2016/04/16 17:33:19
(9WyLPL21)
●俺が中1の頃の話②
遅くなりましたが体調が良くなったら1日で書き上がっちゃいました。
今まで書いて直してた部分が多かったおかげかな?
読み返したので、たぶん大丈夫だと思います。
△両親旅行中の夏休み2日目以降ですが、明るいうちは性行為を出来ませんでした。
妹の学校関連の予定と家事や用事に追い回され、俺が欲情する余裕が無かったからです。
非エロ話になる生活の時代背景や一日の過ごし方を、最初にまとめて書いてしまいます。
・家電ほか一般家事
洗濯機は2槽式、洗濯槽で洗って脱水槽に移し替えて脱水という2度手間な洗濯機、乾燥機は無く、
屋外の物干しに干すのですが、日暮れ前に取り込まないと湿気るので、午前中に干さないといけない。
電子レンジや電気ポッドや食洗機なんて聞いた事すら無くて、煮炊きは全てガスコンロ、
使った食器や調理器具はすべて手洗い、しかも水道から出るのは冷たい水だけといった感じ。
保温ポットは有ったので、お茶などに使った残り湯が有れば、それを使えましたけど。
風呂を沸かすのは薪、小1時間も薪を焚かないと入浴出来る温度にならないので、冷めないうちに
次々と入浴するのが基本だが、保温が必要な時は入浴後に経験から覚えた量の薪を追加しておく。
親父の帰宅が遅い日には、帰宅予定時間に合わせた量の薪を追加するのは俺の役目になっていた。
(以前は兄と交代でしていましたが、兄が受験体制になってから俺の役目になった)
・買い物
現在のようにコンビニや大きなスーパーなんて近所に有りませんでした。
徒歩30分・自転車で15分(片道)の○○商店という名の小規模スーパー1件のみ。
営業時間は朝9時半~夕方6時、売っているのは肉・魚・野菜・果物・弁当・惣菜・パン・菓子。
地方電鉄の大手スーパーやコンビニが出来始めたのは俺が中学の頃でしたが、
どちらもとなり駅の近くで、小中学校(徒歩40分、走って30分)より遠かった。
・2日目以降の俺と妹の生活(1日の概要)
朝6時過ぎ~、俺は起きて夕食の片付けと、朝食を温め直して食えるまでに準備
(ラジオ体操後には、お腹が空くので帰宅して直ぐ食べられるようにした)
朝7時過ぎ、妹を起こして着替えさせラジオ体操へ。俺も付き添って行く
(1人で行った事の無い妹が1人で行くのを嫌がり、中学になった俺も付き添いで参加していた)
朝7時半~、2人でラジオ体操へ参加
朝8時頃~、朝食を温めながら、あらかじめ準備していた洗濯を開始し、朝食を食べ、洗濯物を脱水する。
朝8時半過ぎ~、洗濯物を干して、作物へ水遣り、水田の水を入れる(昼過ぎ~夕方に止める)
(徐々に気温が上がって来るので、休憩入れながら、ゆっくりやっていた)
※ 3日目は登校日だったので、農作物の水管理を慌ててして、9時過ぎには家を出る(登校10時)
帰宅が昼を過ぎるので、帰りにピクニック気分で食う予定で弁当とオヤツを持って行った。
挿入行為の影響を心配して俺も付き添い登校、案の定妹が「挿入感覚が残っていて歩きにくい」と
言い始め、幸い通学路には誰も居なかったので小学校手前まで妹をオンブして登校した。
帰りは途中の田んぼのアゼで弁当食べたりオヤツ食べたり、道草しながら3時間以上かけて帰宅した。
昼前10時~、午前のオヤツ、そのあと休憩がてら妹の外遊びに付き合う。
(欲情する気が起きないし、家に居るのに全く外遊びしないのも不自然なので)
昼前11時過ぎ頃~昼食準備して、出来たら12時を待たずに食べて、TV見ながら昼休み。
(住んでいた地区は、一番暑い時間帯には作業もしないし、外遊びもしないのが常識でした)
午後3時頃、水田の水が充分な田んぼは水を止め、その後で午後のオヤツ
オヤツ後は水の貯まりが悪い水田回りを妹と散歩しながら水を止められるまで待つ。
午後5時頃~、風呂を炊きながら夕食準備、夕食後に入浴
俺に欲情する余裕が出るのはこの頃から、時刻で言うと夕方6時半頃から夜11時~0時の間。
一緒に入浴する妹の全裸で欲情し始めるのですが、夜7時~9時はTVのゴールデンタイム、
妹はTVを見たがり行為を渋ります。
そんな中での2日目以降の性行為ですが、行為は初日とさほど変わらないので要点のみにします。
◎両親旅行中の夏休み2日目以降と、以後の夏休み。
挿入行為をした翌朝に、寝起きの妹が訴えていた一言が有ります。
「お兄ちゃんのが、まだアソコに入っているみたいな感じがする」
体調を聞くと他は悪くなさそう、熱も無いし動きも悪くは無かったのでラジオ体操に行かせました。
妹は体に残る挿入の感覚を気にしつつラジオ体操をしていましたが、いつもより下手でした。
羞恥プレイっぽいと思いましたが、監督役のPTA役員の目が気になり欲情はしなかった。
妹の体操は、寝ぼけ眼で体操をしている子とそう変わらなかったので怪しまれはしなかったようです。
PTA役員から「夜ふかしは程々にね」と言われましたけど、寝不足のせいじゃ無いし。
夜の短時間しか行為の時間が取れないので、無駄な行動や移動などを極力省く事にしました。
TVが有る居間に俺の布団と行為に必要な物を持ち込みました。
部屋の並びがトイレ浴室・台所食卓・居間でしたので何をするにも便利。
行為途中の中断要因だった風呂の追い焚きは、夕方の入浴後に薪を多めに焚く事で解消。
入浴後はパジャマに着替えるのが常でしたが、2人とも朝まで全裸で過ごす事にしました。
「夏でも冷えるんじゃないか?」「暑くて寝れないんじゃないか?」と疑問に思う方も居ると思いますが、
俺が住んでいる地域は寒冷地で明け方が冷えるので、夏でも寝る時は掛け布団が必須でした。
掛け布団をかけているので裸でも冷えない、抱き合っていても充分寝られる気候でした。
最近は温暖化のせいか寝苦しい夜も増えましたけど、まだ掛け布団かけて寝れます。
夕方以降を時系列順に並べてみます。 毎夜↓のような生活でした。
6時頃夕食⇒夕食後入浴⇒妹は全裸で居間の布団へ、俺も全裸で風呂を追い焚きしてから居間へ⇒
7時頃から居間の布団でTVを見る(俺もTVを見るけど、妹の体を愛撫し始める事が多かった)⇒
9時から挿入に向けた性行為(フライング有り、8時半過ぎから挿入を始める日も有った)⇒
行為後は後戯がてら妹の性器ダメージをチェック⇒10時半頃から性行為後の入浴⇒
11時頃に全裸で妹を抱っこして寝付かせてから就寝。
挿入は毎晩1回だけでしたが、初挿入の日から5日間連続で挿入しました。
妹は毎日渋りましたが褒めて口説いて懇願して日に1回だけ挿入させてもらい、毎回中出ししました。
1秒でも長く入れていたい、なるべく奥まで入れたい、しかし動き過ぎると直ぐに逝ってしまう、
いくらかは快感に慣れて来ましたが、挿入だけで逝ってしまい、抽送までは出来ませんでした。
ほとんどの時間は妹の膨らんだ乳輪や陰部への愛撫に終始しました。
妹の性器粘膜に陰茎先をあてがってから挿入まで時間がかかるのは変わらなかった。
挿入してから逝くまで最長でも5分と持たないのも変わらなかった。
この5日間で妹の膣が俺の陰茎を受け入れたのは陰茎の3分の1くらい、4cm程度でした。
陰茎中程の最も太い部分を妹の狭締な膣口がどうしても受け入れなかった。
カリと同じ直径3cmくらいですが、カリの最も太い部分は長さ数mmなのに対し、
陰茎中程の最も太い部分は長さが3cm近く続くせいか、妹の狭締な膣口が受け入れませんでした。
妹の性器全体が凹んで見える程に押し付けてもみましたが、膣口には入って行かなかった。
妹は痛がって泣き抗うし、俺の陰茎も折れそうになるし、焦って深く挿入するのは止めました。
行為さえ続けられれば、いずれ膣奥まで入るようになると思っていましたし。
最終日の両親の帰宅予定は未定だったため、6日目は両親の帰宅に備えて掃除しました。
特に居間は、寝起きや性行為の痕跡を消すために半日以上掃除をした。
窓やドアを開け放ち空気を入れ替えながら、畳に掃除機かけて濡れ雑巾で拭き掃除までしました。
両親に頼まれた用事も、翌日じゃないといけない事以外、全てを終わらせました。
妹は両親に変調を気づかれないように丸一日家事や用事を休ませていました。
最終日の両親の帰宅は早く「昼食の準備しなきゃなぁ」と思っていた頃に帰ってきました。
妹は母に甘えて離れなくなり、母が怪しがらないかとヒヤヒヤしましたが、母は長く離れていたせいだと
思ったようで、両親は少しの不信感も持たなかったみたいです。
両親が帰って数日間は、妹が母にまとわり付いていたので機会が有りませんでした。
お盆になると祖母が叔母や従姉弟と一緒に帰宅、もう一人の叔母と従姉妹も来て連泊したので、
妹との性行為が出来る状況では有りませんでした。
夏休みの残り数日も少なく、機会が無いまま夏休みが終わりました。
俺の住む地域は、高校以上は全国平均並みでしたが、小中学校の夏休みは短かった。
夏休みの始まりは7月25日過ぎ、終わりは8月20日頃、25日無かったかもしれません
代わりなのか? 稲刈り休み(9月終わり)と寒中休み(2月終わり)が有りましたけど。
◎2学期以後の行為
夏休み以後の行為ですが、挿入は時間が取れる土日祝日、出来て週1回ほどになりました。
時間かけないと膣口が緩まず挿入出来ないので、2時間以上2人になれないと挿入まで出来ないし、
妹が連日隔日の行為を嫌がり土日や連休が有っても1回しか出来なかったから。
数日の間を空けると従順に受け入れてくれましたけど、10月に祖母が帰ってきてからは、
どうしても時間の取れない週も出てきたので、この頃は月に3~4回ペースかな?
そんなペースでも2学期が終わる頃には妹の膣は俺の陰茎を割合スムーズに受け入れるようになり、
俺も気持ち良過ぎる膣内にも慣れてきて、挿入後10分以上持つようになってきました。
相変わらず抽送はほとんど出来ませんし、挿入の深さも代わり映えしませんでしたけど。
妹は、苦痛は和らいだようでしたが、積極的になれるほど楽な行為では無さそうでした。
サイズ的に無理が有る行為では有ったので、そうそう慣れはしないと思ってはいました。
行為中の妹は、苦痛の呻きは少なくなりましたが、我慢しているのは相変わらず感じられました。
それでも妹が俺の欲望を受け入れ続けてくれていたのは何故なのか?
あの頃の俺には解りませんでしたが、兄妹愛と異性愛の境が曖昧な時期から性行為を繰り返した事により、
俺は妹の中で兄兼恋人のような感覚になっていたのでは無いでしょうか?
俺は妹をその気にさせるために、しょっちゅう「好きだ」とか「愛している」と囁いていましたし、
事後には次の行為に繋げるため、受け入れてくれた事を感謝する言葉をかけ、女としての妹の性格や
体を褒めちぎって賛え、イチャイチャ出来るほど良い気分にさせてから終わらせていました。
元々仲が良すぎる兄妹関係だったので、他人には照れて言えない事も妹には言えましたから!
妹が兄妹愛と異性愛を混同していったとしても不思議じゃ有りません。
冬休みは2人の時間は取れませんでした。
年末は買い物や大掃除に駆り出され、正月は家族揃っての行動が多く、やっと2人きりの時間が取れる
頃に冬休みが終わりましたから。
機会が多かったのは寒中休業中、寒くて外遊びに出られないので屋内の遊びが中心になったし。
年度終わり近いので母がPTA関連の会合などに出席するため、午後の外出が多かったから。
挿入に慣れてきた妹は俺の無理を聞いてくれて、日に1回に近い頻度で挿入させてくれた。
相変わらず挿入するだけで、ロクに抽送できない状態だったので負担は少ないようでした。
挿入から逝くまで15分と持ちませんでしたけど。
春休みに兄が1年目の報告に家に帰ってきました。
妹との行為的には邪魔物な兄ですが、短い春休みだし1年ぶりなのでと笑って許しましたが。
一度も帰ってこなかったのは、大学ともサークル等の交流が有って祝日などには出席していて、
長期休業中は観光地などで住み込みのアルバイトをしていたので帰る間が無かったそうです。
日に1L以上飲んでいた牛乳の成果なのか、寮の水が合っていたのかは解りませんけど、
俺より10cm以上身長が低かった兄は、1年で俺と同じくらいまで背が伸びていました。
兄は「年10cm以上伸びると体が痛い」と言っていましたが、俺には未知の世界です。
俺の場合、年7~8cmのペースで小学校の6年間かけて伸びたせいか体が痛む事は無かった。
俺は中学入学頃から背の伸びが停滞し始め、中学入学時の身体測定で170cmちょうどでしたが、
小学生で伸び代を使い果たしたらしく、中学・高校の6年間の背の伸びが、たった3cmでした。
ちなみに今の身長は174cm、高校卒業後は1cm伸びただけ。
兄は高校卒業するまで同じ調子で伸び続け、最終的な俺との身長差は14cmにもなりました。
さて、肝心の妹の成長ですが、3年ほど前から成長が(性徴も?)停滞していました。
3年間の妹の背の伸びは、せいぜい年2~3cmだったと思います(同年平均は5~6cm)
クラスで身長が低い順に並ぶと中程だった妹は、3年ほどで前から2番目になっていました。
しかし2学期に入ってから成長が回復し始めたらしく、妹は徐々に後ろの方へ下がっていきました。
春休み前の妹の列中の立ち位置は真ん中近く、平均身長に近い身長になっていたと思います。
状況から夏休みが過ぎた頃から徐々に背の伸びが回復していったと思われますが、胸の性徴に触発され
成長のスパートが始まったとも思えますが、それにしては胸の成長から数ヶ月のズレが有ります。
俺には膣への挿入と膣内射精した俺の精に触発されて妹の体が成長を回復したように思えました。
まるで膣内に受け入れた俺の精を受精するために、妹の体が成長を急ぎ始めたように思えました。
妹の背の伸びは月毎に感じる程でしたが、他の成長と女性的な性徴の方は非常にゆっくりでした。
世間一般で女性的と言われるプロポーションに特徴的なのは、やはり腰の大きさだと思いますが、
女性的な腰幅は、肩幅と同じか、それ以上、たぶん30cm以上有るんじゃないでしょうか?
この頃の妹の腰幅は、胸幅とさほど変わらない程度しか有りません、たぶん20cm前後。
厚みも性徴し始めた子に比べると、尻の脂肪付きの分だけ妹の方が小さい。
俺が3歳頃に放映され、再放送が繰り返されていたTVアニメにキューテーハニーが有りますが、
倖田來未も歌っていたキューティーハニーの歌に“お尻の小さな女の子”の1節が有ります。
初代TVアニメの頃から思っていましたが「嘘付くなハニー!お前の尻はデカいだろ!!」
もちろん佐藤江梨子の尻も倖田來未の尻も、俺に言わせるとみんなデカい!
性徴が発露していた妹の胸も、性徴し始めて1年近く経つのに思ったよりは大きくなりませんでした。
膨らみは乳輪(直径2cm弱、高さ7~8mm)を含めて、片乳の広さ4cm弱、高さ2cm強ほど。
仰向けに寝ると乳輪以外の膨らみは解らなくなりました。
残りは性器ですが、外観が少し変化してきました。
陰核包皮と小陰唇が大陰唇の合わさり目から顔を覗かせるようになりました。
1本線の時も有りますが、濡れると大陰唇の合わさり目のくっ付きが緩むようで見える事が多かった。
顔を覗かせるのは幅1mm程度、小陰唇の長さがまだ短く、割れ目の3分の1程度まで。
そして陰核包皮と小陰唇の先が少しだけ色素沈着し始めました。
●俺が中2の頃の話に続く