今年もいつものように、いつもの場所に、きれいな桜が咲いた。
桜の花が咲き始めると、いつも優美を思い出す。
あれからもう5年の歳月が流れた。
遠い町に行ってしまった。
元気にしてるだろうか?
ご主人とはうまくいっているだろうか?
残り少ない己の人生を思うと、男女の出会いの不思議さ、刹那さ、残酷さを思わざるをえない。
彼女は32歳の若妻だった。
私は還暦を迎えたばかりの、初老の親父だ。
ある家電メーカを退職して、地元の田舎で妻と小さな電器店を営んでいる。
田舎であるがゆえに、住民の半分近くが高齢者の人たちだ。
小回りの利く私の仕事は、皆さんに信頼され、重宝され、それなりの生活をしている。
仕事が有ること、出来ることに日々感謝をしている。
彼女と出会ったのは桜の満開の時期だった。
仕事帰りの道すがら、狭い駐車場の隅で乳母車を溝に落として途方にくれている彼女が目にはいった。
路肩に車を止めて、乳母車の方へ近づくと、中には生後3ヶ月位の赤ん坊が乗っていた。
その異常さに大きな声で泣きじゃくっていた。
肩越しに声をかけると、驚いたように振り向く彼女の髪に桜の花が舞い降りていた。
不安そうな顔には、涙が溢れていた。
整った美しい顔が、なぜか強く印象に残った。
そのときは気づかなかった。
私の容姿が、田舎のお爺ちゃんと見て取ったのか、「有難うございます」と言う声の表情から安堵の気持ちが伝わってきた。
話では、ご主人の転勤で数週間前に、この地に引っ越してきたとのこと。
知り合いがいない田舎町で寂しさを紛らすために、桜見をしようと公園に来たと言う。
名前を聞くと、優美といった。
お父さんが大好きだった桜にちなんで、桜の花言葉をそのまま名前にしたそうだ。
数週間が過ぎ去った頃、偶然に近くのスーパーで買い物をする姿をみかけた。
挨拶をすると、丁寧なお礼の挨拶がかえってきた。
彼女の笑顔がまぶしかった。
会った時とはまた違う雰囲気の美しさを表していた。
立ち話するなか、同じアパートの同世代の女性と知り合うことが出来たこと。
散歩するうちに、多くの人たちと顔見知りになったと楽しく話してくれた。
年寄りの多い田舎町では、若い人がちやほやされるのは当り前のことではある。
仕事柄、途中、何度か姿を見かけると気楽に挨拶を交わすような仲になった。
数ヵ月後、雨上がりの暑い日、優美さんから私の携帯に電話があった。
テレビの映りが悪いので、ついでの時にでも見に来て欲しいとの事だった。
高齢者が多い田舎町では、若い人と話せることだけでも有難いいことだった。
しかも自分の得意分野で貢献できることは、たやすいことだった。
その後も色々な頼まれことで、優美さんのアパートを訪れることがあった。
6月の梅雨時の頃、パソコンの調子が悪いので見て欲しいと連絡が入った。
アパートに伺うと、衣替えの季節なのか、かなり露出度の高い衣服をまとっていた。
上はタンクトップ、下はショートパンツ姿の長いなま脚に、目のやり場に困った。
とりあえずパソコンを起動し動作チエックに入るとあまりのスピードの遅さに驚いた。
調子が悪いとはソフトの立ち上がりがあまりに遅く、個々の動作も遅くなる症状だった。
色々なアプリケーションが入っていたが、それぞれの必要性を確認しながら不要なソフトを削除していった。
ファイルの断片化、セキュリテイソフト等の確認と改善を行った。
飛躍的にスピードは改善された。
左側の椅子に座る彼女の内から立ちのぼるほのかな体臭に、心地よい興奮を覚えた。
私の指示に従いながらパソコンを操作する彼女のうなじが、汗ばんでいた。
うなじからタンクトップの隙間へと見え隠れする乳房に、釘付けになってしまった。
今でもそのときの興奮が、脳裏に焼きついている。
丸く盛りあがった乳房にまとわりつくように浮き出た青い血管のコントラストに、今更ながら女の体の神秘的な美しさをうかがい知ったようなきがした。
何十年ぶりだろう、こんなに身近に興奮し胸騒ぎを覚えたのは。
その変化は、私の心から肉体へと確たる現象が生じていた。
とっくの昔に、家内とは夜の生活はなくなっていた。
枯れ果てた自分の肉体が、こんなかたちで蘇ってくるとは思ってもいなかった。
気づかれまいと足早に彼女の家を出た後も、しばらくはその光景が頭から離れることがなかった。
それから数週間後、梅雨空の朝、携帯に思いがけない電話があった。
相談したいことがあるので、よければ昼過ぎにアパートに来て欲しいと言った。
電話からは、赤ん坊の泣きじゃくる声がする。
何かに思いつめたような、元気のない声だった。