と親しくなればなるほど増えていきました。
しかも、そんな自分に戸惑うばかりだった最初の頃に比べ、最近では明らかに興奮を覚えてしまっていることに気づいたのです。
自分は変態なのだろうか。
心配になって調べました。そして「寝取られ」の意味を知りました。言葉では耳にしたことがありましたが、その意味を知り、そのジャンルが一定のニーズがあることを知って、自分が人の道を外れるほどの変態、鬼畜でないことにとりあえず安心しました。その後、さまざまなサイトや掲示板を覗くうちに、私の「寝取られ」願望は日増しに高まっていったのです。
着替えを終えてリビングに戻ると、妻が夕食をテーブルに並べているところでした。今日の妻は胸元がV字に開いた薄手のカットソーにソフトデニムのジーンズという服装です。普段着といえばそうなのですが、上下ともに肌にぴったりとはりついて体のラインを強調するコーディネートです。
実際、皿を田中君の前に置くときには、シャツの胸元から妻のDカップの谷間が露になり、それに気づいた妻と彼が一瞬目を合わせ、お互いに頬を赤らめ視線を逸らせるのがわかりました。以前であれば気づきもしなかった、本当に刹那の出来事なのですが、寝取られ願望に目覚めてからは、そんな瞬間ばかりを捜し求め目で追うようになっていました。
そして、今では確信していました。
妻は田中君に男性を感じ、田中君も妻を女として見ている。さらに、それに戸惑うどころか、興奮を覚えている自分がいることを。
この頃から私の中に、ある計画が湧き上がっていました。