2017/08/11 20:15:58
(uNPYvDrj)
今回は年齢を書きます。私が30歳ちょうどになった時のお話です。この話も、偶然というものがきっかけで、思わぬ展開になっていくストーリーとなります。そして一人称は僕→俺→私へと変化させます。
私はバイクが好きで、CBR900rrというバイクに乗っていた事があります。では早速、最初の衝撃シーンから書いていきます。
私がバイクで遠方に一人でツーリングに行った帰りの話です。夜の23時ころになっており、自宅へのバス通りを一直線に飛ばし、その左側の側道を入って自宅のほうに帰るのですが、その時、記憶では時速80キロくらい出していました。
そしてそのままスイスイと側道にはいり、ブレーキをかけ、今度は左折をするのがいつもの帰りみちなんですけど、疲れていたのかその時、ハンドルを切るというか、正しくは車体を傾ける動作が遅れてしまい、そのまま右ハンドルと、側道入り口の壁がぶつかってしまい、そのままハンドルがとられて、ギュオワ!!!!!!っていう音がしたかと思うと、私は意識を失ってしまいました。
次に意識が回復したところ、パトカーか救急車かの赤色灯がぐるぐると夜の街中を照らし、10数名くらいのギャラリーに見守られる中、私は体中の激痛とともに、地面に横たわり、「ヴ・・・・・ぉおおお・・・・」等と言ってました。
救急隊員が、「右手首、変形あり。左なんとか骨折の可能性」となにか言っていました。そしてストレッチャーという担架が運ばれ、私は数名の救急隊員にそれにのせられ、体を固定されたのです。
(事故ってしまった・・)といえば簡単ですが、この時のカラダの激痛といえば今まで味わったことのないくらいのものでした。救急車で救急救命センターへと運ばれる途中、救急車がブレーキをかけるたびに、その圧力が私のカラダ全体へと伝わり、腰、背中、を中心に、グオオオオオオアアアア!!!!って激痛が走るのです。
救急車は「救急車とおります。道をあけてください」とおなじみのアナウンスを鳴らして走っていました。事故のショックで意識が朦朧とする中、(今、車の人、俺の為に道あけてくれてるんだ・・・)と、いいしれぬ感謝の気持ちに満ち溢れてました。
そして俺はまた意識を失いました。そして次に目覚めたのは酸素マスクをつけた状態で、右手、左ひじ、をギブスでまかれた状態の、哀れな自分の姿をもって目を覚ましたのです。
結果、右手のトウ骨というのと、トウ尺骨の骨折、左肘に陥没骨折。背中の何番目かの部分の横突起骨折、医者がいうのは、この骨折した横突起が脊髄のほうに刺さっていってたら間違いなく半身不随になっていただろう。との事でした。
全治3か月。私はそれから最初の10日間は緊急救命室で生活をし、残りの2か月を通常の部屋で入院生活をしました。
もともと前置きが長いとご指摘を受けやすい私の文章でありますので、事故のシーンはこれくらいにして、では本題に入っていこうと思います。
次回へ続く