2018/07/19 12:59:11
(y1yYBYf.)
すみません、長過ぎたのか途中で切れてますね。
切れてる行から上げておきます。
掃除のやり直しになれば、最初からキッチリ掃除するより時間がかかりますからね。
それはチェック担当場所の掃除をする生徒達への指導にも現れていました。
掃除の仕方から上手い手の抜き方まで手取り足取り、先生のチェックが1発で通るように、
俺の担当部署での再掃除は1回も無かったんじゃないかな?
そのせいなのか、掃除のチェック担当部署の後輩からは慕われるようになりましたね。
世の中には、そんな俺の仕事ぶりを目敏く見ていて評価する人が居まして・・・
陸上部顧問のI澤先生なんですがね、じつは清掃委員の顧問(副顧問だったっけ?)
でも有りました。
I澤先生は、俺が中2の3学期頃から俺に色々と用事を頼むようになってきました。
どうも、俺になら安心して仕事を任せられると思われていたフシが有ります。
一刻も早く下校して、下校途中の妹と合流したい俺にとっては大迷惑な話。
最初は委員に関わる用事だけだったのですが、そのうちに委員外の仕事まで頼まれ始め、
頼まれると中々嫌と言えなかった俺は、引き受けた仕事をキッチリ終わらせるうちに、
I澤先生の俺への信頼が更に上がって、翌年の清掃委員副委員長に内定してしまいました。
本来、次期副委員長は先生と正副委員長の指名で1年(翌2年)の委員から1人選出される
のですが、良い人材が居なくて、サポート&指導役として仕事に慣れた2年(翌3年)
を2人目の副委員長として付ける事になり、それに俺が選ばれてしまったんです。
2年の副委員長は翌々年度の委員長候補なので、サポート&指導役は大任です。
出来れば断りたかったのですが、俺の目から見ても他に出来そうな人が居なかったので、
断る事も出来ず引き受けてしまいました。
まぁ、仕事的には2年の副の裏方的立場なので、まだ楽でしたけどね。
I澤先生に頼まれる仕事をキッチリ終わらせる俺の仕事ぶりは、他の先生方にも
知られるようになり、他の先生方も用事を頼んでくる事が増えましたが、さすがにやり切れないので、
I澤先生から以外の、特に大きな仕事は断るようになりましたが、1つだけ大きな仕事を引き受け
ました。
正式名称は忘れましたが、新入生に関わる委員です。
仕事内容は新入生の入学準備から新生活に慣れるまでの補佐みたいな仕事でした。
ナゼこの仕事だけ引き受けたかと言うと、新入生には妹が居るからです。
俺と妹が通っていた中学は、1・2年のクラスが有る校舎と3年のクラスが有る校舎は、
生徒の登校口から真反対の方向に有り、校内での1年と3年の接点が全く無い作りでした。
つまり、俺がただの3年だと妹のクラスが有る校舎にフラフラ立ち入る事が出来無いのですが、
新入生に関わる委員になれば堂々と出入り出来る名目になるんです。
そう思って引き受けちゃいました。
※ 部活や委員の用事で出入りする事は出来ましたが、俺は部活を休部状態でしたし、
清掃委員じゃ1年のクラスに行かなければいけない用事なんて、ほぼ無かった。
という事で、中2の2月に入った辺りから、徐々に中学内での仕事が多くなり、
新入生を迎えた4月からは、毎日のように放課後に残るハメになり、休日は平日の疲れから、
農作業の合間は仮眠や昼寝を取るようになって、時間的・体力的に、妹に挿入行為をする事が
出来なくなってしまったんです。
まぁ、悪い事ばかりじゃなかったけど。
仕事で関わった同級生や後輩達が、俺の人柄と能力を知った事で、学校内での俺の株が急上昇
しました。
新入生に関わる仕事をした事で「友達がお兄ちゃんの事褒めていたよ」とゆうような話を、
妹から良く聞くようになりました。
どうも妹の親しい友達だけじゃなく、妹の周りで俺に憧れている発言をする人が多数居たらしい。
女子生徒だけじゃなくて男子生徒も・・・。
(あんな兄が欲しい、憧れるといった意見が多かったらしい)
俺の妹という事で、妹も中学内で一目置かれるようになったようです。
妹も自慢に思っていたようで、嬉しそうに同級生から聞いた俺への評価を話していた。
俺の人気の急上昇が解る話がもう1つ。
中2までの俺は、決してモテる存在ではありませんでした。
バレンタインに義理でもチョコを貰った事が無いくらいの非モテ振りです。
それが、中3のバレンタインは違うクラスの同学年女子数人から“人生初”の本命らしき
バレンタインチョコを何個か貰い、バレンタイン前の日曜には、下級生の数人がチョコを
渡すために俺の家に凸して来た。
たぶん3年のクラスが有る校舎は3年のクラスだけで1・2年が出入りしにくいからでしょう。
高校以降まで続く俺の第1次?モテ期の始まりです。
※ 妹は、俺が本命らしきチョコを貰ったとは知らないと思います。
家に凸された日は母と出かけていましたから、家まで渡しに来たとは知りませんし、
貰ったチョコは「義理チョコ貰った~」と言って、妹と一緒に食べましたからね。
(考えに考えて自然な言い方を練習しての「義理チョコ貰った~」です)
もう一つの諸事情、祖母の退院の件に話を移します。
年度変わりが清掃委員副委員長の仕事と新入生の世話役で慌ただしかったので、
俺の楽しみはゴールデンウィークに向けられていました。
この年のゴールデンウィークはカレンダー通りの飛び石連休。
両親は4月下旬から副業に行っていましたから、休み前日の夜も含めれば
5時間前後の機会が8回(8日)も有りました。
・・・退院した祖母が帰宅するのがゴールデンウィーク前日じゃなければね。
祖母の帰宅と共に、俺の部屋では妹との挿入行為が出来なくなりました。
何しろ祖母の部屋は俺の部屋の隣室で、間には障子戸2枚と幅1m強の狭い廊下しか有りません。
春休み中の妹は、挿入行為での膣内性感を感じ始めていて、俺の抽送の動きで、どんな感じ方を
するか、妹自身でさえ解っていないような状態でしたから、俺の部屋で妹に挿入行為をするのは
危険過ぎ、思わぬ反応が出てしまって祖母にバレてしまえば、妹との関係どころか考えるのも
恐ろしい事になりますからね。
俺の部屋という都合の良い妹との性交部屋での性行為をやり慣れてしまうと、他の部屋では
満足できる性行為が出来ません。
家の中で他に性行為に使えそうな部屋は奥座敷くらいでしたが、色々と問題が有りました。
幼少期には遊びの名目で使えた奥座敷ですが、自室を持つ中学の兄妹が2人で頻繁に出入り
するのは怪し過ぎます。
俺の部屋は俺の匂いが染み付いていて当然ですが、奥座敷に頻繁に出入りして性行為に使えば、
こもった匂いでバレる可能性も有ります。
そして、俺の部屋では全て揃っている妹との性行為用のモノ全てを、その度に運び入れて
片付けるという面倒な問題も有ります。
どうしようかと悩みながら、機会は逃さず、俺の部屋で妹に軽い愛撫だけを繰り返すうちに
ゴールデンウィークが終わってしまいました。
使うのが面倒な奥座敷を使うか、性行為を諦めるかの選択を迫られた俺は、長々と悩んだ末、
第3の案に行き着きます。
それは、隣室に祖母が居る俺の部屋で挿入行為を続けるという案です。
退院して来た祖母の生態(?)を観察していると「案外イケるんじゃね?」と、
思い始めました。
祖母は炊事洗濯や農作業をする時以外は、部屋で座椅子に座ってTVを見ていました。
TVを点けてうたた寝している時も有りましたが、ちゃんと起きている時も有ります。
そんな祖母に食事などを知らせに行っても、部屋の外から大きな声をかけただけでは
気付きませんでした。
部屋の障子戸を開けて、祖母がこちらに気付いてから要件を言わないと気付かない感じ
だったんです。
俺は試しに、廊下をドスドス歩いて呼びに行ったり、宇宙戦艦ヤマトの主題歌を歌いながら
腰に手を当てリズミカルにスキップして呼びに行ったり、気合を入れながら連続横飛び蹴りを
して呼びに行ったりしてみましたが、祖母は障子戸を開けるまで気付いていないようでした。
年齢なりに少しは耳が遠い祖母でしたが、普通の声で会話は出来ていました。
どうも、部屋に入ると部屋の外の音が気にならないのか、気にしないのか?
TVの音に紛れて聞こえにくいのか解りませんが、部屋の外で多少の物音や声がしても、
祖母は気が付かないようだったんです。
そんな祖母が一番長く部屋に居るのは、夕食後に部屋に入ってから就寝前に入る入浴までの時間、
19時前後から深夜1時頃までです。
時間的には両親が副業に行っている性行為に最適な時間帯。
その時間帯の祖母はトイレにすら出て来なかった。
そんな祖母の生態(?)が解って来たのは、祖母の帰宅から2ヶ月以上経った7月中頃、
両親は最後の2ヶ月になる副業に行き始めていました。
俺は自分の部屋での妹への挿入行為を再開する事に決めました。
時間は前年と同じ両親が副業中の夕方から夜(夕食後のTV鑑賞中から23時頃まで)
前年と違うのは行為前の入浴を一緒に入れない事くらいでしょうか?
妹は胸が膨らみ始める少し前から一人で入浴をするようになっていました。
妹の羞恥心が芽生えてきたという事も有りますが、家族内の雰囲気と言うか、
「いつまで一緒に入るの?」という空気?
が増して来て、日常では別々に入浴するようになったんです。
以前にも書いたと思いますが、我が家は夕食前後が日常的な入浴の時間。
我が家の浴室は台所前の廊下を通らないと行けない作りです。
夕食前後ですから、台所(食卓)には母や祖母が夕食の準備や片付けをしています。
母が副業に行く日でも、祖母が夕食の準備や片付けをしていました。
その台所前を2人で通って入浴は出来ません。
行為後の入浴は、両親が副業に行って留守ですし、祖母が部屋に篭っている時間帯なので、
祖母にバレないように俺の部屋の灯りとTVを点けっぱなしで、妹の部屋を通り抜けて
浴室に行けたので、一緒に入浴できましたけどね。
(前に書きましたが、妹の部屋と俺の部屋は襖1枚開ければ行き来が出来ました)
○この年度の夏休みの話(微エロ)
挿入行為再開へ向けての俺の行動は、夏休みに入ってからだったと記憶しています。
(初日からだったかは記憶に無い)
隣室に居る祖母の様子を伺いながら恐る恐るといった感じで、愛撫をしながら妹の服を
全て脱がそうとしたら、妹は俺の予想外に抵抗をしました。
大きな抵抗では有りませんでしたが、服を脱がせられたとしても、そのまま挿入行為を
続けられそうもない程の抵抗です。
全裸にされそうになった妹は、俺が挿入行為を望んでいると解ったんだと思います。
俺が妹に挿入する時は、妹の体全部を自分の体全部で感じながら妹の膣内に射精したかったので、
互いに全裸になっていましたからね。
俺は早急に妹との挿入行為を再開する事を諦めました。
※ 一度関係しているんだから無理矢理でも良いんじゃないかと思われる方へ。
妹には俺の子を“望んで”産んでもらいたかったので、俺の妹との性行為は
和姦を常としていました。
妹に堕胎不可能な時期まで妊娠を継続させ、妊娠がバレた後は誰にも相手を明かさせず、
唯一味方になる俺の助けを借りた形で、妹に俺(兄)の子を出産育児させるというのが
俺の最後の望みです。
それには妹が俺に従属するほど惚れていないと、「お兄ちゃんの子なら絶対産みたい」と思う
くらいの関係じゃないと無理でしょ?
それも有って時間をかけて妹を口説いて生での挿入行為を受け入れさせたんですからね。
強姦は、これまで築いた信頼関係を瓦解させる最悪な方法だと思っていました。
今考えれば、この頃の妹の抵抗の理由が解る気がします。
隣室に祖母が居る状況も有ると思いますが、前年度には妹の同級生の妊娠騒ぎが有りました。
事件が起こったのは妹が小6の3学期の終わりですが、噂が広がったのは、妹が中学に上がって
からだったと記憶していますから、時期的には挿入行為をしなくなった時期です。
妹は「自分が妊娠するのを恐れて兄(俺)は挿入しなくなった」と思ったでしょう。
まだ俺の女として堕ちてはいなかった妹は、正直ホッとしたんじゃないかな?
それが挿入行為をする前兆とも言える全裸にされそう⇒全裸にされたら挿入行為をされる。
関係を続ければ、いずれ妊娠⇒親バレ⇒世間バレ⇒怖い考え色々、抵抗して当たり前です。
この年の夏休みの前半は、妹の口説き直しに費やしたと記憶していますが、何分必死だったので
どうやって口説いたか、正直あまり覚えていません。
妹への挿入行為を再開できたのは、お盆過ぎだったと思います。
お盆前には口説き切れていませんでしたし、良い感じになって来たお盆には、叔母達がイトコ達を
連れて(義理の叔父達も)泊まりに来てしまい、俺と妹はイトコ達の相手をしなければならず、
妹を性行為に誘えませんでした。
結局、夏休み中に祖母が隣室に居る状況で妹に挿入できたのは5~6日だったと思います。
(夏休みが短い地域なので、お盆後の夏休みは1週間有る無し程度しか無い)
その5~6日の性行為は、不承不承性行為を受け入れた妹に、いきなりガッ付いた性行為を
する訳に行きませんし、隣室に祖母が居る状況での挿入行為ですから、欲望を抑えた大人し目の
挿入行為、それまでの欲求不満を解消できるほどの行為では有りませんでした。
俺は、欲求不満のモヤモヤを残したまま中3の2学期を迎えました。
△俺が中3の2学期
妹との関係再構築をしながら祖母が隣室に居る状況でのモヤモヤの残る妹への挿入行為ですが、
2学期に入ってから徐々に状況が好転していきました。
お盆に家に来た叔母達に、母が「祖母が家に居ると季節関係なく悪い癖(※)を出す」と、
(※ 農作業が気になって、し始めるとコンを詰めて仕事をする癖の事)
愚痴ったらしく、9月から祖母が叔母達の嫁ぎ先に行く事になったんです。
外出を嫌う祖母は最初渋っていましたが、娘(叔母)達に熱心に誘われて行く気になったようです。
※ 叔母達の舅姑が家に居たら行かなかったと思いますが、早くに亡くなったり、痴呆や体力低下で
老人介護施設に入居していたりで家に居なかったらしい。
お盆の時の話に俺は加わっていないので、詳しい話は解らないのですが、叔母達の嫁ぎ先の
お祭りに合わせて、9月から年末までは一番下の叔母の家へ、正月は一度家に帰って来て、
1月から4月末まで冬の気候の良い上の叔母の家へ行っていたと記憶しています。
俺と妹との挿入行為ですが、祖母が居なくなった事で、徐々に元の平常時ペースを取り戻して
行きましたが、両親が副業を辞めてしまったので、妹と長時間挿入行為をする機会は、
あまり有りませんでした。
この年度の9月から2月中旬までの平常時の妹との性行為は、
平日夕方~夜の4時間ほどで愛撫と挿入1回出来るかどうか(両親が居ると愛撫のみが多い)
土曜の午後に機会が有れば愛撫と挿入1~数回(両親が居ると愛撫のみになる場合が多い)
日曜に機会が有れば愛撫と挿入数回(両親が居ると愛撫のみになる場合が多い)
夏休み過ぎ唯一の季節休業の冬休みも、年末は大掃除と年越しの準備に狩り出され、
正月は3日から叔父叔母イトコが祖母を連れて泊まりに来て、久し振りに家族・親類が揃い
(前年は祖母の入院と両親の副業が有って来客を断ったから)
親族団欒の雰囲気が強かったから、妹と2人になる機会が無かった。
そんな中でも得られる機会は逃さずに妹を口説いて性行為をして妹との関係の再構築を
進めましたけどね。
2月になる頃には、俺と妹の関係は、ほぼ前年の春休み頃の関係に戻っていたと思います。
さて、話は少し前に戻りますが、この年度に父が転職しました。
妹との行為に関係無さそうな話ですが、この父の転職が、
最初で最後で最大の機会を生む事になります。
詳しい事は聞かなかったし、両親の話もうろ覚えで細かい事は覚えていません。
父は数年後にまた転職したので、この時の転職先がどんな会社かも良く知らない。
転職時期もハッキリ覚えていないが、俺が中3の年の10月か11月だったと思う。
ともかく父は転職し、1月中頃から1ヶ月半ほど仕事で海外に行っていました。
両親から仕事と聞いていましたが、ユルユルな行程だったらしく、父が帰国する前にと、
母を呼んでヨーロッパ旅行をする事になったんです。
(アンカレッジで父と合流すると母が言っていたのを今でも覚えている)
妹も中学に上がったし、中学生の兄妹2人、安心して留守番を任せられるとでも思ったのか?
両親はローマやギリシャに旅行に行ったらしく、今も家に観光ガイドや地図や写真が有る。
詳しい事は覚えていない俺ですが、この時思った事が有ります。
「景気が良いとは言え(バブル景気中です)羽振りの良い会社だな」
母は、俺と妹の寒中休業に合わせて、9日間の旅行に行く事になりました。
この年の中学の寒中休業の日程は2月23日(土)から3月3日(日)の9日間、
旅行は寒中休業の前日(2月22日)に、俺と妹が学校から帰宅する午後に出発。
(この日は終業式のみの半日登校)
帰りは寒中休業最終日の3月3日(日)の夜遅くに父と一緒に帰宅する予定でした。
寒中休業中の宿題というのは、短い休みですし、あまり多くは無い。
中学は代わりに学校主催のスケート教室への参加を奨励していたが、
少なくとも俺は行く気が無く、妹も一人で参加する気は無いようでした。
そんな寒中休業中、俺と妹2人きりの生活が9日間、学校が休みになる程の厳寒期、
よほど元気な子じゃないと家の外に出るのも嫌になる時期、中学生なら尚更です。
俺の期待が膨らまない訳が有りません。
結論から言うと、俺と妹の性行為歴で最大にエロい日々になりました。
※この日々の事は、繰り返しになる行為などは省略しますが、なるべく詳細に書きたいと思います。
俺が中3の頃の話②に続く