●俺が中1の頃の話② 遅くなりましたが体調が良くなったら1日で書き上がっちゃいました。今まで書いて直してた部分が多かったおかげかな?読み返したので、たぶん大丈夫だと思います。△両親旅行中の夏休み2日目以降ですが、明るいうちは性行為を出来ませんでした。妹の学校関連の予定と家事や用事に追い回され、俺が欲情する余裕が無かったからです。非エロ話になる生活の時代背景や一日の過ごし方を、最初にまとめて書いてしまいます。・家電ほか一般家事洗濯機は2槽式、洗濯槽で洗って脱水槽に移し替えて脱水という2度手間な洗濯機、乾燥機は無く、屋外の物干しに干すのですが、日暮れ前に取り込まないと湿気るので、午前中に干さないといけない。電子レンジや電気ポッドや食洗機なんて聞いた事すら無くて、煮炊きは全てガスコンロ、使った食器や調理器具はすべて手洗い、しかも水道から出るのは冷たい水だけといった感じ。保温ポットは有ったので、お茶などに使った残り湯が有れば、それを使えましたけど。風呂を沸かすのは薪、小1時間も薪を焚かないと入浴出来る温度にならないので、冷めないうちに次々と入浴するのが基本だが、保温が必要な時は入浴後に経験から覚えた量の薪を追加しておく。親父の帰宅が遅い日には、帰宅予定時間に合わせた量の薪を追加するのは俺の役目になっていた。(以前は兄と交代でしていましたが、兄が受験体制になってから俺の役目になった)・買い物 現在のようにコンビニや大きなスーパーなんて近所に有りませんでした。徒歩30分・自転車で15分(片道)の○○商店という名の小規模スーパー1件のみ。営業時間は朝9時半~夕方6時、売っているのは肉・魚・野菜・果物・弁当・惣菜・パン・菓子。 地方電鉄の大手スーパーやコンビニが出来始めたのは俺が中学の頃でしたが、どちらもとなり駅の近くで、小中学校(徒歩40分、走って30分)より遠かった。・2日目以降の俺と妹の生活(1日の概要)朝6時過ぎ~、俺は起きて夕食の片付けと、朝食を温め直して食えるまでに準備(ラジオ体操後には、お腹が空くので帰宅して直ぐ食べられるようにした)朝7時過ぎ、妹を起こして着替えさせラジオ体操へ。俺も付き添って行く(1人で行った事の無い妹が1人で行くのを嫌がり、中学になった俺も付き添いで参加していた)朝7時半~、2人でラジオ体操へ参加朝8時頃~、朝食を温めながら、あらかじめ準備していた洗濯を開始し、朝食を食べ、洗濯物を脱水する。朝8時半過ぎ~、洗濯物を干して、作物へ水遣り、水田の水を入れる(昼過ぎ~夕方に止める)(徐々に気温が上がって来るので、休憩入れながら、ゆっくりやっていた)※ 3日目は登校日だったので、農作物の水管理を慌ててして、9時過ぎには家を出る(登校10時)帰宅が昼を過ぎるので、帰りにピクニック気分で食う予定で弁当とオヤツを持って行った。挿入行為の影響を心配して俺も付き添い登校、案の定妹が「挿入感覚が残っていて歩きにくい」と言い始め、幸い通学路には誰も居なかったので小学校手前まで妹をオンブして登校した。帰りは途中の田んぼのアゼで弁当食べたりオヤツ食べたり、道草しながら3時間以上かけて帰宅した。昼前10時~、午前のオヤツ、そのあと休憩がてら妹の外遊びに付き合う。(欲情する気が起きないし、家に居るのに全く外遊びしないのも不自然なので)昼前11時過ぎ頃~昼食準備して、出来たら12時を待たずに食べて、TV見ながら昼休み。(住んでいた地区は、一番暑い時間帯には作業もしないし、外遊びもしないのが常識でした)午後3時頃、水田の水が充分な田んぼは水を止め、その後で午後のオヤツオヤツ後は水の貯まりが悪い水田回りを妹と散歩しながら水を止められるまで待つ。午後5時頃~、風呂を炊きながら夕食準備、夕食後に入浴俺に欲情する余裕が出るのはこの頃から、時刻で言うと夕方6時半頃から夜11時~0時の間。一緒に入浴する妹の全裸で欲情し始めるのですが、夜7時~9時はTVのゴールデンタイム、妹はTVを見たがり行為を渋ります。そんな中での2日目以降の性行為ですが、行為は初日とさほど変わらないので要点のみにします。 ◎両親旅行中の夏休み2日目以降と、以後の夏休み。挿入行為をした翌朝に、寝起きの妹が訴えていた一言が有ります。
...省略されました。
難しい章になり、話を書きにくくて時間がかかっています。長くお待ち頂くのも心苦しいので、区切りの良い所で上げていきます。●俺が中2の頃の話①(1学期) △また非エロの話から始まります。この年度の始まりは事件が幾つか起きて、連鎖的に家族の生活が影響を受けました。俺と妹の行為にも関連する事なので、細かい事は省いて、なるべく短く書きます。 父が4月頭に自家用乗用車を飲酒運転して自損事故を起こしました。電柱に突っ込んだ車は廃車になりましたが、幸い父は軽い怪我で済み、損害賠償や治療費なども大した金額では無かったのですが、警察に介入されて父は免許を取り消されました。 車移動必須の営業職だった父は、基本給が安く残業も無い資材課に移動になり給料が激減しましたが、家屋敷の維持が出来る程度の農業収入が有りましたし、米と季節の野菜は家で収穫した分で賄えたので、父の給料が下がっても贅沢しなければ充分暮らして行けたようです。 長くなるので理由は省きますが、父は免許の再取得をせず、免許の無い母に免許を取らせる事になり、どこへ行くにも母に送り迎えをさせるようになりました。母は5月の終わりには軽トラを乗り回していましたから、最短に近い期間で免許を取得したと思います。 父の事故と母の免許取得で慌ただしくなっている中、もう一つの事件が家庭内で進行中でした。家族は慌ただしさが一段落した田植えの後まで気付かなかったのですが、自室に篭りっぱなしだった祖母が「早く死にたい」などと言うようになっていました。 主治医に診てもらったところ、祖母は欝になっていたらしく、自宅療養では好転しないだろうと精神科への入院を勧められ、6月から入院する事になりました。 収入が厳しい時に祖母の入院費がかかる事になり、父は副業を探し始めました。俺の家が有ったのは県内スキー場への通過都市だったので、観光業に繁忙期の雇用が有りました。場所は家から車で15分ほどの大型ドライブイン、駐車場での観光バス誘導の仕事でした。 国内で開催された冬季オリンピックからスキーブームが始まっていた時代です。スキー場は四季を通して観光客に来てもらおうと、スキーシーズン以外も高原観光に来てもらおうと売り込みを始め、春や夏の高原観光でスキー場に行く観光客も増えていました。 高速が未発達の時代でしたので、旅行の行き帰りは夜行バス利用が多く、ドライブインは途中休憩地として盛っていました。 雇用期間は4~5月・7~8月・12月~3月の繁忙期のみなので、他の月は休める上、時給が高額だったので繁忙期のみでも、かなり稼げる仕事だったようです。勤務は週1平日休み、勤務時間は基本夕方6時から深夜0時でしたが、忙しくなる週末と祝日前は希望残業も出来たので、深夜2~3時までの勤務もできたようです。 4~5月の募集は締め切られていたので、父の雇用は7月からになりました。そして、父とほぼ同じ勤務時間の仕事が有ったので、送り迎えついでに母もアルバイトを始めました。母の勤務は観光バスのドライバーや添乗員の食事作りと給仕だったそうです。 高校時代に俺もドライブインでバイトしましたが、時給が通常のバイトより高額でした。高校生のバイトの時給は700円前後が普通でしたが、俺がやったドライブインの食堂ホールの時給は、1回目の夏休みの時が980円、2回目の冬休みの時は1050円と破格の時給でした。 バイト中にホールの社員に聞いたところによると、駐車場係の時給は、もっと高額でした。夕方6時から夜9時まで1600円、夜9時から1900円、夜0時~朝3時まで2100円だそうです。夜9時以降が特に高額になるのは、夜行バスのラッシュ時間だからだそうです。○1学期の性行為状況ほか(夏休み前までは微エロです) 夏休みまでは妹と性行為が出来る機会や時間が少なかったです。理由は長くなるので細かく書きませんが、6月までは上記のゴタゴタや両親が副業に出る前の準備で機会と時間が少なく、7月からは学校と家業の手伝いで俺が欲情する余力が無かったからです。平日の俺は、夕飯食って風呂に入ると性欲より眠気が勝るようになっていました。 それでも全く行為をしなかった訳では無く、土日には機会と時間が取れて、俺も欲情出来る時も有りましたが、そんな時に限って短時間しか取れずに愛撫しか出来無い事が多かった。そんな時は就寝前の自慰で欲求を解消しようとしましたが、妹の膣への挿入とは比べ物になりません。十分に欲求を解消出来無い夜は、ムラムラして寝付けない事も多く、寝付けるまで断続的に何回も
...省略されました。